相変わらずな君と僕
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
一緒に何度も通った狭い通りを、送らなくてもいいと断った名前と歩いていた。
隣に並んですらもらえない俺は、少し斜め後ろにいる名前の気配を感じながら、送ると言ったことを後悔しそうになる。
少しでも時間を稼いで、やり直すきっかけを探そうとしたけれど、そもそもそんなものなんて本当にあるのか。
俺には、どうして別れてしまったのかすら分かってないのだ。
思い返してみても、特別な理由なんて思いつかない。
たぶん、電池切れの時計みたいに徐々にズレて行って、最終的に取り返しがつかなくなったのだ。
電池を取り返れば、また時計の針は動き出すのだろうが、俺は、今でも止まった時計を大事に抱えて立ち尽くしてる。
たとえば、俺達の別れに明白な理由があれば、解決策だってあって、やり直せることもできるのかもしれない。
でも、好きという気持ちが蜃気楼みたいに色褪せてしまった名前の心を取り戻す方法なんて、もうない。
全部、俺のせいだ。
もう諦めようと思っていたら、名前が隣に並んだ。
でも、想い出が詰まって重たくなったトートバッグが、俺と名前の間を阻んでいた。
「貸せ。持ってやる。」
名前の持っている黒いトートバッグを顎で指す。
「いいよ、そんなに重たいものでもないし。」
「いいから貸せ。」
強引に押しつけるように言って、名前の手から黒いトートバッグを乱暴に奪った。
そうすれば、いつも繋いでいた名前の右手がフリーになったのが目に入った。
俺は、黒いトートバッグを右肩にかけて、名前の手を握った。
名前が驚いたような気配と視線を感じたけれど、顔は見れなかった。
(相変わらず、小っせぇな。)
久しぶりに握った名前の手は、柔らかくて、すぐにでも壊れそうなくらいに脆く感じた。
この小さな手で、頑固で自分勝手な俺をいつも支えてくれていたのだと思うと、胸が張り裂けそうだった。
見慣れた通りを手を繋いで歩いたのは、何度目だろう。
覚えていないくらいに何の変哲もない日の方がきっと多くて、俺はきっともう二度と思い出せないのだと思う。
どうして、隣にいるときにもっと大事に出来なかったんだろう。
今さら後悔して、あの日々の愛おしさに押し潰されそうだった。
そんなことを考えていると、まるで、私もだと言うように名前が握る手に力を込めた。
思わず、俺も握り返したら、キュッと胸が苦しくなった。
もしかして、俺と同じように、名前も寂しいと思ってくれているのだろうか。
心の奥ではそうであってほしくて、気持ちとしては違うことを願った。
別れたのに手を繋いで歩いているなんて、俺達らしくない。
決して近くはない距離を無言で歩くのは初めてだ。
何か話して欲しいと思っているうちに、すぐそこにバス停が見えて来た。
相変わらず、あっという間に着いてしまう短い距離に、懐かしい寂しさが胸に込み上げた。
帰したくないー。
そう言って、名前を抱きしめて初めて家に連れ込んだあの夜は出来たことが、今できないわけがない。
あれだって俺だったのだし、きっと今も出来る。
行くなー。
そう言えばいいだけだ、そう決意した俺を笑うように、名前が笑顔を浮かべた。
「じゃあ、送ってくれてありがとうね。」
清々しそうな笑顔に、喉の奥でくすぶっていた言葉は勢いを萎ませて、消えていく。
同時に、握りしめていた手も離れた。
あの頃の俺と今の俺は同じでも、目の前にいるのはあの頃の名前じゃない。
そんな単純なことに、俺はどうして気づかなかったのだろう。
今だけの感情に心を揺らされて、前を向いて歩きだした名前の邪魔をしたらいけない。
そもそも俺達は、別れるのがお互いにとって一番いいと考えて、別々の道を選択したのだから。
「元気でね。」
「お前もな。」
「コンビニのお弁当ばっかり食べてちゃダメだよ。
たまにはちゃんとしたもの食べるんだよ。」
「分かってる。相変わらず、うるせぇな。」
最後だというのに、またそれかー。
思わずイラッとして、面倒くさそうに返した。
でもすぐに、名前の瞳が傷ついたように揺れたのに気づいて、ハッとした。
どうして、また同じ過ちを繰り返すのか。
最後だというのに、俺はまたー。
「そうだね、ごめんね。でも、リヴァイの身体が心配なだけなんだよ。」
「…悪い。それも、分かってる。
ちゃんと、分かってた。」
「うん、それも知ってたよ。
それなのに、グチグチ文句ばっかり言って、面倒くさい彼女でごめんね。」
「そんなこと思ったことはねぇ。」
少し早口で言った。
本当なのだ。面倒くさくて、どうしようもない態度をとっていただけで、名前が口うるさく小言を言う理由は、ちゃんと分かっていた。
名前から愛されていた証だったのだということも気づいた。
だから、ちゃんと分かってほしくてー。
「そっか。それならよかった。」
ふわりと微笑んだ名前が、本当に分かってくれたのかは分からなかった。
でも、それも、もういいのかもしれない。
最後にこうして、笑顔で別れることが出来るのなら、俺達が出逢って恋をして終わったことは、間違いではなかったということなのだろうから。
名前が、見たこともないような明るい笑顔を俺に向けた。
俺はそれを、受け入れる。
「じゃあ、さよなら。」
「あぁ。じゃあな。」
短く言った俺は、まだ一緒にいたいと叫ぶ心に、もう無理だからと言い聞かせながら背を向けた。
バスが来ているのは遠くに見えていた。
あのバスは、名前を俺のいない世界へと運んで行くのだ。
それでいい、それがいい。
そう思い込もうとして、両手で顔を覆った途端、名前のお気に入りの香水の香りがした。
今朝、未練がましく名前の香水を手首につけたのを忘れていた。
名前の匂いに包まれた途端、楽しかった思い出とか、悲しかったこと、名前に直して欲しかったこと、大好きだったところとか、今さら苦しいくらいに愛おしい想い出になって一気に溢れた。
(ダメだ…。俺は…っ。)
勢いよく振り返った。
バス停に立つ名前は、俺に背を向けて、すぐそこまで来ているバスを待っていた。
俺が地面を蹴ったのと、バスの乗車口が開いたのはほぼ同時だった。
間に合えー。
まるで呪いみたいに願って、必死に走った。
名前が乗車口に片足を乗せたのが見えて、俺は必死に手を伸ばした。
「名前!!」
必死に伸ばした手は、名前の肩を捕まえた。
すぐに後ろに引けば、華奢な身体はバランスを崩しながら俺の胸元へと後ろ向きに倒れてくる。
そのまま強く抱きしめれば、名前が驚いて落としてしまった黒いトートバッグから、抱えていた思い出の品が零れて、アスファルトの上に散らばった。
その途端に包まれる香りに、泣きそうになる。
そう、本物はこれだ。
身長はそんなに変わらないけれど、華奢で細い身体は俺の腕の中にすっぽりとおさまって、空気を吸い込めば、香水と名前の匂いが混ざった甘い香りに包まれるのだ。
「俺の身体が心配なら、飯は、お前が作れ…!」
我ながら、身勝手な台詞だった。
でも、これが、素直になるのが下手くそな俺の精一杯だった。
名前ならきっと、分かってくれる。
だからどうかー。
どうにか、伝われー。
そんな願いを、拘束するように抱きしめる腕に込めた。
「…め、し…?」
躊躇いがちに発した名前の声は、泣いているのか震えていた。
もし、その涙が、俺を想って泣いているのならー。
自信があったわけじゃない。
己惚れる勇気すらない。
でも、今は、それは俺のための涙だと信じて、素直になる勇気を貰った。
「俺は掃除をする。いつも綺麗な部屋で生活できるようにしてやるし、
お前が買ってくるばっかりで使いもしねぇガラクタを入れる箱も用意するっ。
マニキュアでテーブルを汚されても、もう怒らねぇから…っ。」
だから俺に飯を作ってー。
痛いくらいに腕に力を込めて、俺は名前の耳元で弱々しい声で懇願した。
あぁ、本当にー。
どうしてもっと格好良く引き留められないんだろう。
本当は、名前の前では格好いい男でいたいはずなのに。
でも、これが俺なのだ。
友人や仕事仲間に見せているのは、俺の一面にしか過ぎなくて、本当は格好悪い男だ。
でも、名前だってそうだった。
出逢った頃の名前は、可愛くて、素直で、いつも笑っていて、化粧やお洒落が大好きな、みんなが知っている名前だった。
それがいつからか、名前はすっぴんで口を大きく開けて笑うようになった。
嫌なことがあると、とことん不機嫌になって、我儘を言いだすときかなくて、適当だし、何をしても続かないし、それなのにあれもこれも欲しがって、結局、あれもこれも失くしてしまう。
困った女だった。
文句を言えば、頭の回転の速い名前から倍返しされるし、嫌気がさすことなんて腐るほどあった。
でも、その度に愛おしさが増した。
俺だけに、無理もしないで本当の姿を見せてくれているのだと思えば思うほど、可愛くて仕方がなかった。
あぁ、どうして俺は、忘れてしまっていたのだろう。
大好きだった。
大好きで仕方がなかったのだ。
大和撫子とは程遠くて、俺が友人達に言っていたような完璧な女じゃなかったかもしれないけれど、どこにでもいるような普通の恋人だった名前が、何よりも大切だった。
どうして忘れていたのか。
こんなにも、大好きなのにー。
≪乗らないんですか?≫
バスの運転手の面倒くさそうな声に、俺も名前も答えられなかった。
だって、胸が痛くて苦しくて、喉が詰まっていたから。
呆れたのか、見捨てたのか、目的地へ向かう乗客を乗せたバスが走り去って、俺達は排気ガスの匂いが鼻と目に痛いバス停に、取り残された。
「私、いっぱい我儘言うよ。」
「知ってる。」
「すぐに怒るよ。」
「それは俺にも原因があるし、覚悟もしてる。」
「朝寝坊もするし、なんでも適当だから汚しちゃうこともいっぱいあるし、
片付けが苦手ですぐ散らかしちゃう。」
「それは俺が得意だから問題ねぇ。」
「構ってくれないと不機嫌になるくせに、メイクを手抜きしちゃう。
いつまでも、可愛い恋人では、いてあげられないよ。」
「それはお互い様だ。それに、そのままでいい。
名前は、すっぴんも…可愛い…から…。」
恥ずかしくて、声はどんどん小さくなっていった。
顔が真っ赤になっていることくらい、鏡を見なくたって分かる。
今、名前が振り返ったら、初めてのデートの時みたいに、お互いに顔を赤くして、何も言えなくなってしまうのだろうか。
また一からやり直すのでもいい。
間違ったままで、ズレたままで、その歪みすらも愛して歩いていくのでもいい。
隣に、名前がいてくれるのならー。
「リヴァイも、カッコいいよ。出逢ったときからずっと変わらない。
誰よりカッコよくて、強くて、世界で一番大好き…。」
胸元にまわる俺の腕に手を添えて、俺は久しぶりに名前から好きだと言われた。
あぁ、お互い様だったのだと、気づく。
俺達は、ちゃんと言葉を交わしていなかったのだ。
一番大切なことを、声にしないで、気づいてくれと勝手なことを願いながら、いつも気づかない相手のせいにしていた。
気持ちは言わなければ、伝わるわけがないのにー。
久しぶりに抱きしめた名前からは、いつもよりもあの香水の匂いが強く感じた気がした。
相変わらず、素直じゃない俺達はまた喧嘩中だ
待ってよ。あと5秒したら、美味い紅茶を出してやるから、仲直りしよう。
そしたら君は、「ごめんね。」てメモを貼った白猫のぬいぐるみを持ってやってきて、照れ臭そうに笑ったんだ。
そんな相変わらずな俺と君を、これからもずっと俺が守っていくから、君は相変わらず君のままでいてー。
隣に並んですらもらえない俺は、少し斜め後ろにいる名前の気配を感じながら、送ると言ったことを後悔しそうになる。
少しでも時間を稼いで、やり直すきっかけを探そうとしたけれど、そもそもそんなものなんて本当にあるのか。
俺には、どうして別れてしまったのかすら分かってないのだ。
思い返してみても、特別な理由なんて思いつかない。
たぶん、電池切れの時計みたいに徐々にズレて行って、最終的に取り返しがつかなくなったのだ。
電池を取り返れば、また時計の針は動き出すのだろうが、俺は、今でも止まった時計を大事に抱えて立ち尽くしてる。
たとえば、俺達の別れに明白な理由があれば、解決策だってあって、やり直せることもできるのかもしれない。
でも、好きという気持ちが蜃気楼みたいに色褪せてしまった名前の心を取り戻す方法なんて、もうない。
全部、俺のせいだ。
もう諦めようと思っていたら、名前が隣に並んだ。
でも、想い出が詰まって重たくなったトートバッグが、俺と名前の間を阻んでいた。
「貸せ。持ってやる。」
名前の持っている黒いトートバッグを顎で指す。
「いいよ、そんなに重たいものでもないし。」
「いいから貸せ。」
強引に押しつけるように言って、名前の手から黒いトートバッグを乱暴に奪った。
そうすれば、いつも繋いでいた名前の右手がフリーになったのが目に入った。
俺は、黒いトートバッグを右肩にかけて、名前の手を握った。
名前が驚いたような気配と視線を感じたけれど、顔は見れなかった。
(相変わらず、小っせぇな。)
久しぶりに握った名前の手は、柔らかくて、すぐにでも壊れそうなくらいに脆く感じた。
この小さな手で、頑固で自分勝手な俺をいつも支えてくれていたのだと思うと、胸が張り裂けそうだった。
見慣れた通りを手を繋いで歩いたのは、何度目だろう。
覚えていないくらいに何の変哲もない日の方がきっと多くて、俺はきっともう二度と思い出せないのだと思う。
どうして、隣にいるときにもっと大事に出来なかったんだろう。
今さら後悔して、あの日々の愛おしさに押し潰されそうだった。
そんなことを考えていると、まるで、私もだと言うように名前が握る手に力を込めた。
思わず、俺も握り返したら、キュッと胸が苦しくなった。
もしかして、俺と同じように、名前も寂しいと思ってくれているのだろうか。
心の奥ではそうであってほしくて、気持ちとしては違うことを願った。
別れたのに手を繋いで歩いているなんて、俺達らしくない。
決して近くはない距離を無言で歩くのは初めてだ。
何か話して欲しいと思っているうちに、すぐそこにバス停が見えて来た。
相変わらず、あっという間に着いてしまう短い距離に、懐かしい寂しさが胸に込み上げた。
帰したくないー。
そう言って、名前を抱きしめて初めて家に連れ込んだあの夜は出来たことが、今できないわけがない。
あれだって俺だったのだし、きっと今も出来る。
行くなー。
そう言えばいいだけだ、そう決意した俺を笑うように、名前が笑顔を浮かべた。
「じゃあ、送ってくれてありがとうね。」
清々しそうな笑顔に、喉の奥でくすぶっていた言葉は勢いを萎ませて、消えていく。
同時に、握りしめていた手も離れた。
あの頃の俺と今の俺は同じでも、目の前にいるのはあの頃の名前じゃない。
そんな単純なことに、俺はどうして気づかなかったのだろう。
今だけの感情に心を揺らされて、前を向いて歩きだした名前の邪魔をしたらいけない。
そもそも俺達は、別れるのがお互いにとって一番いいと考えて、別々の道を選択したのだから。
「元気でね。」
「お前もな。」
「コンビニのお弁当ばっかり食べてちゃダメだよ。
たまにはちゃんとしたもの食べるんだよ。」
「分かってる。相変わらず、うるせぇな。」
最後だというのに、またそれかー。
思わずイラッとして、面倒くさそうに返した。
でもすぐに、名前の瞳が傷ついたように揺れたのに気づいて、ハッとした。
どうして、また同じ過ちを繰り返すのか。
最後だというのに、俺はまたー。
「そうだね、ごめんね。でも、リヴァイの身体が心配なだけなんだよ。」
「…悪い。それも、分かってる。
ちゃんと、分かってた。」
「うん、それも知ってたよ。
それなのに、グチグチ文句ばっかり言って、面倒くさい彼女でごめんね。」
「そんなこと思ったことはねぇ。」
少し早口で言った。
本当なのだ。面倒くさくて、どうしようもない態度をとっていただけで、名前が口うるさく小言を言う理由は、ちゃんと分かっていた。
名前から愛されていた証だったのだということも気づいた。
だから、ちゃんと分かってほしくてー。
「そっか。それならよかった。」
ふわりと微笑んだ名前が、本当に分かってくれたのかは分からなかった。
でも、それも、もういいのかもしれない。
最後にこうして、笑顔で別れることが出来るのなら、俺達が出逢って恋をして終わったことは、間違いではなかったということなのだろうから。
名前が、見たこともないような明るい笑顔を俺に向けた。
俺はそれを、受け入れる。
「じゃあ、さよなら。」
「あぁ。じゃあな。」
短く言った俺は、まだ一緒にいたいと叫ぶ心に、もう無理だからと言い聞かせながら背を向けた。
バスが来ているのは遠くに見えていた。
あのバスは、名前を俺のいない世界へと運んで行くのだ。
それでいい、それがいい。
そう思い込もうとして、両手で顔を覆った途端、名前のお気に入りの香水の香りがした。
今朝、未練がましく名前の香水を手首につけたのを忘れていた。
名前の匂いに包まれた途端、楽しかった思い出とか、悲しかったこと、名前に直して欲しかったこと、大好きだったところとか、今さら苦しいくらいに愛おしい想い出になって一気に溢れた。
(ダメだ…。俺は…っ。)
勢いよく振り返った。
バス停に立つ名前は、俺に背を向けて、すぐそこまで来ているバスを待っていた。
俺が地面を蹴ったのと、バスの乗車口が開いたのはほぼ同時だった。
間に合えー。
まるで呪いみたいに願って、必死に走った。
名前が乗車口に片足を乗せたのが見えて、俺は必死に手を伸ばした。
「名前!!」
必死に伸ばした手は、名前の肩を捕まえた。
すぐに後ろに引けば、華奢な身体はバランスを崩しながら俺の胸元へと後ろ向きに倒れてくる。
そのまま強く抱きしめれば、名前が驚いて落としてしまった黒いトートバッグから、抱えていた思い出の品が零れて、アスファルトの上に散らばった。
その途端に包まれる香りに、泣きそうになる。
そう、本物はこれだ。
身長はそんなに変わらないけれど、華奢で細い身体は俺の腕の中にすっぽりとおさまって、空気を吸い込めば、香水と名前の匂いが混ざった甘い香りに包まれるのだ。
「俺の身体が心配なら、飯は、お前が作れ…!」
我ながら、身勝手な台詞だった。
でも、これが、素直になるのが下手くそな俺の精一杯だった。
名前ならきっと、分かってくれる。
だからどうかー。
どうにか、伝われー。
そんな願いを、拘束するように抱きしめる腕に込めた。
「…め、し…?」
躊躇いがちに発した名前の声は、泣いているのか震えていた。
もし、その涙が、俺を想って泣いているのならー。
自信があったわけじゃない。
己惚れる勇気すらない。
でも、今は、それは俺のための涙だと信じて、素直になる勇気を貰った。
「俺は掃除をする。いつも綺麗な部屋で生活できるようにしてやるし、
お前が買ってくるばっかりで使いもしねぇガラクタを入れる箱も用意するっ。
マニキュアでテーブルを汚されても、もう怒らねぇから…っ。」
だから俺に飯を作ってー。
痛いくらいに腕に力を込めて、俺は名前の耳元で弱々しい声で懇願した。
あぁ、本当にー。
どうしてもっと格好良く引き留められないんだろう。
本当は、名前の前では格好いい男でいたいはずなのに。
でも、これが俺なのだ。
友人や仕事仲間に見せているのは、俺の一面にしか過ぎなくて、本当は格好悪い男だ。
でも、名前だってそうだった。
出逢った頃の名前は、可愛くて、素直で、いつも笑っていて、化粧やお洒落が大好きな、みんなが知っている名前だった。
それがいつからか、名前はすっぴんで口を大きく開けて笑うようになった。
嫌なことがあると、とことん不機嫌になって、我儘を言いだすときかなくて、適当だし、何をしても続かないし、それなのにあれもこれも欲しがって、結局、あれもこれも失くしてしまう。
困った女だった。
文句を言えば、頭の回転の速い名前から倍返しされるし、嫌気がさすことなんて腐るほどあった。
でも、その度に愛おしさが増した。
俺だけに、無理もしないで本当の姿を見せてくれているのだと思えば思うほど、可愛くて仕方がなかった。
あぁ、どうして俺は、忘れてしまっていたのだろう。
大好きだった。
大好きで仕方がなかったのだ。
大和撫子とは程遠くて、俺が友人達に言っていたような完璧な女じゃなかったかもしれないけれど、どこにでもいるような普通の恋人だった名前が、何よりも大切だった。
どうして忘れていたのか。
こんなにも、大好きなのにー。
≪乗らないんですか?≫
バスの運転手の面倒くさそうな声に、俺も名前も答えられなかった。
だって、胸が痛くて苦しくて、喉が詰まっていたから。
呆れたのか、見捨てたのか、目的地へ向かう乗客を乗せたバスが走り去って、俺達は排気ガスの匂いが鼻と目に痛いバス停に、取り残された。
「私、いっぱい我儘言うよ。」
「知ってる。」
「すぐに怒るよ。」
「それは俺にも原因があるし、覚悟もしてる。」
「朝寝坊もするし、なんでも適当だから汚しちゃうこともいっぱいあるし、
片付けが苦手ですぐ散らかしちゃう。」
「それは俺が得意だから問題ねぇ。」
「構ってくれないと不機嫌になるくせに、メイクを手抜きしちゃう。
いつまでも、可愛い恋人では、いてあげられないよ。」
「それはお互い様だ。それに、そのままでいい。
名前は、すっぴんも…可愛い…から…。」
恥ずかしくて、声はどんどん小さくなっていった。
顔が真っ赤になっていることくらい、鏡を見なくたって分かる。
今、名前が振り返ったら、初めてのデートの時みたいに、お互いに顔を赤くして、何も言えなくなってしまうのだろうか。
また一からやり直すのでもいい。
間違ったままで、ズレたままで、その歪みすらも愛して歩いていくのでもいい。
隣に、名前がいてくれるのならー。
「リヴァイも、カッコいいよ。出逢ったときからずっと変わらない。
誰よりカッコよくて、強くて、世界で一番大好き…。」
胸元にまわる俺の腕に手を添えて、俺は久しぶりに名前から好きだと言われた。
あぁ、お互い様だったのだと、気づく。
俺達は、ちゃんと言葉を交わしていなかったのだ。
一番大切なことを、声にしないで、気づいてくれと勝手なことを願いながら、いつも気づかない相手のせいにしていた。
気持ちは言わなければ、伝わるわけがないのにー。
久しぶりに抱きしめた名前からは、いつもよりもあの香水の匂いが強く感じた気がした。
相変わらず、素直じゃない俺達はまた喧嘩中だ
待ってよ。あと5秒したら、美味い紅茶を出してやるから、仲直りしよう。
そしたら君は、「ごめんね。」てメモを貼った白猫のぬいぐるみを持ってやってきて、照れ臭そうに笑ったんだ。
そんな相変わらずな俺と君を、これからもずっと俺が守っていくから、君は相変わらず君のままでいてー。
8/8ページ