ep.27 残念な1日だった君が、笑ってくれますように
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まだ帰る気になれなくて、名前はショートケーキを頬張っていた。
公園で食べるには、甘すぎるチープな味が、ちょうど良い。
けれど、甘ったるさが残った口内をさっぱりさせるためだけに、名前はお茶を口に運ぶ。
そのとき、ベンチに雑に置かれていたスマホが震えだした。
着信のようで、ずっと鳴り続けている。
スマホに手を伸ばし、ディスプレイを確認して驚いた。
月島からだ。
急いで応答ボタンを押して、スマホを耳に押し当てる。
「どうしたの?」
電話に出た途端、名前は疑問を口にした。
≪…名前さんが、電話していいか聞いてきたんデショ。≫
月島から不機嫌な声が返って来た。
電話越しに聞く月島の声は、普段よりも低く聞こえて、余計にそう感じる。
でもどうしてだろう。なんだか落ち着く。安心する。
「そうだけど…。 返事ないから、
面倒くさくなって眠っちゃったのかと思ってた。」
≪面倒くさいし、電話切っていいですか。≫
「え!せっかくなら話そうよ!」
慌てて引き留めると、電話の向こうで月島が小さく息を吐いたのが聞こえた。
名前が月島にメッセージを送った時点でもう0時を回っていた。
月島は、寝るところだったのかもしれないし、もしかしたらもう寝ていたのかもしれない。
それでも、彼はわざわざ電話をかけてくれた。
やっぱり、優しいな———素っ気ない態度も言葉も、その端々にちゃんと優しい温度を持っている人だ。
知っていた。
盛大に転んだ名前に手を差し伸べてくれたときから、恐怖に呑み込まれそうになっていたところを救い出してくれたときから、知っていた。
月島に甘えている自覚なら、ある。彼にとっては、迷惑でしかないだろう。
分かっていても、つい甘えてしまう。
そんな自分が、今日はいつもよりもずっと嫌いだと思う。
≪名前さん、寝ないんですか。≫
「全然眠たくなくて、すっごく困ってるところ。」
≪眠れない暇つぶしに僕を利用しないでください。≫
「お返しに、月島君が眠れないときは、
私に電話かけてきていいから、ね?」
≪遠慮しときます。≫
「えー、子守唄歌ってあげるのになぁ~。」
≪ほんと迷惑なんで、絶対電話しないって
強く決意しました。≫
「子守唄といえばさ~、古典の〇〇先生の授業って
子守唄みたいで、すっごく気持ちよく眠れるんだよ~。」
≪また授業中寝てたんですか。
眠れないのって、絶対、授業中寝てるせいデショ。≫
「アハハ、そうかも~。」
名前の笑い声が、外灯の明かりしかない暗い公園にやけに大きく響いた。
そして、あっという間に、暗闇の中へ吸い込まれていく。
真夜中の公園のベンチでポツンとひとりきりでいる現実を思い出させる。
だから、名前は、出来るだけ声が途切れないように、絶え間なく喋り続けた。
「月島君ってカラオケで何歌うの?」
≪急ですね。≫
「今日、行って来たんだ~。
美味しいケーキあったよ。今度、一緒に行く?」
≪カラオケに何しに行ってるんですか。≫
「何しに行ったんだろう~。
私にも分かんないや。」
名前から苦笑いが漏れる。
公園の裏の道を車が通っていくから、小さな笑い声は聞こえないままかき消された。
名前は、少しだけ胸を張って夜風を思いっきり吸い込んだ。
夏の匂いと夜の匂いがする。
普段なら家の中にいる時間、知らない公園の空気が、新鮮で、本当は少し怖い。
でも、家に帰りたくない。
帰ったら、制服を着替えないといけないし、風呂にも入らないといけない。
宿題をするつもりはないけれど、せめて明日の時間割はしないといけないだろう。
それも全て終わったら、ベッドに入ることになる。
今日はすごく疲れてしまった。でも、きっと眠れない。そんな気がする。
ベッドの中で、自分を嫌悪する長い時間と戦い続けてるうちに、絶望の朝がやってくる。
家に帰るのが嫌なのではない。明日が来るのが、嫌なのだ———。
≪…名前さん、もしかして、今外ですか?≫
「そうだよ~。よく分かったね!」
≪どこですか?≫
「ふふ~、何処だと思う?」
≪…分かったんで、もういいです。≫
「分かったって何が?」
不思議に思いながら、名前は自分の足元を気にした。
不意に、小さな風が吹いて、小さな木の葉が足元で動いたのだ。
「バカですか?」
耳に当てたスマホから聞こえてくる声が、目の前からも聞こえてきた。
頭を垂れて喋っていた視界。自分の足元の向こうに男性用のサンダルの足が入ってくる。
驚いて顔を上げると、眉を顰めて、白いTシャツに短パンというラフな格好で、自分を見下ろす月島がいた。
「え?なんでいるの?」
スマホを耳に当てたまま、名前は驚いた顔のまま訊ねる。
「名前さんのせいで目が覚めてしまったので
気分転換で外に出てきたんですよ。」
月島が不機嫌そうに答える。長身な上、ベンチに座る名前はどうしたって見下ろされる格好になるから、いつもよりも余計に彼に見下されている気分になった。
通話は切ったらしく、耳元からはもう月島の声は聞こえてこない。
いつの間にか、スマホも彼の手の中だった。
「そうだったんだ。ごめんね。
お詫びに、ケーキあげるから。」
許して———、と残っていたもうひとつのケーキを月島に差し出せば、彼はこれでもかという程に眉を顰めた。
「もう歯磨きしたんで、要りません。」
月島がそう言って、いつものように隣に座る。
「歯磨きしたからって、小学生みたい。」
名前が可笑しそうに笑う。
からかわれて機嫌を損ねた月島が、ギロリと名前を睨みつける。
敢えてそうしたのだろうが、全く気にも留めずに「可愛い」と笑う名前に、ついにはため息を吐いた。
「いつまでカラオケにいたんですか。」
「何時だったかな。終電までには帰って来たよ。」
「…それで、どうしてこんな時間まで公園にいるんですか。」
「言ったでしょ~。全然、眠たくなくてさぁ。」
名前はヘラヘラと笑って答える。
ほんの少し前までは、ひとりぼっちだった真夜中の公園に、自分以外の誰かがいる。
いつものように、ベンチの隣に月島がいる。
たったそれだけで、心強かった。例えるのならば、初期装備しかないレベル0の状態でボス前に放り出されたと思ったら、最強装備に身を包んだレベル100の猛者が助太刀に来てくれたような感覚だ。
つまり、無敵になった気分だった。
「だからって、真夜中の公園でショートケーキ食べるって
ほんっとうに、バカだったんですね。」
月島は、心底気持ちを込めて言う。
彼が、呆れているのも、多少は怒っているのだろうことも、それが女性がこんな時間に———という心配から来ているのだろうことも、気づいていないわけではなかった。
けれど、無双気分の名前の心には響かない。
「これは…、おつかれパーティー。」
「試合でもしてきたの?」
月島が呆れたように息を吐く。
IH予選に負けた月島の為に、公園でショートケーキを食べながらお疲れパーティーをしたときのことを言っているのだろう。
「そう、だね。うん、試合に出ようとして棄権してきた。
何も出来ないまま、惨敗。自分に負けてきました!」
名前は、自虐的な笑みを浮かべて、自分を茶化すように敬礼ポーズをした。
『勝手に他の人に連絡先を教えないで。』『そろそろ帰ろうよ。』『彼はタイプじゃない。』『こういうノリは本当は苦手なの。』
楽しくハシャぐ友人達に伝えたい言葉は沢山あった。
でも、そのどれも言えないまま、名前はすべてに曖昧に笑い返した。
試合すらできなかった。情けない。
「かんぱーい。」
月島が悪戯に口の端を上げる。
この前のお疲れパーティーのときに名前が言ったセリフが重なる。
やり返されたのだ、と思った途端、可笑しくなって、名前はプッと吹き出した。
「ひど~い。」
笑ってそう言いながら、名前はほんの少しだけ心が軽くなったのを感じていた。
心からの笑顔ではない。でも、自然と笑いが出る。
このまま、今日のことは忘れてしまおう———そう思ったのに、そんなことはさせないとばかりにスマホが震える。
メッセージではなくて、着信だった。
暗闇の中、駅まで送ってくれた他校の男子生徒の名前が『俺を忘れるな』と主張するようにディスプレイの中心で煌々と光る。
「出ないんですか?」
月島はさほど興味なさそうに言う。
「いい。
どうせ連絡先交換しても、ほとんど出ないよって伝えてあるから。」
名前はそう言うと、スマホを裏返して膝の上に置いた。
静かな公園にスマホのバイブが気味悪く響く。けれど、これでもう、ほとんど他人の名前がスマホに表示されているのを見せられずに済む。
「その割には、諦めてる様子ないですね。」
月島が、名前の膝の上で震え続けるスマホに視線を落とす。
応答なしで途切れる度に、他校の男子生徒は何度もかけ直してきていた。
寝ているかもしれない、という思考はないのだろうか。
しつこい男は嫌われる、と女性の扱いに慣れていたイケメンの友人に教えてもらっていないのかもしれない。
しばらく震えた後、スマホは気味の悪い音を響かせるのを止めた。
名前は大きく息を吐いて、スマホを裏返す。
ディスプレイの中心には、不在着信7件の通知が残っていた。
意外と少ないと思ってしまったのは、あの気味の悪い音が響いていた時間が永遠のように長く感じたせいなのだろう。
着信画面を開いて、不在着信を履歴ごと消そうとしていたとき、メッセージが届いた。
スマホの操作中だったせいで、メッセージが届いたと同時にトーク画面を開いてしまった。
——————
返事がないから心配して電話したんだけど、寝たかな?
——————
無視するはずだったメッセージに既読が付いてしまった。
「あ!!どうしよう、既読ついちゃった!
これ、どうにかして消せないかな!?」
名前は慌てて、月島にトーク画面を見せた。
スマホをのぞき込むように視線を向けた月島の目が、すぐに細くなる。
「手遅れです。今、返事来ました。」
「え!?」
名前は急いで、トーク画面を確認する。
—————
起きてたんだね!
どうして電話出てくれないの?恥ずかしかった?(笑)
—————
メッセージを読んだ名前は、脱力する。
なんとか家に帰るまでの分は充電できたと思っていたエネルギーが、一気に失せたのが分かった。
「もう…やだ…。」
名前は、顔を両手で覆って、頭を垂れた。
膝の上では、またスマホがしつこく震えている。
「スマホ、貸して。」
そう言うと、月島は返事を待たずに、名前の膝の上で震えているスマホを手に取る。
そして、応答を待っている状態のままスマホの電源を切ってしまう。
月島の思いきった行動には驚いたし、相手にも切られたことは分かっただろうし、今後どうしようかと不安になる。けれど、正直、スカッともした。
「うるさかったんで。」
月島がそう言って、漸く静かになったスマホを名前に返す。
名前は、さっきまでの騒がしさが嘘のように、うんともすんとも言わないどころか、画面が真っ暗のスマホを見下ろす。
そうしていると、じわじわと笑いがこみ上げてきた。そして、ついに吹き出してしまった。
ひとしきり笑った後は、自分のことが情けないくらいに臆病なことを思い知らされた。
「今日、遊んだ人ですか?」
「…そう。そのうちの1人。
条善寺ってとこの人だって。知ってる?」
「知らないです。随分、仲良くなったんですね。」
月島が微笑む。
それが、感心でも感想でもなく、嫌味であることは分かっている。
嫌味っぽいのがいつもの彼だけれど、今日のそれはいつもよりもダメージが大きいのは、自分でも馬鹿なことをしていると分かっているからだ。
「そうだね。
だって、名前ちゃんは自分のことが好きだと思ってるんだもん。」
名前は、自虐的に笑おうとして、失敗した。
唇が震えて、上手く笑えないから、両手で顔を隠した。
「———月島君、私って美人かな?」
名前は、ゆっくりと顔を上げると、隣に座る月島に訊ねる。
思いがけない質問だったのだろう。
月島は片眉を上げて、訝し気な表情を浮かべた。
いつもならば、テンポよく返ってくる嫌味は、彼の口からなかなか吐き出されない。
答えに悩んでいるらしい。
何と答えて欲しいのか、名前すらも分かってはいなかった。
でも、名前は、自分が美人であることは知っている。
幼い頃から、両親に『可愛い、可愛い』と愛情込めて育てられた。でも、その『可愛い』が、両親以外にも通じると気づいたのは、いつの頃だったか。
己惚れだと謙遜するのは嫌味になるくらいには、美人なのだろうと今では自覚している。
でも、だから何だと言うのか。
(好きな人は、私のことを好きになってくれないのに…。)
美人でよかったことなんて、一度もない。
そんな自分のことを月島はどう思っているのだろう————返事を待っている時間が、やけに長く感じた。
しばらく待つと、月島がゆっくりと息を吸った。
その瞬間に、名前の緊張がピークに達する。
「そうですね。すごく…、——っ!?」
肯定の返事が返って来た途端、名前は自分が傷ついたことが分かった。
名前の視界がぼやけて揺れる。
月島は、名前のその反応が意外だったのか、驚いた様子で目を見開いた。
きっと頭の良く優しい彼は、彼なりに、女性に対しての正解の答えを出しただけなのだろう。
でも、実際、名前は傷ついてしまったのだ。
それならば、月島に、そうは思わないと答えて欲しかったのだろうか。
それも違う気がする。
可愛くなりたい、綺麗になりたい———女の子なら誰だって大なり小なりあれど、そう思っている。
努力した結果の今を否定されれば、それはそれでショックを受けていたはずだ。
きっと、月島に正解の答えなんてものは、初めから用意されていなかった。
意地悪問題だ。
だから、名前は月島の顔を見られず、逃げるように目を逸らす。
「だよね~。私って美人だよね、うん、うん。
よく分かってる、月島君、大正解!」
月島から目を逸らしたまま、名前は作り笑いを貼り付けて、明るい声を装う。
「あー、気分がよくなっちゃった!
これなら、気持ちよく眠れそう!さぁ、帰ろうかな!」
名前は、ショートケーキのゴミをコンビニの袋に入れると、ペットボトルのお茶をスクールバッグに押し込んで立ち上がる。
どれくらいの時間、月島と話していたのだろう。
もう真夜中なのだから、話しすぎた。早く帰った方がいい。
正直、もうこれ以上、月島と話していたくない。
「待って…!」
さっさと歩き出した名前の手首を、月島が掴んだ。
驚いて振り返れば、月島が口を開く。
「勝手に解釈間違いして、テンション上げないでくれる?
僕、まださっきの質問、ちゃんと答えてないんだけど。」
月島が不機嫌そうに言う。
思いがけないその科白に、名前は困惑する。
「解釈間違い?」
「名前さんのことを僕が美人だと思うかって聞いたんだよね。」
「うん。」
「だったら僕の答えはこうだから、
名前さんのこと、すごく残念な美人だと思ってる。」
月島が、ハッキリと答えを口にする。
今度は、その言葉に、名前が傷つくことも喜ぶこともなかった。
ただ、意味を理解できずに、疑問符が頭に浮かぶばかりだ。
「・・・・・・・・残念な美人?」
「なぜかいきなりブチギレて地面に叩きつけて跳ね返ったボールを頭に落として逆ギレしてみたり
逃げ足は速いけど、毎回こけかけてるし、
盛大に転べば、両手をつくことも出来ずに思いっきり鼻ぶつけるくらい鈍くさいし
僕がどんなに丁寧に勉強を教えたところで、全く身にならないくらいにバカだし。」
「…今、悪口を言われてる?」
「事実デショ。」
「反論の余地もなくて、泣きそう。」
「だから、最初からずっと、名前さんのことを残念な美人だと思ってます。」
月島が言い切る。
名前は、言葉が出なかった。
確かに、月島には恥ずかしい場面をたくさん見られているし、勉強が苦手だという自覚もある。
けれど、まさか、そんな風に思われていたなんて、想像もしていなかったのだ。
呆然とする名前を見下ろして、月島が、はっ、と強めに息を吐く。
「もしかして、自分のことを完璧な美人だとでも思ってた?
バカじゃないの。ただの美人なわけないデショ。
僕の知ってる中で、名前さんは、最も残念な美人だから。」
とうとう言ってやったぜ—————とばかりの煽り顔で見下してくる。
月島の眉と口は片方だけ上がっていて、本当に心底意地悪な顔をしていた。
本当に、月島は他人に意地悪を言ってやったときが、一番生き生きしている。
嬉しくて仕方がなさそうだ。
それが可笑しくて、面白くて、名前は吹き出すと、腹を抱えて笑った。
そんな名前の笑い声が、月島をムキにさせたのか。彼はさらに続ける。
「そもそも、普段は名前さんが本当にバカすぎて、
美人だってことすら忘れがちだから。
さっきも名前さんに聞かれるまで忘れてて、思わず返事に詰まったし。」
「それで、返事が遅かったんだ!?」
「それ以外にどんな理由が?
つまり、僕にとって名前さんは————ただの残念な人。」
月島がぷぷっとバカにしたように笑う。
「そんなに残念を連呼しなくてもいいじゃん。
ほら、見て!よく見て、可愛いでしょ?」
名前は月島の視界にズイッと顔を押し込むように入れると、自分の両頬を人差し指で少し押して、可愛いポーズをしてみせた。
いきなり目の前に現れた、ぶりっ子がやるそれに、月島が思いっきり眉を顰める。
「ほんっと疲れる。僕、帰ります。」
月島はこれ見よがしにため息を吐くと、名前#の横を通り過ぎて、公園の出口へと歩いて行ってしまった。
「あ、待ってよ!一緒に帰る!」
名前は、急いで追いかけて、彼の隣に並んだ。
「私が美人過ぎて、目が疲れるってこと?」
名前がそう言うと、月島がチラリと見下ろしてきた。
「もう喋らないでもらえます?」
「なんでよ~、お喋りしながら帰ろうよ~。」
「もう真夜中ですよ。近所迷惑。」
「あ、そっか。」
名前がハッとして、口を片手で抑える。
公園を出た住宅街は、灯りがついている家はなく、とても静かだった。
名前と月島が歩く足音だけが、同じリズムで鳴っている。
「そもそも———。」
近所迷惑だからと言った月島の方が口を開いて、名前は少し驚いてしまった。
「僕は名前さんの顔と喋ってるわけじゃないんで。」
月島が、当然のように言う。
「だから、疲れるのは、目じゃないです。
バカの相手をする頭と心が疲れるって言ったんですよ。
つまり日向と影山と同類。」
「え、私にバレーの才能があるってこと?!」
「…そういうとこ、ほんっと疲れる。もうやだ。」
月島が苦々し気に吐き出すように言った。
でも、彼が本当に言いたかったことは、本当は名前も分かっていた。
———ありがとう。
そう言われたときに備えて、月島は嫌味を用意しているだろう。
彼はお礼を言われたいわけではないことも知っている。
だから、名前は、これ以上、近所迷惑にならないように必死に笑いを堪えた。
でも、どうしても我慢できなくて、目尻から溢れる涙を拭いながら、クスクスと笑った。
公園で食べるには、甘すぎるチープな味が、ちょうど良い。
けれど、甘ったるさが残った口内をさっぱりさせるためだけに、名前はお茶を口に運ぶ。
そのとき、ベンチに雑に置かれていたスマホが震えだした。
着信のようで、ずっと鳴り続けている。
スマホに手を伸ばし、ディスプレイを確認して驚いた。
月島からだ。
急いで応答ボタンを押して、スマホを耳に押し当てる。
「どうしたの?」
電話に出た途端、名前は疑問を口にした。
≪…名前さんが、電話していいか聞いてきたんデショ。≫
月島から不機嫌な声が返って来た。
電話越しに聞く月島の声は、普段よりも低く聞こえて、余計にそう感じる。
でもどうしてだろう。なんだか落ち着く。安心する。
「そうだけど…。 返事ないから、
面倒くさくなって眠っちゃったのかと思ってた。」
≪面倒くさいし、電話切っていいですか。≫
「え!せっかくなら話そうよ!」
慌てて引き留めると、電話の向こうで月島が小さく息を吐いたのが聞こえた。
名前が月島にメッセージを送った時点でもう0時を回っていた。
月島は、寝るところだったのかもしれないし、もしかしたらもう寝ていたのかもしれない。
それでも、彼はわざわざ電話をかけてくれた。
やっぱり、優しいな———素っ気ない態度も言葉も、その端々にちゃんと優しい温度を持っている人だ。
知っていた。
盛大に転んだ名前に手を差し伸べてくれたときから、恐怖に呑み込まれそうになっていたところを救い出してくれたときから、知っていた。
月島に甘えている自覚なら、ある。彼にとっては、迷惑でしかないだろう。
分かっていても、つい甘えてしまう。
そんな自分が、今日はいつもよりもずっと嫌いだと思う。
≪名前さん、寝ないんですか。≫
「全然眠たくなくて、すっごく困ってるところ。」
≪眠れない暇つぶしに僕を利用しないでください。≫
「お返しに、月島君が眠れないときは、
私に電話かけてきていいから、ね?」
≪遠慮しときます。≫
「えー、子守唄歌ってあげるのになぁ~。」
≪ほんと迷惑なんで、絶対電話しないって
強く決意しました。≫
「子守唄といえばさ~、古典の〇〇先生の授業って
子守唄みたいで、すっごく気持ちよく眠れるんだよ~。」
≪また授業中寝てたんですか。
眠れないのって、絶対、授業中寝てるせいデショ。≫
「アハハ、そうかも~。」
名前の笑い声が、外灯の明かりしかない暗い公園にやけに大きく響いた。
そして、あっという間に、暗闇の中へ吸い込まれていく。
真夜中の公園のベンチでポツンとひとりきりでいる現実を思い出させる。
だから、名前は、出来るだけ声が途切れないように、絶え間なく喋り続けた。
「月島君ってカラオケで何歌うの?」
≪急ですね。≫
「今日、行って来たんだ~。
美味しいケーキあったよ。今度、一緒に行く?」
≪カラオケに何しに行ってるんですか。≫
「何しに行ったんだろう~。
私にも分かんないや。」
名前から苦笑いが漏れる。
公園の裏の道を車が通っていくから、小さな笑い声は聞こえないままかき消された。
名前は、少しだけ胸を張って夜風を思いっきり吸い込んだ。
夏の匂いと夜の匂いがする。
普段なら家の中にいる時間、知らない公園の空気が、新鮮で、本当は少し怖い。
でも、家に帰りたくない。
帰ったら、制服を着替えないといけないし、風呂にも入らないといけない。
宿題をするつもりはないけれど、せめて明日の時間割はしないといけないだろう。
それも全て終わったら、ベッドに入ることになる。
今日はすごく疲れてしまった。でも、きっと眠れない。そんな気がする。
ベッドの中で、自分を嫌悪する長い時間と戦い続けてるうちに、絶望の朝がやってくる。
家に帰るのが嫌なのではない。明日が来るのが、嫌なのだ———。
≪…名前さん、もしかして、今外ですか?≫
「そうだよ~。よく分かったね!」
≪どこですか?≫
「ふふ~、何処だと思う?」
≪…分かったんで、もういいです。≫
「分かったって何が?」
不思議に思いながら、名前は自分の足元を気にした。
不意に、小さな風が吹いて、小さな木の葉が足元で動いたのだ。
「バカですか?」
耳に当てたスマホから聞こえてくる声が、目の前からも聞こえてきた。
頭を垂れて喋っていた視界。自分の足元の向こうに男性用のサンダルの足が入ってくる。
驚いて顔を上げると、眉を顰めて、白いTシャツに短パンというラフな格好で、自分を見下ろす月島がいた。
「え?なんでいるの?」
スマホを耳に当てたまま、名前は驚いた顔のまま訊ねる。
「名前さんのせいで目が覚めてしまったので
気分転換で外に出てきたんですよ。」
月島が不機嫌そうに答える。長身な上、ベンチに座る名前はどうしたって見下ろされる格好になるから、いつもよりも余計に彼に見下されている気分になった。
通話は切ったらしく、耳元からはもう月島の声は聞こえてこない。
いつの間にか、スマホも彼の手の中だった。
「そうだったんだ。ごめんね。
お詫びに、ケーキあげるから。」
許して———、と残っていたもうひとつのケーキを月島に差し出せば、彼はこれでもかという程に眉を顰めた。
「もう歯磨きしたんで、要りません。」
月島がそう言って、いつものように隣に座る。
「歯磨きしたからって、小学生みたい。」
名前が可笑しそうに笑う。
からかわれて機嫌を損ねた月島が、ギロリと名前を睨みつける。
敢えてそうしたのだろうが、全く気にも留めずに「可愛い」と笑う名前に、ついにはため息を吐いた。
「いつまでカラオケにいたんですか。」
「何時だったかな。終電までには帰って来たよ。」
「…それで、どうしてこんな時間まで公園にいるんですか。」
「言ったでしょ~。全然、眠たくなくてさぁ。」
名前はヘラヘラと笑って答える。
ほんの少し前までは、ひとりぼっちだった真夜中の公園に、自分以外の誰かがいる。
いつものように、ベンチの隣に月島がいる。
たったそれだけで、心強かった。例えるのならば、初期装備しかないレベル0の状態でボス前に放り出されたと思ったら、最強装備に身を包んだレベル100の猛者が助太刀に来てくれたような感覚だ。
つまり、無敵になった気分だった。
「だからって、真夜中の公園でショートケーキ食べるって
ほんっとうに、バカだったんですね。」
月島は、心底気持ちを込めて言う。
彼が、呆れているのも、多少は怒っているのだろうことも、それが女性がこんな時間に———という心配から来ているのだろうことも、気づいていないわけではなかった。
けれど、無双気分の名前の心には響かない。
「これは…、おつかれパーティー。」
「試合でもしてきたの?」
月島が呆れたように息を吐く。
IH予選に負けた月島の為に、公園でショートケーキを食べながらお疲れパーティーをしたときのことを言っているのだろう。
「そう、だね。うん、試合に出ようとして棄権してきた。
何も出来ないまま、惨敗。自分に負けてきました!」
名前は、自虐的な笑みを浮かべて、自分を茶化すように敬礼ポーズをした。
『勝手に他の人に連絡先を教えないで。』『そろそろ帰ろうよ。』『彼はタイプじゃない。』『こういうノリは本当は苦手なの。』
楽しくハシャぐ友人達に伝えたい言葉は沢山あった。
でも、そのどれも言えないまま、名前はすべてに曖昧に笑い返した。
試合すらできなかった。情けない。
「かんぱーい。」
月島が悪戯に口の端を上げる。
この前のお疲れパーティーのときに名前が言ったセリフが重なる。
やり返されたのだ、と思った途端、可笑しくなって、名前はプッと吹き出した。
「ひど~い。」
笑ってそう言いながら、名前はほんの少しだけ心が軽くなったのを感じていた。
心からの笑顔ではない。でも、自然と笑いが出る。
このまま、今日のことは忘れてしまおう———そう思ったのに、そんなことはさせないとばかりにスマホが震える。
メッセージではなくて、着信だった。
暗闇の中、駅まで送ってくれた他校の男子生徒の名前が『俺を忘れるな』と主張するようにディスプレイの中心で煌々と光る。
「出ないんですか?」
月島はさほど興味なさそうに言う。
「いい。
どうせ連絡先交換しても、ほとんど出ないよって伝えてあるから。」
名前はそう言うと、スマホを裏返して膝の上に置いた。
静かな公園にスマホのバイブが気味悪く響く。けれど、これでもう、ほとんど他人の名前がスマホに表示されているのを見せられずに済む。
「その割には、諦めてる様子ないですね。」
月島が、名前の膝の上で震え続けるスマホに視線を落とす。
応答なしで途切れる度に、他校の男子生徒は何度もかけ直してきていた。
寝ているかもしれない、という思考はないのだろうか。
しつこい男は嫌われる、と女性の扱いに慣れていたイケメンの友人に教えてもらっていないのかもしれない。
しばらく震えた後、スマホは気味の悪い音を響かせるのを止めた。
名前は大きく息を吐いて、スマホを裏返す。
ディスプレイの中心には、不在着信7件の通知が残っていた。
意外と少ないと思ってしまったのは、あの気味の悪い音が響いていた時間が永遠のように長く感じたせいなのだろう。
着信画面を開いて、不在着信を履歴ごと消そうとしていたとき、メッセージが届いた。
スマホの操作中だったせいで、メッセージが届いたと同時にトーク画面を開いてしまった。
——————
返事がないから心配して電話したんだけど、寝たかな?
——————
無視するはずだったメッセージに既読が付いてしまった。
「あ!!どうしよう、既読ついちゃった!
これ、どうにかして消せないかな!?」
名前は慌てて、月島にトーク画面を見せた。
スマホをのぞき込むように視線を向けた月島の目が、すぐに細くなる。
「手遅れです。今、返事来ました。」
「え!?」
名前は急いで、トーク画面を確認する。
—————
起きてたんだね!
どうして電話出てくれないの?恥ずかしかった?(笑)
—————
メッセージを読んだ名前は、脱力する。
なんとか家に帰るまでの分は充電できたと思っていたエネルギーが、一気に失せたのが分かった。
「もう…やだ…。」
名前は、顔を両手で覆って、頭を垂れた。
膝の上では、またスマホがしつこく震えている。
「スマホ、貸して。」
そう言うと、月島は返事を待たずに、名前の膝の上で震えているスマホを手に取る。
そして、応答を待っている状態のままスマホの電源を切ってしまう。
月島の思いきった行動には驚いたし、相手にも切られたことは分かっただろうし、今後どうしようかと不安になる。けれど、正直、スカッともした。
「うるさかったんで。」
月島がそう言って、漸く静かになったスマホを名前に返す。
名前は、さっきまでの騒がしさが嘘のように、うんともすんとも言わないどころか、画面が真っ暗のスマホを見下ろす。
そうしていると、じわじわと笑いがこみ上げてきた。そして、ついに吹き出してしまった。
ひとしきり笑った後は、自分のことが情けないくらいに臆病なことを思い知らされた。
「今日、遊んだ人ですか?」
「…そう。そのうちの1人。
条善寺ってとこの人だって。知ってる?」
「知らないです。随分、仲良くなったんですね。」
月島が微笑む。
それが、感心でも感想でもなく、嫌味であることは分かっている。
嫌味っぽいのがいつもの彼だけれど、今日のそれはいつもよりもダメージが大きいのは、自分でも馬鹿なことをしていると分かっているからだ。
「そうだね。
だって、名前ちゃんは自分のことが好きだと思ってるんだもん。」
名前は、自虐的に笑おうとして、失敗した。
唇が震えて、上手く笑えないから、両手で顔を隠した。
「———月島君、私って美人かな?」
名前は、ゆっくりと顔を上げると、隣に座る月島に訊ねる。
思いがけない質問だったのだろう。
月島は片眉を上げて、訝し気な表情を浮かべた。
いつもならば、テンポよく返ってくる嫌味は、彼の口からなかなか吐き出されない。
答えに悩んでいるらしい。
何と答えて欲しいのか、名前すらも分かってはいなかった。
でも、名前は、自分が美人であることは知っている。
幼い頃から、両親に『可愛い、可愛い』と愛情込めて育てられた。でも、その『可愛い』が、両親以外にも通じると気づいたのは、いつの頃だったか。
己惚れだと謙遜するのは嫌味になるくらいには、美人なのだろうと今では自覚している。
でも、だから何だと言うのか。
(好きな人は、私のことを好きになってくれないのに…。)
美人でよかったことなんて、一度もない。
そんな自分のことを月島はどう思っているのだろう————返事を待っている時間が、やけに長く感じた。
しばらく待つと、月島がゆっくりと息を吸った。
その瞬間に、名前の緊張がピークに達する。
「そうですね。すごく…、——っ!?」
肯定の返事が返って来た途端、名前は自分が傷ついたことが分かった。
名前の視界がぼやけて揺れる。
月島は、名前のその反応が意外だったのか、驚いた様子で目を見開いた。
きっと頭の良く優しい彼は、彼なりに、女性に対しての正解の答えを出しただけなのだろう。
でも、実際、名前は傷ついてしまったのだ。
それならば、月島に、そうは思わないと答えて欲しかったのだろうか。
それも違う気がする。
可愛くなりたい、綺麗になりたい———女の子なら誰だって大なり小なりあれど、そう思っている。
努力した結果の今を否定されれば、それはそれでショックを受けていたはずだ。
きっと、月島に正解の答えなんてものは、初めから用意されていなかった。
意地悪問題だ。
だから、名前は月島の顔を見られず、逃げるように目を逸らす。
「だよね~。私って美人だよね、うん、うん。
よく分かってる、月島君、大正解!」
月島から目を逸らしたまま、名前は作り笑いを貼り付けて、明るい声を装う。
「あー、気分がよくなっちゃった!
これなら、気持ちよく眠れそう!さぁ、帰ろうかな!」
名前は、ショートケーキのゴミをコンビニの袋に入れると、ペットボトルのお茶をスクールバッグに押し込んで立ち上がる。
どれくらいの時間、月島と話していたのだろう。
もう真夜中なのだから、話しすぎた。早く帰った方がいい。
正直、もうこれ以上、月島と話していたくない。
「待って…!」
さっさと歩き出した名前の手首を、月島が掴んだ。
驚いて振り返れば、月島が口を開く。
「勝手に解釈間違いして、テンション上げないでくれる?
僕、まださっきの質問、ちゃんと答えてないんだけど。」
月島が不機嫌そうに言う。
思いがけないその科白に、名前は困惑する。
「解釈間違い?」
「名前さんのことを僕が美人だと思うかって聞いたんだよね。」
「うん。」
「だったら僕の答えはこうだから、
名前さんのこと、すごく残念な美人だと思ってる。」
月島が、ハッキリと答えを口にする。
今度は、その言葉に、名前が傷つくことも喜ぶこともなかった。
ただ、意味を理解できずに、疑問符が頭に浮かぶばかりだ。
「・・・・・・・・残念な美人?」
「なぜかいきなりブチギレて地面に叩きつけて跳ね返ったボールを頭に落として逆ギレしてみたり
逃げ足は速いけど、毎回こけかけてるし、
盛大に転べば、両手をつくことも出来ずに思いっきり鼻ぶつけるくらい鈍くさいし
僕がどんなに丁寧に勉強を教えたところで、全く身にならないくらいにバカだし。」
「…今、悪口を言われてる?」
「事実デショ。」
「反論の余地もなくて、泣きそう。」
「だから、最初からずっと、名前さんのことを残念な美人だと思ってます。」
月島が言い切る。
名前は、言葉が出なかった。
確かに、月島には恥ずかしい場面をたくさん見られているし、勉強が苦手だという自覚もある。
けれど、まさか、そんな風に思われていたなんて、想像もしていなかったのだ。
呆然とする名前を見下ろして、月島が、はっ、と強めに息を吐く。
「もしかして、自分のことを完璧な美人だとでも思ってた?
バカじゃないの。ただの美人なわけないデショ。
僕の知ってる中で、名前さんは、最も残念な美人だから。」
とうとう言ってやったぜ—————とばかりの煽り顔で見下してくる。
月島の眉と口は片方だけ上がっていて、本当に心底意地悪な顔をしていた。
本当に、月島は他人に意地悪を言ってやったときが、一番生き生きしている。
嬉しくて仕方がなさそうだ。
それが可笑しくて、面白くて、名前は吹き出すと、腹を抱えて笑った。
そんな名前の笑い声が、月島をムキにさせたのか。彼はさらに続ける。
「そもそも、普段は名前さんが本当にバカすぎて、
美人だってことすら忘れがちだから。
さっきも名前さんに聞かれるまで忘れてて、思わず返事に詰まったし。」
「それで、返事が遅かったんだ!?」
「それ以外にどんな理由が?
つまり、僕にとって名前さんは————ただの残念な人。」
月島がぷぷっとバカにしたように笑う。
「そんなに残念を連呼しなくてもいいじゃん。
ほら、見て!よく見て、可愛いでしょ?」
名前は月島の視界にズイッと顔を押し込むように入れると、自分の両頬を人差し指で少し押して、可愛いポーズをしてみせた。
いきなり目の前に現れた、ぶりっ子がやるそれに、月島が思いっきり眉を顰める。
「ほんっと疲れる。僕、帰ります。」
月島はこれ見よがしにため息を吐くと、名前#の横を通り過ぎて、公園の出口へと歩いて行ってしまった。
「あ、待ってよ!一緒に帰る!」
名前は、急いで追いかけて、彼の隣に並んだ。
「私が美人過ぎて、目が疲れるってこと?」
名前がそう言うと、月島がチラリと見下ろしてきた。
「もう喋らないでもらえます?」
「なんでよ~、お喋りしながら帰ろうよ~。」
「もう真夜中ですよ。近所迷惑。」
「あ、そっか。」
名前がハッとして、口を片手で抑える。
公園を出た住宅街は、灯りがついている家はなく、とても静かだった。
名前と月島が歩く足音だけが、同じリズムで鳴っている。
「そもそも———。」
近所迷惑だからと言った月島の方が口を開いて、名前は少し驚いてしまった。
「僕は名前さんの顔と喋ってるわけじゃないんで。」
月島が、当然のように言う。
「だから、疲れるのは、目じゃないです。
バカの相手をする頭と心が疲れるって言ったんですよ。
つまり日向と影山と同類。」
「え、私にバレーの才能があるってこと?!」
「…そういうとこ、ほんっと疲れる。もうやだ。」
月島が苦々し気に吐き出すように言った。
でも、彼が本当に言いたかったことは、本当は名前も分かっていた。
———ありがとう。
そう言われたときに備えて、月島は嫌味を用意しているだろう。
彼はお礼を言われたいわけではないことも知っている。
だから、名前は、これ以上、近所迷惑にならないように必死に笑いを堪えた。
でも、どうしても我慢できなくて、目尻から溢れる涙を拭いながら、クスクスと笑った。