「愛してる」~それは、俺のお気に入りの〝嘘〟だ~
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高くそびえたつ壁の前に立ち、首が痛いほどに見上げた。
でもその向こうは見えない。
それでも俺は、なまえとこの壁のように高く強い絆を築いてきたと信じてる。
今夜、調査兵団の兵舎から彼女を連れ出して、この遠いシガンシナ区の地までやってきたのは、ハンジさん達にとっては俺に任せた大切な〝任務〟であり、俺にとっては人生をかけた大切な〝嘘〟の為だった。
伝えるべき言葉は決まってる。
たぶん、なまえも気づいてる。
だからなのか、すごく緊張して、手に汗が滲むのだ。
こんな手じゃ、なまえの手も握れない。引き留めることは、きっと出来ないだろう。
なまえを見ると、彼女もまた高い壁をじっと見上げていた。
今、彼女は一体何を想っているのだろう。
この壁の中にいる仲間達のことか、それとも、この壁の向こうに想いを馳せているのだろうか。
「俺達は、一生一緒だって言ったこと覚えてるか。
なまえが言ったんだ。」
ゆっくりと口を開いた俺に、なまえはコクリと頷いた。
「俺を想う気持ちは永遠だともって言ったよな。
だから俺達は、地獄みたいな日々を生きながらも、別れることはなかった。」
「うん、そうだね。」
「なら、お前の浮気を疑って喧嘩したのは覚えてるか。」
「さぁ…どうだったかな。浮気なんてしてないから、覚えてないよ。」
「隠れてベルトルトと会ってたことを知って、
アイツとの関係を問いただした俺に、お前は何て言った?」
「分かんないよ。覚えてないって言ったでしょう?
私、ジャンみたいに頭が良くないし、バカだから忘れっぽいの。」
とぼけるなまえに、眉を顰めた俺は、あの日の彼女の言葉をハッキリと告げる。
「お前は、ベルトルトとはただの良い友人だって言ったんだ。
俺もきっと仲良くやれるはずだってな。」
「そうだったかな?」
「シガンシナ区の決戦前日には、憎むべき敵だとも言ってた。
そしてお前は、その通り、あの日、本当にベルトルトを討取った。」
「そうだよ。私は調査兵として、この壁の中に住む人類として、
超大型巨人を許すわけにはいかな…っ、んぐッ。」
まるで、口から生まれたみたいに、スラスラと喋るなまえのシャツの胸元を捻じって持ち上げ、乱暴に壁に押し付けた。
俺の片手で簡単に握られて、締め付けられている細い首筋には、昨晩つけたばかりの愛の痕がしっかりと残っている。
「そうだな。お前はすごく上手かった。そうやって仲間の目をくらまして、
とらえたベルトルトを四足歩行の巨人に奪われたフリをしたんだ。
いつも間抜けなドジをしてたお前の最悪なミスを、誰もわざとだなんて疑いもしなかった。」
「…っ、ん…っぐ…っ。」
「見てたんだよ。お前が、ベルトルトを討取る前に、
アイコンタクトを送ってたのも。四足歩行の巨人が襲ってくる前、
ベルトルトが、お前に何か耳打ちしたのも…!」
言い切った後、抑えきれなかった感情ごとなまえを投げ捨てるように、握りしめていた首を壁に向かって放した。
華奢な身体からは意外なほどに重たい、ドンッという音を立てて、なまえが腰から落ちる。
「コホッ…ッ、ゴホ…ッ、ハッ…ッ。」
自分の首元に手をやって、なまえが苦し気に息を吐くのを、俺は冷めた目で見下ろしていた。
あの日、両親の前で気恥ずかしさを隠してカッコつけてた俺は、4年後、こんなことになるなんて想像もしていなかった。
仲間達も、共に戦うなまえの苦悩を一緒に支えてきた。
俺の両親だって、超大型巨人の襲来によって家族を失ったという悲劇を聞いてから、なまえを自分の娘のように可愛がった。
いつか本当に、娘と呼べる日が来るのを待ち遠しく思ってた。———今だってきっとそうだ。
自分の息子が、恋人を人類の敵とみなして尋問をしているなんて思ってもいないのだろう。
なまえは、彼女を信じて愛したすべての人を、裏切っていたのだ。
成績優秀だったライナーとベルトルト、アニの陰に隠れて、なまえは持ち前の明るさで、仲間達の心に入り込んだ。
まさか、実技も座学も人並みだったなまえが、裏切り者のライナー達と仲間だったなんて誰が思うだろう。
それこそが、彼らの作戦だったことに気づきもしないで、俺達はまんまと騙されたのだ。
「お前、本当はクソみてぇに頭がいいんだろ。
アルミンが考え付くことなんて、それよりも先に思いついてたんだよな。
いや、それどころじゃねぇな。エルヴィン団長達が密かに企んでたはずの女型の巨人捕獲作戦が不発に終わったのも、
なまえが、アニに作戦を中止するように言ったからだ。」
自分でも驚くほどに、落ち着いていた。
きっとそれは、本当はもっとずっと前から〝何かがおかしい〟ことに気づいていたせいだ。
突然の巨人の襲来に怯えたなまえが、あと少しで喰われそうになることが何度もあった。でもその度に、危機一髪で逃げ切るのだ。
特別、巨人討伐数が多いわけでも、実技が得意なわけでもないのに、仲間達が次々と命を落としていく中、なまえはいつも、ほとんど無傷で壁外調査から帰還していた。
どうしてなのか———気になったことはある。
でも、考えないようにしていたのだ。
そしたら俺は、答えに辿り着くと知っていたから。
どうしても認めたくなくて、見て見ぬふりをしていた。
でも、俺達が立てる作戦は、尽く先回りされていた。
敵側に優秀な参謀がいるのだろうというのが、最初のエルヴィン団長達の考えだった。
でも、ある時、ハンジさんが気づいてしまったのだ。
どんなに優秀な参謀だって、俺達のそばにいて、状況を把握していないと、ここまで都合よく物事を進めることなんて出来ないことに。
会議室でハンジさんからその指摘を聞いた時、俺がどれほどショックを受けたか、なまえは知らないだろう。
俺はとうとう、現実から目を逸らせなくなったのだ。
「そこまで気づいてたなら、どうしてもっと早く言わなかったの?」
なまえは、膝に手をつきながらゆっくりと立ち上がる。
その瞬間に、周囲に緊張が走った。
きっと、なまえだって、ここに来た時から感じていたはずだ。
でも、焦りも不安もない、いつも通りの表情で俺の前に立つと、そのまま続けた。
「気づいてるんでしょ。参謀として派遣された私は、巨人化出来ないこと。
私の身体の隅々まで知ってるジャンなら、分かってるはずよね?」
なまえはそこまで言うと、俺の頬に手を添えた。
昨夜もそうしたように、いつもと同じ、恋人同士の仕草で。
「なにもわざわざこんな遠い、まだ誰も住めていないシガンシナ区まで連れてこなくたって、
必ず仕留められる場所から人類最強の兵士が目を光らせていなくたって、
ジャンならいつだって、私を殺すことは出来たでしょう?」
昨日の夜だって、よかったよ?———なまえが、首を傾げる。
いつものように、可愛らしく甘えるみたいに。
「他の奴らがどういうつもりかは知らねぇ。
俺は、お前を捕らえる為にここに来たわけじゃねぇから。」
俺の返答は、さすがに予想外だったようで、なまえは僅かに片眉を上げると、思案するように黙り込んでしまった。
頭が良ければ良い程、今、俺が考えていることなんて、見当もつかないだろう。
だから、ハンジさんは俺にこんな大役を任せてしまえたのだ。
「俺は、確かめたかった。」
「確かめる?私があっち側だってことはもう分かってたんでしょう?」
なまえは本当に分からないようだった。
俺も、どうしてこんなことをしているのか、自分でも理解できない。
ただ、確かめなければならなかったのだ。
俺にとって、それは、彼女が敵か味方かということよりも遥かに大切なことだったから。
「お前の得意技は、アルミンやライナー達を上回る頭脳でも、
化け物みてぇな運動神経で巨人の脅威から逃れることでもねぇ。
———嘘、だったんだな。お前が俺に言った、すべてが嘘だった。」
なまえの頬を撫でる。
透き通って見える程に白く柔らかい肌は、いつの間にかもう俺の手に馴染んでる。
だから、触れると落ち着くのだ。
壁外調査の前日でも、仲間達が喰われて死んでいく悲惨な現実の前でも、なまえに触れるだけで、俺は緊張を忘れられた。
「一生一緒だって言ったことも。」
なまえの唇に触れる。
もう何度も、愛を囁き合って、重ねてきた唇だ。
そこから出てくる言葉は、いつだって俺を幸せにした。
この残酷な世界で、なまえは俺の幸せの象徴だった。
「俺を想う気持ちは永遠に消えないって言ったことも。」
なまえの耳に触れる。
もう何度だって、すぐに意地を張ってカッコつけたがる俺が、柄にもなく零した弱音を受け止めてくれた耳だ。
彼女の前でなら、俺は強くも弱くもなれた。
この残酷な世界で、今日まで腐らずに生きられたのはなまえがいたからだ。
「でも、俺が聞いてきた嘘の中で、一番好きなのは〝愛してる〟だった。」
俺がもう一度、なまえの唇に触れると、彼女がビクリと肩を揺らした。
大きな瞳が、いつもよりも大きく見開かれている。
だから俺は、なまえの目尻の辺りを撫でながら、もう一度教えてやるのだ。
「お前の〝愛してる〟って嘘が、俺は一番好きだ。」
「な…に、言ってる…の…?」
なまえの声が震える。
驚きと戸惑い、あとは、どんな感情が彼女の中を渦巻いているのだろうか。
ずっとそばにいたから、なまえが何を考えているのかを一番分かるのは、俺だ。
だから、俺はなまえを喜ばせるのも、怒らせるのも、驚かせるのだって誰よりも得意だ。
だからこそ、裏切り者がなまえだということにも気づいてしまったのだけれど———。
「俺が合図を出せば、リヴァイ兵長がお前を仕留めに飛ぶ。
もし一瞬でも抵抗すれば、あの人は躊躇いもなくお前を殺すんだと思う。
恋人…だった、俺の前で。」
だから———そこまで言って思わず言葉が途切れる。
なまえの目尻を撫でる指には、無意識に力がこもっていた。
これで最後なのだ。
もう二度と、なまえの嘘は聞けなくなる。
それならどうか————。
「だから…、ベタ惚れの恋人にずっと騙され続けてた可哀想な男に、
最後にもう一度、一番好きな嘘を聞かせてやってもいいだろ?
お願いだ。お前の、渾身の嘘、吐いてくれ————。」
俺の声も、最後は震えていた。
どうして、こんな最後になってしまったのだろう。
少し前までは、もっと違う未来を夢見ていたはずなのに。
俺となまえは、笑っていたはずなのに。
なまえが、俺の頬に触れる。いつもみたいに、愛おしい笑みを浮かべながら———。
「愛してる。愛してるわ、ジャン。誰よりも、愛してる。」
「———俺も、愛してる。」
なまえの腰を抱き寄せる。
この華奢で細い腰が、俺に彼女を一生守っていかなくてはと思わせた。
「嘘吐きね。」
少しだけ驚いた顔をしたあと、なまえがクスリと笑って俺の目尻に触れた。
「お前もな。」
俺も、なまえの目尻に触れて、ククッと笑う。
いつもの軽口が戻ってきて、嬉しいと思ってしまったのだ。
その時だった。
俺となまえが立っていた地面が、まるで爆発が起きたような大きな音と共に揺れたかと思ったら、あっという間に崩れ落ちた。
俺は、とっさになまえを救うために手を伸ばしていた。
でもそこにいたのは、地面から現れた鎧の巨人の手の平の上で、ベルトルトに守られるように抱きしめられているなまえだった。
遠くから、リヴァイ兵長やエルヴィン団長の怒号が聞こえる。そんな気がする。
でも俺は、崩れていく地面に身を任せながら、見開いた目で、鎧の巨人に守られて消えていくなまえの姿を見つめ続けていた。
しっとりと濡れた指先だけが、嘘吐き達を慰める
聞こえたんだ。伸ばした手が君を掠めて、永遠に君を失ったその瞬間。俺の一番好きな〝嘘〟が———。
でもその向こうは見えない。
それでも俺は、なまえとこの壁のように高く強い絆を築いてきたと信じてる。
今夜、調査兵団の兵舎から彼女を連れ出して、この遠いシガンシナ区の地までやってきたのは、ハンジさん達にとっては俺に任せた大切な〝任務〟であり、俺にとっては人生をかけた大切な〝嘘〟の為だった。
伝えるべき言葉は決まってる。
たぶん、なまえも気づいてる。
だからなのか、すごく緊張して、手に汗が滲むのだ。
こんな手じゃ、なまえの手も握れない。引き留めることは、きっと出来ないだろう。
なまえを見ると、彼女もまた高い壁をじっと見上げていた。
今、彼女は一体何を想っているのだろう。
この壁の中にいる仲間達のことか、それとも、この壁の向こうに想いを馳せているのだろうか。
「俺達は、一生一緒だって言ったこと覚えてるか。
なまえが言ったんだ。」
ゆっくりと口を開いた俺に、なまえはコクリと頷いた。
「俺を想う気持ちは永遠だともって言ったよな。
だから俺達は、地獄みたいな日々を生きながらも、別れることはなかった。」
「うん、そうだね。」
「なら、お前の浮気を疑って喧嘩したのは覚えてるか。」
「さぁ…どうだったかな。浮気なんてしてないから、覚えてないよ。」
「隠れてベルトルトと会ってたことを知って、
アイツとの関係を問いただした俺に、お前は何て言った?」
「分かんないよ。覚えてないって言ったでしょう?
私、ジャンみたいに頭が良くないし、バカだから忘れっぽいの。」
とぼけるなまえに、眉を顰めた俺は、あの日の彼女の言葉をハッキリと告げる。
「お前は、ベルトルトとはただの良い友人だって言ったんだ。
俺もきっと仲良くやれるはずだってな。」
「そうだったかな?」
「シガンシナ区の決戦前日には、憎むべき敵だとも言ってた。
そしてお前は、その通り、あの日、本当にベルトルトを討取った。」
「そうだよ。私は調査兵として、この壁の中に住む人類として、
超大型巨人を許すわけにはいかな…っ、んぐッ。」
まるで、口から生まれたみたいに、スラスラと喋るなまえのシャツの胸元を捻じって持ち上げ、乱暴に壁に押し付けた。
俺の片手で簡単に握られて、締め付けられている細い首筋には、昨晩つけたばかりの愛の痕がしっかりと残っている。
「そうだな。お前はすごく上手かった。そうやって仲間の目をくらまして、
とらえたベルトルトを四足歩行の巨人に奪われたフリをしたんだ。
いつも間抜けなドジをしてたお前の最悪なミスを、誰もわざとだなんて疑いもしなかった。」
「…っ、ん…っぐ…っ。」
「見てたんだよ。お前が、ベルトルトを討取る前に、
アイコンタクトを送ってたのも。四足歩行の巨人が襲ってくる前、
ベルトルトが、お前に何か耳打ちしたのも…!」
言い切った後、抑えきれなかった感情ごとなまえを投げ捨てるように、握りしめていた首を壁に向かって放した。
華奢な身体からは意外なほどに重たい、ドンッという音を立てて、なまえが腰から落ちる。
「コホッ…ッ、ゴホ…ッ、ハッ…ッ。」
自分の首元に手をやって、なまえが苦し気に息を吐くのを、俺は冷めた目で見下ろしていた。
あの日、両親の前で気恥ずかしさを隠してカッコつけてた俺は、4年後、こんなことになるなんて想像もしていなかった。
仲間達も、共に戦うなまえの苦悩を一緒に支えてきた。
俺の両親だって、超大型巨人の襲来によって家族を失ったという悲劇を聞いてから、なまえを自分の娘のように可愛がった。
いつか本当に、娘と呼べる日が来るのを待ち遠しく思ってた。———今だってきっとそうだ。
自分の息子が、恋人を人類の敵とみなして尋問をしているなんて思ってもいないのだろう。
なまえは、彼女を信じて愛したすべての人を、裏切っていたのだ。
成績優秀だったライナーとベルトルト、アニの陰に隠れて、なまえは持ち前の明るさで、仲間達の心に入り込んだ。
まさか、実技も座学も人並みだったなまえが、裏切り者のライナー達と仲間だったなんて誰が思うだろう。
それこそが、彼らの作戦だったことに気づきもしないで、俺達はまんまと騙されたのだ。
「お前、本当はクソみてぇに頭がいいんだろ。
アルミンが考え付くことなんて、それよりも先に思いついてたんだよな。
いや、それどころじゃねぇな。エルヴィン団長達が密かに企んでたはずの女型の巨人捕獲作戦が不発に終わったのも、
なまえが、アニに作戦を中止するように言ったからだ。」
自分でも驚くほどに、落ち着いていた。
きっとそれは、本当はもっとずっと前から〝何かがおかしい〟ことに気づいていたせいだ。
突然の巨人の襲来に怯えたなまえが、あと少しで喰われそうになることが何度もあった。でもその度に、危機一髪で逃げ切るのだ。
特別、巨人討伐数が多いわけでも、実技が得意なわけでもないのに、仲間達が次々と命を落としていく中、なまえはいつも、ほとんど無傷で壁外調査から帰還していた。
どうしてなのか———気になったことはある。
でも、考えないようにしていたのだ。
そしたら俺は、答えに辿り着くと知っていたから。
どうしても認めたくなくて、見て見ぬふりをしていた。
でも、俺達が立てる作戦は、尽く先回りされていた。
敵側に優秀な参謀がいるのだろうというのが、最初のエルヴィン団長達の考えだった。
でも、ある時、ハンジさんが気づいてしまったのだ。
どんなに優秀な参謀だって、俺達のそばにいて、状況を把握していないと、ここまで都合よく物事を進めることなんて出来ないことに。
会議室でハンジさんからその指摘を聞いた時、俺がどれほどショックを受けたか、なまえは知らないだろう。
俺はとうとう、現実から目を逸らせなくなったのだ。
「そこまで気づいてたなら、どうしてもっと早く言わなかったの?」
なまえは、膝に手をつきながらゆっくりと立ち上がる。
その瞬間に、周囲に緊張が走った。
きっと、なまえだって、ここに来た時から感じていたはずだ。
でも、焦りも不安もない、いつも通りの表情で俺の前に立つと、そのまま続けた。
「気づいてるんでしょ。参謀として派遣された私は、巨人化出来ないこと。
私の身体の隅々まで知ってるジャンなら、分かってるはずよね?」
なまえはそこまで言うと、俺の頬に手を添えた。
昨夜もそうしたように、いつもと同じ、恋人同士の仕草で。
「なにもわざわざこんな遠い、まだ誰も住めていないシガンシナ区まで連れてこなくたって、
必ず仕留められる場所から人類最強の兵士が目を光らせていなくたって、
ジャンならいつだって、私を殺すことは出来たでしょう?」
昨日の夜だって、よかったよ?———なまえが、首を傾げる。
いつものように、可愛らしく甘えるみたいに。
「他の奴らがどういうつもりかは知らねぇ。
俺は、お前を捕らえる為にここに来たわけじゃねぇから。」
俺の返答は、さすがに予想外だったようで、なまえは僅かに片眉を上げると、思案するように黙り込んでしまった。
頭が良ければ良い程、今、俺が考えていることなんて、見当もつかないだろう。
だから、ハンジさんは俺にこんな大役を任せてしまえたのだ。
「俺は、確かめたかった。」
「確かめる?私があっち側だってことはもう分かってたんでしょう?」
なまえは本当に分からないようだった。
俺も、どうしてこんなことをしているのか、自分でも理解できない。
ただ、確かめなければならなかったのだ。
俺にとって、それは、彼女が敵か味方かということよりも遥かに大切なことだったから。
「お前の得意技は、アルミンやライナー達を上回る頭脳でも、
化け物みてぇな運動神経で巨人の脅威から逃れることでもねぇ。
———嘘、だったんだな。お前が俺に言った、すべてが嘘だった。」
なまえの頬を撫でる。
透き通って見える程に白く柔らかい肌は、いつの間にかもう俺の手に馴染んでる。
だから、触れると落ち着くのだ。
壁外調査の前日でも、仲間達が喰われて死んでいく悲惨な現実の前でも、なまえに触れるだけで、俺は緊張を忘れられた。
「一生一緒だって言ったことも。」
なまえの唇に触れる。
もう何度も、愛を囁き合って、重ねてきた唇だ。
そこから出てくる言葉は、いつだって俺を幸せにした。
この残酷な世界で、なまえは俺の幸せの象徴だった。
「俺を想う気持ちは永遠に消えないって言ったことも。」
なまえの耳に触れる。
もう何度だって、すぐに意地を張ってカッコつけたがる俺が、柄にもなく零した弱音を受け止めてくれた耳だ。
彼女の前でなら、俺は強くも弱くもなれた。
この残酷な世界で、今日まで腐らずに生きられたのはなまえがいたからだ。
「でも、俺が聞いてきた嘘の中で、一番好きなのは〝愛してる〟だった。」
俺がもう一度、なまえの唇に触れると、彼女がビクリと肩を揺らした。
大きな瞳が、いつもよりも大きく見開かれている。
だから俺は、なまえの目尻の辺りを撫でながら、もう一度教えてやるのだ。
「お前の〝愛してる〟って嘘が、俺は一番好きだ。」
「な…に、言ってる…の…?」
なまえの声が震える。
驚きと戸惑い、あとは、どんな感情が彼女の中を渦巻いているのだろうか。
ずっとそばにいたから、なまえが何を考えているのかを一番分かるのは、俺だ。
だから、俺はなまえを喜ばせるのも、怒らせるのも、驚かせるのだって誰よりも得意だ。
だからこそ、裏切り者がなまえだということにも気づいてしまったのだけれど———。
「俺が合図を出せば、リヴァイ兵長がお前を仕留めに飛ぶ。
もし一瞬でも抵抗すれば、あの人は躊躇いもなくお前を殺すんだと思う。
恋人…だった、俺の前で。」
だから———そこまで言って思わず言葉が途切れる。
なまえの目尻を撫でる指には、無意識に力がこもっていた。
これで最後なのだ。
もう二度と、なまえの嘘は聞けなくなる。
それならどうか————。
「だから…、ベタ惚れの恋人にずっと騙され続けてた可哀想な男に、
最後にもう一度、一番好きな嘘を聞かせてやってもいいだろ?
お願いだ。お前の、渾身の嘘、吐いてくれ————。」
俺の声も、最後は震えていた。
どうして、こんな最後になってしまったのだろう。
少し前までは、もっと違う未来を夢見ていたはずなのに。
俺となまえは、笑っていたはずなのに。
なまえが、俺の頬に触れる。いつもみたいに、愛おしい笑みを浮かべながら———。
「愛してる。愛してるわ、ジャン。誰よりも、愛してる。」
「———俺も、愛してる。」
なまえの腰を抱き寄せる。
この華奢で細い腰が、俺に彼女を一生守っていかなくてはと思わせた。
「嘘吐きね。」
少しだけ驚いた顔をしたあと、なまえがクスリと笑って俺の目尻に触れた。
「お前もな。」
俺も、なまえの目尻に触れて、ククッと笑う。
いつもの軽口が戻ってきて、嬉しいと思ってしまったのだ。
その時だった。
俺となまえが立っていた地面が、まるで爆発が起きたような大きな音と共に揺れたかと思ったら、あっという間に崩れ落ちた。
俺は、とっさになまえを救うために手を伸ばしていた。
でもそこにいたのは、地面から現れた鎧の巨人の手の平の上で、ベルトルトに守られるように抱きしめられているなまえだった。
遠くから、リヴァイ兵長やエルヴィン団長の怒号が聞こえる。そんな気がする。
でも俺は、崩れていく地面に身を任せながら、見開いた目で、鎧の巨人に守られて消えていくなまえの姿を見つめ続けていた。
しっとりと濡れた指先だけが、嘘吐き達を慰める
聞こえたんだ。伸ばした手が君を掠めて、永遠に君を失ったその瞬間。俺の一番好きな〝嘘〟が———。
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