第五話.休息
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「蘭飛様、お茶の支度が整いました」
「ありがとうございます、李凪」
とある日の昼下がり。蘭飛は新たに与えられた宮廷の自室にて、趣味である読書に勤しんでいた。李凪のいれたお茶を飲もうとしたところ、その茶器に目を惹かれる。
「…随分高価な物に見えますが…」
「陛下がご用意されたと聞き及んでおります」
「またぁ?星宿様、なんだか蘭飛に甘くなぁい?」
蘭飛の部屋で何をするわけでもなく、ただ入り浸っているだけの柳宿がぐるりと室内を見回して調度品を眺める。職人が丹精込めて作ったであろう一級品のそれらは、蘭飛がこの部屋を使用することになった際に全て新調されたものだ。
「一応何度か伝えてはいるんだけど…」
ちらりと李凪に目線を飛ばすが、首を緩く振って否定されてしまった。どうやら今回も聞き入れてもらえなかったようだ。
太極山にて、美朱が元の世界へ戻った後。七星士と守護星もまた宮廷へと帰還し、従者達からの出迎えを受けた。やはり蘭飛に対して当たりが強い者も散見したが、この時点で蘭飛が守護星だと信じる者は無いに等しいためそれも仕方がないこと。蘭飛も蘭飛で、後宮に戻るわけにもいかないし折角だから一度実家に帰るのも有りかな、なんて軽く考えていた矢先、星宿が「ここにいる神 蘭飛は本物の守護星である!」と声高らかに宣言したのであった。
一瞬の静寂の後、湧き上がったどよめき。あれよあれよという間に高級調度品付きの部屋が準備され、専属の侍女までつけられたのである。ちなみにここまでで蘭飛が発した言葉は、ひとつも無い。皆のあまりの変わり身の早さに柳宿は呆れ果て、苦笑いを零した蘭飛は星宿へとようやく申し出た。──「後宮から連れてきたい侍女が一人、いるのですが」と。
「またこうして蘭飛様のおそばにいることが出来るなんて…とても嬉しいです」
「ふふ。私の侍女はあなただけですよ、李凪」
「今の星宿様だったらあんたの願い、全部叶えてくれそうよね」
「もう…陛下は【守護星】を迎え入れているだけでしょう?」
「そうかしら」
星宿を慕う柳宿にしてみれば、この状況は面白くないに決まっている。拗ねるようにお茶を啜る柳宿を見て蘭飛はそっと李凪へと目配せし、主の意図を汲み取った優秀な侍女は部屋を離れた。扉の開閉音が止んだ後、暫くの沈黙を破って口を開いたのは柳宿だった。
「…太一君に聞いたわ、あんたの能力のこと」
「…うん」
「どうして教えてくれなかったのよ」
「……嫌われるのが…怖かったから、かな」
蘭飛は震えそうになる指先にギュッと力を込めた。能力について、いつかは言わなくてはならないとは分かっていた。ここまで卑怯にも引き伸ばしてしまったのは、単に勇気が出なかったからに過ぎない。瞼を閉じると思い浮かぶ、
「……〝康琳〟」
「!」
柳宿が呟いた名前に、蘭飛は顔を上げた。柳宿を見つめるその瞳は、今にも泣き出してしまいそうに揺らいでいる。
「思った通りだわ。あんた、自分のせいで康琳が死んだって思ってるの?」
「…助けられなかったのは事実だから」
荷馬車に轢かれ、幼くして命を落とした柳宿の最愛の妹──康琳。柳宿が女性として…〝康琳〟として生きていこうと決意した理由でもあるその少女は、蘭飛にとってもかけがえのない大切な人だった。まるで本当の姉のように慕ってくれ、どこへ行くにも後ろをついてくる康琳が可愛くて堪らなかった。…なのに、あの日。早馬が届けた報せは、蘭飛を悲しみの底へと突き落とした。両親と共に急いで駆けつけた柳宿の実家、康琳が大好きな果物や一緒に遊んだ鞠や人形が供えられた祭壇、漂う線香の香り。それら全てが報せは嘘でなかったことを嫌でも突きつけていた。
蘭飛はすぐに柳宿の元へ向かった。勝手知ったる彼の実家だ、どこにいるかなんて簡単に予想はついた。そして、康琳の部屋で女性物の着物を纏う柳宿を見つけた。蘭飛が名前を呼ぶと、彼はゆっくりと振り返り……大粒の涙を流した。蘭飛が堪らず抱きしめると、柳宿はしゃくりを上げて泣いては何度も妹の名前を呼び続けた。叫びにも近い悲痛な声に、蘭飛は心の中で謝り続けた。──そばにいたら助けられたかもしれないのに、と。
「……あの時、もう自分にはそういう力があるって知ってたの。……ごめんなさい」
「……馬鹿ね」
呆れたように柳宿が溜息をついた。
「そもそもあの頃、あんた達家族は栄陽を離れていたじゃない。なのに、どうやって助けるつもり?」
「…それは、そうだけど…」
「何でもかんでも自分のせいにし過ぎなのよ、昔から」
柳宿は蘭飛の額をツンと小突いた。
「何回でも言うわ。蘭飛のせいじゃないし、あんたが自分を責める必要なんてこれっぽっちもないの」
「でも…っ」
「でも、じゃない!…そんなこと言われたら、あたしの方こそ謝らなくちゃ」
「…?」
「…何年もそんな思いをさせていることに気付くことが出来なくて、ごめん。もっと早く気付いてあげていれば、蘭飛が悩む必要なんてなかったのに」
真っ直ぐと自分を見つめる瞳から、蘭飛は目を逸らせなかった。その眼差しは、まるで昔の──。
「っ、違う!私が勝手に考えていただけで…っ」
言いかけた言葉を蘭飛は飲み込んだ。それに気付いた柳宿が小さく笑う。
「ね、おあいこでしょう?どっちも自分を責めることなんてないのよ。それにね、あたしがそう簡単にあんたを嫌うなんてありえないから」
目尻を下げる柳宿に、蘭飛は胸の奥でじんわりと温かいものが広がる感覚がした。どうしていつも欲しい言葉をくれるんだろう…と、この幼馴染みには一生勝てないんじゃないか、そんな風に蘭飛は思う。
「…ありがとう、康琳」
蘭飛の表情がようやく和らぐと、柳宿も満足気に笑った。
「──と・こ・ろ・で、蘭飛~?他にあたしに隠してること、なぁい?」
「え?」
心当たりのない話にきょとんとする蘭飛に、柳宿はずいと詰め寄る。
「しらばっくれたって無駄よ!太極山に行く途中、あんたに良い人がいるって言ってたこと、ちゃぁんと覚えてるんだからっ!」
「ええっ?!………ああ、あの話ね…」
若干誇張されてはいるが、あんな些細な話をよくもまあ覚えているものだ。今すぐに詳しく話せと言わんばかりの幼馴染みの迫力に、蘭飛は苦笑いを浮かべる。
「どこのどいつよ、そいつ!」
「待って待って!そんな大袈裟にする話でもないの」
「はぁっ?!詳しく教えなさい!」
「えー……」
どうしたものかと悩んでいると、扉を叩く音がした。入室を許可すると、先程目配せした通り、柳宿の好物の菓子を盆に乗せた李凪がやって来た。これで柳宿のご機嫌を取ろうと思っていた蘭飛だったが、どうやら一筋縄ではいかないみたいだ。
「蘭飛様、お手紙をお預かりして参りました」
「ありがとう」
「ちょっと!無視してんじゃないわよっ」
隣で騒ぐ柳宿は一旦置いて、蘭飛は李凪から受け取った手紙の差出人へと視線を落とし、名前を確かめるとそっと引き出しにしまった。
「読まないの?」
「うん。あとで読むから」
「………李凪。今の手紙って誰から?」
「その質問にはお答えできかねます」
何か勘づいたらしい柳宿が今度は李凪へ矛先を変えたが、そう簡単に口を割るわけがない。暫く続く二人のやり取りがいつまでも終わらない予感がして、蘭飛は小さく息をつき観念したように白状した。
「差出人はお父さんの知り合いの息子さん。時々こうして手紙を送ってくれるの」
蘭飛によると、後宮入りする前に付き合いで何度か一緒に食事をしたことがあるという。時折届く手紙には、〝新しく出来た甘味処に興味があるのだけれど、女性ばかり並んでいて自分ひとりでは行きにくい〟といった遠回しの誘いや、〝小間物屋で似合いそうな髪飾りを見つけたのだけど、贈ったら迷惑だろうか〟といった好意丸出しのことが書かれているらしい。しかし柳宿に教えるとまた厄介なことになりそうだと判断し、蘭飛は黙っておくことにした。
「……で?あんたはその男のこと、どう思ってんのよ」
「どうって…だから、お父さんの知り合いの息子さん。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「本当に?」
「もう…そんな疑った目で見ないで。確かに悪い人ではないと思うけど」
「なによ、やっぱり気があるんじゃない」
「そういう意味じゃなくて!…というか、どうしてそう突っかかってくるの?」
「はぁっ?!」
言い合いを始めたふたりの傍ら、李凪は「またやってる…」と心の内で呟きながら冷めたお茶を入れ直していた。
峻 李凪が蘭飛の侍女として働き始めて、約一年が経つ。両親を亡くし唯一の身寄りだった叔母にも売られそうになり、職を求め逃げるようにやって来た首都・栄陽。複数人の男達に襲われそうになった李凪を助けた人物こそ、後宮を抜け出していた蘭飛だった。事情を聞いた蘭飛は李凪を後宮へ誘い、文官に直談判して李凪を自身の専属の侍女とさせたのだ。
周囲の大人の機嫌を窺いながら育った環境ゆえ、観察眼が人一倍鋭い李凪は仕事の覚えも早かった。そうして彼女の瞳は蘭飛と一際親しく、よく行動を共にしていた妃──〝康琳〟の存在を捉えた。なぜ男性が妃として後宮にいるのか疑問を抱いたが、何か事情があるんだろうと深くは考えず、暫く経った頃に何気なく蘭飛に尋ねて大層驚かせたのである。そこで後宮の妃・康琳は訳あって女装する男性であり、蘭飛の幼馴染みであると説明を受けたのだ。
「とにかく!あんたはすーぐ騙されるんだから簡単に男を信じるんじゃないわよ」
「だからそういうのじゃないんだってば…」
「好きな男が出来たら、まずあたしに教えなさい。ちゃんと見極めてあげるから」
「康琳様。蘭飛様を心配なさる気持ちは同感いたしますので、素直にそう仰ればよろしいかと」
新しく入れたお茶と菓子をふたりの前に並べる李凪がそう言うと、柳宿は目を丸くし慌てて否定した。
「なっ、ちょっ、李凪?!あたしは別に…っ!」
「康琳、心配してくれたの?」
真っ直ぐな瞳で見つめられてしまえば、柳宿も言い逃れをする気も失せてしまう。
「…ハァ……そうよ。幼馴染みが変な男に引っかかるところなんて、誰も見たくないでしょ」
「…ふふ、ありがとう。でもね、本当にそういうのはいいの。…今はこうして康琳や李凪と一緒にいる時間が幸せだから」
「! …そんなこと言ってると、本当に婚期逃すわよ」
「それはその時に考える」
ふわりと笑う蘭飛につられ、「どうなっても知らないんだから」と揶揄う柳宿の声も、どこか優しく柔らかい音だった。
李凪は気付かれぬよう、ふたりの顔を盗み見る。七星士と守護星という、特別な運命をもった柳宿と蘭飛。ただの侍女でしかない自分には理解し得ない使命を背負ったふたりだが、大切なこの人達がこの先、少しでも心穏やかに過ごせますようにと祈りを捧げ、李凪は平和なこの時を胸に刻んだ。
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