9. 裏側
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
最後の講義が始まり、職員室は寂しいくらいの静寂が流れていた。
私が担当している講義は、今日のこの時間はない為、静かな職員室に1人残り、テストの採点や明日の準備、講師達の資料整理を行っている。
今日がバイト初日だったエースは、ひとつ前の講義まで見学をして帰ってもらった。
私が助手が入ることを知らなかったこともあり、一緒に講義を手伝ってもらうことも出来なかったし、何を頼むかもまだ分かっていないからだ。
それに———。
(気まずい…。)
テストの採点をしていた手を止めて、私は大きく息を吐く。
次の出勤は明後日、それまでに私は助手とどのように付き合っていくかを考えなければならない。
助手との付き合い方は、講師達それぞれ皆違う。
たとえば、ただ講義の資料を作るのを頼むだけの講師もいれば、ウソップの父親であるヤソップさんみたいに、とにかく好きな時間に助手を呼び出して、ほとんどすべての仕事を手伝ってもらっている講師もいる。
独特なのは、ラッキー・ルウさんの助手だ。彼は、助手というよりも食事配達係だ。いつもお腹が空いている彼のどんなリクエストにも応えられるように、沢山の食べ物と配達用のアプリを用意している。
(あれ?これって…。)
隣のデスクの上にスマホを見つけた。
昨日まで誰もいなかった私の隣のデスクは、今日からは助手のエースのデスクになっている。
まだ初日ということもあって、デスクには資料どころかペンやメモすら置いていない。
何もないせいでだだっ広く見えるそんなデスクの上に、ポツン、と置いてあるのは、スマホだった。
見覚えのあるプラスチック製のスマホケースは、エースのものだ。
あの頃からずっと変えていないようで、もともと角が欠けてボロボロになっていたそれは、今ではもうヒビや傷だらけだ。
(忘れたのかな。)
そう思いながら、置いてきぼりにされてしまったスマホを手に取った。
エースの手になじんだ古いスマホケースに触れると、まるであの頃の彼に触れたような気がした。
『もう、恥ずかしいからやめてよ。』
『いいじゃねぇか。ここを開けねぇと誰にも見えねぇんだし。』
不意に蘇ってくる、遠い夏の記憶。
エースは、悪戯っ子みたいな笑みを浮かべながら、2人のプリクラをスマホケースの裏側に貼っていた。
今も、このスマホケースを使っているのなら、もしかしたらまだ———。
おずおずと動き出した手は、気づけば、スマホケースの両端を挟むように持っていた。
私は、何を確認しようとしているのだろう。
スマホケースの裏側か。それとも、エースの心の裏側か。
「何やってんの。」
突然、後ろから冷めた声がして、ビクッと肩が跳ねた。
後ろめたいことをしていた自覚のある私は、条件反射で慌てて振り返ってしまった。
職員室の入口に立っているのは、エースだった。
そして、私の手元にある自分のスマホを見つけると、僅かに眉を顰めた。
「ソレ。俺のなんだけど。」
「あ…っ、う、うん…っ。忘れたのかなって思って…っ。
どうしようかなって思ってて…っ。取りに来たんだねっ。よかったっ。」
スマホケースを外そうとしていたことに、気づかれていただろうか———。
罪悪感と焦りで、声が裏返っていた。
エースは、そんな私の言い訳のような早口なんて聞いていない様子で、職員室に入ってきた。
「は、はい…っ。どうぞ…っ。」
慌てて手渡しすれば、エースは何も言わずに受け取る。
気まずさをなんとか誤魔化したい私は、スマホのロックを外して、チャックし始めたエースに、必死に話しかけた。
「今の時代、スマホがないと本当困るよねっ。
私もこの前、スマホを落としちゃってね。偶々、見つけたのが
塾の生徒で…、あ!ゾロって知ってる?エースの弟のルフィのお友達なんだけど———。」
「アンタが見たかったの、これだろ。」
エースは、そう言うと、躊躇いもなくスマホケースを外した。
そして、スマホケースの裏側が見えるように持って、驚いて思わず言葉を切った私の前に出す。
それは、何の変哲もないただのスマホケースだった。
よく見れば、シールが剥げたような痕があるだけだ。
そこに、私と17歳の彼との想い出は存在していなかった。
「もしかして、まだ俺がアンタとの想い出を大切にとってると思った?」
「…っ、ち、違…っ。」
「そんなもん、とっくに捨てちまったに決まってるだろ。」
「そ、そうだよね…っ。今はもう、可愛い彼女もいるしねっ。」
ハハッ、と渇いた笑いが漏れる。
一番許せなかったのは、ショックを受けている自分だ。
エースがもう、私との想い出を残していないなんて、当然だ。
彼は新しい恋人と一緒に、新しい未来を生きている。
私はそれを、喜ばなきゃいけないのに———。
「アンタのことまだ引きずってれば、
助手になった俺をうまく利用しようとか思ったのかもしれねぇけど、」
「違う…っ、そんなこと考えてないよっ!
私は、ただ…っ。」
そこまで言って、私は口を噤んだ。
ただ———何だと言うのだろう。
エースがまだ私との想い出を大切に仕舞っていることを期待した。
でも、もしも、願い通りだったら、私はどうするつもりだったのだろう。
だからって、もう一度、彼とやり直せるわけではないのに———。
「ただ、なんだよ。」
「ただ…、スマホを忘れてたから、困ってるだろうなって思って。
出来るだけ早く渡すにはどうすればいいか考えてただけ…。」
私は目を伏せ、嘘を吐く。でも、すべてが嘘なわけではない。
そう考えたのも本当だ。
ただ、自分の我儘で、スマホケースを開きそうになっていただけ。
「婚約者がいるくせに
受け持ちの生徒を弄ぶような女、死ぬほど嫌いだから。」
覚えとけよ———エースは冷たく言って、私に背を向けた。
ほんの一瞬、あの日のエースも、こんな絶望的な気持ちで私の背中を見送ったのだろうかと思ったのだ。
でも、それは大きな間違いだ。
だって、やっと見つけた〝真実の愛〟を最も信頼していた人にぶち壊された彼は、今の私よりもずっと、ずっと、傷ついたはずだから————。
私が担当している講義は、今日のこの時間はない為、静かな職員室に1人残り、テストの採点や明日の準備、講師達の資料整理を行っている。
今日がバイト初日だったエースは、ひとつ前の講義まで見学をして帰ってもらった。
私が助手が入ることを知らなかったこともあり、一緒に講義を手伝ってもらうことも出来なかったし、何を頼むかもまだ分かっていないからだ。
それに———。
(気まずい…。)
テストの採点をしていた手を止めて、私は大きく息を吐く。
次の出勤は明後日、それまでに私は助手とどのように付き合っていくかを考えなければならない。
助手との付き合い方は、講師達それぞれ皆違う。
たとえば、ただ講義の資料を作るのを頼むだけの講師もいれば、ウソップの父親であるヤソップさんみたいに、とにかく好きな時間に助手を呼び出して、ほとんどすべての仕事を手伝ってもらっている講師もいる。
独特なのは、ラッキー・ルウさんの助手だ。彼は、助手というよりも食事配達係だ。いつもお腹が空いている彼のどんなリクエストにも応えられるように、沢山の食べ物と配達用のアプリを用意している。
(あれ?これって…。)
隣のデスクの上にスマホを見つけた。
昨日まで誰もいなかった私の隣のデスクは、今日からは助手のエースのデスクになっている。
まだ初日ということもあって、デスクには資料どころかペンやメモすら置いていない。
何もないせいでだだっ広く見えるそんなデスクの上に、ポツン、と置いてあるのは、スマホだった。
見覚えのあるプラスチック製のスマホケースは、エースのものだ。
あの頃からずっと変えていないようで、もともと角が欠けてボロボロになっていたそれは、今ではもうヒビや傷だらけだ。
(忘れたのかな。)
そう思いながら、置いてきぼりにされてしまったスマホを手に取った。
エースの手になじんだ古いスマホケースに触れると、まるであの頃の彼に触れたような気がした。
『もう、恥ずかしいからやめてよ。』
『いいじゃねぇか。ここを開けねぇと誰にも見えねぇんだし。』
不意に蘇ってくる、遠い夏の記憶。
エースは、悪戯っ子みたいな笑みを浮かべながら、2人のプリクラをスマホケースの裏側に貼っていた。
今も、このスマホケースを使っているのなら、もしかしたらまだ———。
おずおずと動き出した手は、気づけば、スマホケースの両端を挟むように持っていた。
私は、何を確認しようとしているのだろう。
スマホケースの裏側か。それとも、エースの心の裏側か。
「何やってんの。」
突然、後ろから冷めた声がして、ビクッと肩が跳ねた。
後ろめたいことをしていた自覚のある私は、条件反射で慌てて振り返ってしまった。
職員室の入口に立っているのは、エースだった。
そして、私の手元にある自分のスマホを見つけると、僅かに眉を顰めた。
「ソレ。俺のなんだけど。」
「あ…っ、う、うん…っ。忘れたのかなって思って…っ。
どうしようかなって思ってて…っ。取りに来たんだねっ。よかったっ。」
スマホケースを外そうとしていたことに、気づかれていただろうか———。
罪悪感と焦りで、声が裏返っていた。
エースは、そんな私の言い訳のような早口なんて聞いていない様子で、職員室に入ってきた。
「は、はい…っ。どうぞ…っ。」
慌てて手渡しすれば、エースは何も言わずに受け取る。
気まずさをなんとか誤魔化したい私は、スマホのロックを外して、チャックし始めたエースに、必死に話しかけた。
「今の時代、スマホがないと本当困るよねっ。
私もこの前、スマホを落としちゃってね。偶々、見つけたのが
塾の生徒で…、あ!ゾロって知ってる?エースの弟のルフィのお友達なんだけど———。」
「アンタが見たかったの、これだろ。」
エースは、そう言うと、躊躇いもなくスマホケースを外した。
そして、スマホケースの裏側が見えるように持って、驚いて思わず言葉を切った私の前に出す。
それは、何の変哲もないただのスマホケースだった。
よく見れば、シールが剥げたような痕があるだけだ。
そこに、私と17歳の彼との想い出は存在していなかった。
「もしかして、まだ俺がアンタとの想い出を大切にとってると思った?」
「…っ、ち、違…っ。」
「そんなもん、とっくに捨てちまったに決まってるだろ。」
「そ、そうだよね…っ。今はもう、可愛い彼女もいるしねっ。」
ハハッ、と渇いた笑いが漏れる。
一番許せなかったのは、ショックを受けている自分だ。
エースがもう、私との想い出を残していないなんて、当然だ。
彼は新しい恋人と一緒に、新しい未来を生きている。
私はそれを、喜ばなきゃいけないのに———。
「アンタのことまだ引きずってれば、
助手になった俺をうまく利用しようとか思ったのかもしれねぇけど、」
「違う…っ、そんなこと考えてないよっ!
私は、ただ…っ。」
そこまで言って、私は口を噤んだ。
ただ———何だと言うのだろう。
エースがまだ私との想い出を大切に仕舞っていることを期待した。
でも、もしも、願い通りだったら、私はどうするつもりだったのだろう。
だからって、もう一度、彼とやり直せるわけではないのに———。
「ただ、なんだよ。」
「ただ…、スマホを忘れてたから、困ってるだろうなって思って。
出来るだけ早く渡すにはどうすればいいか考えてただけ…。」
私は目を伏せ、嘘を吐く。でも、すべてが嘘なわけではない。
そう考えたのも本当だ。
ただ、自分の我儘で、スマホケースを開きそうになっていただけ。
「婚約者がいるくせに
受け持ちの生徒を弄ぶような女、死ぬほど嫌いだから。」
覚えとけよ———エースは冷たく言って、私に背を向けた。
ほんの一瞬、あの日のエースも、こんな絶望的な気持ちで私の背中を見送ったのだろうかと思ったのだ。
でも、それは大きな間違いだ。
だって、やっと見つけた〝真実の愛〟を最も信頼していた人にぶち壊された彼は、今の私よりもずっと、ずっと、傷ついたはずだから————。