その夜が、漸く明ける
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春にリヴァイが父親になる———そんな驚きの事実をペトラが知ってから、もうすぐ1か月が経とうとしていた。
正直、ショックだった。
リヴァイが、一途で愛情深い人だということは共に命懸けの仕事をしていれば分かる。
だからこそ、リヴァイがまた心変わりをして自分の元に戻ってくる未来なんてないと理解していた。理解しているつもりではいたのだ。
けれど、それと同時に、自分達の上司と部下という関係性はこれからもずっと変わらないのだと信じてもいた。
リヴァイはいつまでもリヴァイ兵長のままだと———。
「アレはなんだ…。」
調査兵の誰かが呟いた。
壁外調査の最中、巨人達の異変に気付いたエルヴィンの号令の下、調査兵団は来た道を大急ぎで戻ってトロスト区の壁門の元へと帰って来ていた。
高くそびえ立つ壁の向こうからは、轟音や悲鳴が聞こえてくる。
5年前と同じ惨劇が繰り返されていることは、容易に想像がついた。
けれど、超大型巨人が開けたと思われる大穴をなぜか大きな岩が塞いでいる。
そのおかげで、これ以上の巨人の侵入を阻むことは出来ているが、調査兵団もトロスト区の中に入れない。
そもそも、あんなに大きな岩がどうして穴を塞いでいるのか————。
分からないことは多々あったが、今はそれどころではないのも確かだ。
トロスト区内に侵入した巨人討伐と民間人救助を速やかに遂行しなければならない。
「なまえ…!!」
最初に判断したのは、リヴァイだった。
見たこともないような焦ったような表情で恋人の名を叫びながら、立体起動装置で飛び上がった。
壁門は破壊されて通れないが、調査兵達には先人達が作り上げた空飛ぶ機械がある。
兵士長に続け———と、他の調査兵達も立体起動装置で飛び上がり、高い壁を越えていく。
そうして、壁上から見下ろしたトロスト区は、地獄だった。
今まさに巨人に襲われようとしている訓練兵を助けに飛んだリヴァイを見つけて、ペトラはトロスト区の街の中心へと向けて立体起動装置を飛ばす。
あの訓練兵のそばには、大きな岩があった。
そして、駐屯兵達の無残な死体と大量の飢えた巨人に囲まれて、大きな岩にもたれかかるように倒れ込んでいる15m級ほどの巨人。
何があったのかは分からないが、あそこだけ異様な空間だったことだけは確かだ。
そこへ飛んで行ったリヴァイが、すぐにあの場を離脱出来るとは思えなかった。
でも、こんなに必死に何かを急いでいる理由は、本当にそれだけだったのだろうか。
立体起動装置で空を飛んでいると、壊れてしまった街並みがよく分かる。
瓦礫の山に、ところどころに落ちている駐屯兵や訓練兵達の死体。どこかからまた聞こえてくる悲鳴は、この惨劇を彩る為のBGMだろうか。
それは、5年前のシガンシナ区巨人襲撃を知らないペトラにとって、生まれて初めて見るこの世の地獄だった。
もつれそうになる足でなんとか駆けて、漸く辿り着いた場所には、見覚えのあるカフェなんて存在していなかった。
「何…、これ…。」
ペトラは、絶句した。
なまえが暮らす家は、1階がカフェ、2階が居住区になっている。
けれど、今目の前にある『それ』は、柱が倒れて崩れ、1階の屋根ほどの高さもない。
基礎部分まで潰れてしまっている。
文字通り、瓦礫の山だ。
(違う…、ここじゃない…。)
必死に、そう言い聞かせようとした。
リヴァイとなまえの関係を知ったあの日から、ペトラはこの辺りに来るのを避けてきた。
だから、ほとんど2年ぶりなのだ。
道を間違えたかしたに違いない———そう思いたいのに、足元に転がるアンティーク調の小物が、ここはなまえが大切に守って来たカフェだと訴えてくる。
(きっともう、誰かが助けてくれている。)
ペトラは、そう信じるしかなかった。
なまえのカフェは、地元に愛されている店だった。
常連客には、特に駐屯兵が多い。
明るく美人な彼女は、客に好かれている店主だった。
きっと、馴染みの駐屯兵達は、真っ先になまえを助けに来たに違いない。
こんなことになるまで、放置されているはずがない——。
また、悲鳴が聞こえる。建物が崩れる轟音が響く。
こんな地獄の中で、誰かを助ける余裕のある駐屯兵が何人いたか。
壁外で恐ろしい思いを幾度も体験したからこそ、ペトラは知っている。
目の前に起きている恐ろしい現実と戦うことで精一杯だった駐屯兵達を誰も責められない。
ペトラが、グッと拳を握ったそのときだった。
「…け、て…。たす、けてくだ、さい…。」
瓦礫の奥から、小さな声が聞こえた気がした。
「なまえ!?」
ペトラは叫んだ。
いる———なまえがいる。
逃げ遅れていたという事実は良いことではないのは確かだが、彼女は生きている。
この地獄の中で生きていられたのは、不幸中の幸いだ。奇跡だ。
「どこ!?どこにいるの!?」
瓦礫の中でペトラは叫び続けた。
重たい瓦礫を必死にどかしながら、声がしたと思われる場所を探す。
「たす、けて…。」
また聞こえた。
けれど、どこにいるのかが分からない。
ペトラは、危険を承知で目を閉じた。そして、耳を澄ます。
轟音の響く中、瓦礫の向こうからしているはずのなまえの息遣いを探した。
「おね、がい…。」
また聞こえた小さな声の場所を、ペトラは今度こそ見つけ出した。
真っ二つに折れた看板の下あたりだ。
「待ってて!もう大丈夫!!すぐに助けるから!!」
ペトラは、重たい瓦礫と化した看板を持ち上げた。
看板をどかしてもそこは、瓦礫の山だった。
カウンターとテーブルが折り重なるように倒れて出来ている空間の隙間に、なまえを見つける。
やっと、見つけた———。
目が合った気がするが、虚ろな彼女の瞳にペトラが映ったかどうかは自信がない。
額からは血が流れ、頬も擦り切れていた。
いつも羨ましいと思っていた透き通るような白い肌が、煤で汚れて茶色くなっている。
「なまえ!今すぐ出してあげるからね!
もう少し頑張ってね!」
ペトラは、声かけを途切れさせないことを意識しながら、瓦礫の中からなまえを助けようと頑張った。
何分程そうしていただろうか。
行く手を阻むように折り重なっている周囲の瓦礫をどかすのに手間取ったが、なまえを守るように空間が出来ていたおかげで、引っ張り出す作業はそこまで難しくなかった。
そうして、漸くなまえを瓦礫の山から助け出して、ペトラは現実を思い出す。
(あ…。)
傷だらけで地面に横たわるなまえは、華奢な身体には不自然な大きなお腹を抱えている。
両手で必死に守るようにして包んでいる大きなお腹の中には、リヴァイとの子供が————。
「おね、がいしま、す…。」
突然、腕を掴まれてペトラはハッとした。
慌ててなまえを見れば、彼女は息も絶え絶えで横たわったままで必死にペトラを見上げていた。
よく見れば、彼女は股の間から大量の血を流している。
もしかすると、おなかの赤ちゃんに何かあったのかもしれない。
「どう、か…、たす、けて…くだ、さ…。」
どうやら、なまえはそこにいるのがペトラだとは気づいていないようだ。
怪我が原因なのか、大量に流れる血のせいなのかは分からないが、きっと今にも気を失ってしまいそうなのだろう。
煤で汚れて茶色になっていると思っていたのに、血の気の引いた青白い顔をしている。
それでもなまえは、虚ろな瞳でお腹を摩りながら必死に訴え続ける。
「この子だけ…。赤ちゃ、んだけは…、たす、けてください…。」
なまえはうわ言のようにそう繰り返す。
でも、ペトラは動けなかった。
今すぐになまえを抱えて、内門の向こうへと連れて行かなければならない。
そこまで行けば、彼女は医療を受けられる。
彼女だけではなく、お腹の中の子供も助けられるだろう。
でも———。
(リヴァイ兵長との子供…。)
傷だらけのなまえを見下ろすペトラは、あの日のことを思い出していた。
風邪を引いて寝込んでいると聞いて、看病するための用意をして彼女の家に行ったあの日。
ペトラは、仲睦まじく自分を裏切っていた男女を見つけた。
(私を裏切って作った子供…。)
なまえさえいなければ、リヴァイの子供を宿すのは自分だったかもしれない。
実際、告白を受け入れた後の彼はとても優しくて、愛情を示してくれていたのだ。
それが、なまえに紹介してしまったばかりに、彼は変わってしまった。
話しかけてもどこか上の空で、出不精だったはずなのに、任務の合間を縫ってはふらりとひとりでどこかへ行ってしまうようになった。
きっとその頃から、隠れて二人で会っていたのだろう。
そして、出張の帰りに大雨に見舞われたあの夜に、リヴァイの心をペトラから完全に放してしまう何かがあった。
その諸悪の根源は、なまえだ———。
(このまま、なまえも子供もいなくなってしまったら…。)
そうしたら、リヴァイとの関係は元に戻るだろうか。
もう一度、ただの上司と部下になって、もう一度、関係を築き合って、そうして、また恋人になれるかもしれない。
愛する人を失って嘆き悲しむリヴァイを守って、支えてあげればいつかきっと———。
「ペトラ!お前、そんなとこで何をボーッとして———。
は!?なまえさん!?血だらけじゃねぇか!!
なまえさん!意識ありますか!?おれっす、オルオっす!声聞こえますか!?」
どこからかオルオがやって来た。
彼は、急いで駆け寄ると、血だまりに膝をついて、倒れ込むなまえに声をかける。
「赤、ちゃん…。たす、けて…。この子、だけ、は…、どうか…たす、けて…。」
なまえは、相変わらずうわ言のように同じことばかりを繰り返していた。
「もちろんっすよ!なまえさんも、赤ん坊も必ず助けますから!!
絶対ぇ諦めないでください!!」
オルオは、大きな声で叫ぶように答える。
いつも無駄に大きなだけのその声のおかげで、朦朧としていたなまえにも届いたらしい。
彼女はホッとしたのか、とうとう意識を手放した。
「なまえさん!なまえさん!!聞こえますか!?
クソッ、反応がねぇ…!…!赤ん坊は…!」
オルオは焦った様子で、なまえの腹に自分の耳をあてた。
果たして、なまえの子供は生きているだろうか。
彼女の周りは血の海だ。それだけの血が流れていて、助かっていれば奇跡だ。
「よし!元気に蹴った!!
なまえさん、生きてますよ!赤ん坊は元気っすからね!」
意識を失ってるなまえに、オルオは明るく声をかけた。
「ペトラ。俺がなまえさんを運ぶ。
お前は護衛と補佐を頼む!」
オルオはバカだし、アホだし、自信家でうるさくて、似ても似つかないくせにリヴァイの真似ばかりしているどうしようもない男だけれど、とても頼りになる調査兵でもある。
彼が来たのだから、なまえはきっと助かるだろう。
「——ラ、——トラ——ペトラ!!何やってんだ!しっかりしろ!!」
オルオの怒鳴り声がして、闇深くに潜っていたペトラの意識が一気に戻って来た。
(私…、今なにを———。)
その途端に、自分が考えてしまっていたことの恐ろしさに脚が震えた。
心臓が凍えた。
オルオが来ていなかったら、ここでなまえが赤ん坊と共に死に絶えるのを見下ろし続けていたところだった。
目が合ったオルオは、泣きそうな顔をして眉を顰めていた。
きっと彼は、ペトラが何を考えていたのか察してしまったのだろう。
ずっと共に切磋琢磨していた仲間が闇に落ちようとしていたことを知って、どれほどショックだったか。軽蔑して、悲しい気持ちになったか。
それでも、オルオはすぐに気を取り直すように、やるべきことをやり始める。
「俺がなまえさんを運ぶ。お前は、護衛と補佐を頼む。」
「わ、わかった!」
ペトラが力強く頷くと、オルオの表情が少しだけ和らいだ。
「よし、じゃあ行くぞ!」
なまえを抱えて、オルオが立体起動装置を飛ばした。
ペトラもその後姿を追いかけた。
正直、ショックだった。
リヴァイが、一途で愛情深い人だということは共に命懸けの仕事をしていれば分かる。
だからこそ、リヴァイがまた心変わりをして自分の元に戻ってくる未来なんてないと理解していた。理解しているつもりではいたのだ。
けれど、それと同時に、自分達の上司と部下という関係性はこれからもずっと変わらないのだと信じてもいた。
リヴァイはいつまでもリヴァイ兵長のままだと———。
「アレはなんだ…。」
調査兵の誰かが呟いた。
壁外調査の最中、巨人達の異変に気付いたエルヴィンの号令の下、調査兵団は来た道を大急ぎで戻ってトロスト区の壁門の元へと帰って来ていた。
高くそびえ立つ壁の向こうからは、轟音や悲鳴が聞こえてくる。
5年前と同じ惨劇が繰り返されていることは、容易に想像がついた。
けれど、超大型巨人が開けたと思われる大穴をなぜか大きな岩が塞いでいる。
そのおかげで、これ以上の巨人の侵入を阻むことは出来ているが、調査兵団もトロスト区の中に入れない。
そもそも、あんなに大きな岩がどうして穴を塞いでいるのか————。
分からないことは多々あったが、今はそれどころではないのも確かだ。
トロスト区内に侵入した巨人討伐と民間人救助を速やかに遂行しなければならない。
「なまえ…!!」
最初に判断したのは、リヴァイだった。
見たこともないような焦ったような表情で恋人の名を叫びながら、立体起動装置で飛び上がった。
壁門は破壊されて通れないが、調査兵達には先人達が作り上げた空飛ぶ機械がある。
兵士長に続け———と、他の調査兵達も立体起動装置で飛び上がり、高い壁を越えていく。
そうして、壁上から見下ろしたトロスト区は、地獄だった。
今まさに巨人に襲われようとしている訓練兵を助けに飛んだリヴァイを見つけて、ペトラはトロスト区の街の中心へと向けて立体起動装置を飛ばす。
あの訓練兵のそばには、大きな岩があった。
そして、駐屯兵達の無残な死体と大量の飢えた巨人に囲まれて、大きな岩にもたれかかるように倒れ込んでいる15m級ほどの巨人。
何があったのかは分からないが、あそこだけ異様な空間だったことだけは確かだ。
そこへ飛んで行ったリヴァイが、すぐにあの場を離脱出来るとは思えなかった。
でも、こんなに必死に何かを急いでいる理由は、本当にそれだけだったのだろうか。
立体起動装置で空を飛んでいると、壊れてしまった街並みがよく分かる。
瓦礫の山に、ところどころに落ちている駐屯兵や訓練兵達の死体。どこかからまた聞こえてくる悲鳴は、この惨劇を彩る為のBGMだろうか。
それは、5年前のシガンシナ区巨人襲撃を知らないペトラにとって、生まれて初めて見るこの世の地獄だった。
もつれそうになる足でなんとか駆けて、漸く辿り着いた場所には、見覚えのあるカフェなんて存在していなかった。
「何…、これ…。」
ペトラは、絶句した。
なまえが暮らす家は、1階がカフェ、2階が居住区になっている。
けれど、今目の前にある『それ』は、柱が倒れて崩れ、1階の屋根ほどの高さもない。
基礎部分まで潰れてしまっている。
文字通り、瓦礫の山だ。
(違う…、ここじゃない…。)
必死に、そう言い聞かせようとした。
リヴァイとなまえの関係を知ったあの日から、ペトラはこの辺りに来るのを避けてきた。
だから、ほとんど2年ぶりなのだ。
道を間違えたかしたに違いない———そう思いたいのに、足元に転がるアンティーク調の小物が、ここはなまえが大切に守って来たカフェだと訴えてくる。
(きっともう、誰かが助けてくれている。)
ペトラは、そう信じるしかなかった。
なまえのカフェは、地元に愛されている店だった。
常連客には、特に駐屯兵が多い。
明るく美人な彼女は、客に好かれている店主だった。
きっと、馴染みの駐屯兵達は、真っ先になまえを助けに来たに違いない。
こんなことになるまで、放置されているはずがない——。
また、悲鳴が聞こえる。建物が崩れる轟音が響く。
こんな地獄の中で、誰かを助ける余裕のある駐屯兵が何人いたか。
壁外で恐ろしい思いを幾度も体験したからこそ、ペトラは知っている。
目の前に起きている恐ろしい現実と戦うことで精一杯だった駐屯兵達を誰も責められない。
ペトラが、グッと拳を握ったそのときだった。
「…け、て…。たす、けてくだ、さい…。」
瓦礫の奥から、小さな声が聞こえた気がした。
「なまえ!?」
ペトラは叫んだ。
いる———なまえがいる。
逃げ遅れていたという事実は良いことではないのは確かだが、彼女は生きている。
この地獄の中で生きていられたのは、不幸中の幸いだ。奇跡だ。
「どこ!?どこにいるの!?」
瓦礫の中でペトラは叫び続けた。
重たい瓦礫を必死にどかしながら、声がしたと思われる場所を探す。
「たす、けて…。」
また聞こえた。
けれど、どこにいるのかが分からない。
ペトラは、危険を承知で目を閉じた。そして、耳を澄ます。
轟音の響く中、瓦礫の向こうからしているはずのなまえの息遣いを探した。
「おね、がい…。」
また聞こえた小さな声の場所を、ペトラは今度こそ見つけ出した。
真っ二つに折れた看板の下あたりだ。
「待ってて!もう大丈夫!!すぐに助けるから!!」
ペトラは、重たい瓦礫と化した看板を持ち上げた。
看板をどかしてもそこは、瓦礫の山だった。
カウンターとテーブルが折り重なるように倒れて出来ている空間の隙間に、なまえを見つける。
やっと、見つけた———。
目が合った気がするが、虚ろな彼女の瞳にペトラが映ったかどうかは自信がない。
額からは血が流れ、頬も擦り切れていた。
いつも羨ましいと思っていた透き通るような白い肌が、煤で汚れて茶色くなっている。
「なまえ!今すぐ出してあげるからね!
もう少し頑張ってね!」
ペトラは、声かけを途切れさせないことを意識しながら、瓦礫の中からなまえを助けようと頑張った。
何分程そうしていただろうか。
行く手を阻むように折り重なっている周囲の瓦礫をどかすのに手間取ったが、なまえを守るように空間が出来ていたおかげで、引っ張り出す作業はそこまで難しくなかった。
そうして、漸くなまえを瓦礫の山から助け出して、ペトラは現実を思い出す。
(あ…。)
傷だらけで地面に横たわるなまえは、華奢な身体には不自然な大きなお腹を抱えている。
両手で必死に守るようにして包んでいる大きなお腹の中には、リヴァイとの子供が————。
「おね、がいしま、す…。」
突然、腕を掴まれてペトラはハッとした。
慌ててなまえを見れば、彼女は息も絶え絶えで横たわったままで必死にペトラを見上げていた。
よく見れば、彼女は股の間から大量の血を流している。
もしかすると、おなかの赤ちゃんに何かあったのかもしれない。
「どう、か…、たす、けて…くだ、さ…。」
どうやら、なまえはそこにいるのがペトラだとは気づいていないようだ。
怪我が原因なのか、大量に流れる血のせいなのかは分からないが、きっと今にも気を失ってしまいそうなのだろう。
煤で汚れて茶色になっていると思っていたのに、血の気の引いた青白い顔をしている。
それでもなまえは、虚ろな瞳でお腹を摩りながら必死に訴え続ける。
「この子だけ…。赤ちゃ、んだけは…、たす、けてください…。」
なまえはうわ言のようにそう繰り返す。
でも、ペトラは動けなかった。
今すぐになまえを抱えて、内門の向こうへと連れて行かなければならない。
そこまで行けば、彼女は医療を受けられる。
彼女だけではなく、お腹の中の子供も助けられるだろう。
でも———。
(リヴァイ兵長との子供…。)
傷だらけのなまえを見下ろすペトラは、あの日のことを思い出していた。
風邪を引いて寝込んでいると聞いて、看病するための用意をして彼女の家に行ったあの日。
ペトラは、仲睦まじく自分を裏切っていた男女を見つけた。
(私を裏切って作った子供…。)
なまえさえいなければ、リヴァイの子供を宿すのは自分だったかもしれない。
実際、告白を受け入れた後の彼はとても優しくて、愛情を示してくれていたのだ。
それが、なまえに紹介してしまったばかりに、彼は変わってしまった。
話しかけてもどこか上の空で、出不精だったはずなのに、任務の合間を縫ってはふらりとひとりでどこかへ行ってしまうようになった。
きっとその頃から、隠れて二人で会っていたのだろう。
そして、出張の帰りに大雨に見舞われたあの夜に、リヴァイの心をペトラから完全に放してしまう何かがあった。
その諸悪の根源は、なまえだ———。
(このまま、なまえも子供もいなくなってしまったら…。)
そうしたら、リヴァイとの関係は元に戻るだろうか。
もう一度、ただの上司と部下になって、もう一度、関係を築き合って、そうして、また恋人になれるかもしれない。
愛する人を失って嘆き悲しむリヴァイを守って、支えてあげればいつかきっと———。
「ペトラ!お前、そんなとこで何をボーッとして———。
は!?なまえさん!?血だらけじゃねぇか!!
なまえさん!意識ありますか!?おれっす、オルオっす!声聞こえますか!?」
どこからかオルオがやって来た。
彼は、急いで駆け寄ると、血だまりに膝をついて、倒れ込むなまえに声をかける。
「赤、ちゃん…。たす、けて…。この子、だけ、は…、どうか…たす、けて…。」
なまえは、相変わらずうわ言のように同じことばかりを繰り返していた。
「もちろんっすよ!なまえさんも、赤ん坊も必ず助けますから!!
絶対ぇ諦めないでください!!」
オルオは、大きな声で叫ぶように答える。
いつも無駄に大きなだけのその声のおかげで、朦朧としていたなまえにも届いたらしい。
彼女はホッとしたのか、とうとう意識を手放した。
「なまえさん!なまえさん!!聞こえますか!?
クソッ、反応がねぇ…!…!赤ん坊は…!」
オルオは焦った様子で、なまえの腹に自分の耳をあてた。
果たして、なまえの子供は生きているだろうか。
彼女の周りは血の海だ。それだけの血が流れていて、助かっていれば奇跡だ。
「よし!元気に蹴った!!
なまえさん、生きてますよ!赤ん坊は元気っすからね!」
意識を失ってるなまえに、オルオは明るく声をかけた。
「ペトラ。俺がなまえさんを運ぶ。
お前は護衛と補佐を頼む!」
オルオはバカだし、アホだし、自信家でうるさくて、似ても似つかないくせにリヴァイの真似ばかりしているどうしようもない男だけれど、とても頼りになる調査兵でもある。
彼が来たのだから、なまえはきっと助かるだろう。
「——ラ、——トラ——ペトラ!!何やってんだ!しっかりしろ!!」
オルオの怒鳴り声がして、闇深くに潜っていたペトラの意識が一気に戻って来た。
(私…、今なにを———。)
その途端に、自分が考えてしまっていたことの恐ろしさに脚が震えた。
心臓が凍えた。
オルオが来ていなかったら、ここでなまえが赤ん坊と共に死に絶えるのを見下ろし続けていたところだった。
目が合ったオルオは、泣きそうな顔をして眉を顰めていた。
きっと彼は、ペトラが何を考えていたのか察してしまったのだろう。
ずっと共に切磋琢磨していた仲間が闇に落ちようとしていたことを知って、どれほどショックだったか。軽蔑して、悲しい気持ちになったか。
それでも、オルオはすぐに気を取り直すように、やるべきことをやり始める。
「俺がなまえさんを運ぶ。お前は、護衛と補佐を頼む。」
「わ、わかった!」
ペトラが力強く頷くと、オルオの表情が少しだけ和らいだ。
「よし、じゃあ行くぞ!」
なまえを抱えて、オルオが立体起動装置を飛ばした。
ペトラもその後姿を追いかけた。