◇No.35◇たぶん、愛です
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今にも激しくなりそうだった小雨が土砂降りになったのは、なまえを横抱きに抱えたローが小屋に入った途端でした。
小屋の屋根を叩く激しい雨の音が響く中、なんとかギリギリ逃げ切れたことに、ローはホッと息を吐きました。
丸太を積み上げて造られたようなロッジ風の小屋は、エレン達の故郷の建物に似ていました。もしかすると、昔はこの辺りまで町の住人がいたのかもしれません。
外観と変わらず、小屋の中もとても古く、ソファやテーブル、防寒に使えそうな毛布すらもありませんでしたが、暖炉がありました。
暖炉のそばには、薪も転がっています。
ローは、なまえを壁に寄り掛かるように座らせると、暖炉に向かいました。
火をつけるようなものは持っていませんでしたが、運よく使えそうな石が落ちていました。
これなら、火打石に出来そうです。
暖炉に器用に火をつけた後、ローは、コートを脱ぐと、なまえの肩にかけてやりました。
「着とけ。」
不思議そうに顔を上げたなまえにそう言いながら、ローも隣に腰を降ろしました。
意味を理解したなまえが、コートの袖に腕を通しました。
体格差のあるローのコートはなまえには大きく、長い袖の中に手が隠れてしまっています。
まるで、小さな子供が父親の洋服を着ているみたいです。
「手、貸せ。」
ローは、なまえの手をコートの中から出してやると、袖口を折り曲げました。
それでもまだ長い袖はなまえの華奢で小さな手を半分ほど隠してしまっていますが、さっきよりはだいぶマシになりました。
父親の洋服から、彼氏の洋服くらいにはなったはずです。
熊に洋服を奪われて下着姿だったなまえにコートを貸したローでしたが、寒さを感じる人間である彼の方が防寒具は必要なはずです。
雨に打たれながらなまえを探していた身体はこの部屋よりも冷え切っていました。
暖炉からはパチッ、パチッと薪が火を放つ音が鳴っていましたが、寒々しい小屋が暖かくなるまでにはまだ時間がかかりそうでした。
「あったかい。」
そう言ったのは、なまえでした。
ローが袖口から出してくれた両手で自らの頬を包んで、呟くように言ったのです。
まるで本当に、暖かいと感じているように見えました。
でも、そうではないことを、ローはもう分かっています。
もしかして——、時々、そんな風に思ってハッとすることが何度かありました。
なまえがあまりにも人間にソックリだからです。
でも、今はもうそんなことを思うこともなくなったくらいに、なまえがロボットであるという事実を理解していました。
前にイッカクから、本で得た知識から、事実とは違うセリフを言うことがあるとローは聞いたことがありました。
「嘘吐け。分からねぇだろ。」
ローが言うと、なまえが頬に触れていた手を離しました。
そして、ローの方を向いて口を開きました。
「はい、分かりません。」
ほら、やっぱり——。
もしかして——、そんなことを期待することほど愚かなことはないのです。
だって、彼女は機械なのですから———。
「でも、分かります。」
なまえはそこまで言うと、また、袖口に半分ほど隠れてしまった自分の両手を見下ろしました。
いいえ、彼女が見つめているのは、ローから借りたコートの方のようです。
「ローのコートは、世界一です。」
「世界一?」
「はい、世界で一番優しいコートです。
だから、世界で一番暖かいです。」
なまえは、コートを抱きしめるみたいに、細く長い指を折り曲げて長い袖口を握りしめました。
そして、ローの方を見て続けます。
「温度は分からなくても、ローのコートの温かさは知ってます。」
ほら、ちゃんと分かってるでしょ?——。
無表情のはずのなまえの顔は、まるで、そう言っているみたいでした。
もしかしたら、彼女は、負けず嫌いな性格なのかもしれません。
機械に〝性格〟というのがあると考えるなんて、とてもおかしなことですが、ひとつ、彼女のことを知ったような気がしました。
無意識に、ローの手は、自分の方を真っすぐに見るなまえへと向かいます。
そしてそれは、自分の行動の愚かさに気づいて思い留まることもせず、とうとう、なまえの頬に触れました。
大きな手がなまえの左頬を包みます。触れた体温は、相変わらずとても高くて、意識せずとも、ローのかじかんだ手を暖めてくれます。
どうして、ローとの距離が近づくのか。
どうして、ローがそっと目を閉じたのか。
きっと、なまえには分からなかったでしょう。
それでも、彼女は何も言わず、何もせず、ただじっとローを見つめ、その時を待っているようでした。
静かになった小屋には、相変わらず、暖炉の方からパチッパチッと火が熱を放つ音が響いていました。
ゆっくり、ゆっくり、唇が近づいていきます。
時間をかけている理由は、ロー自身が自分の行動に怯えているというよりも、なまえという存在を慈しんでいるという表現がぴったりでした。
そして、とうとう唇が触れ合いました。
さすがになまえも驚いたのか、少しだけ目が見開かれました。
それでも、彼女がローを突き放すことはありませんでした。
柔らかいなまえの唇と高い体温が、ローの身体を唇から暖めていきます。
唇が触れ合っていたのは、数秒程でした。
そっと、ほんの1㎝も満たないほどだけ唇を離したローが目を開けると、とても至近距離でなまえと視線が絡み合いました。
お互いの唇はまだ、少しでも動けば触れ合いそうでしたし、なまえの左頬には、ローの手は添えられたままでした。
ですが、このときを待っていたみたいになまえは、口を開きました。
「今のは、何ですか?」
「さぁ。お前は何だと思う?」
「私を食べ物だと思いましたか?」
食われると思ったのか——。
それが可笑しくて、でも、少しだけムカついて、ローは「不正解。」と苦笑しながら、また頭突きをしました。
額に当たった小さな衝撃に、なまえは首を傾げます。
だから、唇が触れ合う距離のままで、ローはきちんと教えてやりました。
「今のは、愛にする行為だ。」
「愛にですか?」
「あぁ。」
「それはおかしいです。」
「どうして。」
「私は、ローの愛ではありません。」
「そんなこと、お前には分からねぇだろ。」
「分かります。ローは人間で、私はロボットで——。」
最後まで言い切る前に、なまえの唇はローの唇に塞がれていました。
さっきよりも少し乱暴に重なった唇は、さっきと同じように数秒触れ合った後に、そっと離れました。
また、少しでも動けば唇が触れ合いそうな距離でしたが、なまえはそのままの格好で訊ねました。
「今のは何ですか?」
「愛にする行為。」
「…私は、ローの愛ですか?」
「たぶん、な。」
「そうですか。分かりました。
私は、たぶん、ローの愛です。」
なまえがどれくらい納得したのかは、分かりません。
ですが、彼女は、いつものようにローに言われたことを覚えるために、復唱します。
ローは、触れているなまえの左頬の上で指を滑らせて、優しく撫でました。
とても柔らかくて、まるで、産まれたての赤ん坊のようでした。
いいえ、愛について何も知らない彼女は、これからたくさんの愛情を注がれて、大事に大事に育てられながら愛されることや愛することを覚えていく、赤ん坊と同じなのかもしれません。
「目、閉じろ。」
「こうですか?」
なまえは、素直に瞼を閉じました。
ローはもう一度、なまえの頬をひと撫でしてから、答えました。
「そう。」
短く言いながら、唇を近づけます。
また触れ合った唇は、もう3度目のキスでした。
柔らかく温度の高い唇から、ローに熱が伝わります。
唇を塞ぎ合っている2人しかいない部屋は静かで、暖炉で薪が鳴らす音が響いています。
漸く、小屋は暖かくなり始めていました。
さっきまでよりも長い口づけは、十数秒続いてから、またそっと唇が離れました。
でも、4度目を待っている唇は、触れ合いそうな距離から離れることを知りません。
なまえは、ローの指示に素直に従って、まだ目を閉じていました。
その姿がとてもいじらしくて、愛おしい——。
そう思ってしまったのです。
いいえ、たぶん、もう随分と前から、なまえを愛おしく感じていました。
ローが気づいていなかっただけです。
「あったけぇ。」
ローが、なまえの左頬を撫でながら言いました。
「愛にする行為がですか?」
目を閉じたまま、なまえが訊ねます。
触れた頬も、重なった唇も、この部屋を暖める暖炉も、ローの冷えた心や身体を温めていました。
でも、そのすべてを説明すれば長くなりますし、正直、どうでもよくなっていました。
ただ、なまえともう一度、キスがしたくて——。
それ以外の思考も、音も、温度も、全てがローから消えていたのです。
見えているのも、ここにいるのも、なまえだけでした。
だから、こんなことが出来たのでしょう。
それか、もしかすると、薪を燃やしすぎた暖炉の熱に浮かされていただけなのかもしれません。
だって、そうじゃなかったら——。
「うん。」
もう一度目を閉じて、ローは、唇を重ね合わせようとしながら短く答えます。
また、すぐに唇が重なりました。
柔らかい唇が温かくて、凍えていたローの心と身体は、離れたくないと言っているようでした。
だから、ローは、なまえの腰を抱き寄せました。
大きなコートに包まれ、暖炉の熱で温まったなまえの身体は、いつもよりも体温が高くて、余計に離れたくなくなりました。
誰かと抱きしめ合うことなんて、知るはずもないなまえの手は、冷たい床に置かれたままでした。
抱きしめ合うということを知らない彼女が、抱きしめ返してくることはないことくらい、ローも分かっていました。
それでも構いませんでした。
今はただ、なまえの唇と抱きしめた腕の中にある小さな身体がくれる熱だけで、ローはとても温かかったのです。
それは、愛故に、というものなのでしょうか。
なんとなく『たぶん、愛』なのだろうということだけはローも漠然と感じていました。
でも、それが正しい答えなのかは、誰にも、本人すらも分かっていません。
もしかすると、これは、幼い頃に家族を失い、漸く出会えた理解者すらも殺されてしまった寂しい男が、寒さに凍えすぎて見てしまった愛の幻想なのかもしれません。
マッチ売りの少女が、触れてはいけない熱い火の向こうに幸せを夢見て心を温めようとしたのと同じです。
だって、そうでしょう。誰が本気で機械を愛するでしょうか。
愛に飢えて生きて来たローは、女性にしか見えない自分に従順ななまえに、愛の幻想を見たのです。
だって、そうじゃなかったら、ローの感情は〝恋〟ということになってしまいます。
一体誰が、人間がロボットに恋をするなんて想像するでしょうか。
そんなこと、信じられません。ありえません。
万が一、これを〝恋〟だと宣言した日には、仲間ですら目を背けるに決まっています。
誰も祝福などしません。
だって、そうでしょう。
それは〝禁断の恋〟とは違います。
〝愚かで恐ろしい過ち〟なのです。
でも、もしも本当に〝恋〟なら———。
冷たい床の上で、なまえの指が小さく動きました。
宙を彷徨い出した華奢な手が辿り着いたのは、自分を抱きしめるローの腕でした。
躊躇いがちにそっと触れた柔らかいニット生地を、なまえの指が握りしめました。
そこにはどんな意味があったのでしょうか。
もしかすると、なまえも分かっていないのかもしれません。
それでも、少し腕に触れたなまえの華奢な指の感触と、たったそれだけの仕草だけで、ローは柔らかい温もりに包まれているような気持ちになりました。
今はまだ、これが〝恋〟なのか、〝愛〟なのか、2人には分からないままでいいのかもしれません。
今はただ、愛を知らずに生きてきた2人が、誰よりもそばにいて、〝愛〟を手探りした先で、こうして触れ合うだけで、こんなにも幸せな時間が、ゆっくりと優しく、彼らの周りを流れてくれるのですから———。
小屋の屋根を叩く激しい雨の音が響く中、なんとかギリギリ逃げ切れたことに、ローはホッと息を吐きました。
丸太を積み上げて造られたようなロッジ風の小屋は、エレン達の故郷の建物に似ていました。もしかすると、昔はこの辺りまで町の住人がいたのかもしれません。
外観と変わらず、小屋の中もとても古く、ソファやテーブル、防寒に使えそうな毛布すらもありませんでしたが、暖炉がありました。
暖炉のそばには、薪も転がっています。
ローは、なまえを壁に寄り掛かるように座らせると、暖炉に向かいました。
火をつけるようなものは持っていませんでしたが、運よく使えそうな石が落ちていました。
これなら、火打石に出来そうです。
暖炉に器用に火をつけた後、ローは、コートを脱ぐと、なまえの肩にかけてやりました。
「着とけ。」
不思議そうに顔を上げたなまえにそう言いながら、ローも隣に腰を降ろしました。
意味を理解したなまえが、コートの袖に腕を通しました。
体格差のあるローのコートはなまえには大きく、長い袖の中に手が隠れてしまっています。
まるで、小さな子供が父親の洋服を着ているみたいです。
「手、貸せ。」
ローは、なまえの手をコートの中から出してやると、袖口を折り曲げました。
それでもまだ長い袖はなまえの華奢で小さな手を半分ほど隠してしまっていますが、さっきよりはだいぶマシになりました。
父親の洋服から、彼氏の洋服くらいにはなったはずです。
熊に洋服を奪われて下着姿だったなまえにコートを貸したローでしたが、寒さを感じる人間である彼の方が防寒具は必要なはずです。
雨に打たれながらなまえを探していた身体はこの部屋よりも冷え切っていました。
暖炉からはパチッ、パチッと薪が火を放つ音が鳴っていましたが、寒々しい小屋が暖かくなるまでにはまだ時間がかかりそうでした。
「あったかい。」
そう言ったのは、なまえでした。
ローが袖口から出してくれた両手で自らの頬を包んで、呟くように言ったのです。
まるで本当に、暖かいと感じているように見えました。
でも、そうではないことを、ローはもう分かっています。
もしかして——、時々、そんな風に思ってハッとすることが何度かありました。
なまえがあまりにも人間にソックリだからです。
でも、今はもうそんなことを思うこともなくなったくらいに、なまえがロボットであるという事実を理解していました。
前にイッカクから、本で得た知識から、事実とは違うセリフを言うことがあるとローは聞いたことがありました。
「嘘吐け。分からねぇだろ。」
ローが言うと、なまえが頬に触れていた手を離しました。
そして、ローの方を向いて口を開きました。
「はい、分かりません。」
ほら、やっぱり——。
もしかして——、そんなことを期待することほど愚かなことはないのです。
だって、彼女は機械なのですから———。
「でも、分かります。」
なまえはそこまで言うと、また、袖口に半分ほど隠れてしまった自分の両手を見下ろしました。
いいえ、彼女が見つめているのは、ローから借りたコートの方のようです。
「ローのコートは、世界一です。」
「世界一?」
「はい、世界で一番優しいコートです。
だから、世界で一番暖かいです。」
なまえは、コートを抱きしめるみたいに、細く長い指を折り曲げて長い袖口を握りしめました。
そして、ローの方を見て続けます。
「温度は分からなくても、ローのコートの温かさは知ってます。」
ほら、ちゃんと分かってるでしょ?——。
無表情のはずのなまえの顔は、まるで、そう言っているみたいでした。
もしかしたら、彼女は、負けず嫌いな性格なのかもしれません。
機械に〝性格〟というのがあると考えるなんて、とてもおかしなことですが、ひとつ、彼女のことを知ったような気がしました。
無意識に、ローの手は、自分の方を真っすぐに見るなまえへと向かいます。
そしてそれは、自分の行動の愚かさに気づいて思い留まることもせず、とうとう、なまえの頬に触れました。
大きな手がなまえの左頬を包みます。触れた体温は、相変わらずとても高くて、意識せずとも、ローのかじかんだ手を暖めてくれます。
どうして、ローとの距離が近づくのか。
どうして、ローがそっと目を閉じたのか。
きっと、なまえには分からなかったでしょう。
それでも、彼女は何も言わず、何もせず、ただじっとローを見つめ、その時を待っているようでした。
静かになった小屋には、相変わらず、暖炉の方からパチッパチッと火が熱を放つ音が響いていました。
ゆっくり、ゆっくり、唇が近づいていきます。
時間をかけている理由は、ロー自身が自分の行動に怯えているというよりも、なまえという存在を慈しんでいるという表現がぴったりでした。
そして、とうとう唇が触れ合いました。
さすがになまえも驚いたのか、少しだけ目が見開かれました。
それでも、彼女がローを突き放すことはありませんでした。
柔らかいなまえの唇と高い体温が、ローの身体を唇から暖めていきます。
唇が触れ合っていたのは、数秒程でした。
そっと、ほんの1㎝も満たないほどだけ唇を離したローが目を開けると、とても至近距離でなまえと視線が絡み合いました。
お互いの唇はまだ、少しでも動けば触れ合いそうでしたし、なまえの左頬には、ローの手は添えられたままでした。
ですが、このときを待っていたみたいになまえは、口を開きました。
「今のは、何ですか?」
「さぁ。お前は何だと思う?」
「私を食べ物だと思いましたか?」
食われると思ったのか——。
それが可笑しくて、でも、少しだけムカついて、ローは「不正解。」と苦笑しながら、また頭突きをしました。
額に当たった小さな衝撃に、なまえは首を傾げます。
だから、唇が触れ合う距離のままで、ローはきちんと教えてやりました。
「今のは、愛にする行為だ。」
「愛にですか?」
「あぁ。」
「それはおかしいです。」
「どうして。」
「私は、ローの愛ではありません。」
「そんなこと、お前には分からねぇだろ。」
「分かります。ローは人間で、私はロボットで——。」
最後まで言い切る前に、なまえの唇はローの唇に塞がれていました。
さっきよりも少し乱暴に重なった唇は、さっきと同じように数秒触れ合った後に、そっと離れました。
また、少しでも動けば唇が触れ合いそうな距離でしたが、なまえはそのままの格好で訊ねました。
「今のは何ですか?」
「愛にする行為。」
「…私は、ローの愛ですか?」
「たぶん、な。」
「そうですか。分かりました。
私は、たぶん、ローの愛です。」
なまえがどれくらい納得したのかは、分かりません。
ですが、彼女は、いつものようにローに言われたことを覚えるために、復唱します。
ローは、触れているなまえの左頬の上で指を滑らせて、優しく撫でました。
とても柔らかくて、まるで、産まれたての赤ん坊のようでした。
いいえ、愛について何も知らない彼女は、これからたくさんの愛情を注がれて、大事に大事に育てられながら愛されることや愛することを覚えていく、赤ん坊と同じなのかもしれません。
「目、閉じろ。」
「こうですか?」
なまえは、素直に瞼を閉じました。
ローはもう一度、なまえの頬をひと撫でしてから、答えました。
「そう。」
短く言いながら、唇を近づけます。
また触れ合った唇は、もう3度目のキスでした。
柔らかく温度の高い唇から、ローに熱が伝わります。
唇を塞ぎ合っている2人しかいない部屋は静かで、暖炉で薪が鳴らす音が響いています。
漸く、小屋は暖かくなり始めていました。
さっきまでよりも長い口づけは、十数秒続いてから、またそっと唇が離れました。
でも、4度目を待っている唇は、触れ合いそうな距離から離れることを知りません。
なまえは、ローの指示に素直に従って、まだ目を閉じていました。
その姿がとてもいじらしくて、愛おしい——。
そう思ってしまったのです。
いいえ、たぶん、もう随分と前から、なまえを愛おしく感じていました。
ローが気づいていなかっただけです。
「あったけぇ。」
ローが、なまえの左頬を撫でながら言いました。
「愛にする行為がですか?」
目を閉じたまま、なまえが訊ねます。
触れた頬も、重なった唇も、この部屋を暖める暖炉も、ローの冷えた心や身体を温めていました。
でも、そのすべてを説明すれば長くなりますし、正直、どうでもよくなっていました。
ただ、なまえともう一度、キスがしたくて——。
それ以外の思考も、音も、温度も、全てがローから消えていたのです。
見えているのも、ここにいるのも、なまえだけでした。
だから、こんなことが出来たのでしょう。
それか、もしかすると、薪を燃やしすぎた暖炉の熱に浮かされていただけなのかもしれません。
だって、そうじゃなかったら——。
「うん。」
もう一度目を閉じて、ローは、唇を重ね合わせようとしながら短く答えます。
また、すぐに唇が重なりました。
柔らかい唇が温かくて、凍えていたローの心と身体は、離れたくないと言っているようでした。
だから、ローは、なまえの腰を抱き寄せました。
大きなコートに包まれ、暖炉の熱で温まったなまえの身体は、いつもよりも体温が高くて、余計に離れたくなくなりました。
誰かと抱きしめ合うことなんて、知るはずもないなまえの手は、冷たい床に置かれたままでした。
抱きしめ合うということを知らない彼女が、抱きしめ返してくることはないことくらい、ローも分かっていました。
それでも構いませんでした。
今はただ、なまえの唇と抱きしめた腕の中にある小さな身体がくれる熱だけで、ローはとても温かかったのです。
それは、愛故に、というものなのでしょうか。
なんとなく『たぶん、愛』なのだろうということだけはローも漠然と感じていました。
でも、それが正しい答えなのかは、誰にも、本人すらも分かっていません。
もしかすると、これは、幼い頃に家族を失い、漸く出会えた理解者すらも殺されてしまった寂しい男が、寒さに凍えすぎて見てしまった愛の幻想なのかもしれません。
マッチ売りの少女が、触れてはいけない熱い火の向こうに幸せを夢見て心を温めようとしたのと同じです。
だって、そうでしょう。誰が本気で機械を愛するでしょうか。
愛に飢えて生きて来たローは、女性にしか見えない自分に従順ななまえに、愛の幻想を見たのです。
だって、そうじゃなかったら、ローの感情は〝恋〟ということになってしまいます。
一体誰が、人間がロボットに恋をするなんて想像するでしょうか。
そんなこと、信じられません。ありえません。
万が一、これを〝恋〟だと宣言した日には、仲間ですら目を背けるに決まっています。
誰も祝福などしません。
だって、そうでしょう。
それは〝禁断の恋〟とは違います。
〝愚かで恐ろしい過ち〟なのです。
でも、もしも本当に〝恋〟なら———。
冷たい床の上で、なまえの指が小さく動きました。
宙を彷徨い出した華奢な手が辿り着いたのは、自分を抱きしめるローの腕でした。
躊躇いがちにそっと触れた柔らかいニット生地を、なまえの指が握りしめました。
そこにはどんな意味があったのでしょうか。
もしかすると、なまえも分かっていないのかもしれません。
それでも、少し腕に触れたなまえの華奢な指の感触と、たったそれだけの仕草だけで、ローは柔らかい温もりに包まれているような気持ちになりました。
今はまだ、これが〝恋〟なのか、〝愛〟なのか、2人には分からないままでいいのかもしれません。
今はただ、愛を知らずに生きてきた2人が、誰よりもそばにいて、〝愛〟を手探りした先で、こうして触れ合うだけで、こんなにも幸せな時間が、ゆっくりと優しく、彼らの周りを流れてくれるのですから———。