22.熱を出した日
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「おわぁぁぁぁ!?」 盛大な叫び声が耳元で響いたのと同時に、私は肩にドンッと衝撃を受けた。 すぐに腰を床に打ちつけた激痛で、気持ちの良い眠りの中にいた意識が一瞬で目覚める。 子供の頃にベッドから落ちたことはあったけれど、こんなに痛い目覚めは初めてだ———寝惚けた頭でそんなことを考えながら、痛い腰を摩る。 「お…おま…!!なんで、お前がおれのベッド…っ、 おれんちで寝てんだ!?」 焦ったような声が聞こえて、私は顔を上げた。 そして、ベッドの上で上半身を起こし、目を丸くして私を指さしているエースを見つけて、漸く昨晩のことを思い出し状況を察する。 その間もずっとエースはひとりで「どういうことだ!?」「おい、聞いてんのか!?」と叫んでいたけれど、顔色はまだ赤いものの、これだけ大きな声を出してワーワーギャーギャーと騒げるのならば熱もだいぶ下がったということだろう。 (これなら今日1日休めば、明日には登校できるかな。) そう思ってホッとしたのも束の間、私はハッとしてテーブルの足元に置いていたバッグをひったくるように取り上げた。 そして、すぐにスマホを取り出して時間を確認する。 表示されているのは、7時30分。いつもの出勤時間だ。 私から血の気が引いていく。 「遅刻!!!」 「は?!」 「どうしよう、遅刻…っ。 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイっ。」 頭を抱えた私は、寝癖のついたボサボサの髪を振り乱し騒いだ。 必死に、この状況を打破する方法を考える。 諦めるのは、まだ早いはずだ。 いつもは充分に余裕をもって7時30分に出勤しているだけだ。 朝のSHRが始まるのが8時45分。その前に、職員朝礼が8時30分から始まる。 それまでに間に合えばいい。 シャワーを浴びる時間はない。とりあえず、家に帰って着替えて、タクシーで直行すればなんとかなるはずだ。 でもその前に———。 「エース、頭貸して。」 「なん———。」 床に座り込んでいた格好だった身体を膝立ちして起こし、ベッドの淵に片手をついた私は、何かを言いかけていたエースの後頭部に手をまわした。 そのまま、自分の方にエースを引き寄せて、互いの額を合わせる。 体温計の存在を忘れていたわけではない。けれど、体温計が熱を計り終わるまで待つ暇はなかったのだ。高くても、数秒で計り終われる非接触タイプの体温計にしなかった私のミスだ。けれど、2000円の差は私には大きかったのだ。 「うん、だいぶ下がってる。」 額に触れたエースの熱は、私よりは若干高いような気もしないでもないが、昨日のようなあからさまな高熱ではなくなっている。 病院に行かせなかったことを気にしていたから、大事にならずにすんでよかったとホッと胸を撫でおろした。そのとき、肩を乱暴に突き飛ばされてしまった。 「何すんだ…!」 怒ったように言ったエースは、焦ったような表情をしている。 顔が尋常ではなく赤い。真っ赤だ。 熱はないと思ったのだけれど、私の判断ミスだろうか。 やっぱり、しっかりと体温計で計っておく方が確実だった。 「私はもう行くね。 テーブルに体温計あるから、それで熱計っておいて。 何度か分かったら、私に電話して。」 私はバッグを持って立ち上がると、エースに指示を出す。 本当なら、しっかり熱を計り終わるまで確認してあげたかったのだけれど、本当に時間がない。 もし、今日も熱があるようで、ひとりでは病院に行けないということなら、そのときは、ここに引き返して、マルコさんに相談して、私が付き添わせてもらおう。 本来なら、家族に連絡するのが正しいやり方なのだろうけれど、サボ君の母親がエースに付き添ってくれるとは思えない。 「なんで、おれがそんな面倒なこと———。」 「約束!!」 「わか、った…。」 私の鬼気迫る剣幕にエースは負けたようだった。 思わず頷いたエースを確認して、私は今度こそ玄関へと走る。 「朝ごはんは、キッチンにお粥と野菜スープがあるから温めて食べて! あと、病院もちゃんと行くんだよ!!それも約束ね!!」 それじゃ——と玄関の扉を開いて、出て行こうとする私を「待てよ!」とベッドから飛び降りたエースが追いかける。 既に廊下まで出ていた私は、玄関を開けたまま待った。 エースは、すぐにやって来た。そして、私の前に立つと、長身からは想像できないくらいに心許なげにもじもじとし始める。 「あ…、ありがとう、な。」 「え?」 寝癖のついた後頭部をボリボリと掻きながら、エースは目を逸らした。 恥ずかしそうな小さな声だったけれど、聞こえなかったわけではなかったのだ。 ただ、まさかエースから『ありがとう。』なんて感謝の言葉を言ってもらえる日が来るなんて想像もしていなかったから、驚いたのだ。 信じられなかったのだ。 「だから…!昨日、は…サンキュ、な。 マジで、ひとりで死ぬのかと、思ってたから… 助かった…。」 絶対に私の方を見ようとはしないエースの斜め向きの顔は、さっきほどではないまでも頬がほんのりと赤く染まっている。 優しい表情だ。 これは、熱ではなくて、照れ臭さで赤くなっているのだと私でも分かる。 初々しいその姿が可愛くて、私からも思わず笑みが漏れる。 「うん、エースのそばにいられて私もよかったよ。 また、ツラいときはいつでも頼ってね。どこにいても、絶対に駆けつけるから。」 ニコリと微笑んでそう伝えれば、チラリと私を見たエースから「…おう。」とぶっきらぼうな返事が返ってくる。 本当に頼ってもらえるのかどうか、正直まだ自信はない。 それでも、心を開いてほしいと思ってなんとか電話番号を交換してみても『誰がお前なんかに連絡するか。』と頑なだったエースが、私の言葉を肯定的に受け止めてくれた。 それだけで、嬉しかった。 「私が帰ったら、熱を計って、しっかりご飯も食べて、病院に行くこと。 分かった?」 「あー…、わかった。たぶん。」 煮え切らない返事に、私はこっそりため息を吐いたけれど、指摘はしなかった。 なんだかんだと、言われたことをきちんとやってくれる———そんな気がしたからだ。 「じゃあ、帰るね。 無理はしないでゆっくり休んでね。」 今度こそ帰ろうとした私を、エースはまた「あ!」と慌てたような声を出して、腕を掴み引き留めた。 必死過ぎて手加減を忘れたのか、掴まれた腕が痛いくらいだったけれど、驚いた私にハッとしたエースが「悪いッ。」とパッと手を離したから、ほんの一瞬のことだった。 「今度…!」 「今度?」 急に大きな声を出したエースに、私は首を傾げた。 「今度…!アンタが熱出したら…っ そんときは、おれがそばにいてやるから…!」 「へ?」 「べ、別に!!そういうんじゃねーし!! そ…!そうだ!!それで貸し無しだからな!!それだけだ!! じゃ!!」 呆気にとられている私を無視して、怒ったように早口で捲し立てたエースは、そのままの勢いで扉を閉めてしまった。 ガシャンッと大きな音を立てて古びた赤い扉が閉まると、アパート自体が揺れたような気がした。 |