◇No.61◇痛みを知るというのはどういうことですか
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真夜中の静かな深海を、ポーラータング号が休むことなく泳ぎ続けます。
たくさんの夢を乗せて泳ぐ姿はとても気持ちが良さそうで、まるで、深海魚達との散歩を楽しんでいるようです。
気持ちよく眠る仲間達を起こしてしまわないように、静かに泳いでくれるポーラータング号の船内で、今夜もなまえは大好きなローと一緒にいました。
キッチンで夜食を作りながら、カウンターで船長日誌を書いているローを眺めています。
大きな瞳はハートの色をして、口元は幸せそうに緩んでいます。
世界一カッコいい恋人だな、とでも思っているのかもしれません。
機械であるはずの彼女が初めて笑顔を見せてから、3ヵ月が経ちました。
今でも彼女が声を上げて笑うことはありませんが、それでも、初めて会った日から比べれば、格段に表情が増えました。
今なら、初めて彼女に会った他人でさえも、彼女が今怒っているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのかを察することは出来るでしょう。
なまえが機械である事実は変わりません。
それでも、確実に彼女は、日々〝人間らしさ〟を増していっているのです。
それが嬉しくて仕方のないハートの海賊団の船員達の表情も、日に日に明るくなります。
でも、彼らが何よりも嬉しいのは、彼女がまだ〝涙〟を覚えていないことです。
人間として生きるということに、悲しみや苦しみは欠かせません。
そういうものを背負って、人間とは生きているのです。
でも、なまえが人間になれるにしろ、そうではないにしろ、これからもずっと、無邪気で無垢な彼女に〝涙〟を覚えてほしくない———それが、誰も敢えて口にはしないけれど、ハートの海賊団の船員達に共通する願いでした。
「…!」
リンゴの皮を剥きながら、仕事をしている恋人に見惚れていたなまえは、包丁の刃で親指の腹を切ってしまいました。
初めての失敗に驚いた拍子に、包丁とリンゴが手から離れて、キッチンにぶつかって大きな音を立てます。
「どうした?」
大きな音に気が付いたローが立ち上がります。
そして、カウンターからキッチンの中を覗き込みながら訊ねました。
包丁はまな板の上にありましたが、なまえの足元に落ちたリンゴは床を転がっていました。
「…驚きました。」
なまえは、左手の親指をじっと見たままで答えます。
「切ったのか?」
「はい。」
「…痛ぇのか?」
「————。
痛覚は私にはありません。
どのような感覚なのか、私には分かりません。」
ほんの数秒、自分の指をじっと見つめながら考えるようなそぶりをしたなまえでしたが、その答えはいつもと同じでした。
〝涙〟以外に、出来ればなまえに覚えてほしくないもの———それが、〝痛み〟です。
恐らくなまえは、〝心の痛み〟はもう知っているでしょう。
ローへの恋心に苦しんだとき、もしかしたら、エレン達を救おうとしたあのときにもう既に、彼女はそれが何かは理解していなくても、〝心の痛み〟を知っていたのかもしれません。
ですが、身体的な〝痛み〟を彼女は知りません。
なぜなら、彼女が機械だからです。
出来れば、なまえに〝痛み〟を知って欲しくない。でも、なまえが〝痛み〟を知ったとき、それはつまり、彼女が著しく人間に近づいたときということになります。
ですから、包丁で指を切ったと知ったとき、ローはとても心配して、ほんの少しだけ、期待もしてしまったのです。
「傷は?」
「修復しました。」
「——ならいい。気をつけろよ。」
初めて失敗をしてショックだったのだろう———戸惑うなまえの様子をそう納得したローは、彼女の髪をクシャリと撫でました。
カウンター席に腰を降ろしたローが、仕事を再開させると、なまえも落ちてしまったリンゴを拾います。
そして、包丁を手に取り、洗ったリンゴにあてがいます。
ですが、何を考えたのか、今度は彼女は、自らの意思で、自分の指に包丁の刃をあてたのです。
静かなその行為に、ローは気づきません。
なまえがただじっと見つめる視線の先で、包丁の刃が滑った親指の腹が薄く切れて、一本の細い線が出来ていきます。
そしてそれは、数秒後、彼女の持つ修復機能によって消えていきました。
彼女が何を思ってそんなことをしたのか。
それは、彼女にしかわかりません。
ですがその日、彼女は、大好きなローとお気に入りのバーに行った後もずっと、初めて料理で失敗して怪我をしてしまった親指をただ黙ってじっと眺めていました。
たくさんの夢を乗せて泳ぐ姿はとても気持ちが良さそうで、まるで、深海魚達との散歩を楽しんでいるようです。
気持ちよく眠る仲間達を起こしてしまわないように、静かに泳いでくれるポーラータング号の船内で、今夜もなまえは大好きなローと一緒にいました。
キッチンで夜食を作りながら、カウンターで船長日誌を書いているローを眺めています。
大きな瞳はハートの色をして、口元は幸せそうに緩んでいます。
世界一カッコいい恋人だな、とでも思っているのかもしれません。
機械であるはずの彼女が初めて笑顔を見せてから、3ヵ月が経ちました。
今でも彼女が声を上げて笑うことはありませんが、それでも、初めて会った日から比べれば、格段に表情が増えました。
今なら、初めて彼女に会った他人でさえも、彼女が今怒っているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのかを察することは出来るでしょう。
なまえが機械である事実は変わりません。
それでも、確実に彼女は、日々〝人間らしさ〟を増していっているのです。
それが嬉しくて仕方のないハートの海賊団の船員達の表情も、日に日に明るくなります。
でも、彼らが何よりも嬉しいのは、彼女がまだ〝涙〟を覚えていないことです。
人間として生きるということに、悲しみや苦しみは欠かせません。
そういうものを背負って、人間とは生きているのです。
でも、なまえが人間になれるにしろ、そうではないにしろ、これからもずっと、無邪気で無垢な彼女に〝涙〟を覚えてほしくない———それが、誰も敢えて口にはしないけれど、ハートの海賊団の船員達に共通する願いでした。
「…!」
リンゴの皮を剥きながら、仕事をしている恋人に見惚れていたなまえは、包丁の刃で親指の腹を切ってしまいました。
初めての失敗に驚いた拍子に、包丁とリンゴが手から離れて、キッチンにぶつかって大きな音を立てます。
「どうした?」
大きな音に気が付いたローが立ち上がります。
そして、カウンターからキッチンの中を覗き込みながら訊ねました。
包丁はまな板の上にありましたが、なまえの足元に落ちたリンゴは床を転がっていました。
「…驚きました。」
なまえは、左手の親指をじっと見たままで答えます。
「切ったのか?」
「はい。」
「…痛ぇのか?」
「————。
痛覚は私にはありません。
どのような感覚なのか、私には分かりません。」
ほんの数秒、自分の指をじっと見つめながら考えるようなそぶりをしたなまえでしたが、その答えはいつもと同じでした。
〝涙〟以外に、出来ればなまえに覚えてほしくないもの———それが、〝痛み〟です。
恐らくなまえは、〝心の痛み〟はもう知っているでしょう。
ローへの恋心に苦しんだとき、もしかしたら、エレン達を救おうとしたあのときにもう既に、彼女はそれが何かは理解していなくても、〝心の痛み〟を知っていたのかもしれません。
ですが、身体的な〝痛み〟を彼女は知りません。
なぜなら、彼女が機械だからです。
出来れば、なまえに〝痛み〟を知って欲しくない。でも、なまえが〝痛み〟を知ったとき、それはつまり、彼女が著しく人間に近づいたときということになります。
ですから、包丁で指を切ったと知ったとき、ローはとても心配して、ほんの少しだけ、期待もしてしまったのです。
「傷は?」
「修復しました。」
「——ならいい。気をつけろよ。」
初めて失敗をしてショックだったのだろう———戸惑うなまえの様子をそう納得したローは、彼女の髪をクシャリと撫でました。
カウンター席に腰を降ろしたローが、仕事を再開させると、なまえも落ちてしまったリンゴを拾います。
そして、包丁を手に取り、洗ったリンゴにあてがいます。
ですが、何を考えたのか、今度は彼女は、自らの意思で、自分の指に包丁の刃をあてたのです。
静かなその行為に、ローは気づきません。
なまえがただじっと見つめる視線の先で、包丁の刃が滑った親指の腹が薄く切れて、一本の細い線が出来ていきます。
そしてそれは、数秒後、彼女の持つ修復機能によって消えていきました。
彼女が何を思ってそんなことをしたのか。
それは、彼女にしかわかりません。
ですがその日、彼女は、大好きなローとお気に入りのバーに行った後もずっと、初めて料理で失敗して怪我をしてしまった親指をただ黙ってじっと眺めていました。