◇第七十話◇幸せを握り潰す君の手を愛したから
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リヴァイ兵長の後に続いて、応接室に入った。
全員の視線が私に集まる。
扉の横にいたペトラなんて、とても驚いた顔で私を見ていた。
「起きたんだね。今日はもう会えないと思っていたから、嬉しいよ。」
ルーカスがソファから立ち上がって、ホッとしたように微笑んだ。
少し前まで、私のものだった優しい微笑みのままで、懐かしい胸の痛みを感じる。
でもー。
「その手は、僕に見せつけるためかな。」
ルーカスは悲しそうに、私とリヴァイ兵長の繋がる手を見下ろす。
私はまた、彼を傷つけようとしている。
今度こそ、故意に、敢えて傷つけようとしている。
思わず、放しそうになった手を、リヴァイ兵長が強く握った。
そうだー、決めたのだから、私はー。
一度目を伏せ、小さく深呼吸をする。
そして、顔を上げてから、私はしっかりとルーカスを見つめた。
「私、ルーカスとは一緒になれない。
それを伝えるためと、この指輪を返すために来ました。」
意を決して、私は、ハッキリと伝えた。
そして、リヴァイ兵長と握っていない方の手をルーカスの前に出す。
そっと開いた掌の中に、大きな宝石のついた指輪を見つけたルーカスの顔が、僅かに歪む。
ズキンー、胸が痛んだ音がした。
でも、これでいい。
あのとき、どうしても調査兵団に入団すると頑なな私に、悲しそうに別れを告げたのは、ルーカスだった。
最後の最後まで、ほんの少しの希望を残しておきたくて、別れを切り出せなかった私の代わりに、ルーカスが告げた。
私はいつだって、ズルかった。
そのせいで、ルーカスにこんなところまで来させてしまった。
だから、ちゃんと終わらせないといけない。
「これは君にあげたものだから、僕はいらないよ。」
私の元へ歩み寄ってきたルーカスは、私の掌を自分の手で包んで握らせた。
それでも、頑なに掌を開こうとすれば、ルーカスは指輪を受け取った。
でも、それを私の胸ポケットに入れてしまう。
驚いた私に、ルーカスが言う。
「今日もあの草原で言ったはずだよ。
僕なら君を幸せに出来る。君の望みならなんだって叶えてあげられる。
だから、君が掴むべき手は、そこじゃない。僕の手だ。」
ルーカスが、私に手を差し出す。
あぁ、きっと、その手を掴んだら私は本当に幸せになれるのだと思う。
調査兵団に入団する前までは、ルーカスとの結婚に対して漠然とあった不安も、今はない。
あの手は、私を幸せにする手だと、今なら心から信じられる。
それはとても、皮肉なことだけれどー。
「私、ずっと浮気してたの。あなたと付き合ってる時も隠れてこの人と会ってたの。
貴族も魅力的だけど、たくさんいるじゃない?
人類最強の兵士って世界にひとりだもの、自慢になるでしょう?」
私は首をすくめた。
全く反省していない素振りも、薄ら笑いも、全部、ルーカスを傷つけるためだった。
本当に最低だと、自分が嫌いになりそうだー。
でも、これでルーカスが私を嫌いになってくれたらいい。
思い出したくもないくらい、すぐに忘れてしまいたくなるくらい。
思い出しても憎しみが湧くだけで、悲しくならないように、嫌いになってしまえばいいと思う。
だって、嫌いになれたら、どんなに楽だろうって、私は知ってるからー。
それなのに、私の言葉に驚いたのはペトラ達だけで、ルーカスは傷ついた顔もしないで、悲しそうにもしないで、寂しそうに微笑んだ。
「僕が、そんな嘘を信じると思うの?」
寂しそうな笑みのまま、ルーカスは私の頬に触れた。
またねー、サヨナラの前にはいつもそう言って私の頬を名残惜しそうに撫でていた、優しいルーカスの指先。
そっと触れる感触も温もりも全部、あの頃のままで、気持ちまで戻ってしまいそうになる。
でも、私はその手を冷たく振りほどいた。
「信じるも信じないも、それが真実だもの。」
スッと目を反らして、私は冷たく言う。
「それなら、僕からも真実をひとつ、いいかな。」
「真実?」
思わず、私はルーカスを見てしまった。
私と目が合って、ルーカスは口を開いた。
「ここにいる君以外のみんなは知っているんだけど。」
ルーカスは、リヴァイ兵長達を見渡す。
何を知っているのだろうー。
緊張しながら、私は続きを待った。
「僕の本当の名前は、ルーカス・フォン・ユーリヒ。」
「え…?」
「王族とは親戚関係で、ストヘス区ではなく王都に住んでいる。
君の家族を移住させられなかったのは、
王都にトロスト区の民間人を入れることを反対させられたからなんだ。」
「うそ…。」
「信じるも信じないも、それが真実だからね。」
さっきの私のセリフがそのまま、ルーカスから返ってくる。
その後、私には子爵だと告げていた爵位も、本当は侯爵なのだと教えられた。
身分が高い故に、子供の頃から身を狙われることが多く、本当の出身を隠すことが癖になっていたことを謝られた。
一気に、頭が真っ白になった。
ルーカスが王都に住んでいて、本当は侯爵。そしてー。
「だから、僕なら君を王都に連れて行ってあげられる。
トロスト区から出ることすら許してくれない彼らと違ってね。
君の家族が今ストヘス区に住んでいるのなら、許してもらうのは前よりは簡単なはずだ。」
だから、僕の手をとってー。
ルーカスは、もう一度、私に手を差し伸べた。
それが、私を悲しい恋から救い出してくれる手に見えた。
(この手を取ったら…、私はもう悲しい思いをして泣かなくていいのかな…。)
私の心の奥にある寂しさが、必死に我慢していた寂しさが、私の心を埋め尽くそうとする。
どうにか保っていた兵士としての尊厳とか、女としてのプライドとか、リヴァイ兵長へのー想いとか。
ルルの声すらも、私の意識のどこか遠くへ消えていくようだった。
『絶対に幸せになりなさいよ。』
ヒルラの笑顔と、真っ赤なマニキュアのピースサイン。
絶対に幸せになれるのは、ルーカスだ。
あの日、ルーカスとの結婚を諦めて調査兵団を選んだ理由は、もうない。
家族も王都に行けるのなら、私にはもう足枷はない。
だって、どうせここにいても、私はー。
弱い心が、ルーカスの優しさに、ルーカスの愛につけ込もうとしている。
でも、ヒルラとルルにも、私の心にも、嘘は、つけないー。
それに、私は兵士だからー。
「ごめんなさい、私はー。」
「さっき、エルヴィン団長からも君を連れて帰る許可を貰ったんだ。
君はもう自由の身だよ。何も気にすることはない。」
「え?」
私の断りを遮るためのルーカスの言葉に、私は驚いた。
握られている私の手が少し揺れたから、きっとリヴァイ兵長も知らなかったのだろう。
思わず見たエルヴィン団長は、いつも通り、澄ました顔をしていて、何を考えているのかは分からない。
ただ、なりゆきを見守ろうとしているみたいだった。
でも、私から目を反らしたハンジさんとナナバさん、ペトラが、ルーカスの言っていることは本当だと教えてくれる。
「ごめん、なまえ。
君が私達のためにここに残ろうとしてくれたのは分かった。
すごく嬉しい。でも…。」
ハンジさんは最後まで言えずに口を噤んだ。
それに続けるように、今度はナナバさんが口を開いた。
「結婚すると去っていく兵士だっているのに、君だけはダメなんて出来ないんだよ。
確かに君はとても優秀な兵士だ。でも、その前に人間だ。
幸せになる権利が、ある。私達がそれを否定することは出来ない。」
「だから、なまえ。自分で選んで。
幸せになれると思う方を、選んでほしいの。
お願い、後悔しない方を、選んで。」
ナナバさんに続けたペトラは、私を懇願するような目で見ていた。
誰も、私にどうしろとは言わない。
私にどうすべきか教えてくれない。
リヴァイ兵長はー。
どんな顔をしているのだろう。
リヴァイ兵長も、好きに選べと言うのだろうか。
私はここにいなくてもいいのだろうか。
顔を見るのが怖い。どんな答えが返ってくるのか、想像するのも怖い。
でも、分かっている。
今、決断に必要なのは、彼らが私にどうしてほしいかではない。
私が、どうしたいのかー。
「リヴァイ兵長…。」
手を繋いだままで、私は縋るようにリヴァイ兵長を見た。
「きっと、リヴァイ兵長も、後悔しない方を選べって言うって分かってます。でも…。」
私は目を伏せる。
答えなら決まっていた。
でも、それで後悔しない自信がなかった。
怖かった。
だから、背中を教えてほしくて、だからー。
「行くな。」
言って欲しかった言葉が聞こえた気がした。
幻聴だと思って、でも、もしかしたらと思って顔を上げたら、リヴァイ兵長と目があった。
「絶対に後悔させない。俺が死んでも守る。
だから、どこにも行くな。」
リヴァイ兵長の唇が動いて、リヴァイ兵長の声が私の耳に届く。
幻聴じゃない。
私を握るリヴァイ兵長の手に、痛いくらいに力がこもっていて、これは夢じゃないと教えてくれる。
「騙されないで。
僕なら、君をこの世界で最も安全な場所で守ってあげられる。
さぁ、おいで。」
いつも優しくて、私を守ってくれたルーカスの手は、すぐそこにある。
私を絶対に幸せにしてくれる手が、すぐ目の前にー。
でも、私の手はリヴァイ兵長に握られていて、痛さに痺れている。
だから、反対の手が、私の意思とは違うところで、救いを求めてルーカスの手に触れようとする。
どうするべきかー、そんなの分からない。
だって、私はとても傷ついていて、どうにかして傷を癒せないかともがいているから。
でも、今、分かっていることは2つ。
私が好きなのはリヴァイ兵長で、でも、彼は私を幸せにはしてくれないということ。
リヴァイ兵長は、気まぐれで優しくしては、私を傷つけては泣かせてばかりだ。
そして、ルーカスは私を愛してくれていて、絶対に私を幸せにしてくれる。
いつだって優しくて、私を決して傷つけないし、泣かせることだって絶対にない。
だって、私が愛してるのは、リヴァイ兵長だからー。
ルーカスの手に触れる直前で、私の手は止まる。
愚かな恋心が、理性にも欲望にも、私を織りなす全てに勝ってしまった瞬間だった。
でも、これがきっと、私が後悔しない方なのだろう。
私の背中を押してくれたリヴァイ兵長の一言を、好きな人を、私は信じたい。
ここにいてもいいと思ってくれているのだと、信じたい。
「ごめんなさい、ルーカス。その手は取れない。」
「どうしてっ。」
ルーカスは、ひどくショックを受けているようだった。
私も、自分の決断に、ショックを受けている。
どうして、ルーカスの手を掴めなかったのだろうと思う。
それが一番楽なのに。幸せになる近道なのに。
でも、私はもう逃げないと決めたからー。
大切な親友に、絶対に幸せになることを誓ったし、自分の心に嘘を吐かないことも誓った。
だから、逃げて幸せになるなんて、そんな道は、もう選べない。
頑なに首を縦に振らない私に、ルーカスは必死に、王都がどれだけ安全なのかを教えてくれる。
調査兵団に入団する前の私なら、とても魅力的に思ったはずだ。
王都は安全だと信じ切ったはずだ。
でもー。
私は、調査兵団に入団して知ってしまった。
この世界に安全な場所なんて、どこにもないのだということを。
いつだって巨人の脅威に晒されている、危険な世界なのだということを。
そして、そんな世界を守るために命を懸けて戦う強くて勇敢で、とても尊い命を輝かせるステキな人達の存在も、もう知ってしまったからー。
「お願いだ、なまえ。今は君が一番幸せだと思うことを考えてほしいんだよ。
君はとても優しいから、彼らのことまで心配しているんだろうけど、
そのために自分の命を捨てることはない。君は賢い子だろう?」
ルーカスは私の両肩を握りしめて、必死に説得しようとしていた。
彼の言っていることはすごくわかる。
とても、理解できる。
でもー。
ルーカスはいくつか、勘違いをしている。
私は賢くないし、むしろ愚かで、どうしようもない悪い女だ。
ルーカスに愛してもらう資格なんて、初めからなかったのだ。
そしてー。
「そんな悪い男に騙されたらいけない。
君をこんな狭い場所に閉じ込めて、
世界で最も危険な場所に連れて行くような男じゃないか。」
「違うよ、ルーカス。」
「何が違うんだよ。」
ルーカスは呆れたようにため息を吐いた。
「リヴァイ兵長は、壁の中の狭い世界で狭い価値観しか持てなかった私を
とても広い世界に連れて行ってくれたわ。」
「それは素晴らしいね。
ところで、そこには巨人とか言う恐ろしい生き物がいて、君を食べようとしなかったかい?」
「ねぇ、ルーカス、お願い、分かってほしいの。」
「何を分かればいいんだい?
僕には、君が最悪な道を選ぼうとしていることしかわからないよ。」
駄々をこねる子供を相手にしている大人みたいに、ルーカスは小さく首を振った。
もしかしたら、本当に私はただ駄々をこねているだけなのかもしれない。
ただ、好きな人と一緒にいたいからってだけで、命を懸けようとしているのだからー。
私はリヴァイ兵長の手を握る手に力を込めた。すると、応えるように私の手を握るリヴァイ兵長の手にも力が入った。
よかったー。
私はもう、これだけで大丈夫。
どこにだって行ける。どんな地獄だって、生きていける。
結婚なんて出来なくても、恋人になれなくても、ただの部下にさえなりきれなくても。
私は、人生を捧げる価値のある人を見つけたのだと、信じてるー。
そうじゃないと、ルーカスみたいに素敵な人に、別れの言葉なんて言えない。
だから、別れても一途な愛を持っていてくれたルーカスに、私は誠意ある対応をとらないといけない。
姑息な嘘なんて、もう吐いたらいけない。
真実を、私の本当の気持ちをー。
豪華な装飾品が欲しいわけじゃない。
安全な内地に暮らしたいわけじゃない。
何でも願いを叶えてくれる優しい王子様がいいわけでもない。
私はただー。
「好きな人のそばにいられるなら、どんな地獄でもいいの。
私は、誰かの為とか、優しさでここを選んだんじゃない。
私の好きな人がここにいるから、私はここに残るだけ。」
「本当にそれでいいの?死が迫ったとき、君は今の決断を悔いることになるよ。」
「ごめんね、ルーカス。でも、私は大丈夫なの。
だって、どこを探しても巨人の脅威に晒されている恐ろしく残酷なこの世界で、
人類最強の兵士の隣は、私が知る最も安全な場所だもの。」
リヴァイ兵長の手は温かくて、どうしたって、私はこの手を放せない。
それなら、私は人類最強の兵士の隣で死ぬまで戦いたい。
巨人とも、この世界とも、苦しいくらいのこの想いともー。
「…そう。君がそう望むのなら、仕方ないね。」
ルーカスの目が沈んで、私から離れた。
痛い、胸が痛い。
彼の腕の中に飛び込めたのなら、きっと、誰も傷つけなかったのだと思う。
エルヴィン団長達は、兵士の自由だと思っているみたいだし、リヴァイ兵長が私を本気で引き留めるとも思えない。
どうして私はー。
傷ついたルーカスの顔を見て、早速、後悔しそうだった私は、目を伏せて唇を噛んだ。
そんな私の頭を、誰かが優しく撫でる。
この手の感触は、知っている。
綺麗で長くて、優しくて、愛おしそうにいつも私の頭を撫でてくれた世界一素敵な王子様の手だー。
「でも、僕は信じてるよ。君を幸せに出来るのは僕だ。
彼らは、君を危険な目に合わせて、傷つけることしかできない。」
ゼッタイニー。
耳元に氷が触れたようなひんやりした感覚を覚えて、私はビクッと肩を揺らし、思わず顔を上げた。
でも、そこにあったのは、私の知る王子様の優しい微笑みだったー。
全員の視線が私に集まる。
扉の横にいたペトラなんて、とても驚いた顔で私を見ていた。
「起きたんだね。今日はもう会えないと思っていたから、嬉しいよ。」
ルーカスがソファから立ち上がって、ホッとしたように微笑んだ。
少し前まで、私のものだった優しい微笑みのままで、懐かしい胸の痛みを感じる。
でもー。
「その手は、僕に見せつけるためかな。」
ルーカスは悲しそうに、私とリヴァイ兵長の繋がる手を見下ろす。
私はまた、彼を傷つけようとしている。
今度こそ、故意に、敢えて傷つけようとしている。
思わず、放しそうになった手を、リヴァイ兵長が強く握った。
そうだー、決めたのだから、私はー。
一度目を伏せ、小さく深呼吸をする。
そして、顔を上げてから、私はしっかりとルーカスを見つめた。
「私、ルーカスとは一緒になれない。
それを伝えるためと、この指輪を返すために来ました。」
意を決して、私は、ハッキリと伝えた。
そして、リヴァイ兵長と握っていない方の手をルーカスの前に出す。
そっと開いた掌の中に、大きな宝石のついた指輪を見つけたルーカスの顔が、僅かに歪む。
ズキンー、胸が痛んだ音がした。
でも、これでいい。
あのとき、どうしても調査兵団に入団すると頑なな私に、悲しそうに別れを告げたのは、ルーカスだった。
最後の最後まで、ほんの少しの希望を残しておきたくて、別れを切り出せなかった私の代わりに、ルーカスが告げた。
私はいつだって、ズルかった。
そのせいで、ルーカスにこんなところまで来させてしまった。
だから、ちゃんと終わらせないといけない。
「これは君にあげたものだから、僕はいらないよ。」
私の元へ歩み寄ってきたルーカスは、私の掌を自分の手で包んで握らせた。
それでも、頑なに掌を開こうとすれば、ルーカスは指輪を受け取った。
でも、それを私の胸ポケットに入れてしまう。
驚いた私に、ルーカスが言う。
「今日もあの草原で言ったはずだよ。
僕なら君を幸せに出来る。君の望みならなんだって叶えてあげられる。
だから、君が掴むべき手は、そこじゃない。僕の手だ。」
ルーカスが、私に手を差し出す。
あぁ、きっと、その手を掴んだら私は本当に幸せになれるのだと思う。
調査兵団に入団する前までは、ルーカスとの結婚に対して漠然とあった不安も、今はない。
あの手は、私を幸せにする手だと、今なら心から信じられる。
それはとても、皮肉なことだけれどー。
「私、ずっと浮気してたの。あなたと付き合ってる時も隠れてこの人と会ってたの。
貴族も魅力的だけど、たくさんいるじゃない?
人類最強の兵士って世界にひとりだもの、自慢になるでしょう?」
私は首をすくめた。
全く反省していない素振りも、薄ら笑いも、全部、ルーカスを傷つけるためだった。
本当に最低だと、自分が嫌いになりそうだー。
でも、これでルーカスが私を嫌いになってくれたらいい。
思い出したくもないくらい、すぐに忘れてしまいたくなるくらい。
思い出しても憎しみが湧くだけで、悲しくならないように、嫌いになってしまえばいいと思う。
だって、嫌いになれたら、どんなに楽だろうって、私は知ってるからー。
それなのに、私の言葉に驚いたのはペトラ達だけで、ルーカスは傷ついた顔もしないで、悲しそうにもしないで、寂しそうに微笑んだ。
「僕が、そんな嘘を信じると思うの?」
寂しそうな笑みのまま、ルーカスは私の頬に触れた。
またねー、サヨナラの前にはいつもそう言って私の頬を名残惜しそうに撫でていた、優しいルーカスの指先。
そっと触れる感触も温もりも全部、あの頃のままで、気持ちまで戻ってしまいそうになる。
でも、私はその手を冷たく振りほどいた。
「信じるも信じないも、それが真実だもの。」
スッと目を反らして、私は冷たく言う。
「それなら、僕からも真実をひとつ、いいかな。」
「真実?」
思わず、私はルーカスを見てしまった。
私と目が合って、ルーカスは口を開いた。
「ここにいる君以外のみんなは知っているんだけど。」
ルーカスは、リヴァイ兵長達を見渡す。
何を知っているのだろうー。
緊張しながら、私は続きを待った。
「僕の本当の名前は、ルーカス・フォン・ユーリヒ。」
「え…?」
「王族とは親戚関係で、ストヘス区ではなく王都に住んでいる。
君の家族を移住させられなかったのは、
王都にトロスト区の民間人を入れることを反対させられたからなんだ。」
「うそ…。」
「信じるも信じないも、それが真実だからね。」
さっきの私のセリフがそのまま、ルーカスから返ってくる。
その後、私には子爵だと告げていた爵位も、本当は侯爵なのだと教えられた。
身分が高い故に、子供の頃から身を狙われることが多く、本当の出身を隠すことが癖になっていたことを謝られた。
一気に、頭が真っ白になった。
ルーカスが王都に住んでいて、本当は侯爵。そしてー。
「だから、僕なら君を王都に連れて行ってあげられる。
トロスト区から出ることすら許してくれない彼らと違ってね。
君の家族が今ストヘス区に住んでいるのなら、許してもらうのは前よりは簡単なはずだ。」
だから、僕の手をとってー。
ルーカスは、もう一度、私に手を差し伸べた。
それが、私を悲しい恋から救い出してくれる手に見えた。
(この手を取ったら…、私はもう悲しい思いをして泣かなくていいのかな…。)
私の心の奥にある寂しさが、必死に我慢していた寂しさが、私の心を埋め尽くそうとする。
どうにか保っていた兵士としての尊厳とか、女としてのプライドとか、リヴァイ兵長へのー想いとか。
ルルの声すらも、私の意識のどこか遠くへ消えていくようだった。
『絶対に幸せになりなさいよ。』
ヒルラの笑顔と、真っ赤なマニキュアのピースサイン。
絶対に幸せになれるのは、ルーカスだ。
あの日、ルーカスとの結婚を諦めて調査兵団を選んだ理由は、もうない。
家族も王都に行けるのなら、私にはもう足枷はない。
だって、どうせここにいても、私はー。
弱い心が、ルーカスの優しさに、ルーカスの愛につけ込もうとしている。
でも、ヒルラとルルにも、私の心にも、嘘は、つけないー。
それに、私は兵士だからー。
「ごめんなさい、私はー。」
「さっき、エルヴィン団長からも君を連れて帰る許可を貰ったんだ。
君はもう自由の身だよ。何も気にすることはない。」
「え?」
私の断りを遮るためのルーカスの言葉に、私は驚いた。
握られている私の手が少し揺れたから、きっとリヴァイ兵長も知らなかったのだろう。
思わず見たエルヴィン団長は、いつも通り、澄ました顔をしていて、何を考えているのかは分からない。
ただ、なりゆきを見守ろうとしているみたいだった。
でも、私から目を反らしたハンジさんとナナバさん、ペトラが、ルーカスの言っていることは本当だと教えてくれる。
「ごめん、なまえ。
君が私達のためにここに残ろうとしてくれたのは分かった。
すごく嬉しい。でも…。」
ハンジさんは最後まで言えずに口を噤んだ。
それに続けるように、今度はナナバさんが口を開いた。
「結婚すると去っていく兵士だっているのに、君だけはダメなんて出来ないんだよ。
確かに君はとても優秀な兵士だ。でも、その前に人間だ。
幸せになる権利が、ある。私達がそれを否定することは出来ない。」
「だから、なまえ。自分で選んで。
幸せになれると思う方を、選んでほしいの。
お願い、後悔しない方を、選んで。」
ナナバさんに続けたペトラは、私を懇願するような目で見ていた。
誰も、私にどうしろとは言わない。
私にどうすべきか教えてくれない。
リヴァイ兵長はー。
どんな顔をしているのだろう。
リヴァイ兵長も、好きに選べと言うのだろうか。
私はここにいなくてもいいのだろうか。
顔を見るのが怖い。どんな答えが返ってくるのか、想像するのも怖い。
でも、分かっている。
今、決断に必要なのは、彼らが私にどうしてほしいかではない。
私が、どうしたいのかー。
「リヴァイ兵長…。」
手を繋いだままで、私は縋るようにリヴァイ兵長を見た。
「きっと、リヴァイ兵長も、後悔しない方を選べって言うって分かってます。でも…。」
私は目を伏せる。
答えなら決まっていた。
でも、それで後悔しない自信がなかった。
怖かった。
だから、背中を教えてほしくて、だからー。
「行くな。」
言って欲しかった言葉が聞こえた気がした。
幻聴だと思って、でも、もしかしたらと思って顔を上げたら、リヴァイ兵長と目があった。
「絶対に後悔させない。俺が死んでも守る。
だから、どこにも行くな。」
リヴァイ兵長の唇が動いて、リヴァイ兵長の声が私の耳に届く。
幻聴じゃない。
私を握るリヴァイ兵長の手に、痛いくらいに力がこもっていて、これは夢じゃないと教えてくれる。
「騙されないで。
僕なら、君をこの世界で最も安全な場所で守ってあげられる。
さぁ、おいで。」
いつも優しくて、私を守ってくれたルーカスの手は、すぐそこにある。
私を絶対に幸せにしてくれる手が、すぐ目の前にー。
でも、私の手はリヴァイ兵長に握られていて、痛さに痺れている。
だから、反対の手が、私の意思とは違うところで、救いを求めてルーカスの手に触れようとする。
どうするべきかー、そんなの分からない。
だって、私はとても傷ついていて、どうにかして傷を癒せないかともがいているから。
でも、今、分かっていることは2つ。
私が好きなのはリヴァイ兵長で、でも、彼は私を幸せにはしてくれないということ。
リヴァイ兵長は、気まぐれで優しくしては、私を傷つけては泣かせてばかりだ。
そして、ルーカスは私を愛してくれていて、絶対に私を幸せにしてくれる。
いつだって優しくて、私を決して傷つけないし、泣かせることだって絶対にない。
だって、私が愛してるのは、リヴァイ兵長だからー。
ルーカスの手に触れる直前で、私の手は止まる。
愚かな恋心が、理性にも欲望にも、私を織りなす全てに勝ってしまった瞬間だった。
でも、これがきっと、私が後悔しない方なのだろう。
私の背中を押してくれたリヴァイ兵長の一言を、好きな人を、私は信じたい。
ここにいてもいいと思ってくれているのだと、信じたい。
「ごめんなさい、ルーカス。その手は取れない。」
「どうしてっ。」
ルーカスは、ひどくショックを受けているようだった。
私も、自分の決断に、ショックを受けている。
どうして、ルーカスの手を掴めなかったのだろうと思う。
それが一番楽なのに。幸せになる近道なのに。
でも、私はもう逃げないと決めたからー。
大切な親友に、絶対に幸せになることを誓ったし、自分の心に嘘を吐かないことも誓った。
だから、逃げて幸せになるなんて、そんな道は、もう選べない。
頑なに首を縦に振らない私に、ルーカスは必死に、王都がどれだけ安全なのかを教えてくれる。
調査兵団に入団する前の私なら、とても魅力的に思ったはずだ。
王都は安全だと信じ切ったはずだ。
でもー。
私は、調査兵団に入団して知ってしまった。
この世界に安全な場所なんて、どこにもないのだということを。
いつだって巨人の脅威に晒されている、危険な世界なのだということを。
そして、そんな世界を守るために命を懸けて戦う強くて勇敢で、とても尊い命を輝かせるステキな人達の存在も、もう知ってしまったからー。
「お願いだ、なまえ。今は君が一番幸せだと思うことを考えてほしいんだよ。
君はとても優しいから、彼らのことまで心配しているんだろうけど、
そのために自分の命を捨てることはない。君は賢い子だろう?」
ルーカスは私の両肩を握りしめて、必死に説得しようとしていた。
彼の言っていることはすごくわかる。
とても、理解できる。
でもー。
ルーカスはいくつか、勘違いをしている。
私は賢くないし、むしろ愚かで、どうしようもない悪い女だ。
ルーカスに愛してもらう資格なんて、初めからなかったのだ。
そしてー。
「そんな悪い男に騙されたらいけない。
君をこんな狭い場所に閉じ込めて、
世界で最も危険な場所に連れて行くような男じゃないか。」
「違うよ、ルーカス。」
「何が違うんだよ。」
ルーカスは呆れたようにため息を吐いた。
「リヴァイ兵長は、壁の中の狭い世界で狭い価値観しか持てなかった私を
とても広い世界に連れて行ってくれたわ。」
「それは素晴らしいね。
ところで、そこには巨人とか言う恐ろしい生き物がいて、君を食べようとしなかったかい?」
「ねぇ、ルーカス、お願い、分かってほしいの。」
「何を分かればいいんだい?
僕には、君が最悪な道を選ぼうとしていることしかわからないよ。」
駄々をこねる子供を相手にしている大人みたいに、ルーカスは小さく首を振った。
もしかしたら、本当に私はただ駄々をこねているだけなのかもしれない。
ただ、好きな人と一緒にいたいからってだけで、命を懸けようとしているのだからー。
私はリヴァイ兵長の手を握る手に力を込めた。すると、応えるように私の手を握るリヴァイ兵長の手にも力が入った。
よかったー。
私はもう、これだけで大丈夫。
どこにだって行ける。どんな地獄だって、生きていける。
結婚なんて出来なくても、恋人になれなくても、ただの部下にさえなりきれなくても。
私は、人生を捧げる価値のある人を見つけたのだと、信じてるー。
そうじゃないと、ルーカスみたいに素敵な人に、別れの言葉なんて言えない。
だから、別れても一途な愛を持っていてくれたルーカスに、私は誠意ある対応をとらないといけない。
姑息な嘘なんて、もう吐いたらいけない。
真実を、私の本当の気持ちをー。
豪華な装飾品が欲しいわけじゃない。
安全な内地に暮らしたいわけじゃない。
何でも願いを叶えてくれる優しい王子様がいいわけでもない。
私はただー。
「好きな人のそばにいられるなら、どんな地獄でもいいの。
私は、誰かの為とか、優しさでここを選んだんじゃない。
私の好きな人がここにいるから、私はここに残るだけ。」
「本当にそれでいいの?死が迫ったとき、君は今の決断を悔いることになるよ。」
「ごめんね、ルーカス。でも、私は大丈夫なの。
だって、どこを探しても巨人の脅威に晒されている恐ろしく残酷なこの世界で、
人類最強の兵士の隣は、私が知る最も安全な場所だもの。」
リヴァイ兵長の手は温かくて、どうしたって、私はこの手を放せない。
それなら、私は人類最強の兵士の隣で死ぬまで戦いたい。
巨人とも、この世界とも、苦しいくらいのこの想いともー。
「…そう。君がそう望むのなら、仕方ないね。」
ルーカスの目が沈んで、私から離れた。
痛い、胸が痛い。
彼の腕の中に飛び込めたのなら、きっと、誰も傷つけなかったのだと思う。
エルヴィン団長達は、兵士の自由だと思っているみたいだし、リヴァイ兵長が私を本気で引き留めるとも思えない。
どうして私はー。
傷ついたルーカスの顔を見て、早速、後悔しそうだった私は、目を伏せて唇を噛んだ。
そんな私の頭を、誰かが優しく撫でる。
この手の感触は、知っている。
綺麗で長くて、優しくて、愛おしそうにいつも私の頭を撫でてくれた世界一素敵な王子様の手だー。
「でも、僕は信じてるよ。君を幸せに出来るのは僕だ。
彼らは、君を危険な目に合わせて、傷つけることしかできない。」
ゼッタイニー。
耳元に氷が触れたようなひんやりした感覚を覚えて、私はビクッと肩を揺らし、思わず顔を上げた。
でも、そこにあったのは、私の知る王子様の優しい微笑みだったー。