11.懐かしいキーホルダーと繋がる鍵
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なまえが電車通勤をしていることは、彼女が、なんとか気まずい間を取り繕うためにしたどうでもいい世間話で聞いていたから、知っていた。
だから、急いで駅の方へ向かおうとしてすぐに、エースは、塾の最寄りのコンビニから出てくるなまえを見つける。
何をやっているのだろうか———素直にそう思った。
別に、コンビニで買い物をすること自体は不思議なことではない。
ただ、駅にも同じ系列のコンビニがあるのに、どうしてわざわざ寄り道をするのかが分からなかったのだ。
だが、思ったよりも早く彼女を見つけられたのは幸運だった。
もしも、彼女がコンビニに寄ったことを知らずに駅に走っていたら、すれ違いになっていたところだ。
「…っ、」
なまえの名前を呼ぼうとして、思わず、躊躇してしまう。
数年前までは、まるで自分のもののように呼んでいた名前なのに、今は、彼女のことをどう呼んだらいいのかが分からない。
他の講師の助手達がそうしているように『先生』と呼べばいいのかもしれない。それか、古い付き合いらしく、講師のことを呼び捨てにしている助手もいるし、エースが昔のように名前を呼んでも、きっと彼女は嫌な顔はしないのだろう。
でも、エースが嫌だった。
出来れば、今後、一生、彼女の名前を口にしたくないと思いながら生きていたのだ。
それは、今でも変わらない。
なまえを呼び止められず、エースが立ち止まっているうちに、彼女は、駅とは反対方向へと、小走りで向かってしまった。
(どこ行くんだ?電車で帰るんじゃねぇのか?)
駅方向へと歩いてくれれば、呼び止めなくたって、なまえはエースの方へと向かってくるはずだったが、仕方がない。
エースは、なまえの後姿を追いかけた。
小走りの彼女が入っていったのは、パーキングだった。
入口に立っている大きな看板には、EBという大きなロゴマークがある。街中とかでよく見かけるパーキングだ。
ロゴマークの下には、イーストブルーパーキングという駐車場の名前と共に、料金設定が詳しく書かれている。
(車通勤に変わったのか?)
だから、駐車料金のことを気にして今日は早く帰りたがったのだろうか———そう思いながら、エースもパーキングに入っていったなまえの後を追いかける。
なまえの姿は、すぐに見つけられた。
やたらとド派手な真っ赤なスポーツカーのおかげだ。
なまえは、そのスポーツカーの左側に立っていた。てっきりそこが助手席なのだと思ったが、ウィンドウが下がった窓の向こうに、若い男とハンドルが見えて、それが外車であることを知る。
運転席のウィンドウを下げて、なまえと話をしている男には、見覚えがあった。
なまえと別れた日、婚約者だとエースの目の前に現れた男だ。
今年の正月、初詣に行った神社で、立ち去るなまえを振り返ったときも、エースは、あの男を見ていた。
なまえは、あの男の元へ駆け寄ると、人目もはばからずに抱き着いたのだ。
(あぁ、旦那が迎えに来てたから早く会いたかったのか。)
漸く、なんとなく不思議だった今日のなまえのすべての行動に合点がいった。
塾の職員室、隣のデスクで採点をしていると思っていたなまえが、スマホを見て嬉しそうに頬を緩めたのも、旦那からの到着を知らせるメッセージを見たからだったのだろう。
そんなことを考えていると、なまえの旦那である男の視線が、不意にこちらを向いた。
街中の裏路地にあるだけあって、どちらかといえば狭いパーキングだが、一番奥に駐車してあるド派手な真っ赤のスポーツカーと、入口で立っているエースとでは、それなりに距離があった。
それでも、男の眉が歪み、視線に殺気を帯びたのに気づいた。
そのあとすぐに、男は、これ見よがしに、なまえの後頭部に手を添えて自分の元に引き寄せた。
呆気なく近くなった彼らの距離と関係性を考えれば、彼女の後姿しか見えなくたって、2人が何をしているのかくらいは分かる。
結婚して2年程なら、まだ新婚だ。
メッセージが届いただけで嬉しさに頬を緩めてしまうくらいに夫婦仲がうまくいっていれば、会ってすぐにキスをしたって、不思議でもない。
(旦那が一緒なら、鍵も急がなくていいな。)
エースは、自分の手元に視線を落とす。
見覚えのある、懐かしいキーホルダーだ。
気味の悪いご当地キャラクターを見ていると、望んでもいないのに、遠い記憶が蘇ってくる。
あれは、何限目かの授業が終わった後だった。
友人達の目を盗んで、職員室に戻ろうとしていたなまえの後姿を追いかけ引き留めたエースは、相談があるとか適当な嘘をつき、近くの視聴覚室に彼女を引き込んだのだ。
『鍵、今日は俺が預かっとくから。後で、こっそり持ってきて。』
『なんで?』
『帰り、遅ぇんだろ?優しい彼氏が、飯作って待っててやるよ。』
『いいよっ。エースは、ちゃんと自分の家に帰りなさい!
じゃなきゃ、ご家族が心配して———。』
『じゃあ、決まりな!』
『もうっ。いつも勝手になんでも決めちゃうんだから。』
怒ったように頬を膨らませてるつもりでも、なまえの頬は嬉しそうに緩んでいたっけ。
それが嬉しくて、エースもニシシ、と笑うのだ。
でも結局、なまえは、エースの帰りが遅くなることを気にして、出来るだけ残業はせずに急いで帰ってきてくれた。
あの頃は、目に映るなにもかもが、眩しいくらいに輝いて見えた。
まるで、世界のすべてが自分のものになったような気がして、自分がなにかとても特別なモノになったような気分で、毎日が、楽しくて、楽しくて、仕方がなくて———。
「あ~、マジで、面倒くせぇ女。」
エースは、敢えて、そう口にして、幸せそうな夫婦に背を向けた。
キーホルダーを強く握りしめれば、まるで宝物のようにたったひとつだけついている鍵が、手のひらに刺さって痛みを感じる。
あの頃、このキーホルダーについているのは、エースとなまえの秘密の部屋へと繋がっている鍵だった。
でも今、この鍵で開くのは、よくいる普通の、幸せな新婚夫婦が住む家の扉だ。
握りしめた鍵を、ジャケットのポケットに押し込んだエースは、今度こそ、自分の帰るべき家に向かう為に駅のある方向へと歩き始めた。
だから、急いで駅の方へ向かおうとしてすぐに、エースは、塾の最寄りのコンビニから出てくるなまえを見つける。
何をやっているのだろうか———素直にそう思った。
別に、コンビニで買い物をすること自体は不思議なことではない。
ただ、駅にも同じ系列のコンビニがあるのに、どうしてわざわざ寄り道をするのかが分からなかったのだ。
だが、思ったよりも早く彼女を見つけられたのは幸運だった。
もしも、彼女がコンビニに寄ったことを知らずに駅に走っていたら、すれ違いになっていたところだ。
「…っ、」
なまえの名前を呼ぼうとして、思わず、躊躇してしまう。
数年前までは、まるで自分のもののように呼んでいた名前なのに、今は、彼女のことをどう呼んだらいいのかが分からない。
他の講師の助手達がそうしているように『先生』と呼べばいいのかもしれない。それか、古い付き合いらしく、講師のことを呼び捨てにしている助手もいるし、エースが昔のように名前を呼んでも、きっと彼女は嫌な顔はしないのだろう。
でも、エースが嫌だった。
出来れば、今後、一生、彼女の名前を口にしたくないと思いながら生きていたのだ。
それは、今でも変わらない。
なまえを呼び止められず、エースが立ち止まっているうちに、彼女は、駅とは反対方向へと、小走りで向かってしまった。
(どこ行くんだ?電車で帰るんじゃねぇのか?)
駅方向へと歩いてくれれば、呼び止めなくたって、なまえはエースの方へと向かってくるはずだったが、仕方がない。
エースは、なまえの後姿を追いかけた。
小走りの彼女が入っていったのは、パーキングだった。
入口に立っている大きな看板には、EBという大きなロゴマークがある。街中とかでよく見かけるパーキングだ。
ロゴマークの下には、イーストブルーパーキングという駐車場の名前と共に、料金設定が詳しく書かれている。
(車通勤に変わったのか?)
だから、駐車料金のことを気にして今日は早く帰りたがったのだろうか———そう思いながら、エースもパーキングに入っていったなまえの後を追いかける。
なまえの姿は、すぐに見つけられた。
やたらとド派手な真っ赤なスポーツカーのおかげだ。
なまえは、そのスポーツカーの左側に立っていた。てっきりそこが助手席なのだと思ったが、ウィンドウが下がった窓の向こうに、若い男とハンドルが見えて、それが外車であることを知る。
運転席のウィンドウを下げて、なまえと話をしている男には、見覚えがあった。
なまえと別れた日、婚約者だとエースの目の前に現れた男だ。
今年の正月、初詣に行った神社で、立ち去るなまえを振り返ったときも、エースは、あの男を見ていた。
なまえは、あの男の元へ駆け寄ると、人目もはばからずに抱き着いたのだ。
(あぁ、旦那が迎えに来てたから早く会いたかったのか。)
漸く、なんとなく不思議だった今日のなまえのすべての行動に合点がいった。
塾の職員室、隣のデスクで採点をしていると思っていたなまえが、スマホを見て嬉しそうに頬を緩めたのも、旦那からの到着を知らせるメッセージを見たからだったのだろう。
そんなことを考えていると、なまえの旦那である男の視線が、不意にこちらを向いた。
街中の裏路地にあるだけあって、どちらかといえば狭いパーキングだが、一番奥に駐車してあるド派手な真っ赤のスポーツカーと、入口で立っているエースとでは、それなりに距離があった。
それでも、男の眉が歪み、視線に殺気を帯びたのに気づいた。
そのあとすぐに、男は、これ見よがしに、なまえの後頭部に手を添えて自分の元に引き寄せた。
呆気なく近くなった彼らの距離と関係性を考えれば、彼女の後姿しか見えなくたって、2人が何をしているのかくらいは分かる。
結婚して2年程なら、まだ新婚だ。
メッセージが届いただけで嬉しさに頬を緩めてしまうくらいに夫婦仲がうまくいっていれば、会ってすぐにキスをしたって、不思議でもない。
(旦那が一緒なら、鍵も急がなくていいな。)
エースは、自分の手元に視線を落とす。
見覚えのある、懐かしいキーホルダーだ。
気味の悪いご当地キャラクターを見ていると、望んでもいないのに、遠い記憶が蘇ってくる。
あれは、何限目かの授業が終わった後だった。
友人達の目を盗んで、職員室に戻ろうとしていたなまえの後姿を追いかけ引き留めたエースは、相談があるとか適当な嘘をつき、近くの視聴覚室に彼女を引き込んだのだ。
『鍵、今日は俺が預かっとくから。後で、こっそり持ってきて。』
『なんで?』
『帰り、遅ぇんだろ?優しい彼氏が、飯作って待っててやるよ。』
『いいよっ。エースは、ちゃんと自分の家に帰りなさい!
じゃなきゃ、ご家族が心配して———。』
『じゃあ、決まりな!』
『もうっ。いつも勝手になんでも決めちゃうんだから。』
怒ったように頬を膨らませてるつもりでも、なまえの頬は嬉しそうに緩んでいたっけ。
それが嬉しくて、エースもニシシ、と笑うのだ。
でも結局、なまえは、エースの帰りが遅くなることを気にして、出来るだけ残業はせずに急いで帰ってきてくれた。
あの頃は、目に映るなにもかもが、眩しいくらいに輝いて見えた。
まるで、世界のすべてが自分のものになったような気がして、自分がなにかとても特別なモノになったような気分で、毎日が、楽しくて、楽しくて、仕方がなくて———。
「あ~、マジで、面倒くせぇ女。」
エースは、敢えて、そう口にして、幸せそうな夫婦に背を向けた。
キーホルダーを強く握りしめれば、まるで宝物のようにたったひとつだけついている鍵が、手のひらに刺さって痛みを感じる。
あの頃、このキーホルダーについているのは、エースとなまえの秘密の部屋へと繋がっている鍵だった。
でも今、この鍵で開くのは、よくいる普通の、幸せな新婚夫婦が住む家の扉だ。
握りしめた鍵を、ジャケットのポケットに押し込んだエースは、今度こそ、自分の帰るべき家に向かう為に駅のある方向へと歩き始めた。