15.ダブルデートは波乱の幕開け
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「あ、ねぇ!私、ここ行きたい!」
ガタガタと音を立てながら、ガーデンチェアを引きずってベイのすぐ隣を陣取る。
広げた園内マップの新アトラクションエリアを指さした私に、ベイは若干の軽蔑の視線を向けた。
「ダブルデートなんか面倒くさいって、
ここに来るまでの車の中でずっと言ってた人間のセリフだとは思えないわね。」
「いいでしょ。来たんなら、高い入場料分はしっかり楽しまなくちゃ。」
「いい性格してるわね。」
「褒め言葉として受け取っておく。」
呆れたようにため息を吐いたベイだったけれど、夢に溢れた園内マップを見せていれば、次第に興味を持ってきたようだった。
年下の彼が、ベイが一番楽しめるデートスポットをこの夢の国だと断言したのは、きっとそう遠く離れてはいないのだろう。
いつの間にか、基本的に真面目なベイが主導権を握って、園内マップの1ページ目から一言一句逃さずにチェックしていると、男性の声が耳に届いた。
「ベイさーん!お待たせしました~!」
ベイの名前を呼んだのは、想像通りの底抜けに明るい声だった。
今までのベイの恋人は、落ち着いていてクールな人が多かった。そのどれとも違うけれど、温かくて優しい声だ。
きっととても素敵な男性なのだろう。
そう思いながら、園内マップから顔を上げた私は目を疑った。
「遅い。私を待たせるなんて、100年早いわ。」
「100年後の約束までしてくれるなんて、嬉しいっす。」
ガハハハと屈託のない笑い声を上げて、ベイを呆れさせている年下の彼は、私が昔受け持っていたクラスの男の子だ。
いつも話題の真ん中にいて、ムードメーカーだったドーマだ。男女問わず友達の多いタイプで、一匹狼だったエースに一番最初に声をかけたのも彼だった。
初めは、喧嘩の強いエースの反撃にあって傷だらけになっていたけれど、それでもめげずに声をかけるドーマのおかげなのか、そのうち、彼らはいつも一緒にいるようになっていた。
だから、今も彼らが仲良くしているのはとても喜ばしいことなのだろう。
でもまさか、ベイに好意を寄せている年下の彼がドーマで、その彼が連れてくるダブルデートの相手がエースだなんて想像もしていなかったから、言葉も出ない。
エースもまた、私を見て目を丸くしている。
2人とも頭にネズミ耳のカチューシャをつけて、ポップコーンを持っている。
夢の国を楽しむ気満々なその姿は、私と彼らの年齢差を物語っているようだった。
「あれ!?名前ちゃんじゃん!!
え!?もしかして、ベイさんの親友で、男日照りで枯れまくってるお姉さんって名前ちゃんのこと!?」
漸く私に気づいたドーマからは、聞き捨てならないセリフが飛び出した。
いろんな意味で、最悪だ。
「あら?ドーマと名前知り合いなの?」
ドーマの反応に続いて、ベイが私の方を向いて訊ねる。
聞き捨てならなかったセリフについては、スルーするつもりらしい。
そもそも、何とも思っていない可能性が高い。
「昔、受け持ってたクラスの生徒。
ていうか、私の知らないところで、変な風に紹介するのやめてくれる?」
「嘘は言ってないんだからいいでしょ。」
澄ました顔をしているベイ越しに、機嫌の悪そうなエースが見えている。
その隣では、ドーマが、久々に昔の担任に会えたことにテンションを上げているし、なかなかカオスな状況だ。
そこからは、ドーマの独壇場だった。話題の中心にいつもいたムードメーカーだけれど、残念ながら空気を読むという能力がほぼなかった彼の本領が続々と発揮されていく。
「ほら、エース!名前ちゃんだぜ!」
「見れば分かる。」
「なんだよ、もっと嬉しそうな顔しろよ!
お前、名前ちゃんにすげぇ懐いてたじゃん。」
「覚えてねぇ。」
「またそれかよ~。ほら、体育祭の時も———。」
エースの塩対応も気にせず、ドーマは懐かしい日の想い出を面白おかしく、そしてかなり大袈裟に喋りだした。
聞き流しているエースの目が死んでいて、とても居心地が悪い。
そんな私の服の裾を引っ張るベイは、美人な大きなタレ目が漫画に出てくる悪魔みたいな三角形になっている。
「ねぇ、エースって言ったよね?あのエース?あのエースくん。」
さすがにエース達に聞こえるのはマズイと分かっているようで、ベイは私の耳元で小声を使った。
だから私も、死んだ目をしているエースの隣で無邪気にハシャぐドーマの頭でユラユラ揺れているネズミのカチューシャを眺めながら、小声で答える。
「お願い黙って、ベイ。私も混乱してるから。」
「へぇ、彼がねぇ。なかなか可愛い顔してるじゃないの。想像以上だわ。
これは自分の立場も忘れて恋に落ちちゃうのも分かるわ。納得。」
「納得しないで。そしてお願いだから黙って。」
「分かったわよ。」
つまらなそうにしながらも口を閉じたベイだけれど、顔が黙っていない。
エースを見ているベイのニヤニヤしている顔から、考えていることが駄々洩れだ。
「あれ?でも、名前ちゃん、結婚したんじゃなかった?」
思い出話に花を咲かせることに夢中になっていればいいものの、ここでもドーマは空気が読めないという能力を発揮してしまう。
こちらを向いたエースまで、不機嫌そうに眉間に皴を寄せる。
「えっと~…、あー…それは、ね。ちょっと、いろいろと。」
「いろいろってなんだよ~。」
何が面白いのか、ドーマが腹を抱えて笑う。
きっと彼は今、大好きなベイを前にしてテンションが上がっているのだろう。
空気の読めなさが、異常だ。
「俺、見たぜ~。
背の高ぇ美人なお兄さんとラブラブ初詣デートしてたじゃん。」
一瞬、何のことかと思ったが、すぐにイゾウ達と初詣に行ったときのことを言っているのだろうと見当がつく。
見られていたらしいと知って、少しだけ驚いた。
でも、エースとも再会してしまうくらいだから、あの日のあの場所には、知り合いが他にも何人もいたのかもしれない。それも不思議ではないくらいの人の多さを思い出す。
「あれは、偶々、知り合いと会うからって連れて行かされただけで
デートってわけじゃ…。」
「もしかして、喧嘩中?ダメだぜ~、旦那とは仲良くしなきゃ~。
年下の男と不倫なんかして、マジで離婚とかになったらどうすんの。
聞いたぜ~。初めての彼氏で最後の男なんだろ~。大事にしなきゃ———。」
「結婚してねぇから。」
ベラベラと喋っているドーマをどうやって止めようかとウジウジと考えていた私よりも先に、エースが事実をキッパリと告げた。
意表を突かれたことで、私の願い通り、漸くドーマが口を閉じる。
「は?」
「最初から結婚してねぇって言ったんだよ。」
「・・・・は?え?へ?どういうこと?
だって、結婚するから教師辞めただろ。だよな、名前ちゃん?」
ドーマが私に訊ねてくる。
私は、エースの方が結婚していないことを口にするなんて思ってもいなかったから驚きでそれどころではないのに、本当に、空気を読んでくれない。
「えっと…、うん…実は。」
「え!?マジ!?うわぁ~、マジか。マジか…。」
マジか、を連発した後、ドーマはとても申し訳なさそうに「なんか…ごめんな。」と謝って来た。
結婚していなかったことをどう受け止めたのかは想像するしかないけれど、不憫そうな視線を向けられて、ひどく惨めな気持ちになる。
勘違いはしているけれど、あながちそれほど間違ってもいない謝罪に、私は力のない「大丈夫。」を返すので精一杯だった。
「ていうか、なんでエースが知ってんだ?
そういや、初詣で名前ちゃん見たって言ったときも驚いてなかったし、
もしかして、ずっと連絡とってた?」
疑問が浮かんでは消えずに騒ぎ続けるドーマに、エースがバイト先で再会したことを簡単に説明すれば、漸く静かになった。
一応、必要以上に古傷を抉られることはなくなったのではないかとは思うが、これからこの4人でダブルデートをするのだと思うと、気が重くて仕方がない。
帰りたい。
私は今、猛烈に帰りたい。
「じゃあ、ちょうどいいわ。エースくん、今日一日、名前の相手してあげてよ。」
「は?」
「は!?」
突然のベイの提案に、私とエースの声が重なった。
何言ってんの———エースと私の間に何があったのか誰よりもよく知っているはずなのに、どうしてそんなことを言うのか。信じられなかった。
でも、ベイは、私のことなんて無視して、エースにとびきりの美人スマイルを見せた。
「3年前に大失恋してから、枯れてくばっかりでどうしようもないのよ。
エースくんの若いエキスで生き返らせてあげてよ。」
「ちょ…っ、ちょっとっ、ベイっ。何言ってんのよ!」
眉を顰めてしまったエースをチラチラと見ながら、私は必死にベイを止めた。
でも、面白いオモチャを見つけたようにイキイキと瞳を輝かせているベイは、もう誰にも止められない。
そこに、それなら自分は大好きなベイとふたりきりになれる、ということに気づいてしまったドーマまで乗っかってくるから、収拾がつかなくなってしまった。
その結果————。
「じゃあ、エースくん。私の大切な親友をよろしくね。」
「エース!俺の大切なベイさんの大切な親友だからな!
名前ちゃんを泣かすんじゃねぇぞ!」
「うるせぇ。」
私の意思に反するどころか、私の気持ちなど最初からどこにもないかのようなスピードで、ダブルデートは始まることもせずに、別行動が決定してしまった。
目の前で、ベイはニヤニヤとしていて楽しそうだし、そんなベイに腕を組んでもらえたドーマは夢の国で誰よりも夢を見ている顔をしている。
それに引きかえ、わざわざ私の隣に並ばされたエースは、機嫌を損ねているとしか思えない怖い顔をしている。
途方に暮れた私の顔だって、ベイとドーマには見えているはずだ。
いや、ベイにベタ惚れなのが、この数分で駄々洩れしていたドーマはどうか分からない。でも、ベイは分かっているはずだ。
それなのに、私を置いていくのか———。
必死に目で訴えたら、とても色っぽいウインクを返された。泣きそうだ。
「いや、そこは俺はうるさく言っておく。だってな?真剣に考えろよ?
名前ちゃんは、3年前に大失恋をしてから今日まで、ずっと未練タラタラで引きずって、
今も昔の男が忘れられねぇんだよ。可哀想だろ?」
「ドーマ、わざわざ言わないで。」
心配しているらしいドーマに、傷を抉るどころか再起不能なまでにめった刺しにされて、私の心はとうとう折れた。
それが面白くて仕方がないのか、ベイが両手で口を押えて必死に笑いを堪えている。
どうして彼女と親友になったのか、過去の自分に真面目に問いたくなる。
「俺には関係ねぇから。」
エースの冷たい声がピシャリと切り捨てる。
冷たいな、とドーマが大袈裟に悲しんでみせた。
「とにかくな!名前ちゃんは俺達の恩師で、ベイさんの親友なんだ!
お前がいくら、会った女みんな食っちまうような女癖の悪いクソ野郎でも
名前ちゃんだけは傷つけんじゃねぇぞ!」
「うるせぇ。」
「エースくん、女癖悪いの?」
「そうっすよ!コイツ、顔はいいけど、女癖は悪いんす。
来るもの拒まずで、誰彼構わず寝ちまうクソ野郎。」
ドーマが呆れたように首をすぼめる。
エースは、チッと舌打ちをするだけだった。
(否定、しないんだ…。)
あの頃、エースは私しか知らなかったのに———そんな、勝手なことを思ってしまった。
そして、勝手に傷つく自分が嫌になる。
「へぇ、意外。一途で可愛い男の子かと思ってた。」
「まさか!全然違いますよ!
だから、ベイさんは、エースに近づかないでくださいね。
すぐに食われちまうから。」
ドーマが眉尻を下げて、心配そうに言いながら、ベイを抱きしめた。
どうやらドーマは、ベイからエースを遠ざけたかったようだ。
離しなさい、と叱るように言って、ドーマを引き剥がすベイだけれど、少しだけ染まった頬を見ると、本気で嫌がっているわけではないようだ。
そして、ドーマが離れてすぐに、ベイは、面白いことを思いついた———という表情を見せた。
「でも、それなら、なまえもエースくんに食べられちゃうかもね。」
ベイが、またあのニヤけ顔を見せる。
でも、すぐに、その楽しみをドーマが否定する。
「それは絶対にないから大丈夫っすよ。」
「どうして絶対にないって言いきれるのよ。」
自分の面白い思いつきを否定されたベイが、不機嫌そうに口を尖らせる。
「エースの好きなタイプ、名前ちゃんと正反対だから。」
「え?そうなの?」
「そうそう!年下のボインちゃんにしか興味ねぇの。
だから、なまえちゃんは絶対に大丈夫!」
だから安心してね———ドーマの無邪気な笑みは、私にそう語っているようだった。
そして、ベイとエースの視線が、私を頭の先からつま先まで行こうとして、胸の辺りで止まる。
2人が吹き出したのは、同時だった。本当に失礼だと思う。
ベイが、顔も身体も色気がありすぎるから、隣にいる普通代表の私が霞んで見えがちなだけで、寄せて集めれば、Cくらいにはなるのだ。
「楽しんでなーーー!!」
嵐と再起不能の傷、辱めを残して、ドーマが浮かれた笑顔で手を振って遠くなっていく。彼が大きく手を振る度に、頭に乗せたネズミの耳が左右に揺れていて、なんだか無性に腹が立つ。
ドーマと腕を組んだベイからは、投げキスが飛んでくる。
それは、私の元へ届くころには、冬の冷たい風になって、ひゅるるるると通り過ぎていった。
「行こう。」
どこに———訊ねるよりも先に、私はエースに手を引かれていた。
3年ぶりのエースの手の感触は、私を戸惑わせる。そして、鼓動を高鳴らせる。
(あの頃と一緒…。)
私の手をすっぽりと包んでしまう大きな手のひらも、器用に絡めてくる長くて綺麗な指も、少年みたいに笑うのに意外と男らしい骨ばった感触も、同じだと思いたかった。
でも、本音は、分からない。
同じような気もするし、知らない誰かみたいにも感じる。
分かるのは、この手が触れるのはもう、私だけじゃないということだ。
だから私は、心臓が速くなって、苦しくなって、堪らない気持ちになる———。
ガタガタと音を立てながら、ガーデンチェアを引きずってベイのすぐ隣を陣取る。
広げた園内マップの新アトラクションエリアを指さした私に、ベイは若干の軽蔑の視線を向けた。
「ダブルデートなんか面倒くさいって、
ここに来るまでの車の中でずっと言ってた人間のセリフだとは思えないわね。」
「いいでしょ。来たんなら、高い入場料分はしっかり楽しまなくちゃ。」
「いい性格してるわね。」
「褒め言葉として受け取っておく。」
呆れたようにため息を吐いたベイだったけれど、夢に溢れた園内マップを見せていれば、次第に興味を持ってきたようだった。
年下の彼が、ベイが一番楽しめるデートスポットをこの夢の国だと断言したのは、きっとそう遠く離れてはいないのだろう。
いつの間にか、基本的に真面目なベイが主導権を握って、園内マップの1ページ目から一言一句逃さずにチェックしていると、男性の声が耳に届いた。
「ベイさーん!お待たせしました~!」
ベイの名前を呼んだのは、想像通りの底抜けに明るい声だった。
今までのベイの恋人は、落ち着いていてクールな人が多かった。そのどれとも違うけれど、温かくて優しい声だ。
きっととても素敵な男性なのだろう。
そう思いながら、園内マップから顔を上げた私は目を疑った。
「遅い。私を待たせるなんて、100年早いわ。」
「100年後の約束までしてくれるなんて、嬉しいっす。」
ガハハハと屈託のない笑い声を上げて、ベイを呆れさせている年下の彼は、私が昔受け持っていたクラスの男の子だ。
いつも話題の真ん中にいて、ムードメーカーだったドーマだ。男女問わず友達の多いタイプで、一匹狼だったエースに一番最初に声をかけたのも彼だった。
初めは、喧嘩の強いエースの反撃にあって傷だらけになっていたけれど、それでもめげずに声をかけるドーマのおかげなのか、そのうち、彼らはいつも一緒にいるようになっていた。
だから、今も彼らが仲良くしているのはとても喜ばしいことなのだろう。
でもまさか、ベイに好意を寄せている年下の彼がドーマで、その彼が連れてくるダブルデートの相手がエースだなんて想像もしていなかったから、言葉も出ない。
エースもまた、私を見て目を丸くしている。
2人とも頭にネズミ耳のカチューシャをつけて、ポップコーンを持っている。
夢の国を楽しむ気満々なその姿は、私と彼らの年齢差を物語っているようだった。
「あれ!?名前ちゃんじゃん!!
え!?もしかして、ベイさんの親友で、男日照りで枯れまくってるお姉さんって名前ちゃんのこと!?」
漸く私に気づいたドーマからは、聞き捨てならないセリフが飛び出した。
いろんな意味で、最悪だ。
「あら?ドーマと名前知り合いなの?」
ドーマの反応に続いて、ベイが私の方を向いて訊ねる。
聞き捨てならなかったセリフについては、スルーするつもりらしい。
そもそも、何とも思っていない可能性が高い。
「昔、受け持ってたクラスの生徒。
ていうか、私の知らないところで、変な風に紹介するのやめてくれる?」
「嘘は言ってないんだからいいでしょ。」
澄ました顔をしているベイ越しに、機嫌の悪そうなエースが見えている。
その隣では、ドーマが、久々に昔の担任に会えたことにテンションを上げているし、なかなかカオスな状況だ。
そこからは、ドーマの独壇場だった。話題の中心にいつもいたムードメーカーだけれど、残念ながら空気を読むという能力がほぼなかった彼の本領が続々と発揮されていく。
「ほら、エース!名前ちゃんだぜ!」
「見れば分かる。」
「なんだよ、もっと嬉しそうな顔しろよ!
お前、名前ちゃんにすげぇ懐いてたじゃん。」
「覚えてねぇ。」
「またそれかよ~。ほら、体育祭の時も———。」
エースの塩対応も気にせず、ドーマは懐かしい日の想い出を面白おかしく、そしてかなり大袈裟に喋りだした。
聞き流しているエースの目が死んでいて、とても居心地が悪い。
そんな私の服の裾を引っ張るベイは、美人な大きなタレ目が漫画に出てくる悪魔みたいな三角形になっている。
「ねぇ、エースって言ったよね?あのエース?あのエースくん。」
さすがにエース達に聞こえるのはマズイと分かっているようで、ベイは私の耳元で小声を使った。
だから私も、死んだ目をしているエースの隣で無邪気にハシャぐドーマの頭でユラユラ揺れているネズミのカチューシャを眺めながら、小声で答える。
「お願い黙って、ベイ。私も混乱してるから。」
「へぇ、彼がねぇ。なかなか可愛い顔してるじゃないの。想像以上だわ。
これは自分の立場も忘れて恋に落ちちゃうのも分かるわ。納得。」
「納得しないで。そしてお願いだから黙って。」
「分かったわよ。」
つまらなそうにしながらも口を閉じたベイだけれど、顔が黙っていない。
エースを見ているベイのニヤニヤしている顔から、考えていることが駄々洩れだ。
「あれ?でも、名前ちゃん、結婚したんじゃなかった?」
思い出話に花を咲かせることに夢中になっていればいいものの、ここでもドーマは空気が読めないという能力を発揮してしまう。
こちらを向いたエースまで、不機嫌そうに眉間に皴を寄せる。
「えっと~…、あー…それは、ね。ちょっと、いろいろと。」
「いろいろってなんだよ~。」
何が面白いのか、ドーマが腹を抱えて笑う。
きっと彼は今、大好きなベイを前にしてテンションが上がっているのだろう。
空気の読めなさが、異常だ。
「俺、見たぜ~。
背の高ぇ美人なお兄さんとラブラブ初詣デートしてたじゃん。」
一瞬、何のことかと思ったが、すぐにイゾウ達と初詣に行ったときのことを言っているのだろうと見当がつく。
見られていたらしいと知って、少しだけ驚いた。
でも、エースとも再会してしまうくらいだから、あの日のあの場所には、知り合いが他にも何人もいたのかもしれない。それも不思議ではないくらいの人の多さを思い出す。
「あれは、偶々、知り合いと会うからって連れて行かされただけで
デートってわけじゃ…。」
「もしかして、喧嘩中?ダメだぜ~、旦那とは仲良くしなきゃ~。
年下の男と不倫なんかして、マジで離婚とかになったらどうすんの。
聞いたぜ~。初めての彼氏で最後の男なんだろ~。大事にしなきゃ———。」
「結婚してねぇから。」
ベラベラと喋っているドーマをどうやって止めようかとウジウジと考えていた私よりも先に、エースが事実をキッパリと告げた。
意表を突かれたことで、私の願い通り、漸くドーマが口を閉じる。
「は?」
「最初から結婚してねぇって言ったんだよ。」
「・・・・は?え?へ?どういうこと?
だって、結婚するから教師辞めただろ。だよな、名前ちゃん?」
ドーマが私に訊ねてくる。
私は、エースの方が結婚していないことを口にするなんて思ってもいなかったから驚きでそれどころではないのに、本当に、空気を読んでくれない。
「えっと…、うん…実は。」
「え!?マジ!?うわぁ~、マジか。マジか…。」
マジか、を連発した後、ドーマはとても申し訳なさそうに「なんか…ごめんな。」と謝って来た。
結婚していなかったことをどう受け止めたのかは想像するしかないけれど、不憫そうな視線を向けられて、ひどく惨めな気持ちになる。
勘違いはしているけれど、あながちそれほど間違ってもいない謝罪に、私は力のない「大丈夫。」を返すので精一杯だった。
「ていうか、なんでエースが知ってんだ?
そういや、初詣で名前ちゃん見たって言ったときも驚いてなかったし、
もしかして、ずっと連絡とってた?」
疑問が浮かんでは消えずに騒ぎ続けるドーマに、エースがバイト先で再会したことを簡単に説明すれば、漸く静かになった。
一応、必要以上に古傷を抉られることはなくなったのではないかとは思うが、これからこの4人でダブルデートをするのだと思うと、気が重くて仕方がない。
帰りたい。
私は今、猛烈に帰りたい。
「じゃあ、ちょうどいいわ。エースくん、今日一日、名前の相手してあげてよ。」
「は?」
「は!?」
突然のベイの提案に、私とエースの声が重なった。
何言ってんの———エースと私の間に何があったのか誰よりもよく知っているはずなのに、どうしてそんなことを言うのか。信じられなかった。
でも、ベイは、私のことなんて無視して、エースにとびきりの美人スマイルを見せた。
「3年前に大失恋してから、枯れてくばっかりでどうしようもないのよ。
エースくんの若いエキスで生き返らせてあげてよ。」
「ちょ…っ、ちょっとっ、ベイっ。何言ってんのよ!」
眉を顰めてしまったエースをチラチラと見ながら、私は必死にベイを止めた。
でも、面白いオモチャを見つけたようにイキイキと瞳を輝かせているベイは、もう誰にも止められない。
そこに、それなら自分は大好きなベイとふたりきりになれる、ということに気づいてしまったドーマまで乗っかってくるから、収拾がつかなくなってしまった。
その結果————。
「じゃあ、エースくん。私の大切な親友をよろしくね。」
「エース!俺の大切なベイさんの大切な親友だからな!
名前ちゃんを泣かすんじゃねぇぞ!」
「うるせぇ。」
私の意思に反するどころか、私の気持ちなど最初からどこにもないかのようなスピードで、ダブルデートは始まることもせずに、別行動が決定してしまった。
目の前で、ベイはニヤニヤとしていて楽しそうだし、そんなベイに腕を組んでもらえたドーマは夢の国で誰よりも夢を見ている顔をしている。
それに引きかえ、わざわざ私の隣に並ばされたエースは、機嫌を損ねているとしか思えない怖い顔をしている。
途方に暮れた私の顔だって、ベイとドーマには見えているはずだ。
いや、ベイにベタ惚れなのが、この数分で駄々洩れしていたドーマはどうか分からない。でも、ベイは分かっているはずだ。
それなのに、私を置いていくのか———。
必死に目で訴えたら、とても色っぽいウインクを返された。泣きそうだ。
「いや、そこは俺はうるさく言っておく。だってな?真剣に考えろよ?
名前ちゃんは、3年前に大失恋をしてから今日まで、ずっと未練タラタラで引きずって、
今も昔の男が忘れられねぇんだよ。可哀想だろ?」
「ドーマ、わざわざ言わないで。」
心配しているらしいドーマに、傷を抉るどころか再起不能なまでにめった刺しにされて、私の心はとうとう折れた。
それが面白くて仕方がないのか、ベイが両手で口を押えて必死に笑いを堪えている。
どうして彼女と親友になったのか、過去の自分に真面目に問いたくなる。
「俺には関係ねぇから。」
エースの冷たい声がピシャリと切り捨てる。
冷たいな、とドーマが大袈裟に悲しんでみせた。
「とにかくな!名前ちゃんは俺達の恩師で、ベイさんの親友なんだ!
お前がいくら、会った女みんな食っちまうような女癖の悪いクソ野郎でも
名前ちゃんだけは傷つけんじゃねぇぞ!」
「うるせぇ。」
「エースくん、女癖悪いの?」
「そうっすよ!コイツ、顔はいいけど、女癖は悪いんす。
来るもの拒まずで、誰彼構わず寝ちまうクソ野郎。」
ドーマが呆れたように首をすぼめる。
エースは、チッと舌打ちをするだけだった。
(否定、しないんだ…。)
あの頃、エースは私しか知らなかったのに———そんな、勝手なことを思ってしまった。
そして、勝手に傷つく自分が嫌になる。
「へぇ、意外。一途で可愛い男の子かと思ってた。」
「まさか!全然違いますよ!
だから、ベイさんは、エースに近づかないでくださいね。
すぐに食われちまうから。」
ドーマが眉尻を下げて、心配そうに言いながら、ベイを抱きしめた。
どうやらドーマは、ベイからエースを遠ざけたかったようだ。
離しなさい、と叱るように言って、ドーマを引き剥がすベイだけれど、少しだけ染まった頬を見ると、本気で嫌がっているわけではないようだ。
そして、ドーマが離れてすぐに、ベイは、面白いことを思いついた———という表情を見せた。
「でも、それなら、なまえもエースくんに食べられちゃうかもね。」
ベイが、またあのニヤけ顔を見せる。
でも、すぐに、その楽しみをドーマが否定する。
「それは絶対にないから大丈夫っすよ。」
「どうして絶対にないって言いきれるのよ。」
自分の面白い思いつきを否定されたベイが、不機嫌そうに口を尖らせる。
「エースの好きなタイプ、名前ちゃんと正反対だから。」
「え?そうなの?」
「そうそう!年下のボインちゃんにしか興味ねぇの。
だから、なまえちゃんは絶対に大丈夫!」
だから安心してね———ドーマの無邪気な笑みは、私にそう語っているようだった。
そして、ベイとエースの視線が、私を頭の先からつま先まで行こうとして、胸の辺りで止まる。
2人が吹き出したのは、同時だった。本当に失礼だと思う。
ベイが、顔も身体も色気がありすぎるから、隣にいる普通代表の私が霞んで見えがちなだけで、寄せて集めれば、Cくらいにはなるのだ。
「楽しんでなーーー!!」
嵐と再起不能の傷、辱めを残して、ドーマが浮かれた笑顔で手を振って遠くなっていく。彼が大きく手を振る度に、頭に乗せたネズミの耳が左右に揺れていて、なんだか無性に腹が立つ。
ドーマと腕を組んだベイからは、投げキスが飛んでくる。
それは、私の元へ届くころには、冬の冷たい風になって、ひゅるるるると通り過ぎていった。
「行こう。」
どこに———訊ねるよりも先に、私はエースに手を引かれていた。
3年ぶりのエースの手の感触は、私を戸惑わせる。そして、鼓動を高鳴らせる。
(あの頃と一緒…。)
私の手をすっぽりと包んでしまう大きな手のひらも、器用に絡めてくる長くて綺麗な指も、少年みたいに笑うのに意外と男らしい骨ばった感触も、同じだと思いたかった。
でも、本音は、分からない。
同じような気もするし、知らない誰かみたいにも感じる。
分かるのは、この手が触れるのはもう、私だけじゃないということだ。
だから私は、心臓が速くなって、苦しくなって、堪らない気持ちになる———。