Q18. 嫌いになりましたか?
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
雑草に覆われている裏庭の存在は知っていても、来たのは初めてだ。
初めてやってきた裏庭は思っていたよりも荒れ果てていて、長く伸びた雑草は大きいので腰のあたりまであった。なんとか雑草を掻き分け、踏みつけ、やっと見つけた池は、もはや池ではなく汚水場のようだった。
緑と茶色を混ぜたようなヘドロのような泥水が覆い、その中の様子は全く見えない。
この中からたったひとつの指輪を探そうとするなんて、愚か者がすることだろう。見つけるのは、至難の業だ。
実際、水音は聞こえたものの、そもそも本当にこの池に落ちたのかさえ、確証はない。
それでも、見つけたいのならば、泥水にへばりついた格好で、手探りで探すしかない。
靴と靴下を脱いだ私は、足の先をそっと池の表面につけた。
裸足になった指先にひんやりと冷たい温度が伝わってすぐに、強引に押し込むように入れた足首に、泥なのか水なのかも分からないぬるぬるとした感触がまとわりついてきた。
汚すぎる水のせいで底が見えなくてわからなかったが、水深は膝下程でとても浅いようだ。
池というよりも、大きな水溜まりのようなものなのかもしれない。
最悪、ここで泳がなければならないのかと考えていたから、幾らかはホッとした。
「よし…!」
私は自分に気合を入れるように、敢えてそれを口にしてから、腰を折り曲げると、池の中に両手を伸ばした。
ぬめっとした気持ちの悪い感触が手に伝わってきて、吐きそうになる。
一度息を止めて、深呼吸をしてから、思い切って泥水の中に手を突っ込んだ。
「うへぇ〜、なんか変な匂いもする…。」
池の底はほとんどが泥と水草で出来ていた。探るように両手を左右に動かすと、いろんなものに触れた。取り出してみると、それは大抵、木片やよく分からない布の切れ端だった。
少しずつ場所を移動しながら、同じように腰を折り曲げた格好で両手を泥水の中に突っ込み、指輪を探した。
しばらく続けても、見つかるのはやっぱり、木片や布の切れ端、木の棒や石ころばかりだ。
「腰が痛い…。」
ずっと腰を折り曲げていたせいで、腰が痛くなってきた。
普段しない体勢のせいで、太ももの後ろのあたりの筋肉が突っぱってきているのも感じていた。
毎日、調査兵団の兵舎で忙しく仕事をしているとは言え、私は調査兵の人たちみたいに身体を動かすような職務ではない。
食事前の時間は食堂でずっと立ち仕事はしているけれど、デスクで献立を考えたり、食についての勉強をすることの方が多い。
普段の運動不足が、私の今のこの状況をさらに悪くさせているのは紛れもない事実だった。
(指輪が見つかったら、私も明日からは運動しよう。)
新たな目標を胸に刻みつつ、両手は忙しなく泥水の底を這い続ける。
すると、今までとは違う感触が右手の腹に触れた。
柔らかいような硬いような、よく分からない感触だ。明らかに指輪とは違うけれど、それが何か気になってしまった。
私は、右手に触れたそれを握りしめると泥水の中から取り上げた。
泥水から取り出され、久しぶりに太陽の光を浴びたであろうそれは、私の右手の上で微動だにせずにじっとしている。
長さは5センチから10センチくらいだろうか。泥水のせいなのか、元々なのかは分からないが、色味は焦茶っぽい。そして、全体に短い糸のようなものが無数に張り巡らされていた。
少し顔を近づけてよく見てみると、全体に張り巡らされていると思った短い糸が、端の方で途切れていることに気がついた。
どうやらこれは、何かの一部のようだ。綺麗に切れているというよりも、引きちぎられてこのような姿になっているらしい。
引きちぎられた断面に触れてみると、中央に硬い何かがあることに気がついた。少しつついてみると、泥水が落ちて薄汚れた白い何かが見えた。
「なんだろう、コレ?」
数秒考えて、急にハッとした。
私の許可も得ずに、いきなり脳裏に浮かんだのは、泥水の中で死にゆく動物の姿だった。
それは、野犬か、野良猫か、イタチか何かなのか、その生前の姿までは分からない。
でも、力尽きた彼は、最後に水でも飲もうとしたのか池の元へやってきて、泥水に沈んでしまった。
そうして、死んだ身体は泥水の中で儚く壊れた。
私が見つけたのは、きっとその彼の足の先の部分だ。
「きゃぁあ!」
思わず悲鳴を上げて、私は握りしめていたそれを放り投げた。
驚き慌て過ぎたせいで、元々安定していなかった泥水の中で足をとられ、体がバランスを崩す。
あーーーと思ったときにはもう、私はヘドロのような泥水の中で尻もちをついて倒れ込んでいた。
せめて、洋服は汚れないようにと気を使っていたスカートも、ブラウスも、緑なのか茶色なのか分からない色でドロドロだ。
顔や髪にも、倒れたときに跳ねた泥水がかかって、汚れてしまったのが感触で分かった。
「もう…、どうしてこんな…。」
どうしてこんなことになったのか。
この池の中には、さっき見つけた足の持ち主の他の体の部位も落ちているのかも知れない。この池の中で死んだ動物は彼だけではないのかも知れない。
怖いし、気持ち悪い。
まるで、地獄の墓場のようなこんな場所に指輪を捨てられてしまった。
悲しさがさらに込み上げて、目頭に涙が滲み、唇が震える。
(きっと、バチがあたったんだ。)
意図して、リヴァイ兵長のことを傷つけたあの夜のことを思い出す。
両親が残してくれた指輪を利用して、どんな意図があるのか分からないものの私に優しくしてくれたリヴァイ兵長を拒絶した。
悪いのは、私だ。
溢れそうになる涙を必死に堪えて、私は、ヘドロの池の中で四つん這いになった。
こんなに全身ドロドロになったのなら、もういちいち汚れるのを気にしているのも馬鹿馬鹿しい。
それに、この方が効率がいいし時短になる。
自分にそう言い聞かせて、私は、四つん這いの格好で泥だらけになりながら、たったひとつの安物の指輪を探した。
私の宝物を探した。
「何やってんだ。」
どれくらい時間が経ったのだろうか。
久しぶりに聞いた低い声に驚いて顔を上げると、空はもう夕日で赤く染まっていた。
赤い夕陽に照らされて、少しだけ赤く染まるリヴァイ兵長が、眉を顰めて、私を見下ろしている。
「こんな場所で何かやってる馬鹿がいると窓から見えて来てみたら、
馬鹿どころか、クソガキだな。そんな泥水で水遊びのつもりか。あぁ?」
リヴァイ兵長の顔が怒りと呆れで歪む。
ひどく怒っている。
久しぶりに、リヴァイ兵長に恐怖を覚えていた。
「指輪を…。」
なんとか答えなければーー、そう思うほど、声は震えた。
「指輪?」
リヴァイ兵長の片眉がピクリと上がり、表情はさらに歪んだ。
怖い。
「指輪を…、なくして…、それで、探して、いました。」
「…そのクソ溜めみてぇな場所に、
お前が、一生大切だ、と言ってた指輪をなくしたのか。」
リヴァイ兵長の言い方には、棘があった。
だから怖さも忘れて、カチンと来てしまった。
「一生大切だから、必死に探してるんです!」
「捨てちまえ、そんなもん。そんなとこになくしちまうんだから
その程度のもんで、お前の気持ちもその程度のもんってことだろ。」
「ちがーーー。」
「ほら、行くぞ。そして、風呂に入れ。クソ、きったねぇな。」
リヴァイ兵長が、私の腕を掴んで無理やり立ち上がらせようとする。
その表情は、ゴミでも掴むように歪んでいる。
私は、その表情と言葉に傷ついていた。
「放してくださいっ。」
振り解こうとしたのに、私の腕を掴むリヴァイ兵長の腕はびくともしない。
むしろ、強引に池から引っ張り上げようとしてくる。
「そんなに指輪が欲しいなら、おれが買ってやる。」
リヴァイ兵長が、私を池から引っ張り上げながら言う。
「おれなら、デカい宝石がついてる高価な指輪だって買ってやれる。
なくなったならちょうどいいじゃねぇか。あんな安物のダセェ指輪なんか、早く忘れちまえ。」
とうとう、私は指輪が沈む地獄のような池から引っ張り上げられてしまった。
リヴァイ兵長は、眉を顰めて私を見つめて、最も許せない言葉を言った。
彼女達と全く同じ言葉が、リヴァイ兵長の口から吐き出されたのだ。
リヴァイ兵長は、いつも想像の斜め上のことを言って、私を振り回してばかりだったけれど、冷たく見えるけれど本当は優しい人だと思っていた。
そんなリヴァイ兵長が、指輪を高価かそうでは無いかで判断する人だったなんて、ショックだった。
ひとが大切にしているものを、安価だからとぞんざいに扱う人だったなんてーーーー。
「ひどいです…。」
「あ?」
「リヴァイ兵長まで、あの人たちと同じこと言うなんて
思ってなかったです…。」
「何言ってんだ。」
「どんなに高価な指輪だって、あの指輪の代わりになんてなれないのに…。
大切なのは、大きな宝石でも、お金でもない。あの指輪に込められた気持ちなのに…。」
私の口から声がこぼれる度に、瞳から涙がこぼれ落ちていく。
まさか泣くとは思っていなかったのか、リヴァイ兵長の切長の瞳が少しだけ見開かれた。その瞳からは、罪悪感の色が滲んでいのにも気づいた。
でも私は止まれなかった。
なによりも、リヴァイ兵長が、あの指輪を侮辱したことが許せなかった。ショックで、悲しかった。
「リヴァイ兵長が物の価値をお金で判断するような
陳腐でダサい人だとは思ってませんでした!」
「待て、落ち着けーーー。」
「リヴァイ兵長なんて、大嫌い…!!」
リヴァイ兵長はまだ何か言いたそうだった。
でも、なんだかんだと優しかったリヴァイ兵長の唇から、両親の残した形見を侮辱する言葉がまた出てくるかも知れない不安は、怒りと興奮になって私を止めてはくれない。
とうとう私は、ドロドロとした泥水まみれの両手で、リヴァイ兵長を突き飛ばしてしまった。
厳しい訓練を終えたばかりのはずなのに皺ひとつない、リヴァイ兵長らしい兵服が、私が触れた胸元だけ泥水で汚れる。
まさか、私に暴力を振るわれるなんて思ってもいなかったはずのリヴァイ兵長が、驚いたように目を見開いたのが一瞬だけ見えた気がした。
やってはいけないことをしてしまったーーーーと気づいたときにはもう、リヴァイ兵長は、泥だらけの池の中で尻もちをついて倒れ込んでいた。
リヴァイ兵長の綺麗な顔も柔らかそうな髪の毛も、跳ねた泥で汚れてしまっていた。
「あ…っ、私…っ。」
地獄のような池の真ん中で、泥だらけになったリヴァイ兵長を見下ろして、私は真っ青になっていた。
リヴァイ兵長は、異常なほどの潔癖で、綺麗好きな人だ。怒ったはずだ。嫌な気持ちになったはずだ。
だからどうせなら、怒られてしまった方が良かった。
でも、リヴァイ兵長は、俯くように顔を伏せてしまう。長い前髪で、普段から読み取るのが難しいリヴァイ兵長の表情は、今度こそすっかり見えなくなってしまった。
謝らなければならないーーーーー分かっているのに、声が出ない。
私の中で、誰かが言うのだ。
『どうして謝らないといけないの?最初にひどいことを言って
心を傷つけたのは、リヴァイ兵長でしょう?』
自分本位で傲慢なことを言うその声は、私の声に似ている。
どんな理由があろうとも、ひとを傷つけてはいけないーーーと大好きな両親から教わってきたはずなのに。
「…っ。」
私の大切なものを理解してくれなかったリヴァイ兵長も、リヴァイ兵長を傷つけてしまった最低な自分も許せなくて、私は逃げた。
その場からも、あんなに必死に探していた指輪からも、リヴァイ兵長からもーーーーー。
初めてやってきた裏庭は思っていたよりも荒れ果てていて、長く伸びた雑草は大きいので腰のあたりまであった。なんとか雑草を掻き分け、踏みつけ、やっと見つけた池は、もはや池ではなく汚水場のようだった。
緑と茶色を混ぜたようなヘドロのような泥水が覆い、その中の様子は全く見えない。
この中からたったひとつの指輪を探そうとするなんて、愚か者がすることだろう。見つけるのは、至難の業だ。
実際、水音は聞こえたものの、そもそも本当にこの池に落ちたのかさえ、確証はない。
それでも、見つけたいのならば、泥水にへばりついた格好で、手探りで探すしかない。
靴と靴下を脱いだ私は、足の先をそっと池の表面につけた。
裸足になった指先にひんやりと冷たい温度が伝わってすぐに、強引に押し込むように入れた足首に、泥なのか水なのかも分からないぬるぬるとした感触がまとわりついてきた。
汚すぎる水のせいで底が見えなくてわからなかったが、水深は膝下程でとても浅いようだ。
池というよりも、大きな水溜まりのようなものなのかもしれない。
最悪、ここで泳がなければならないのかと考えていたから、幾らかはホッとした。
「よし…!」
私は自分に気合を入れるように、敢えてそれを口にしてから、腰を折り曲げると、池の中に両手を伸ばした。
ぬめっとした気持ちの悪い感触が手に伝わってきて、吐きそうになる。
一度息を止めて、深呼吸をしてから、思い切って泥水の中に手を突っ込んだ。
「うへぇ〜、なんか変な匂いもする…。」
池の底はほとんどが泥と水草で出来ていた。探るように両手を左右に動かすと、いろんなものに触れた。取り出してみると、それは大抵、木片やよく分からない布の切れ端だった。
少しずつ場所を移動しながら、同じように腰を折り曲げた格好で両手を泥水の中に突っ込み、指輪を探した。
しばらく続けても、見つかるのはやっぱり、木片や布の切れ端、木の棒や石ころばかりだ。
「腰が痛い…。」
ずっと腰を折り曲げていたせいで、腰が痛くなってきた。
普段しない体勢のせいで、太ももの後ろのあたりの筋肉が突っぱってきているのも感じていた。
毎日、調査兵団の兵舎で忙しく仕事をしているとは言え、私は調査兵の人たちみたいに身体を動かすような職務ではない。
食事前の時間は食堂でずっと立ち仕事はしているけれど、デスクで献立を考えたり、食についての勉強をすることの方が多い。
普段の運動不足が、私の今のこの状況をさらに悪くさせているのは紛れもない事実だった。
(指輪が見つかったら、私も明日からは運動しよう。)
新たな目標を胸に刻みつつ、両手は忙しなく泥水の底を這い続ける。
すると、今までとは違う感触が右手の腹に触れた。
柔らかいような硬いような、よく分からない感触だ。明らかに指輪とは違うけれど、それが何か気になってしまった。
私は、右手に触れたそれを握りしめると泥水の中から取り上げた。
泥水から取り出され、久しぶりに太陽の光を浴びたであろうそれは、私の右手の上で微動だにせずにじっとしている。
長さは5センチから10センチくらいだろうか。泥水のせいなのか、元々なのかは分からないが、色味は焦茶っぽい。そして、全体に短い糸のようなものが無数に張り巡らされていた。
少し顔を近づけてよく見てみると、全体に張り巡らされていると思った短い糸が、端の方で途切れていることに気がついた。
どうやらこれは、何かの一部のようだ。綺麗に切れているというよりも、引きちぎられてこのような姿になっているらしい。
引きちぎられた断面に触れてみると、中央に硬い何かがあることに気がついた。少しつついてみると、泥水が落ちて薄汚れた白い何かが見えた。
「なんだろう、コレ?」
数秒考えて、急にハッとした。
私の許可も得ずに、いきなり脳裏に浮かんだのは、泥水の中で死にゆく動物の姿だった。
それは、野犬か、野良猫か、イタチか何かなのか、その生前の姿までは分からない。
でも、力尽きた彼は、最後に水でも飲もうとしたのか池の元へやってきて、泥水に沈んでしまった。
そうして、死んだ身体は泥水の中で儚く壊れた。
私が見つけたのは、きっとその彼の足の先の部分だ。
「きゃぁあ!」
思わず悲鳴を上げて、私は握りしめていたそれを放り投げた。
驚き慌て過ぎたせいで、元々安定していなかった泥水の中で足をとられ、体がバランスを崩す。
あーーーと思ったときにはもう、私はヘドロのような泥水の中で尻もちをついて倒れ込んでいた。
せめて、洋服は汚れないようにと気を使っていたスカートも、ブラウスも、緑なのか茶色なのか分からない色でドロドロだ。
顔や髪にも、倒れたときに跳ねた泥水がかかって、汚れてしまったのが感触で分かった。
「もう…、どうしてこんな…。」
どうしてこんなことになったのか。
この池の中には、さっき見つけた足の持ち主の他の体の部位も落ちているのかも知れない。この池の中で死んだ動物は彼だけではないのかも知れない。
怖いし、気持ち悪い。
まるで、地獄の墓場のようなこんな場所に指輪を捨てられてしまった。
悲しさがさらに込み上げて、目頭に涙が滲み、唇が震える。
(きっと、バチがあたったんだ。)
意図して、リヴァイ兵長のことを傷つけたあの夜のことを思い出す。
両親が残してくれた指輪を利用して、どんな意図があるのか分からないものの私に優しくしてくれたリヴァイ兵長を拒絶した。
悪いのは、私だ。
溢れそうになる涙を必死に堪えて、私は、ヘドロの池の中で四つん這いになった。
こんなに全身ドロドロになったのなら、もういちいち汚れるのを気にしているのも馬鹿馬鹿しい。
それに、この方が効率がいいし時短になる。
自分にそう言い聞かせて、私は、四つん這いの格好で泥だらけになりながら、たったひとつの安物の指輪を探した。
私の宝物を探した。
「何やってんだ。」
どれくらい時間が経ったのだろうか。
久しぶりに聞いた低い声に驚いて顔を上げると、空はもう夕日で赤く染まっていた。
赤い夕陽に照らされて、少しだけ赤く染まるリヴァイ兵長が、眉を顰めて、私を見下ろしている。
「こんな場所で何かやってる馬鹿がいると窓から見えて来てみたら、
馬鹿どころか、クソガキだな。そんな泥水で水遊びのつもりか。あぁ?」
リヴァイ兵長の顔が怒りと呆れで歪む。
ひどく怒っている。
久しぶりに、リヴァイ兵長に恐怖を覚えていた。
「指輪を…。」
なんとか答えなければーー、そう思うほど、声は震えた。
「指輪?」
リヴァイ兵長の片眉がピクリと上がり、表情はさらに歪んだ。
怖い。
「指輪を…、なくして…、それで、探して、いました。」
「…そのクソ溜めみてぇな場所に、
お前が、一生大切だ、と言ってた指輪をなくしたのか。」
リヴァイ兵長の言い方には、棘があった。
だから怖さも忘れて、カチンと来てしまった。
「一生大切だから、必死に探してるんです!」
「捨てちまえ、そんなもん。そんなとこになくしちまうんだから
その程度のもんで、お前の気持ちもその程度のもんってことだろ。」
「ちがーーー。」
「ほら、行くぞ。そして、風呂に入れ。クソ、きったねぇな。」
リヴァイ兵長が、私の腕を掴んで無理やり立ち上がらせようとする。
その表情は、ゴミでも掴むように歪んでいる。
私は、その表情と言葉に傷ついていた。
「放してくださいっ。」
振り解こうとしたのに、私の腕を掴むリヴァイ兵長の腕はびくともしない。
むしろ、強引に池から引っ張り上げようとしてくる。
「そんなに指輪が欲しいなら、おれが買ってやる。」
リヴァイ兵長が、私を池から引っ張り上げながら言う。
「おれなら、デカい宝石がついてる高価な指輪だって買ってやれる。
なくなったならちょうどいいじゃねぇか。あんな安物のダセェ指輪なんか、早く忘れちまえ。」
とうとう、私は指輪が沈む地獄のような池から引っ張り上げられてしまった。
リヴァイ兵長は、眉を顰めて私を見つめて、最も許せない言葉を言った。
彼女達と全く同じ言葉が、リヴァイ兵長の口から吐き出されたのだ。
リヴァイ兵長は、いつも想像の斜め上のことを言って、私を振り回してばかりだったけれど、冷たく見えるけれど本当は優しい人だと思っていた。
そんなリヴァイ兵長が、指輪を高価かそうでは無いかで判断する人だったなんて、ショックだった。
ひとが大切にしているものを、安価だからとぞんざいに扱う人だったなんてーーーー。
「ひどいです…。」
「あ?」
「リヴァイ兵長まで、あの人たちと同じこと言うなんて
思ってなかったです…。」
「何言ってんだ。」
「どんなに高価な指輪だって、あの指輪の代わりになんてなれないのに…。
大切なのは、大きな宝石でも、お金でもない。あの指輪に込められた気持ちなのに…。」
私の口から声がこぼれる度に、瞳から涙がこぼれ落ちていく。
まさか泣くとは思っていなかったのか、リヴァイ兵長の切長の瞳が少しだけ見開かれた。その瞳からは、罪悪感の色が滲んでいのにも気づいた。
でも私は止まれなかった。
なによりも、リヴァイ兵長が、あの指輪を侮辱したことが許せなかった。ショックで、悲しかった。
「リヴァイ兵長が物の価値をお金で判断するような
陳腐でダサい人だとは思ってませんでした!」
「待て、落ち着けーーー。」
「リヴァイ兵長なんて、大嫌い…!!」
リヴァイ兵長はまだ何か言いたそうだった。
でも、なんだかんだと優しかったリヴァイ兵長の唇から、両親の残した形見を侮辱する言葉がまた出てくるかも知れない不安は、怒りと興奮になって私を止めてはくれない。
とうとう私は、ドロドロとした泥水まみれの両手で、リヴァイ兵長を突き飛ばしてしまった。
厳しい訓練を終えたばかりのはずなのに皺ひとつない、リヴァイ兵長らしい兵服が、私が触れた胸元だけ泥水で汚れる。
まさか、私に暴力を振るわれるなんて思ってもいなかったはずのリヴァイ兵長が、驚いたように目を見開いたのが一瞬だけ見えた気がした。
やってはいけないことをしてしまったーーーーと気づいたときにはもう、リヴァイ兵長は、泥だらけの池の中で尻もちをついて倒れ込んでいた。
リヴァイ兵長の綺麗な顔も柔らかそうな髪の毛も、跳ねた泥で汚れてしまっていた。
「あ…っ、私…っ。」
地獄のような池の真ん中で、泥だらけになったリヴァイ兵長を見下ろして、私は真っ青になっていた。
リヴァイ兵長は、異常なほどの潔癖で、綺麗好きな人だ。怒ったはずだ。嫌な気持ちになったはずだ。
だからどうせなら、怒られてしまった方が良かった。
でも、リヴァイ兵長は、俯くように顔を伏せてしまう。長い前髪で、普段から読み取るのが難しいリヴァイ兵長の表情は、今度こそすっかり見えなくなってしまった。
謝らなければならないーーーーー分かっているのに、声が出ない。
私の中で、誰かが言うのだ。
『どうして謝らないといけないの?最初にひどいことを言って
心を傷つけたのは、リヴァイ兵長でしょう?』
自分本位で傲慢なことを言うその声は、私の声に似ている。
どんな理由があろうとも、ひとを傷つけてはいけないーーーと大好きな両親から教わってきたはずなのに。
「…っ。」
私の大切なものを理解してくれなかったリヴァイ兵長も、リヴァイ兵長を傷つけてしまった最低な自分も許せなくて、私は逃げた。
その場からも、あんなに必死に探していた指輪からも、リヴァイ兵長からもーーーーー。