◇80ページ◇走る背中の向こうにいる人達
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エレベーターから降りた私は、ドレスの裾を持ち上げて走っていた。
ホテルの出口の手前に、ソファがいくつも並んでいるロビーがある。
そのソファのそばに見覚えのある後ろ姿を見つけた。
ジャンだ。
(あ、馬…!)
ミカサ達が言っていた馬が誰か、私はすぐに気が付いた。
だって、ジャンは馬っぽいし、エレンもいつも馬面だって言っている。
「ジャン!!」
名前を呼ぶと、ジャンが後ろを振り返った。
そして、私を見つけると、なんとも言えないような表情になった。
私が魔法使いの元へ行きたいと言ったときに嬉しそうな顔をしたエレン達とは違う。
もしかしてー。
ジャンは、馬じゃなかったのだろうか。
「あ~ぁ、本当に来ちまったんだな。」
駆け寄って来た私に、ジャンは眉尻を下げて言った。
その手元にはガラスの靴を持っている。
やっぱり馬はジャンで間違いなさそうだ。
「ごめんね。」
「俺に謝る必要はねぇよ。はい、これ。」
ガラスの靴を渡そうとしたジャンだったのに、私が受け取ろうとするとその手を上にあげて届かないようにした。
驚いて戸惑う私を見下ろして、ジャンが真面目な顔で問う。
「本当に後悔はねぇな?嘘の記憶でも、西門の奴と一緒にいた方が苦労はしねぇ。
どうせ戻らない記憶ならその方がいいと思ったから、俺達はお前を騙した。
今さらアイツのとこに行っても、苦労するだけだ。それでも、後悔はないんだな?」
「…ない。勝手なことをしてるのは分かってる。
でも、記憶があってもなくても、私はリヴァイさんが好きなの。」
「はぁ~…、そう言うと思ったよ。」
ジャンはため息交じりに言いながら、私にガラスの靴を渡した。
そこへ、エスカレーターから降りてきていたエレン達も追いついた。
さぁ、みんなでホテルの外に出ようとした時だった。
ドンッ、と勢いよく私の身体に誰かが体当たりした。
驚いて、ハッとしたときには、ガラスの靴が私の両手から滑り落ちていた。
「ダメ…っ。」
私は慌ててガラスの靴に手を伸ばした。
でも、ガラスの靴が床にぶつかって粉々に砕ける方が早かった。
「そんな…っ。」
粉々に砕けたガラスの靴を見下ろして、私は呆然と呟く。
その横で、私に体当たりしてきたらしいSPは、ミカサとアニがあっという間に拘束していた。
でも、もう遅いことは、悔し気な表情のエレン達も分かっている。
魔法の世界の鍵は、なくなってしまった。
私は膝から崩れ落ちて、ガラスの破片に手を触れた。
その視界に、豪華で上品な着物の裾が入った。
「名前さん、こんなところで育ちの悪いご友人と遊んでなどいないで
早く式場にお戻りなさい。」
凛とした声がして、私は顔を上げる。
冷たく私を見下ろしているのは、総ちゃんのお母様だった。
「名前、今すぐに西門様に頭を下げなさい。」
後ろから母の声がした。
それからすぐに、腕を引っ張られて無理やり立ち上がらされた。
私の横で、背筋を伸ばす母は、いつものように凛としていた。
そして、私を横目で睨みつけた後、頭に手を乗せて強引に頭を下げさせられた。
「お騒がせして申し訳ございません、西門様。
結婚前のマリッジブルーというやつですわ。」
「違…っ!違うわ、ママ…っ!」
頭を押さえつける手を退けて、私は顔を上げて抗議をした。
その瞬間だった。
母の手が、思いっきり私の頬を叩いた。
パァーンという音が、天井の高いロビーに響いた。
痛みよりも驚きが先に来て、私は叩かれた頬に触れた。
総ちゃんのお母様も驚いて目を見開いていた。
「いい加減にしなさい!!」
いつも大きな声なんて出さない母が怒鳴った。
誰もが振り返る美しい顔が歪むそれは、まさに鬼のような剣幕で、そばにいる誰も口を開けなかった。
「記憶障害なんて面倒な病気を抱えている貴女を西門家は嫁として受け入れると
心広く仰ってくださったんです!!他の誰が、いつまた記憶がなくなるか分からない
役立たずな貴女と一緒にいたいと思いますか!?」
「はぁ!?俺達は誰も名前のことを役立たずなんてー。」
「エレン、黙って!!」
思わず言い返したエレンをアルミンが制止した。
悔しそうに唇を噛んだのは、エレンだけじゃなかった。
ミカサ達も、何かを言いたそうにしていたけれど、その言葉を必死に飲み込んだみたいだった。
でも、私には、言い返す言葉なんてなかった。
今だって私は過去の記憶がない。
リヴァイさんと過ごした時間を思い出せない。
それでも好きになったけど、次にまた記憶がなくなったらどうなるのだろう。
私はまたリヴァイさんのことを忘れて、傷つけてしまうのだろうか。
嫌だ。そんなのは、嫌だー。
それなら、嘘の記憶の中で生きていく方が、誰も傷つけずにすんでいいのかもしれない。
「自分のことをすっかり忘れて他の男性と結婚しようとした挙句に、
贈り物のガラスの靴すら落として壊してしまう貴女を、誰が愛しますか?」
「…っ。」
全てが、母の言う通りだったのだ。
諦めてしまいそうになった時、リヴァイさんと交わした会話を思い出した。
『リヴァイさんは…、王子様と結婚するシンデレラを想い続けるのは、
怖くないんですか?』
『想えなくなる方が怖い。』
リヴァイさんは、迷いもなくそう言った。
全てを忘れてしまった私が離れて行ってから、リヴァイさんが見つけた答えがきっとそうだったのだろう。
私はギュッと拳を握って、真っすぐに母を見た。
「私は、愛されたいんじゃない。大切な人をずっと想っていたいだけ。
何度忘れたって、私はリヴァイさんを好きになる。
たとえ、リヴァイさんが私を忘れてしまったとしても、私はずっと彼が好き。」
「そうですか。その一時の気の迷いにすぎないあなたの我儘で
白鹿流の茶道家達が路頭に迷うことになろうとも、構わないと言うのね。」
「それは…っ。」
言い淀んだ私の頬を、母がまた叩いた。
私を睨みつける母の目には涙が浮かんでいて、唇はへの字に歪んでいた。
そこで漸く思い知った。
私は母を怒らせただけじゃない。
幻滅させて、傷つけたのだ。
「私を突き飛ばして走りなさい。」
突然、母が耳元で小さな声で言った。
「え?」
「ほら、早くしなさい。」
意味が分からずに戸惑っていると、母の手が私の手を掴んで自分の肩を押した。
そのまま母は後ろに大袈裟に倒れていく。
ザワザワする中、何が起きたのか分からない私は、尻餅をついた母を見下ろした。
「奥様…!!」
キクが走って来て、母の身体を抱き起した。
「名前様!!母親に向かって、なんてことをするんですか!?」
「え…?ち、違…っ、私は…-。」
「勘当です!!」
母が声を荒げるから、私は目を見開いた。
そんな私から目を反らすみたいにして、母は、いつの間にか集まっていた白鹿流の茶道家達や表千家流の茶道家達の前で宣言した。
「こんな暴力娘、西門家に嫁がせるわけにはいきません!!
今、このときを持って、白鹿名前を白鹿流から破門致します!!
もう、私達家族とこの娘は全く関係ありません!!」
母の突然の破門発言に、ロビーは驚きでシンと静まり返った。
集まっていた茶道家達は、どう反応すればいいのか分からないという様子でお互いの顔を見合わせていた。
そんな中、1人の若い使用人が声を上げた。
ハナだった。
「そ…、そうです!!出て行ってください!!
お嬢様みたいな性格も悪くて、暴力ばっかりの人の下でなんて
私達だって働きたくありません…!!」
ハナに続いて、白鹿家に仕える使用人達が口々に「出て行け!」と騒ぎ出した。
いつも仲良くしていたハナも、他の使用人達も、怖い顔で私を睨んだ。
記憶を失くした私を支えてくれた彼らの声が、裏切る勇気を本当はまだ持てなかった私の背中を押すー。
「行くぞ。」
ジャンが私の手を握った。
グッと唇を噛んで、頷いた。
「ごめんね、ありがとう。」
小さな謝罪も感謝の声も、出て行けと怒鳴る騒がしいロビーでは聞こえなかったと思う。
でも、私は何度も何度も小さな声で続けた。
ごめんね、ありがとう。
みんな、大好きなのー。
貴方の元へ走る私の足跡の向こうには
私の大切な人達の笑顔と涙があることを、決して忘れない
自ら倒れた白鹿家の家元をキクがそっと起こした。
彼女が立ち上がる頃には、名前は友人達と一緒にロビーを抜けてホテルを出て行こうとしていた。
小さくなっていく背中を見送る家元の瞳は、とても寂しそうだった。
「奥様、本当にこれでよかったのですか。
確かにこれなら西門家から結婚をお断りしたと出来ますし、
白鹿家も守られますが、名前様はもう二度とうちの敷居をまたげませんよ。」
「えぇ、分かってるわ。だから私は、魔法使いさんにお願いをしたの。
私達がいなくてもあの娘が苦労しないと分かる証拠を見せてって。」
「それがこの荒々しい方法で私達の大切なお嬢様を奪うという野蛮な作戦ですか?」
キクは軽蔑を声に馴染ませた。
それが可笑しくて、西門家の前で笑ってはいけないと分かっていても家元の口元は緩んでしまう。
「見てよ、キク。あの娘には、一緒に走ってくれる友人があんなにたくさんいる。
あの娘のために何度だって頭を下げてくれる魔法使いもいる。
私は魔法使いじゃないけど、分かるわ。あの娘の未来は、幸せに満ちてるって。」
「それくらい、私にだってわかりますよ。」
フンッと鼻を鳴らすキクに、家元はとうとう笑いを隠せずに慌てて口元を両手で覆った。
退院してきた名前から、毎日のように迎えに来ていた彼らを隠すのがどれだけ大変だったか。
まるで背中に自由の翼が生えているみたいに、騒がしく走り去っていく若者たちに幸あれー。
白鹿家の使用人達は、彼らの背中が見えなくなるまでずっと見送り続けていた。
ホテルの出口の手前に、ソファがいくつも並んでいるロビーがある。
そのソファのそばに見覚えのある後ろ姿を見つけた。
ジャンだ。
(あ、馬…!)
ミカサ達が言っていた馬が誰か、私はすぐに気が付いた。
だって、ジャンは馬っぽいし、エレンもいつも馬面だって言っている。
「ジャン!!」
名前を呼ぶと、ジャンが後ろを振り返った。
そして、私を見つけると、なんとも言えないような表情になった。
私が魔法使いの元へ行きたいと言ったときに嬉しそうな顔をしたエレン達とは違う。
もしかしてー。
ジャンは、馬じゃなかったのだろうか。
「あ~ぁ、本当に来ちまったんだな。」
駆け寄って来た私に、ジャンは眉尻を下げて言った。
その手元にはガラスの靴を持っている。
やっぱり馬はジャンで間違いなさそうだ。
「ごめんね。」
「俺に謝る必要はねぇよ。はい、これ。」
ガラスの靴を渡そうとしたジャンだったのに、私が受け取ろうとするとその手を上にあげて届かないようにした。
驚いて戸惑う私を見下ろして、ジャンが真面目な顔で問う。
「本当に後悔はねぇな?嘘の記憶でも、西門の奴と一緒にいた方が苦労はしねぇ。
どうせ戻らない記憶ならその方がいいと思ったから、俺達はお前を騙した。
今さらアイツのとこに行っても、苦労するだけだ。それでも、後悔はないんだな?」
「…ない。勝手なことをしてるのは分かってる。
でも、記憶があってもなくても、私はリヴァイさんが好きなの。」
「はぁ~…、そう言うと思ったよ。」
ジャンはため息交じりに言いながら、私にガラスの靴を渡した。
そこへ、エスカレーターから降りてきていたエレン達も追いついた。
さぁ、みんなでホテルの外に出ようとした時だった。
ドンッ、と勢いよく私の身体に誰かが体当たりした。
驚いて、ハッとしたときには、ガラスの靴が私の両手から滑り落ちていた。
「ダメ…っ。」
私は慌ててガラスの靴に手を伸ばした。
でも、ガラスの靴が床にぶつかって粉々に砕ける方が早かった。
「そんな…っ。」
粉々に砕けたガラスの靴を見下ろして、私は呆然と呟く。
その横で、私に体当たりしてきたらしいSPは、ミカサとアニがあっという間に拘束していた。
でも、もう遅いことは、悔し気な表情のエレン達も分かっている。
魔法の世界の鍵は、なくなってしまった。
私は膝から崩れ落ちて、ガラスの破片に手を触れた。
その視界に、豪華で上品な着物の裾が入った。
「名前さん、こんなところで育ちの悪いご友人と遊んでなどいないで
早く式場にお戻りなさい。」
凛とした声がして、私は顔を上げる。
冷たく私を見下ろしているのは、総ちゃんのお母様だった。
「名前、今すぐに西門様に頭を下げなさい。」
後ろから母の声がした。
それからすぐに、腕を引っ張られて無理やり立ち上がらされた。
私の横で、背筋を伸ばす母は、いつものように凛としていた。
そして、私を横目で睨みつけた後、頭に手を乗せて強引に頭を下げさせられた。
「お騒がせして申し訳ございません、西門様。
結婚前のマリッジブルーというやつですわ。」
「違…っ!違うわ、ママ…っ!」
頭を押さえつける手を退けて、私は顔を上げて抗議をした。
その瞬間だった。
母の手が、思いっきり私の頬を叩いた。
パァーンという音が、天井の高いロビーに響いた。
痛みよりも驚きが先に来て、私は叩かれた頬に触れた。
総ちゃんのお母様も驚いて目を見開いていた。
「いい加減にしなさい!!」
いつも大きな声なんて出さない母が怒鳴った。
誰もが振り返る美しい顔が歪むそれは、まさに鬼のような剣幕で、そばにいる誰も口を開けなかった。
「記憶障害なんて面倒な病気を抱えている貴女を西門家は嫁として受け入れると
心広く仰ってくださったんです!!他の誰が、いつまた記憶がなくなるか分からない
役立たずな貴女と一緒にいたいと思いますか!?」
「はぁ!?俺達は誰も名前のことを役立たずなんてー。」
「エレン、黙って!!」
思わず言い返したエレンをアルミンが制止した。
悔しそうに唇を噛んだのは、エレンだけじゃなかった。
ミカサ達も、何かを言いたそうにしていたけれど、その言葉を必死に飲み込んだみたいだった。
でも、私には、言い返す言葉なんてなかった。
今だって私は過去の記憶がない。
リヴァイさんと過ごした時間を思い出せない。
それでも好きになったけど、次にまた記憶がなくなったらどうなるのだろう。
私はまたリヴァイさんのことを忘れて、傷つけてしまうのだろうか。
嫌だ。そんなのは、嫌だー。
それなら、嘘の記憶の中で生きていく方が、誰も傷つけずにすんでいいのかもしれない。
「自分のことをすっかり忘れて他の男性と結婚しようとした挙句に、
贈り物のガラスの靴すら落として壊してしまう貴女を、誰が愛しますか?」
「…っ。」
全てが、母の言う通りだったのだ。
諦めてしまいそうになった時、リヴァイさんと交わした会話を思い出した。
『リヴァイさんは…、王子様と結婚するシンデレラを想い続けるのは、
怖くないんですか?』
『想えなくなる方が怖い。』
リヴァイさんは、迷いもなくそう言った。
全てを忘れてしまった私が離れて行ってから、リヴァイさんが見つけた答えがきっとそうだったのだろう。
私はギュッと拳を握って、真っすぐに母を見た。
「私は、愛されたいんじゃない。大切な人をずっと想っていたいだけ。
何度忘れたって、私はリヴァイさんを好きになる。
たとえ、リヴァイさんが私を忘れてしまったとしても、私はずっと彼が好き。」
「そうですか。その一時の気の迷いにすぎないあなたの我儘で
白鹿流の茶道家達が路頭に迷うことになろうとも、構わないと言うのね。」
「それは…っ。」
言い淀んだ私の頬を、母がまた叩いた。
私を睨みつける母の目には涙が浮かんでいて、唇はへの字に歪んでいた。
そこで漸く思い知った。
私は母を怒らせただけじゃない。
幻滅させて、傷つけたのだ。
「私を突き飛ばして走りなさい。」
突然、母が耳元で小さな声で言った。
「え?」
「ほら、早くしなさい。」
意味が分からずに戸惑っていると、母の手が私の手を掴んで自分の肩を押した。
そのまま母は後ろに大袈裟に倒れていく。
ザワザワする中、何が起きたのか分からない私は、尻餅をついた母を見下ろした。
「奥様…!!」
キクが走って来て、母の身体を抱き起した。
「名前様!!母親に向かって、なんてことをするんですか!?」
「え…?ち、違…っ、私は…-。」
「勘当です!!」
母が声を荒げるから、私は目を見開いた。
そんな私から目を反らすみたいにして、母は、いつの間にか集まっていた白鹿流の茶道家達や表千家流の茶道家達の前で宣言した。
「こんな暴力娘、西門家に嫁がせるわけにはいきません!!
今、このときを持って、白鹿名前を白鹿流から破門致します!!
もう、私達家族とこの娘は全く関係ありません!!」
母の突然の破門発言に、ロビーは驚きでシンと静まり返った。
集まっていた茶道家達は、どう反応すればいいのか分からないという様子でお互いの顔を見合わせていた。
そんな中、1人の若い使用人が声を上げた。
ハナだった。
「そ…、そうです!!出て行ってください!!
お嬢様みたいな性格も悪くて、暴力ばっかりの人の下でなんて
私達だって働きたくありません…!!」
ハナに続いて、白鹿家に仕える使用人達が口々に「出て行け!」と騒ぎ出した。
いつも仲良くしていたハナも、他の使用人達も、怖い顔で私を睨んだ。
記憶を失くした私を支えてくれた彼らの声が、裏切る勇気を本当はまだ持てなかった私の背中を押すー。
「行くぞ。」
ジャンが私の手を握った。
グッと唇を噛んで、頷いた。
「ごめんね、ありがとう。」
小さな謝罪も感謝の声も、出て行けと怒鳴る騒がしいロビーでは聞こえなかったと思う。
でも、私は何度も何度も小さな声で続けた。
ごめんね、ありがとう。
みんな、大好きなのー。
貴方の元へ走る私の足跡の向こうには
私の大切な人達の笑顔と涙があることを、決して忘れない
自ら倒れた白鹿家の家元をキクがそっと起こした。
彼女が立ち上がる頃には、名前は友人達と一緒にロビーを抜けてホテルを出て行こうとしていた。
小さくなっていく背中を見送る家元の瞳は、とても寂しそうだった。
「奥様、本当にこれでよかったのですか。
確かにこれなら西門家から結婚をお断りしたと出来ますし、
白鹿家も守られますが、名前様はもう二度とうちの敷居をまたげませんよ。」
「えぇ、分かってるわ。だから私は、魔法使いさんにお願いをしたの。
私達がいなくてもあの娘が苦労しないと分かる証拠を見せてって。」
「それがこの荒々しい方法で私達の大切なお嬢様を奪うという野蛮な作戦ですか?」
キクは軽蔑を声に馴染ませた。
それが可笑しくて、西門家の前で笑ってはいけないと分かっていても家元の口元は緩んでしまう。
「見てよ、キク。あの娘には、一緒に走ってくれる友人があんなにたくさんいる。
あの娘のために何度だって頭を下げてくれる魔法使いもいる。
私は魔法使いじゃないけど、分かるわ。あの娘の未来は、幸せに満ちてるって。」
「それくらい、私にだってわかりますよ。」
フンッと鼻を鳴らすキクに、家元はとうとう笑いを隠せずに慌てて口元を両手で覆った。
退院してきた名前から、毎日のように迎えに来ていた彼らを隠すのがどれだけ大変だったか。
まるで背中に自由の翼が生えているみたいに、騒がしく走り去っていく若者たちに幸あれー。
白鹿家の使用人達は、彼らの背中が見えなくなるまでずっと見送り続けていた。