ep24. 君のその話は「面白くない」
Name change
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我儘に強く握られた手は、思い出がたくさん残る校舎に入る前には、呆気なく離れていた。
校舎の中に入り、廊下を歩きながら、名前はしきりに「懐かしい。」と繰り返す。たった数ヶ月前までは、名前が当たり前のように生活をしていた場所だ。それでも、いつの間にか、彼女の日常は、音駒高校ではなく烏野高校に染まり始めているのだろう。
ここを真っ直ぐ行くと職員室があって、さらにその奥に渡り廊下があるーーーそんな説明を聞きながら、慣れない校舎の廊下を名前と並んで歩く。
烏野高校でだって、こうして廊下を一緒に歩くことなんて滅多にないのに、変な感じだ。
「あ、ここ!私、1年の時、このクラスだったんだよ〜!」
そう言って、名前が指差した先の扉の上部には、1年2組のプレートが貼ってあった。
高校1年生の頃の名前が過ごした教室。ふ、と自分と同じ歳の名前を想像してしまう。
「入っても良いかな?」
「ダメでしょ。部外者なんだから。」
「いいか。2年前までは普通に入ってたんだから。」
都合よく解釈した名前が、扉を開けて堂々と教室の中に入っていく。
やっぱり、彼女の耳には自分の声は聞こえていないらしいーーーー月島は不機嫌に眉を顰める。
月島の指摘は全く意味をなさなかったわけだ。今のもきっと、月島に対する質問でも相談でもなく、ただの自問自答の『自問』部分だっただけなのだろう。
仕方なく教室に入った月島に、名前が手招きをしてくる。
「月島くんは、ここね。」
そう言って、名前が指定してきたのは、廊下側から3列目、後ろから2番目という中途半端な席だった。
そして、自分は迷わずにそのな斜め後ろの席に座る。
「私が人生で一番お気に入りだった席。」
名前がニシシと笑う。
少しだけ染まる頬と、嬉しそうに細められた瞳。ほんの少しの幼さと急に遠く感じてしまうほどに大人びて見えるそのアンバランスさに、月島は見覚えがあった。
黒尾の隣で笑っていた去年の名前の写真でも、同じ顔をしていた。
ということはーーーーーー、月島は自分が座っている椅子とセットになっている机に視線を落とす。
ここにはきっと黒尾が座っていたのだろう。そう気づいたのと同時に、名前にとっての人生で一番お気に入りだった席の理由も理解する。
でも、気づいたことは、名前には言わない方がいい。
自爆テロの日から、名前は黒尾の名前を一切口に出していない。まるで、初めから、秘密は秘密のままバレた事実なんてない、と主張しているようなそれに月島も合わせてきた。
「それでね、そこに、鉄朗が座ってた。」
名前が、月島を指さして言う。
一瞬、誰のことを言っているのか分からなかった理由は2つある。
1つは、名前の方から黒尾の話題を出すとは思っていなかったこと。2つ目は、月島が黒尾のことを名字の方で認識していたせいだ。
時々、学校でも3年の生徒達とお喋りをしている名前を見かけたけれど、彼女は男女問わず誰に対しても苗字で呼んでいた。
黒尾だけは特別なのか。それとも、音駒高校で過ごした日々の方が長いから、名前呼びの友人が多いだけなのか。
どちらにしろ、名前は、黒尾を名前で呼ぶ程、親しかったということだ。
「……へぇ。」
「興味なさそう。」
突然の初恋の人の話題に何と返せばいいか分からずに困って、なんとか反応っぽい声を出すしかなかった月島を、名前が可笑しそうに笑う。
「このとき以外はいつも席が遠くってつまんなかったなぁ。
地元が同じで、中学2年の頃からの付き合いなのにさ
同じクラスになったのなんて、このたった1年しかなかったの。」
「へぇ。」
「ひどいよね?」
「興味ないです。」
「知ってた〜。」
つれない月島の返事を、名前がまた面白そうに笑う。
興味がない、と答えた自分の返事に、どこか違和感を覚える。
間違いではない。でも、何か違うのだ。黒尾の話題についての自分の気持ちを表現するのに、もっと相応しい言葉がある気がする。
「ねぇ知ってる?バレー馬鹿なくせにさ、すっごく頭がいいんだよ。
腹立つでしょ?」
「別に。」
「そっか、月島くんもそうだもんね。」
「バレー馬鹿とは一緒にしないでください。」
月島が不機嫌に言うと、名前は可笑しそうにアハハと笑った。
名前が笑うと、不思議といつも少しだけ楽しくなった。
でもなぜだろう。今は、全く楽しくないどころか、他の女子よりは居心地が良いと感じていた名前との時間が窮屈で仕方ない。他の誰よりも今、一緒にいたくないとさえ思っている。
今、名前にキッパリと否定した通り、バレー馬鹿ではないはずなのに、猫なんて追いかけないで体育館で自主練をしていればよかったと、後悔までし始めていた。
そんな月島の気持ちに気づきもしない名前は、頭のいい初恋の人と同じ高校に行きたくて、死に物狂いで勉強をして、なんとか音駒高校に受かったのだと語る。
今回のテストもそうだったけれど、彼女は、切羽詰まる何かがないと勉強はしないようだ。
「勉強ってほんと嫌い。」
顔だけは月島の方をーーーいや、初恋の人が座っていた机のある方を見たままで、名前が机に突っ伏してしまう。
思い出がたくさん詰まった教室に長居すると決めてしまったようだ。
「授業中って眠たくなるよね。
いつもこうやってウトウトしてたなぁ。」
「どうせ今だってそうでしょ。」
「確かに。」
月島の的確な指摘に、名前がハハッと笑う。
そして、机に突っ伏した格好のまま、月島の方を見ながら話を続ける。
「こうやってしてると、よく見えるの。
忙しそうにノートを書くために動く右腕と、教科書と黒板を交互に確認する真剣な横顔。
それがカッコいいんだ〜。誰よりも、カッコよく見えるの。」
名前は、月島の方を見ながら言う。
でも、彼女の目は、月島の向こうに黒尾を映していた。
愛おしそうに、大切そうに、ただじっと見つめている。
きっとこんな風に、ただまっすぐに黒尾だけを想っていたのだろう。
今、ここにいるのは、初恋の人と同じクラスになってはしゃいでいた高校1年生の女子生徒なのだろうか。それとも、今でもまだ初恋の人が忘れられずにいる高校3年生のただの名前なのか。
「それで、時々、後ろを向いて、くしゃくしゃになった紙を投げてくるの。」
「紙?」
「そう、ノートの切れ端。
下手くそな先生の似顔絵とか、海くんの変な口癖とか。
とにかく、思わず笑っちゃうようなことが書いてるから、
私が先生に、なに笑ってんだ、て怒られちゃうんだよ。」
本当に嫌なやつだよねーーーーと名前は続けたけれど、その表情はとても楽しそうで、それが本気で嫌だったわけではないことがわかる。
むしろ、真面目に授業を受けていた黒尾が、自分に構ってくれたことが嬉しくて仕方がなかったのだろう。
黒尾が、わざわざ悪戯をするためだけに振り返ったのは、嬉しそうに自分を見つめる名前の顔が見たかったからなのかもしれない。そんなことを、ふ、と思った。
授業中だけではなくて、休み時間でも、今の月島がそうしているように、黒尾は椅子に横向きに座って斜め後ろを向き、名前とお喋りをしていたのだろうか。
そうやって、自分が話しかける度に、心から嬉しそうに笑って、微笑んで、瞳をキラキラさせる彼女を、彼もまた見つめていたのだろうか。
2つ年上の名前とは同級生になることはない。
けれど、もし、名前が同じクラスにいたら、どんな感じだったのだろうか。
今みたいに、彼女は自分に話しかけてきただろうか。黒尾がそうだったように、こうして机の前と後ろでお喋りをしただろうか。
いや、きっと、明るく素直な名前はきっといつもクラスの中心で笑っていて、教室の端にいる自分とは目が合うことすらなかったと思う。
むしろ、月島は賑やかな彼女に苦手意識を持っていたはずだ。そして、必要最低限の会話以外は交わさないまま進級して、離れ離れになって、名前すら忘れてしまうような存在になっていた。
容易に想像がついた光景が、月島の脳裏に浮かんで消えた。
「黒尾さんも合宿来てますよ。」
「…!知ってるよ。あのバレー馬鹿が、朝から晩までバレーし放題の合宿を休むわけないもん。」
一瞬だけ驚いたように目を見開いたあと、名前はどこか自虐的な笑みを浮かべた。
「こんなとこで僕に思い出話なんかしてないで、会いに行けばいいじゃないですか。」
月島は、至極真っ当な指摘だと思っていた。
けれど、名前はさも当然のような顔をして、小さく笑って首を横に振った。
「昔の好きな人だから、思い出話するんだよ。
もういいの。吹っ切れたから。」
名前が明るく言い放つ。
カラッとした今日の青空のような清々しい表情だった。
ムリをして強がっているようには見えない。
「この前、恐竜展に行ったでしょ。
あの時、フェスで鉄朗に会ったの。」
「へぇ、そうだったんですか。知らなかったです。」
内心、驚いていた。
それなのに、よくこんなに平然と嘘をつけたものだと自分に感心する。
まさか、名前からあのフェスの時の話をしてくるとは思っていなかった。
どうしてこのタイミングなのか、全く分からなかった。
「それでね、私は新しい学校で楽しくやってるってことも伝えられたし。
今度こそ、ちゃんとバイバイって言えたの。
だから、もう終わり。私の初恋は、終わり。チャンチャン。」
名前が、明るく笑う。
区切りをつけたーーーということだろうか。
月島には、その感覚はまだ分からなかった。
「…チャンチャンって自分で言う人、初めて見ました。」
「いいじゃん。効果音なんて、リアルの人生では自分でつけないと鳴らないんだから。」
「リアルの人生に効果音なんて要らないんですよ。」
「いるよ!」
「要りません。」
ピシャリと切り捨てる月島を、やっぱり名前が面白そうに笑う。
肯定の意見を求めてるわけでも、賛同して欲しいわけでもない。何も求めてこない名前との会話は、やっぱり気楽だ。
「本当はね、鉄朗に会いたくてフェスに行きたかったの。」
急に名前が笑うのをやめた。
横髪を耳にかけて、黒いピアスを撫でながら喋る。
ゆっくりと、伝える、ということを大切にしようとする彼女の話し方に、思わず月島の心も構えてしまう。
「ずっと引きずってるままは苦しかったから、
鉄朗に会って、私はあなたがいなくても平気だよって伝えて、終わりにしたかった。」
「そうですか。」
「月島くんが一緒に行ってくれたおかげだよ。
ありがとう。」
名前は、ほんの少しだけ頬を桜色に染めて、柔らかく微笑んだ。
その笑みは、黒尾を想っているときのソレとは全く違う。
でも、今まで月島が見てきた、いつものただひたすらに明るい笑みとも違った。
「別に。僕はただ恐竜展に行きたかっただけなんで。」
「言うと思った〜。」
名前が、アハハと面白そうに笑う。
いつものただひたすらに明るい笑みに戻って、月島は安堵する。
あんな優しく甘えるような笑みは、苦手だ。少しずつ目の前が光に侵食されて、最終的に真っ白になって、気が遠くなりそうになる。
(あぁ、だから…。)
あの日、名前が、見たがっていた海外アーティストのライブは見ないまま、恐竜展を見に行った月島を追いかけてきた理由にようやく納得する。
あの時点でもう、彼女は目的を果たしていたのだ。
だから、後ろ髪引かれたような様子は全くなく、恐竜展を楽しんでいたようだ。
時間をかけてようやく解けた謎に、月島は、少しだけ胸の奥が晴れやかになっていくのを感じていた。
校舎の中に入り、廊下を歩きながら、名前はしきりに「懐かしい。」と繰り返す。たった数ヶ月前までは、名前が当たり前のように生活をしていた場所だ。それでも、いつの間にか、彼女の日常は、音駒高校ではなく烏野高校に染まり始めているのだろう。
ここを真っ直ぐ行くと職員室があって、さらにその奥に渡り廊下があるーーーそんな説明を聞きながら、慣れない校舎の廊下を名前と並んで歩く。
烏野高校でだって、こうして廊下を一緒に歩くことなんて滅多にないのに、変な感じだ。
「あ、ここ!私、1年の時、このクラスだったんだよ〜!」
そう言って、名前が指差した先の扉の上部には、1年2組のプレートが貼ってあった。
高校1年生の頃の名前が過ごした教室。ふ、と自分と同じ歳の名前を想像してしまう。
「入っても良いかな?」
「ダメでしょ。部外者なんだから。」
「いいか。2年前までは普通に入ってたんだから。」
都合よく解釈した名前が、扉を開けて堂々と教室の中に入っていく。
やっぱり、彼女の耳には自分の声は聞こえていないらしいーーーー月島は不機嫌に眉を顰める。
月島の指摘は全く意味をなさなかったわけだ。今のもきっと、月島に対する質問でも相談でもなく、ただの自問自答の『自問』部分だっただけなのだろう。
仕方なく教室に入った月島に、名前が手招きをしてくる。
「月島くんは、ここね。」
そう言って、名前が指定してきたのは、廊下側から3列目、後ろから2番目という中途半端な席だった。
そして、自分は迷わずにそのな斜め後ろの席に座る。
「私が人生で一番お気に入りだった席。」
名前がニシシと笑う。
少しだけ染まる頬と、嬉しそうに細められた瞳。ほんの少しの幼さと急に遠く感じてしまうほどに大人びて見えるそのアンバランスさに、月島は見覚えがあった。
黒尾の隣で笑っていた去年の名前の写真でも、同じ顔をしていた。
ということはーーーーーー、月島は自分が座っている椅子とセットになっている机に視線を落とす。
ここにはきっと黒尾が座っていたのだろう。そう気づいたのと同時に、名前にとっての人生で一番お気に入りだった席の理由も理解する。
でも、気づいたことは、名前には言わない方がいい。
自爆テロの日から、名前は黒尾の名前を一切口に出していない。まるで、初めから、秘密は秘密のままバレた事実なんてない、と主張しているようなそれに月島も合わせてきた。
「それでね、そこに、鉄朗が座ってた。」
名前が、月島を指さして言う。
一瞬、誰のことを言っているのか分からなかった理由は2つある。
1つは、名前の方から黒尾の話題を出すとは思っていなかったこと。2つ目は、月島が黒尾のことを名字の方で認識していたせいだ。
時々、学校でも3年の生徒達とお喋りをしている名前を見かけたけれど、彼女は男女問わず誰に対しても苗字で呼んでいた。
黒尾だけは特別なのか。それとも、音駒高校で過ごした日々の方が長いから、名前呼びの友人が多いだけなのか。
どちらにしろ、名前は、黒尾を名前で呼ぶ程、親しかったということだ。
「……へぇ。」
「興味なさそう。」
突然の初恋の人の話題に何と返せばいいか分からずに困って、なんとか反応っぽい声を出すしかなかった月島を、名前が可笑しそうに笑う。
「このとき以外はいつも席が遠くってつまんなかったなぁ。
地元が同じで、中学2年の頃からの付き合いなのにさ
同じクラスになったのなんて、このたった1年しかなかったの。」
「へぇ。」
「ひどいよね?」
「興味ないです。」
「知ってた〜。」
つれない月島の返事を、名前がまた面白そうに笑う。
興味がない、と答えた自分の返事に、どこか違和感を覚える。
間違いではない。でも、何か違うのだ。黒尾の話題についての自分の気持ちを表現するのに、もっと相応しい言葉がある気がする。
「ねぇ知ってる?バレー馬鹿なくせにさ、すっごく頭がいいんだよ。
腹立つでしょ?」
「別に。」
「そっか、月島くんもそうだもんね。」
「バレー馬鹿とは一緒にしないでください。」
月島が不機嫌に言うと、名前は可笑しそうにアハハと笑った。
名前が笑うと、不思議といつも少しだけ楽しくなった。
でもなぜだろう。今は、全く楽しくないどころか、他の女子よりは居心地が良いと感じていた名前との時間が窮屈で仕方ない。他の誰よりも今、一緒にいたくないとさえ思っている。
今、名前にキッパリと否定した通り、バレー馬鹿ではないはずなのに、猫なんて追いかけないで体育館で自主練をしていればよかったと、後悔までし始めていた。
そんな月島の気持ちに気づきもしない名前は、頭のいい初恋の人と同じ高校に行きたくて、死に物狂いで勉強をして、なんとか音駒高校に受かったのだと語る。
今回のテストもそうだったけれど、彼女は、切羽詰まる何かがないと勉強はしないようだ。
「勉強ってほんと嫌い。」
顔だけは月島の方をーーーいや、初恋の人が座っていた机のある方を見たままで、名前が机に突っ伏してしまう。
思い出がたくさん詰まった教室に長居すると決めてしまったようだ。
「授業中って眠たくなるよね。
いつもこうやってウトウトしてたなぁ。」
「どうせ今だってそうでしょ。」
「確かに。」
月島の的確な指摘に、名前がハハッと笑う。
そして、机に突っ伏した格好のまま、月島の方を見ながら話を続ける。
「こうやってしてると、よく見えるの。
忙しそうにノートを書くために動く右腕と、教科書と黒板を交互に確認する真剣な横顔。
それがカッコいいんだ〜。誰よりも、カッコよく見えるの。」
名前は、月島の方を見ながら言う。
でも、彼女の目は、月島の向こうに黒尾を映していた。
愛おしそうに、大切そうに、ただじっと見つめている。
きっとこんな風に、ただまっすぐに黒尾だけを想っていたのだろう。
今、ここにいるのは、初恋の人と同じクラスになってはしゃいでいた高校1年生の女子生徒なのだろうか。それとも、今でもまだ初恋の人が忘れられずにいる高校3年生のただの名前なのか。
「それで、時々、後ろを向いて、くしゃくしゃになった紙を投げてくるの。」
「紙?」
「そう、ノートの切れ端。
下手くそな先生の似顔絵とか、海くんの変な口癖とか。
とにかく、思わず笑っちゃうようなことが書いてるから、
私が先生に、なに笑ってんだ、て怒られちゃうんだよ。」
本当に嫌なやつだよねーーーーと名前は続けたけれど、その表情はとても楽しそうで、それが本気で嫌だったわけではないことがわかる。
むしろ、真面目に授業を受けていた黒尾が、自分に構ってくれたことが嬉しくて仕方がなかったのだろう。
黒尾が、わざわざ悪戯をするためだけに振り返ったのは、嬉しそうに自分を見つめる名前の顔が見たかったからなのかもしれない。そんなことを、ふ、と思った。
授業中だけではなくて、休み時間でも、今の月島がそうしているように、黒尾は椅子に横向きに座って斜め後ろを向き、名前とお喋りをしていたのだろうか。
そうやって、自分が話しかける度に、心から嬉しそうに笑って、微笑んで、瞳をキラキラさせる彼女を、彼もまた見つめていたのだろうか。
2つ年上の名前とは同級生になることはない。
けれど、もし、名前が同じクラスにいたら、どんな感じだったのだろうか。
今みたいに、彼女は自分に話しかけてきただろうか。黒尾がそうだったように、こうして机の前と後ろでお喋りをしただろうか。
いや、きっと、明るく素直な名前はきっといつもクラスの中心で笑っていて、教室の端にいる自分とは目が合うことすらなかったと思う。
むしろ、月島は賑やかな彼女に苦手意識を持っていたはずだ。そして、必要最低限の会話以外は交わさないまま進級して、離れ離れになって、名前すら忘れてしまうような存在になっていた。
容易に想像がついた光景が、月島の脳裏に浮かんで消えた。
「黒尾さんも合宿来てますよ。」
「…!知ってるよ。あのバレー馬鹿が、朝から晩までバレーし放題の合宿を休むわけないもん。」
一瞬だけ驚いたように目を見開いたあと、名前はどこか自虐的な笑みを浮かべた。
「こんなとこで僕に思い出話なんかしてないで、会いに行けばいいじゃないですか。」
月島は、至極真っ当な指摘だと思っていた。
けれど、名前はさも当然のような顔をして、小さく笑って首を横に振った。
「昔の好きな人だから、思い出話するんだよ。
もういいの。吹っ切れたから。」
名前が明るく言い放つ。
カラッとした今日の青空のような清々しい表情だった。
ムリをして強がっているようには見えない。
「この前、恐竜展に行ったでしょ。
あの時、フェスで鉄朗に会ったの。」
「へぇ、そうだったんですか。知らなかったです。」
内心、驚いていた。
それなのに、よくこんなに平然と嘘をつけたものだと自分に感心する。
まさか、名前からあのフェスの時の話をしてくるとは思っていなかった。
どうしてこのタイミングなのか、全く分からなかった。
「それでね、私は新しい学校で楽しくやってるってことも伝えられたし。
今度こそ、ちゃんとバイバイって言えたの。
だから、もう終わり。私の初恋は、終わり。チャンチャン。」
名前が、明るく笑う。
区切りをつけたーーーということだろうか。
月島には、その感覚はまだ分からなかった。
「…チャンチャンって自分で言う人、初めて見ました。」
「いいじゃん。効果音なんて、リアルの人生では自分でつけないと鳴らないんだから。」
「リアルの人生に効果音なんて要らないんですよ。」
「いるよ!」
「要りません。」
ピシャリと切り捨てる月島を、やっぱり名前が面白そうに笑う。
肯定の意見を求めてるわけでも、賛同して欲しいわけでもない。何も求めてこない名前との会話は、やっぱり気楽だ。
「本当はね、鉄朗に会いたくてフェスに行きたかったの。」
急に名前が笑うのをやめた。
横髪を耳にかけて、黒いピアスを撫でながら喋る。
ゆっくりと、伝える、ということを大切にしようとする彼女の話し方に、思わず月島の心も構えてしまう。
「ずっと引きずってるままは苦しかったから、
鉄朗に会って、私はあなたがいなくても平気だよって伝えて、終わりにしたかった。」
「そうですか。」
「月島くんが一緒に行ってくれたおかげだよ。
ありがとう。」
名前は、ほんの少しだけ頬を桜色に染めて、柔らかく微笑んだ。
その笑みは、黒尾を想っているときのソレとは全く違う。
でも、今まで月島が見てきた、いつものただひたすらに明るい笑みとも違った。
「別に。僕はただ恐竜展に行きたかっただけなんで。」
「言うと思った〜。」
名前が、アハハと面白そうに笑う。
いつものただひたすらに明るい笑みに戻って、月島は安堵する。
あんな優しく甘えるような笑みは、苦手だ。少しずつ目の前が光に侵食されて、最終的に真っ白になって、気が遠くなりそうになる。
(あぁ、だから…。)
あの日、名前が、見たがっていた海外アーティストのライブは見ないまま、恐竜展を見に行った月島を追いかけてきた理由にようやく納得する。
あの時点でもう、彼女は目的を果たしていたのだ。
だから、後ろ髪引かれたような様子は全くなく、恐竜展を楽しんでいたようだ。
時間をかけてようやく解けた謎に、月島は、少しだけ胸の奥が晴れやかになっていくのを感じていた。