美しい月よ、臆病な心を守って
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しばらく甘い香りのする胸元の温もりに包まれた後、私はナナバさんに促されて、噴水の縁に戻って来ていた。
あの夜のように隣に並んで座って、私は最初に、ポツリ、と小さな声で謝った。
それは、あの日、勝手に怯えて逃げたことと、今夜、我儘に抱きついてしまったこと、すべてに対してだった。
でも、ナナバさんは、気にしなくていいよ、と優しく微笑む。
その暖かい優しさに、私は胸がキュッと締め付けられる。
肩にかけてくれた兵団ジャケットを握りしめて、私はもう一度、勇気を出して口を開いた。
「あの後、手紙を頂いたのに、お返事を出さないままで
本当にごめんなさい。」
「いいんだよ。返事が欲しくて、君に手紙を送ったわけじゃないから。」
「…違うんです。私…、手紙の封すら、開けてないんです。」
「そっか。…君を傷つけたのは、私だ。
だから謝らなくていい。
嫌われても仕方がないことをしたのも、私の方だから。」
本当に申し訳なく思っている、とナナバさんは心の底から反省した様子で謝る。
胸が、張り裂けそうだった。
だって、ナナバさんは何も悪くないことを知っているのは、私だけなのに、その私が、ナナバさんを悪者にしたまま逃げていたのだ。
だから私は、必死に首を横に振りながら、正直になる覚悟を決めた。
「手紙の封を開けられなかったのは、怖かったからなんです…。」
「怖かった?私が怒ってると思ってたの?」
「そうではなくて…っ。
あんな風に、一方的に拒絶して逃げてしまったから…
呆れられてしまっていたらどうしようって…。」
あの夜、私が自分勝手にナナバさんを拒絶したことで、私達は会わなくなった。
私達は、友人でもなければ、恋人同士でもなかったけれど、あれは私とナナバさんの別れではあった。
実際、あれが私達の最後で、あれから私達は会うこともなかったのだ。
それでも私は、ナナバさんとの別れを受け入れたくなかった。
手紙の内容が謝罪だろうが、怒りだろうが、私がそれに返事を出すことで、私達は、曖昧で不安定ながらも確かに築いた関係を今後どうするのかを決めなければならなかった。
怖かったのだ。
今度こそ本当に、ナナバさんとお別れをしなければならなくなることが、怖くて仕方がなかった。
だって———。
「あの日、ナナバさんの気持ちを知れて、本当は嬉しかったんです。
すごく…、凄く嬉しくて、そしたら、急に不安になってしまって…。」
ナナバさんの気持ちを疑ったわけではない。
私達は沢山の時間を共有したわけではないけれど、手紙での丁寧で心のこもった文字や言葉、時間を見つけては会いに来てくれたナナバさんの優しさから、真面目で真っすぐな人柄や誠実さを、私はちゃんと感じていたし、分かっていた。
ナナバさんが愛を言葉にすれば、きっとそれは真実だろうし、自分の言動には責任を持てる人だ。
だから私は、信じても良かったはずだし、信じるべきだった。
でも、一度割れたガラスは、繋ぎ合わせたところで、脆く壊れやすくなってしまうのと同じように、名家出身の私を利用して地位を手に入れようとする男の人達や、恋人がいるのに私に偽物の愛を誓う男の人との出逢いで、私の心はもう粉々だった。
それを何度も必死に繋ぎ合わせてきた心が、壊れやすくなっていたところで、漸く出逢えたかもしれなかった信じられる人が、ナナバさんだった。
でも私にはもう、誰かを信じる心の強さも、勇気もなく、小さな擦り傷さえも命取りになってしまうくらいに、傷つきやすくなっていたのだ。
突然に拒絶されて、傷つけられたナナバさんにとっては、そんなの身勝手な言い訳にしか聞こえないだろう。
勝手なことを言っているのは分かっている。
これから、自分がどれほど勝手なことを言おうとしているのかも、嫌というほどに、理解しているのだ。
でも、もう言わずにはいられない。黙っては、いられないのだ。
だって、私は———。
本当は私———。
「もう二度と傷つかないようにするためには、愛のない結婚をするしかないと思ったんです…。
でも、婚約者と呼ぶ人の隣にいても、ナナバさんのことばかり思い出して、
自分の気持ちに嘘を吐くのは傷つくよりもずっと、ずっと苦しくて、悲しくて…っ。
私、本当はまだ、ナナバさんのことを————。」
「今夜のパーティーの警備は、憲兵の仕事だったんだ。」
ただじっと、私の話に耳を傾けてくれるのが、ナナバさんだった。
今夜もそうだったのに、いきなり言葉を遮るように話を始めたのはナナバさんらしくなくて、そしてとても驚いた。
私が何を言おうとしたのかが分かって、聞きたくないと思ったのだろうか。
ミシミシと音を立てて、傷を広げようとしている心を誤魔化すように、私は、肩にかかるナナバさんの兵団ジャケットを握る。
「それなのに、どうして今夜、私が兵団服を着てここにいると思う?」
「…いえ、兵団のお仕事のことは、よく分からないので…。」
困ったように答えれば、ナナバさんは可笑しそうにクスリと笑った。
そして、悪戯っ子のように口の端を上げて、教えてくれる。
「ナイル師団長にね、ちょっとした借りがあるんだよ。」
「借り、ですか?」
「それを、この機会に返してもらおうと思って、
憲兵の仕事に私を混ぜて貰ったんだ。」
「はぁ…。そう、ですか。」
借りを返してもらうのなら、もっと有意義なことに使えばいいのに———、そう思いながら、曖昧に返事をした。
なぜ、わざわざ仕事を増やすようなことをしたのか、私には分からなかったのだ。
それを知ってか知らずか、ナナバさんは、悪戯っ子のような笑みを浮かべたままで、続ける。
「私達の敵が巨人ではなく世界だと分かった今でも、
しつこく自由を勝ち取ろうとしてしまう調査兵だからさ、私は。
諦めが悪いんだ。」
しかも、ものすごくね———。
私の方を向いていたナナバさんの柔らかい印象の綺麗な瞳が、細く薄められる。
微笑むともまた違うその表情は、どこか色っぽくて女性的で、でも、ドキリとするほどの男の色気に満ちていた。
「ずっと、なまえが欲しかった。なまえが知るよりもずっと前から、
私はなまえに惹かれていたんだ。」
ナナバさんの細く綺麗な指が、私の髪を優しく撫でる。
それはゆっくりと落ちていった。耳、頬、首、そして、肩にかけられた兵団ジャケットに触れて、ナナバさんは、悲しそうに眉尻を下げる。
「なまえが初めて会ったと思ってる夜。
あの日、本当は、君を探してたんだ。」
「私を?」
「ずっと片想いをしてた娘の恋人だったはずの羨ましい男がさ、
間抜けな顔をして、他の女性と一緒にいることに気がついたから。」
「…あ、」
「やっと見つけたなまえは悲しそうに月を見てた。
いつもあの男を見つめてた綺麗な瞳で、寂しそうに、月を見上げてたんだ。」
ナナバさんが、私の目元にそっと触れた。
あの夜、ナナバさんに出逢えたことは、偶然がもたらしてくれた奇跡なのだと思っていた。
都合よく、運命の出逢いだったんだと願ったこともあった。
でも、今、私は、それが運命の出逢いだったと神様に教えて貰うよりもずっと、胸がいっぱいになっている。
あぁ、いつから、ナナバさんは、私の幸せを見守ってくれていたのだろう。
どんな風に、私に恋焦がれてくれていたのだろう。
少しだけ、もっと早く出逢えていたらと思ってしまった。
そうすれば、私の心はきっと、割れたガラスのように脆く、臆病になることもなかったはずなのに———。
「私だけを見てくれれば、そんな悲しい思いはさせないのにって
悔しくて仕方がなかった。
だから、今度こそは、私が君を守ると、あの夜に誓ったんだ。」
その気持ちは、今も変わらない———ナナバさんはそこまで言うと、一旦、言葉を切る。
見つめ合う視線は、もう永遠に離れることはないんじゃないかと信じてしまうくらいに、熱く絡み合っていた。
あぁ、私はその続きを待ち焦がれる。
いつだって、ナナバさんの声が言葉を紡ぐとき、それは私の心を守り、愛で包まれる幸せな時間だった。
私はもう、ナナバさんの言葉からも、気持ちからも、逃げたくない。
だって、私の愛する人は、絶対に、私を裏切らない人だから———。
「私は今夜、なまえを婚約者から奪うためにここへ来た。
必ず、幸せにするよ。私は君の為に生きて、君の為に死ぬ。
だから、今すぐに私に攫われてくれ。」
私の為だけに、私が自分勝手に告げるべきだった言葉を奪ってくれる気遣いが、どれほどの優しい愛を注いでくれているのかを教えてくれる。
これからの人生、この愛に包まれていれば、私の心はもう二度と小さなヒビさえ入ることをないに違いない。
私はもう、差し伸ばされた手のすべてを、心から信じている。
不思議ね、あの夜よりもたくさんのしがらみがあるはずなのに
『イエス』と答えた私にはもう、未来への希望しかなかったの
私は、あの夜のように、ただひたすらに月を見上げていた。
暗闇の中で、堂々と輝き、淡く優しく光で包んでくれる美しい月だ。
だから、私はもう二度と、独りぼっちにはならない。
どんな闇が訪れようとも、私の為だけに輝く月が、そばにいてくれるから。
あの夜のように隣に並んで座って、私は最初に、ポツリ、と小さな声で謝った。
それは、あの日、勝手に怯えて逃げたことと、今夜、我儘に抱きついてしまったこと、すべてに対してだった。
でも、ナナバさんは、気にしなくていいよ、と優しく微笑む。
その暖かい優しさに、私は胸がキュッと締め付けられる。
肩にかけてくれた兵団ジャケットを握りしめて、私はもう一度、勇気を出して口を開いた。
「あの後、手紙を頂いたのに、お返事を出さないままで
本当にごめんなさい。」
「いいんだよ。返事が欲しくて、君に手紙を送ったわけじゃないから。」
「…違うんです。私…、手紙の封すら、開けてないんです。」
「そっか。…君を傷つけたのは、私だ。
だから謝らなくていい。
嫌われても仕方がないことをしたのも、私の方だから。」
本当に申し訳なく思っている、とナナバさんは心の底から反省した様子で謝る。
胸が、張り裂けそうだった。
だって、ナナバさんは何も悪くないことを知っているのは、私だけなのに、その私が、ナナバさんを悪者にしたまま逃げていたのだ。
だから私は、必死に首を横に振りながら、正直になる覚悟を決めた。
「手紙の封を開けられなかったのは、怖かったからなんです…。」
「怖かった?私が怒ってると思ってたの?」
「そうではなくて…っ。
あんな風に、一方的に拒絶して逃げてしまったから…
呆れられてしまっていたらどうしようって…。」
あの夜、私が自分勝手にナナバさんを拒絶したことで、私達は会わなくなった。
私達は、友人でもなければ、恋人同士でもなかったけれど、あれは私とナナバさんの別れではあった。
実際、あれが私達の最後で、あれから私達は会うこともなかったのだ。
それでも私は、ナナバさんとの別れを受け入れたくなかった。
手紙の内容が謝罪だろうが、怒りだろうが、私がそれに返事を出すことで、私達は、曖昧で不安定ながらも確かに築いた関係を今後どうするのかを決めなければならなかった。
怖かったのだ。
今度こそ本当に、ナナバさんとお別れをしなければならなくなることが、怖くて仕方がなかった。
だって———。
「あの日、ナナバさんの気持ちを知れて、本当は嬉しかったんです。
すごく…、凄く嬉しくて、そしたら、急に不安になってしまって…。」
ナナバさんの気持ちを疑ったわけではない。
私達は沢山の時間を共有したわけではないけれど、手紙での丁寧で心のこもった文字や言葉、時間を見つけては会いに来てくれたナナバさんの優しさから、真面目で真っすぐな人柄や誠実さを、私はちゃんと感じていたし、分かっていた。
ナナバさんが愛を言葉にすれば、きっとそれは真実だろうし、自分の言動には責任を持てる人だ。
だから私は、信じても良かったはずだし、信じるべきだった。
でも、一度割れたガラスは、繋ぎ合わせたところで、脆く壊れやすくなってしまうのと同じように、名家出身の私を利用して地位を手に入れようとする男の人達や、恋人がいるのに私に偽物の愛を誓う男の人との出逢いで、私の心はもう粉々だった。
それを何度も必死に繋ぎ合わせてきた心が、壊れやすくなっていたところで、漸く出逢えたかもしれなかった信じられる人が、ナナバさんだった。
でも私にはもう、誰かを信じる心の強さも、勇気もなく、小さな擦り傷さえも命取りになってしまうくらいに、傷つきやすくなっていたのだ。
突然に拒絶されて、傷つけられたナナバさんにとっては、そんなの身勝手な言い訳にしか聞こえないだろう。
勝手なことを言っているのは分かっている。
これから、自分がどれほど勝手なことを言おうとしているのかも、嫌というほどに、理解しているのだ。
でも、もう言わずにはいられない。黙っては、いられないのだ。
だって、私は———。
本当は私———。
「もう二度と傷つかないようにするためには、愛のない結婚をするしかないと思ったんです…。
でも、婚約者と呼ぶ人の隣にいても、ナナバさんのことばかり思い出して、
自分の気持ちに嘘を吐くのは傷つくよりもずっと、ずっと苦しくて、悲しくて…っ。
私、本当はまだ、ナナバさんのことを————。」
「今夜のパーティーの警備は、憲兵の仕事だったんだ。」
ただじっと、私の話に耳を傾けてくれるのが、ナナバさんだった。
今夜もそうだったのに、いきなり言葉を遮るように話を始めたのはナナバさんらしくなくて、そしてとても驚いた。
私が何を言おうとしたのかが分かって、聞きたくないと思ったのだろうか。
ミシミシと音を立てて、傷を広げようとしている心を誤魔化すように、私は、肩にかかるナナバさんの兵団ジャケットを握る。
「それなのに、どうして今夜、私が兵団服を着てここにいると思う?」
「…いえ、兵団のお仕事のことは、よく分からないので…。」
困ったように答えれば、ナナバさんは可笑しそうにクスリと笑った。
そして、悪戯っ子のように口の端を上げて、教えてくれる。
「ナイル師団長にね、ちょっとした借りがあるんだよ。」
「借り、ですか?」
「それを、この機会に返してもらおうと思って、
憲兵の仕事に私を混ぜて貰ったんだ。」
「はぁ…。そう、ですか。」
借りを返してもらうのなら、もっと有意義なことに使えばいいのに———、そう思いながら、曖昧に返事をした。
なぜ、わざわざ仕事を増やすようなことをしたのか、私には分からなかったのだ。
それを知ってか知らずか、ナナバさんは、悪戯っ子のような笑みを浮かべたままで、続ける。
「私達の敵が巨人ではなく世界だと分かった今でも、
しつこく自由を勝ち取ろうとしてしまう調査兵だからさ、私は。
諦めが悪いんだ。」
しかも、ものすごくね———。
私の方を向いていたナナバさんの柔らかい印象の綺麗な瞳が、細く薄められる。
微笑むともまた違うその表情は、どこか色っぽくて女性的で、でも、ドキリとするほどの男の色気に満ちていた。
「ずっと、なまえが欲しかった。なまえが知るよりもずっと前から、
私はなまえに惹かれていたんだ。」
ナナバさんの細く綺麗な指が、私の髪を優しく撫でる。
それはゆっくりと落ちていった。耳、頬、首、そして、肩にかけられた兵団ジャケットに触れて、ナナバさんは、悲しそうに眉尻を下げる。
「なまえが初めて会ったと思ってる夜。
あの日、本当は、君を探してたんだ。」
「私を?」
「ずっと片想いをしてた娘の恋人だったはずの羨ましい男がさ、
間抜けな顔をして、他の女性と一緒にいることに気がついたから。」
「…あ、」
「やっと見つけたなまえは悲しそうに月を見てた。
いつもあの男を見つめてた綺麗な瞳で、寂しそうに、月を見上げてたんだ。」
ナナバさんが、私の目元にそっと触れた。
あの夜、ナナバさんに出逢えたことは、偶然がもたらしてくれた奇跡なのだと思っていた。
都合よく、運命の出逢いだったんだと願ったこともあった。
でも、今、私は、それが運命の出逢いだったと神様に教えて貰うよりもずっと、胸がいっぱいになっている。
あぁ、いつから、ナナバさんは、私の幸せを見守ってくれていたのだろう。
どんな風に、私に恋焦がれてくれていたのだろう。
少しだけ、もっと早く出逢えていたらと思ってしまった。
そうすれば、私の心はきっと、割れたガラスのように脆く、臆病になることもなかったはずなのに———。
「私だけを見てくれれば、そんな悲しい思いはさせないのにって
悔しくて仕方がなかった。
だから、今度こそは、私が君を守ると、あの夜に誓ったんだ。」
その気持ちは、今も変わらない———ナナバさんはそこまで言うと、一旦、言葉を切る。
見つめ合う視線は、もう永遠に離れることはないんじゃないかと信じてしまうくらいに、熱く絡み合っていた。
あぁ、私はその続きを待ち焦がれる。
いつだって、ナナバさんの声が言葉を紡ぐとき、それは私の心を守り、愛で包まれる幸せな時間だった。
私はもう、ナナバさんの言葉からも、気持ちからも、逃げたくない。
だって、私の愛する人は、絶対に、私を裏切らない人だから———。
「私は今夜、なまえを婚約者から奪うためにここへ来た。
必ず、幸せにするよ。私は君の為に生きて、君の為に死ぬ。
だから、今すぐに私に攫われてくれ。」
私の為だけに、私が自分勝手に告げるべきだった言葉を奪ってくれる気遣いが、どれほどの優しい愛を注いでくれているのかを教えてくれる。
これからの人生、この愛に包まれていれば、私の心はもう二度と小さなヒビさえ入ることをないに違いない。
私はもう、差し伸ばされた手のすべてを、心から信じている。
不思議ね、あの夜よりもたくさんのしがらみがあるはずなのに
『イエス』と答えた私にはもう、未来への希望しかなかったの
私は、あの夜のように、ただひたすらに月を見上げていた。
暗闇の中で、堂々と輝き、淡く優しく光で包んでくれる美しい月だ。
だから、私はもう二度と、独りぼっちにはならない。
どんな闇が訪れようとも、私の為だけに輝く月が、そばにいてくれるから。
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