◇68ページ◇別世界
Name change
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茶道の家元である白鹿邸の茶室には、素人が見ても普通とは違うと分かる上質な畳が綺麗に並べられていた。
壁に飾ってある掛け軸は、よく分からないけれど立派なものなのだと思う。
俺と向かい合って正座をして座った名前の母親は、白く細い綺麗な指でお茶をたてていた。
作法なんてものは全く分からないけれど、彼女の凛とした一挙手一投足がとても美しく見えた。
これが、本物の茶道なのか。
きっと、普通なら一生見ることもない贅沢なものなのだ。
「どうぞ。」
名前の母親は、すっと茶碗を手前に差し出した。
出されたものは飲むのが礼儀なのだろうが、茶道の作法なんて俺は知らない。
「…悪い。俺は作法も何も分からねぇから、必要ない。」
伸ばそうか悩んだ手を膝の上に置いたままで、俺は首を横に振った。
失礼を承知で断った俺に、名前の母親は嫌な顔ひとつせずに、優しい声色で、それでも勧めて来た。
「茶道で一番大切なことは、作法よりも、お客様をもてなす心だと思っております。
大切なお客様であるリヴァイ先生のために、心を込めてお茶をたてさせて頂きました。
どうぞ、作法なんてつまらないものはお気になさらず、手に取ってくださいませ。」
「…分かった。」
これ以上断るのも気が引けて、俺はおずおずと茶碗に手を伸ばした。
俺の知っている茶碗とは全く違うそれを両手で包んで、口をつけた。
どうせ苦くて不味いのだろうと思いながら、茶を喉に流し込んだ俺は、その美味さに衝撃を受けた。
「美味い…。」
茶碗から離れた口からは、無意識に心の声が漏れていた。
「よかったです。」
呟くようなソレが聞こえたらしい名前の母親は、とても嬉しそうに微笑んだ。
涼しげな目元が印象的な凛とした美人である母親に比べて、名前はどちらかというと大きな瞳が可愛らしいふわりとした印象を持たれる美人だ。
あまり似ていないと思っていたけれど、嬉しそうに頬を緩めた笑みが名前とすごく似ていて、やはり母娘なのだと実感した。
お茶を飲み終わる頃、先に名前の名前を出したのは、母親の方だった。
「何か月も、娘のことをリヴァイ先生に任せきりで
ご挨拶も出来ずに、大変申し訳ございませんでした。
名前はちゃんとしていましたか?ご迷惑をおかけすることはありませんでした?」
「いや、むしろ、俺の方が支えられて助けられた。
名前は、掃除も洗濯も完璧で、料理も美味かった。」
「そうですか。」
母親はまた嬉しそうに頬を緩めると、退院した日からずっと、屋敷にいる使用人や料理人達に、掃除や洗濯、料理の特訓をしてもらっていたのだと教えてくれた。
そして、知識と教養を身に着けるためだからと、妹が通った中・高一貫のエスカレーター式の学校へは通わず、難関の私立中学に入学して、勉学にも励んでいたのだと誇らしげに話した。
「再会した名前は、リヴァイ先生の理想の女になれていましたか?」
「あぁ。理想以上で、俺にはもったいないくらいだといつも思ってた。
今も、思ってる。」
「そう言って頂けると、名前も努力した甲斐がありました。」
母親はホッとしたようにそう言った後、名前が消えたあの大雨の日に何があったのかを教えてくれた。
「雷の音が引き金になったのかは分かりません。
でも、あの娘は、子供の頃から雷を怖がっていましたから
何か感じるものがあったのかもしれないと、今となっては思うのですー。」
あの日、雷鳴が鳴り響く中、激しい頭痛が名前を襲った。
それがただの頭痛とは違うことにすぐに気が付いた名前は、最初に幼馴染のジャンに連絡をした。
ジャンは、大昔から白鹿家に護衛として仕えている家系の子息で、今でも名前の友人であり、ボディーガードだった。
何かあれば、まずは必ずジャンに連絡をするようにと、俺の家に押しかけると決めたときから、約束をしていたのだそうだ。
息苦しそうな名前からの連絡で状況を察したジャンが、救急車の手配と俺の家から名前の存在した痕跡をひとつ残らず消すように白鹿家の使用人達に指示を出したらしかった。
名前が、もうサヨナラだと俺に電話をしたのは、その後だったようだ。
「リヴァイさんには、とても驚かせて、ショックを受けさせてしまったと私共も承知しております。
あの娘の代わりに、私から謝らせてください。本当に申し訳ございませんでした。
でも、名前なりにリヴァイさんの為を思ってしたことだったことだけは、分かってあげてください。」
母親は、正座をしたままで深く頭を下げた。
そして、彼女がゆっくりと顔を上げてから、俺は訊ねた。
「名前は今、元気にしてるのか。」
「はい、お陰様で。リヴァイ先生が作ってくださった点滴薬は小児用でございましたので、
それを元にエルヴィン先生が新しくお薬を調合してくださいまして、
過去の記憶は戻らないままですが、新しい記憶なら定着出来るようになりました。」
母親は安心したような顔をして教えてくれた。
ただ、薬に抵抗が出来ている名前の身体には、エルヴィンが新しく作った薬だけではまだ不安定なようで、数日前のことをすっかり忘れているー、というようなことは少なからずあるようだ。
それでも、家族や友人のことは覚えていて、とりあえず、何も不自由なく生活できていると聞いて、俺も安心した。
「俺は今日、名前との約束を守るためにここまで来た。
約束通り、会いに来てくれた名前を、今度は俺に迎えに行かせてほしい。」
「…それは、出来ません。」
これまで友好的に話しをしていた母親に拒絶されて、俺は少なからず驚いた。
どうしてー。
そう訊ねようとしたときだった。
茶室の向こうにある縁側が、騒がしくなった。
「この俺様を散々待たせて、結局自分だけ先に行ってるってどういうことだ。」
「まぁまぁ、それが類だから。」
「ていうか、まだ春だってのに、海に行きたいとか言い出したの誰だよ。」
「そういうのは大抵、道明寺だから。」
数人の足音と一緒に、男女の声が聞こえていた。
親し気な楽しい友人同士のやりとりは、段々とこの茶室に近づいていた。
「腰が痛い~。歩けないぃぃ~。おんぶして~。」
「だから降りて来いって言ったのに、猿みたいに木に登るからだろ。
俺の言うこと聞かなかった罰だと思って、頑張って歩きなさい。」
「つくしぃぃぃ~、総ちゃんが意地悪するぅぅう~。
代わりにおんぶして~。」
「はいはい。」
楽しそうな声の向こうに聞こえた情けない弱々しいそれは、ずっと恋焦がれた名前の声だった。
俺と同時に、その声の主に気づいた母親がハッとした顔で止めようとしたのが視線の端に見えた。
でも、俺はもう立ち上がって走っていた。
「名前!!」
勢いよく襖を開いた。
壁に飾ってある掛け軸は、よく分からないけれど立派なものなのだと思う。
俺と向かい合って正座をして座った名前の母親は、白く細い綺麗な指でお茶をたてていた。
作法なんてものは全く分からないけれど、彼女の凛とした一挙手一投足がとても美しく見えた。
これが、本物の茶道なのか。
きっと、普通なら一生見ることもない贅沢なものなのだ。
「どうぞ。」
名前の母親は、すっと茶碗を手前に差し出した。
出されたものは飲むのが礼儀なのだろうが、茶道の作法なんて俺は知らない。
「…悪い。俺は作法も何も分からねぇから、必要ない。」
伸ばそうか悩んだ手を膝の上に置いたままで、俺は首を横に振った。
失礼を承知で断った俺に、名前の母親は嫌な顔ひとつせずに、優しい声色で、それでも勧めて来た。
「茶道で一番大切なことは、作法よりも、お客様をもてなす心だと思っております。
大切なお客様であるリヴァイ先生のために、心を込めてお茶をたてさせて頂きました。
どうぞ、作法なんてつまらないものはお気になさらず、手に取ってくださいませ。」
「…分かった。」
これ以上断るのも気が引けて、俺はおずおずと茶碗に手を伸ばした。
俺の知っている茶碗とは全く違うそれを両手で包んで、口をつけた。
どうせ苦くて不味いのだろうと思いながら、茶を喉に流し込んだ俺は、その美味さに衝撃を受けた。
「美味い…。」
茶碗から離れた口からは、無意識に心の声が漏れていた。
「よかったです。」
呟くようなソレが聞こえたらしい名前の母親は、とても嬉しそうに微笑んだ。
涼しげな目元が印象的な凛とした美人である母親に比べて、名前はどちらかというと大きな瞳が可愛らしいふわりとした印象を持たれる美人だ。
あまり似ていないと思っていたけれど、嬉しそうに頬を緩めた笑みが名前とすごく似ていて、やはり母娘なのだと実感した。
お茶を飲み終わる頃、先に名前の名前を出したのは、母親の方だった。
「何か月も、娘のことをリヴァイ先生に任せきりで
ご挨拶も出来ずに、大変申し訳ございませんでした。
名前はちゃんとしていましたか?ご迷惑をおかけすることはありませんでした?」
「いや、むしろ、俺の方が支えられて助けられた。
名前は、掃除も洗濯も完璧で、料理も美味かった。」
「そうですか。」
母親はまた嬉しそうに頬を緩めると、退院した日からずっと、屋敷にいる使用人や料理人達に、掃除や洗濯、料理の特訓をしてもらっていたのだと教えてくれた。
そして、知識と教養を身に着けるためだからと、妹が通った中・高一貫のエスカレーター式の学校へは通わず、難関の私立中学に入学して、勉学にも励んでいたのだと誇らしげに話した。
「再会した名前は、リヴァイ先生の理想の女になれていましたか?」
「あぁ。理想以上で、俺にはもったいないくらいだといつも思ってた。
今も、思ってる。」
「そう言って頂けると、名前も努力した甲斐がありました。」
母親はホッとしたようにそう言った後、名前が消えたあの大雨の日に何があったのかを教えてくれた。
「雷の音が引き金になったのかは分かりません。
でも、あの娘は、子供の頃から雷を怖がっていましたから
何か感じるものがあったのかもしれないと、今となっては思うのですー。」
あの日、雷鳴が鳴り響く中、激しい頭痛が名前を襲った。
それがただの頭痛とは違うことにすぐに気が付いた名前は、最初に幼馴染のジャンに連絡をした。
ジャンは、大昔から白鹿家に護衛として仕えている家系の子息で、今でも名前の友人であり、ボディーガードだった。
何かあれば、まずは必ずジャンに連絡をするようにと、俺の家に押しかけると決めたときから、約束をしていたのだそうだ。
息苦しそうな名前からの連絡で状況を察したジャンが、救急車の手配と俺の家から名前の存在した痕跡をひとつ残らず消すように白鹿家の使用人達に指示を出したらしかった。
名前が、もうサヨナラだと俺に電話をしたのは、その後だったようだ。
「リヴァイさんには、とても驚かせて、ショックを受けさせてしまったと私共も承知しております。
あの娘の代わりに、私から謝らせてください。本当に申し訳ございませんでした。
でも、名前なりにリヴァイさんの為を思ってしたことだったことだけは、分かってあげてください。」
母親は、正座をしたままで深く頭を下げた。
そして、彼女がゆっくりと顔を上げてから、俺は訊ねた。
「名前は今、元気にしてるのか。」
「はい、お陰様で。リヴァイ先生が作ってくださった点滴薬は小児用でございましたので、
それを元にエルヴィン先生が新しくお薬を調合してくださいまして、
過去の記憶は戻らないままですが、新しい記憶なら定着出来るようになりました。」
母親は安心したような顔をして教えてくれた。
ただ、薬に抵抗が出来ている名前の身体には、エルヴィンが新しく作った薬だけではまだ不安定なようで、数日前のことをすっかり忘れているー、というようなことは少なからずあるようだ。
それでも、家族や友人のことは覚えていて、とりあえず、何も不自由なく生活できていると聞いて、俺も安心した。
「俺は今日、名前との約束を守るためにここまで来た。
約束通り、会いに来てくれた名前を、今度は俺に迎えに行かせてほしい。」
「…それは、出来ません。」
これまで友好的に話しをしていた母親に拒絶されて、俺は少なからず驚いた。
どうしてー。
そう訊ねようとしたときだった。
茶室の向こうにある縁側が、騒がしくなった。
「この俺様を散々待たせて、結局自分だけ先に行ってるってどういうことだ。」
「まぁまぁ、それが類だから。」
「ていうか、まだ春だってのに、海に行きたいとか言い出したの誰だよ。」
「そういうのは大抵、道明寺だから。」
数人の足音と一緒に、男女の声が聞こえていた。
親し気な楽しい友人同士のやりとりは、段々とこの茶室に近づいていた。
「腰が痛い~。歩けないぃぃ~。おんぶして~。」
「だから降りて来いって言ったのに、猿みたいに木に登るからだろ。
俺の言うこと聞かなかった罰だと思って、頑張って歩きなさい。」
「つくしぃぃぃ~、総ちゃんが意地悪するぅぅう~。
代わりにおんぶして~。」
「はいはい。」
楽しそうな声の向こうに聞こえた情けない弱々しいそれは、ずっと恋焦がれた名前の声だった。
俺と同時に、その声の主に気づいた母親がハッとした顔で止めようとしたのが視線の端に見えた。
でも、俺はもう立ち上がって走っていた。
「名前!!」
勢いよく襖を開いた。