◇71ページ◇忘れたくない人
Name change
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入院病棟の最上階にあるのが、エルディア病院の特別室だった。
バルコニーを改装した庭まである超豪華な病室だ。
子供の頃と同じように、名前はそこに入院していた。
今はナイルが母親に症状についての説明をしているということだったが、一応、先にファーランが問診を装って中に入った。
廊下の角で身を潜めて、俺はつい先ほどのファーランとのやり取りを思い出していた。
『病室にまだ誰か残ってたら、話があるとか適当に言って俺が連れ出すから、
お前はその間に名前に会いに行け。』
『見つかったら、お前もただじゃ済まねぇぞ。』
『ピクシス院長も、この病院の稼ぎ頭はクビに出来ねえよ。』
自信満々に口の端を上げたファーランだったが、クビにはならなくともそれなりの処分は受けることになるかもしれない。
それをお互い分かっていて、今こうしている。
ファーランに迷惑をかけている自覚は嫌というほどにあっても、俺は、名前に会いたかった。
もしも、名前が俺を求めているのなら、そばにいてやりたかった。
少しすると、ファーランがジャンとおかっぱ頭の若い女を連れて病室を出て来た。
着物姿なのを見ると、あれはたぶん、名前の妹だろう。
妹を連れて病室を離れて行くファーランがチラリ振り返り俺を見ると、病室へ行けと目で合図を寄越した。
小さく頷いて、俺は足音を立てずに病室の前に立った。
そっと扉を開けると、ふわりと懐かしい香りに包まれた。
広い部屋と大きなソファ、大きな窓から見える庭の綺麗な緑。
豪華な病室は、あの頃と何も変わらない。
まるで、0時を指した時計の針が反対に動いて、もう一度、魔法の世界に戻ってきたみたいだった。
奥にあるベッドの窓辺で、白いカーテンが風に揺れてハラハラと靡いていた。
緊張しながら、ゆっくりと歩み寄る。
眠っていたのは、少女から大人の女性へと成長した名前だった。
閉じた瞼の下で重たく長い睫毛が、窓から差す太陽の光でキラキラと揺れてとても綺麗だった。
あの頃もそうしていたように、ベッド脇の椅子に腰をおろした俺は、眠る名前の頬にそっと触れた。
柔らかい温もりが心の奥に沁みこんで、必死に押さえ込もうとしていた愛おしさが溢れた。
会いたかった、どうしようもなく―。
愛しているのだ、狂おしいほど―。
「名前…。」
気付けば、愛おしい名前が唇から零れていた。
真夜中、記憶を失くしたはずの名前が、どんな気持ちで俺の名前を呼んだのかと思うと、胸が張り裂けそうだった。
「…い、て…。」
名前の唇が僅かに動いた。
驚いた俺は、起きたのかと思って声をかけたが、反応はなかった。
寝言だったのかもしれない。
でも、眠る名前は眉尻を下げてとてもツラそうな表情で、僅かに唇を開いたり閉じたりしていた。
「どうした?」
頬を撫でながら、俺にできる限りの優しい声色で訊ねた。
それが聞こえたのかは分からない。
でも、名前はまるで答えるように、俺に声を聞かせてくれた。
「そ、ばに…、いて…。」
「あぁ、そばにいる。ずっと、そばにいるから。」
俺はベッドの中に隠れていた名前の細く小さな手を握りしめた。
強く握れば、名前の手もギュッと握り返した。
安心したのか、緩んだように見えた頬が愛おしかった。
もう、離さない。
そばにいる、ずっと、どんなときもー。
名前がもう二度と、俺を探して泣かなくてもいいようにー。
頬に手を添えて、唇を重ねた。
そっと唇が離れても、俺は頬を撫で続けた。
「わ、すれた、くない…。」
掠れた声が紡いだのは、そんな切ないくらいに胸が痛くなる願いだった。
眠る名前の瞳から、涙が一粒だけ零れた。
そして、それは、一筋の希望が落ちていくように、名前の頬を流れて消えた。
夢の中でさえも、記憶がなくなる不安に襲われている名前の儚い寝顔に胸が締め付けられた。
「忘れられてもいい。俺が誰か分からなくなってもいい。
想い出もいらないんだ。名前さえ、いてくれたら、俺はー。」
涙を拭ってやろうとした時だった。病室の扉が勢いよく開いた。
振り向いた俺に見えたのは、ファーランの制止を振り切って病室に飛び込んできたナイルだった。
バルコニーを改装した庭まである超豪華な病室だ。
子供の頃と同じように、名前はそこに入院していた。
今はナイルが母親に症状についての説明をしているということだったが、一応、先にファーランが問診を装って中に入った。
廊下の角で身を潜めて、俺はつい先ほどのファーランとのやり取りを思い出していた。
『病室にまだ誰か残ってたら、話があるとか適当に言って俺が連れ出すから、
お前はその間に名前に会いに行け。』
『見つかったら、お前もただじゃ済まねぇぞ。』
『ピクシス院長も、この病院の稼ぎ頭はクビに出来ねえよ。』
自信満々に口の端を上げたファーランだったが、クビにはならなくともそれなりの処分は受けることになるかもしれない。
それをお互い分かっていて、今こうしている。
ファーランに迷惑をかけている自覚は嫌というほどにあっても、俺は、名前に会いたかった。
もしも、名前が俺を求めているのなら、そばにいてやりたかった。
少しすると、ファーランがジャンとおかっぱ頭の若い女を連れて病室を出て来た。
着物姿なのを見ると、あれはたぶん、名前の妹だろう。
妹を連れて病室を離れて行くファーランがチラリ振り返り俺を見ると、病室へ行けと目で合図を寄越した。
小さく頷いて、俺は足音を立てずに病室の前に立った。
そっと扉を開けると、ふわりと懐かしい香りに包まれた。
広い部屋と大きなソファ、大きな窓から見える庭の綺麗な緑。
豪華な病室は、あの頃と何も変わらない。
まるで、0時を指した時計の針が反対に動いて、もう一度、魔法の世界に戻ってきたみたいだった。
奥にあるベッドの窓辺で、白いカーテンが風に揺れてハラハラと靡いていた。
緊張しながら、ゆっくりと歩み寄る。
眠っていたのは、少女から大人の女性へと成長した名前だった。
閉じた瞼の下で重たく長い睫毛が、窓から差す太陽の光でキラキラと揺れてとても綺麗だった。
あの頃もそうしていたように、ベッド脇の椅子に腰をおろした俺は、眠る名前の頬にそっと触れた。
柔らかい温もりが心の奥に沁みこんで、必死に押さえ込もうとしていた愛おしさが溢れた。
会いたかった、どうしようもなく―。
愛しているのだ、狂おしいほど―。
「名前…。」
気付けば、愛おしい名前が唇から零れていた。
真夜中、記憶を失くしたはずの名前が、どんな気持ちで俺の名前を呼んだのかと思うと、胸が張り裂けそうだった。
「…い、て…。」
名前の唇が僅かに動いた。
驚いた俺は、起きたのかと思って声をかけたが、反応はなかった。
寝言だったのかもしれない。
でも、眠る名前は眉尻を下げてとてもツラそうな表情で、僅かに唇を開いたり閉じたりしていた。
「どうした?」
頬を撫でながら、俺にできる限りの優しい声色で訊ねた。
それが聞こえたのかは分からない。
でも、名前はまるで答えるように、俺に声を聞かせてくれた。
「そ、ばに…、いて…。」
「あぁ、そばにいる。ずっと、そばにいるから。」
俺はベッドの中に隠れていた名前の細く小さな手を握りしめた。
強く握れば、名前の手もギュッと握り返した。
安心したのか、緩んだように見えた頬が愛おしかった。
もう、離さない。
そばにいる、ずっと、どんなときもー。
名前がもう二度と、俺を探して泣かなくてもいいようにー。
頬に手を添えて、唇を重ねた。
そっと唇が離れても、俺は頬を撫で続けた。
「わ、すれた、くない…。」
掠れた声が紡いだのは、そんな切ないくらいに胸が痛くなる願いだった。
眠る名前の瞳から、涙が一粒だけ零れた。
そして、それは、一筋の希望が落ちていくように、名前の頬を流れて消えた。
夢の中でさえも、記憶がなくなる不安に襲われている名前の儚い寝顔に胸が締め付けられた。
「忘れられてもいい。俺が誰か分からなくなってもいい。
想い出もいらないんだ。名前さえ、いてくれたら、俺はー。」
涙を拭ってやろうとした時だった。病室の扉が勢いよく開いた。
振り向いた俺に見えたのは、ファーランの制止を振り切って病室に飛び込んできたナイルだった。