6. 遠い日の自分が重なる
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少し前までは太陽が頭上にあったはずの空は、いつの間にか赤く染まり始めていた。
エースは、友人のつると飲みに出かけていた祖父のガープを車で迎えに行った帰りだった。
正月の三が日が終わり、まだバイトの見つかっていないエースが家でのんびりしていると、数分おきに『むかえにこい』と覚えたてのLINEでメッセージが届き続けて、面倒になったからだ。
18になってすぐに車の免許を取ったのはいいが、まだ自分の愛車は手に入れていない。
今、助手席で大いびきをかいて寝ているガープの隣で慣れない運転をしているこの車は、ドラゴンのものだ。
ガープを迎えに行くために、わざわざ実家に帰って車を借りてきた。
友人には、両親や祖父母なんかに車を買ってもらっている奴らもいるけれど、エースにもドラゴンやガープにも、そういう発想はない。
ほしいものは、自分で手に入れろ———子供の頃から、そうやって育てられてきた。
甘えさせてくれなかったわけでもないが、どちらかと言えば、放任だったかもしれない。
間違えたことをするまでは自由にさせてくれた。
そして、人として間違ったことをすれば、恐ろしいほどに叱られた。
でも、そうではなければ、やっぱり放任だった。
友人と喧嘩をして血だらけで帰ってきても『勝った』と言えば、『よくやった。』と褒められたくらいだ。
(気持ちよさそうに寝やがって、クソジジイ。)
大きないびきをかいて寝ているガープをチラリと見て、心の中で文句を垂れる。
警視庁でそれなりの地位にまで上りつめたガープは、『すべてやり尽くした』と満足したらしく、昨年の年末で早期退職をして、今年に入ってからはのんびりと隠居生活に入っている。
仕事仲間だったつるとこんな時間までお茶をしていたのも、エースにストーカーかと思わせる程のメッセージを送ってきたのも、久しぶりの〝暇〟を持て余していたせいなのだろう。
仕事一筋に生きてきた祖父が寂しい思いをしているのならば——そう思って仕方なく迎えに来てやったつもりだったけれど、ただダラダラと家にこもって過ごすよりも、外の空気を感じるのは気持ちがよかった。
「あの補導ばっかり繰り返してた不良のクソガキが
今では立派な大学に通って、学業に励んで、
わざわざ、わしを車で迎えに来てくれるようになるなんてな。」
「うわ!?起きてたのかよ!?」
急に話しかけられて驚いた。
運転をしながら、チラッと助手席を見れば、ガープがまるで子供のように口を尖らせて「ずっと起きとったわい。」と拗ねている。
大きないびきを狭い車内に響かせておいて、よく言う。
「———わざわざ迎えに来たのは、クソジジイがおれの安眠の邪魔するからだろ。」
エースは、眉を顰めて文句を垂れる。
でも、ガープの表情はとても穏やかだった。
「それでも、じゃよ。昔なら、それでもお前はわしの声に耳を傾けなかった。
それもこれも、名字先生がお前を諦めずにいてくれたおかげだな。
本当に良い先生に巡り合えた。よかった。」
「———…。」
嬉しそうなガープの隣で、エースはそれだけには返事は出来なかった。
いや、しなかったのだ。
巡り合えて良かったのか、巡り合えない方が良かったのか———正直、自分でも分からなかった。
彼女のおかげで手にしたものもある。
今の人間らしい生活こそが、そうだろう。
口うるさい家族がいて、騒がしい友人がいて、それなりに勉学に励みながら夢を追っている。
でも、彼女になんか出逢わなければよかった———そう思う気持ちがないと言えば嘘になる。
あの日に負った傷は、今でもエースの生活に暗い影を落とし続けているのは確かなのだ。
「あ!!そうじゃ、驚きだぞ!ルフィがな、塾に通いだしたんじゃ!!」
「知ってる。去年の4月からだろ。いつの仰天ニュースを披露してんだよ。」
エースは呆れたように言う。
ルフィが塾に通いだしたと聞いたのは、去年の5月だった。
教えてくれたのが、一緒に塾に通っている彼の友人のウソップだったから、1か月遅れたエイプリルフールの嘘だと信じて疑わなかったくらいに、信じられない話だった。
でも実際、勉強よりも冒険が大好きで、高校生になっても砂まみれで遊ぶ方が楽しいはずのルフィが、4月から今日まで真面目に塾に通っているのだ。
ルフィが塾に通いだした———という話よりも、さらに信じられない事態だ。
彼の親友のウソップとゾロも一緒に通っているから、学校の延長のようで楽しいのかもしれない。
サボから聞いた話によれば、ルフィが小学1年の頃の担任で、昔からずっと慕っているシャンクスが、昨年の4月に開校したのがその塾なのだそうだ。
不登校になっているような子供達にも学びの場を作ってやりたいという思いから、教師を辞めて仲間達とシャンクスが作ったその塾はきっと、ルフィにとってもとても心地の良い居場所なのだろう。
ルフィを塾に誘ったウソップの父親は、シャンクスと一緒に塾を作った仲間の一人だ。
彼も塾の講師をしているらしいが、ルフィ達の担当というわけではないらしい。
そういう付き合いの流れから、塾に通いだしたのも容易に想像できたし、交友関係の広いルフィらしいことだった。
「せっかくじゃ、そろそろルフィも塾が終わる頃じゃ。
迎えに行こう!」
ガープが楽しそうに言う。
迎えに行くのは車を運転しているエースだというのに、本当に勝手な祖父だ。
だが、ガープが孫が可愛くて仕方がないように、エースも弟を溺愛している。
可愛くて仕方がない———と、表情でも言葉でも駄々洩れしているサボとは違うけれど、何に対してもルフィが最優先であるところはエースも変わらない。
だから結局、ガープの思いつきの案に乗っかって、ルフィを迎えに行くことを二つ返事で了承した。
それに、ルフィが通っているという塾を見たことがなかったし、可愛い弟がどんなところで勉強に励んでいるのか、興味もあったのだ。
塾名が『レッド・フォース』だとガープから確認して、早速、ナビにセットをする。
「ルフィの奴は、塾に本当に勉強しに行ってんのか?」
これは、嫌味でもなんでもなく、心からの、そして素朴な疑問だった。
ルフィは、やってることはまるで子供みたいだけれど、決して頭が悪いわけではない。
でも、勉強よりも仲間と騒ぐ方が楽しいような少年なのだ。塾に通っているというイメージが沸かないのが正直なところだ。
「昨日も、塾の先生に出された宿題を友達と一緒に頑張って解いとったぞ。」
「へぇ…!」
「意外じゃろ?」
「あぁ、すげぇ。」
「わしも、お前が受験勉強を始めると言い出した時は
天地がひっくり返るかと思ったわ。」
ガープにガッハッハと笑われて、エースは「うるせぇ。」と小さく言い返す。
適当に話をしていれば、あっという間に目的地にたどり着いた。
ガープを迎えに行ったつるの家が、そもそもこの塾に近かったようだ。
「へぇ、ここが。なんていうかすげぇ…、」
「派手じゃろ。」
車を路肩にとめたエースは、車内から助手席側にある〝レッド・フォース〟を見上げる。
それは、街の大通りを一本入って、たくさんのビルが立ち並ぶ中にあった。
3階建ての低いビルだ。
入口の扉が大きめのガラス張りになっている以外は、小さな窓がいくつか並ぶだけの所謂よくあるビルのカタチをしている。
あまり新しいようにも見えないが、綺麗にリフォームはされているようだ。
シャンクスは、中古のビルを買って、好みの塾になるようにカスタマイズしたのだろう。
彼の髪色とそっくりの真っ赤な色に塗り潰されている。
さらにはそれに自分達で飾りをつけようと思ったのか、1階部分の壁には、お世辞にも上手いとは言えない子供みたいな絵が描かれている。
麦わら帽子の少年や、緑の坊主頭、鼻の長い少年———見覚えのある絵柄だったことは、気づかなかったことにした。
そして、3階の窓の上にデカデカと〝レッド・フォース〟と書かれている。
「早く着き過ぎたみたいじゃな。
塾の授業が終わるまであと10分ある。ここでのんびり待っとくか。」
「そうだな。ルフィにLINEしとく。」
「なんでじゃ、せっかくなら秘密にして驚かせればいいじゃろ。
サプライズじゃ、サプラーイズ。」
「なんだよ、サプラーイズって。」
楽しそうに真っ赤なビルを見上げるガープに、エースは小さく苦笑いをする。
たまには、こんな風に祖父に振り回される休日もいいかもしれない———無意識に、そんなことを思ってしまった。
彼には、ずっと反発していた。
正義を生きていた彼とは、どうしても相容れなかったのだ。
もしかすると、真っすぐな彼と、ひねくれてしまった自分を比べて嫉妬をしていたのかもしれない。
そんな風に客観的に過去の自分を振り返られるようになったのも、大人になったということなのだろうか。
(なんだ、これ?)
特に意味もなくガープを見ていたエースは、助手席のダッシュボードのところに折りたたまれた紙を見つけた。
チラシみたいだった。
なんとなく興味を持って手を伸ばし、それを広げてみた。
≪塾講師の助手を募集中‼≫
チラシの一番上に、デカデカとそう書かれていた。
どうやら、レッド・フォースが出したアルバイト募集中のチラシのようだ。
ドラゴンがルフィを迎えに来たときにでも、車の中に置き忘れてしまったのだろう。
「今、塾講師達がヒーヒー悲鳴をあげとるらしいわ。」
可笑しそうに言ったガープは、聞いてもいないのに、塾講師の助手を募集する羽目になってしまった経緯を教えてくれた。
簡単に言えば、塾の人気が出過ぎて生徒が増えたせいで、塾講師達の負担が増えてしまったらしい。
シャンクスが開校した塾〝レッド・フォース〟は生徒ひとりひとりと向き合い、共に手を取り合って夢を叶えるというのを指針にしている。
1人の塾講師が受け持つ生徒も、5人以下の少人数と定めて、勉強を教えるだけではなく、信頼関係を築き、しっかりと深い絆を繋ぐように指導しているのだそうだ。
そのためか、昨年の4月に開校したばかりの〝レッド・フォース〟は、あっという間に口コミで人気を集め、うちの子供も見てほしいという親からの連絡が途絶えなかった。
そこで、サービス精神旺盛のシャンクスは、昼間は小学生を限定に不登校になっている子供達を受け入れることを決めた。
受験勉強を主な目的としている中高生に対しての方針と同じように、それもまた、1人の塾講師につき5人以下の少人数のクラス分けをして、勉強だけではなく、むしろ、課外授業なんかでクラスメイトとの遊びをメインにして、仲間との絆を築くことを目的としているらしい。
昨年の10月に始まったそれもあっという間に定員に達し、さすがというべきか、シャンクスが見つけてきた講師陣の手腕によって、初めは笑顔を見せなかった子供達は、少しずつ明るさを取り戻してきたのだと、まるで自分のことのようにガープが嬉しそうに教えてくれた。
ただ、昼間は小学生と遊び尽くし、夕方からは学校を終えた中高生を迎え入れて、受験に向けての勉強を教える塾講師達の仕事量は、相当以上のものになった。
そのため、シャンクスは、塾講師達の負担を少しでも減らすために、助手を雇うことを決めたのだそうだ。
「なんじゃ、興味があるのか?」
ガープが楽しそうに口元を歪める。
それに対してすぐに返事をしなかったエースだったが、手に持つチラシを興味深く見ていた。
時給も悪くはない、何より、顔見知りのシャンクスが経営する塾で働くというのは、安心もある。
彼はいつも豪快で何も考えていないように見えるところがあるけれど、誠実で信頼できる大人だ。
シャンクスの右腕的存在のベン・ベックマンは異常なくらいに頭が良いし、あのシャンクスをサポート出来るくらいだから、アルバイトの助手達にも上手く立ち回ってくれるだろう。
それに、エースが大学の学部で学んでいること、将来の夢も、この仕事に通じるところがあった。
バイトを探しているところに、本当に理想的な募集だったのは間違いない。
でも、興味がある——と簡単に言えないのにも理由がある。
それは、採用条件の中に、困った記述を見つけたからだ。
大学生、もしくは高卒以上の知識があり勉強を教えるのが苦ではない人、だとか、それなりに当てはまる条件の多い中、ただ一つ、どうしても安易に受け入れられないものがあった。
≪残業や休日出勤OKの人限定。
とても忙しいです。ビックリするほど忙しいです。
どれくらいかというと、塾講師が、助手が欲しいと泣き喚きだしたほどです。
残業は当たり前だし、塾講師に突然呼び出されることもあるかもしれません。
それでもOKという方、大歓迎!!≫
サラッと書いてあるけれど、とてつもなく恐怖心を煽る文章だ。
それに、大学生のエースには、自身の大学生活もある。
講義やレポート、それに友達とも遊びたい————。
結局のところ、お金がないとは言いながらも、エースは〝仕事〟というものに自分の自由を奪われるのが嫌だったのだ。
「やっぱり、やめ———。」
「お、ルフィが出てきたぞ。」
ガープが窓の外を見て、嬉しそうに言う。
エースも、塾の入口の方に視線を向ければ、ゾロとウソップと一緒に騒いでいるルフィを見つけた。
ルフィ達は、すぐそこにとまっている車に気づきもしないで、塾のビルを見上げて楽しそうに喋っている。
「あんまり乗り出すと落ちるぞ!」
「アハハ、落ちたらゾロ達が受け止めてよ~!」
「潰れるわ!!」
「コラ、ウソップくん!レディに失礼だぞ!
正月太りアタックしてやる!!」
「ギャーーー!!おれ様もビックリの100トンアタック!!」
「ウソップ、宿題100ページ追加な。」
「ごめんなさぁぁぁぁあい!!」
大袈裟にウソップがスライディング土下座をすれば、ルフィとゾロが腹を抱えて笑う。
彼らが本当にすごく楽しそうで、エースは数年前の自分と友人達の姿と重なった。
「それじゃあ、名前、またな!!」
「気を付けて帰ってね!!」
塾ビルの3階の窓から、悪ガキ衆の担当になってしまったと思われる不憫な塾講師が、大きく手を振った。
名前が、懐かしい笑顔で、とても楽しそうに手を振っていた。
エースは、友人のつると飲みに出かけていた祖父のガープを車で迎えに行った帰りだった。
正月の三が日が終わり、まだバイトの見つかっていないエースが家でのんびりしていると、数分おきに『むかえにこい』と覚えたてのLINEでメッセージが届き続けて、面倒になったからだ。
18になってすぐに車の免許を取ったのはいいが、まだ自分の愛車は手に入れていない。
今、助手席で大いびきをかいて寝ているガープの隣で慣れない運転をしているこの車は、ドラゴンのものだ。
ガープを迎えに行くために、わざわざ実家に帰って車を借りてきた。
友人には、両親や祖父母なんかに車を買ってもらっている奴らもいるけれど、エースにもドラゴンやガープにも、そういう発想はない。
ほしいものは、自分で手に入れろ———子供の頃から、そうやって育てられてきた。
甘えさせてくれなかったわけでもないが、どちらかと言えば、放任だったかもしれない。
間違えたことをするまでは自由にさせてくれた。
そして、人として間違ったことをすれば、恐ろしいほどに叱られた。
でも、そうではなければ、やっぱり放任だった。
友人と喧嘩をして血だらけで帰ってきても『勝った』と言えば、『よくやった。』と褒められたくらいだ。
(気持ちよさそうに寝やがって、クソジジイ。)
大きないびきをかいて寝ているガープをチラリと見て、心の中で文句を垂れる。
警視庁でそれなりの地位にまで上りつめたガープは、『すべてやり尽くした』と満足したらしく、昨年の年末で早期退職をして、今年に入ってからはのんびりと隠居生活に入っている。
仕事仲間だったつるとこんな時間までお茶をしていたのも、エースにストーカーかと思わせる程のメッセージを送ってきたのも、久しぶりの〝暇〟を持て余していたせいなのだろう。
仕事一筋に生きてきた祖父が寂しい思いをしているのならば——そう思って仕方なく迎えに来てやったつもりだったけれど、ただダラダラと家にこもって過ごすよりも、外の空気を感じるのは気持ちがよかった。
「あの補導ばっかり繰り返してた不良のクソガキが
今では立派な大学に通って、学業に励んで、
わざわざ、わしを車で迎えに来てくれるようになるなんてな。」
「うわ!?起きてたのかよ!?」
急に話しかけられて驚いた。
運転をしながら、チラッと助手席を見れば、ガープがまるで子供のように口を尖らせて「ずっと起きとったわい。」と拗ねている。
大きないびきを狭い車内に響かせておいて、よく言う。
「———わざわざ迎えに来たのは、クソジジイがおれの安眠の邪魔するからだろ。」
エースは、眉を顰めて文句を垂れる。
でも、ガープの表情はとても穏やかだった。
「それでも、じゃよ。昔なら、それでもお前はわしの声に耳を傾けなかった。
それもこれも、名字先生がお前を諦めずにいてくれたおかげだな。
本当に良い先生に巡り合えた。よかった。」
「———…。」
嬉しそうなガープの隣で、エースはそれだけには返事は出来なかった。
いや、しなかったのだ。
巡り合えて良かったのか、巡り合えない方が良かったのか———正直、自分でも分からなかった。
彼女のおかげで手にしたものもある。
今の人間らしい生活こそが、そうだろう。
口うるさい家族がいて、騒がしい友人がいて、それなりに勉学に励みながら夢を追っている。
でも、彼女になんか出逢わなければよかった———そう思う気持ちがないと言えば嘘になる。
あの日に負った傷は、今でもエースの生活に暗い影を落とし続けているのは確かなのだ。
「あ!!そうじゃ、驚きだぞ!ルフィがな、塾に通いだしたんじゃ!!」
「知ってる。去年の4月からだろ。いつの仰天ニュースを披露してんだよ。」
エースは呆れたように言う。
ルフィが塾に通いだしたと聞いたのは、去年の5月だった。
教えてくれたのが、一緒に塾に通っている彼の友人のウソップだったから、1か月遅れたエイプリルフールの嘘だと信じて疑わなかったくらいに、信じられない話だった。
でも実際、勉強よりも冒険が大好きで、高校生になっても砂まみれで遊ぶ方が楽しいはずのルフィが、4月から今日まで真面目に塾に通っているのだ。
ルフィが塾に通いだした———という話よりも、さらに信じられない事態だ。
彼の親友のウソップとゾロも一緒に通っているから、学校の延長のようで楽しいのかもしれない。
サボから聞いた話によれば、ルフィが小学1年の頃の担任で、昔からずっと慕っているシャンクスが、昨年の4月に開校したのがその塾なのだそうだ。
不登校になっているような子供達にも学びの場を作ってやりたいという思いから、教師を辞めて仲間達とシャンクスが作ったその塾はきっと、ルフィにとってもとても心地の良い居場所なのだろう。
ルフィを塾に誘ったウソップの父親は、シャンクスと一緒に塾を作った仲間の一人だ。
彼も塾の講師をしているらしいが、ルフィ達の担当というわけではないらしい。
そういう付き合いの流れから、塾に通いだしたのも容易に想像できたし、交友関係の広いルフィらしいことだった。
「せっかくじゃ、そろそろルフィも塾が終わる頃じゃ。
迎えに行こう!」
ガープが楽しそうに言う。
迎えに行くのは車を運転しているエースだというのに、本当に勝手な祖父だ。
だが、ガープが孫が可愛くて仕方がないように、エースも弟を溺愛している。
可愛くて仕方がない———と、表情でも言葉でも駄々洩れしているサボとは違うけれど、何に対してもルフィが最優先であるところはエースも変わらない。
だから結局、ガープの思いつきの案に乗っかって、ルフィを迎えに行くことを二つ返事で了承した。
それに、ルフィが通っているという塾を見たことがなかったし、可愛い弟がどんなところで勉強に励んでいるのか、興味もあったのだ。
塾名が『レッド・フォース』だとガープから確認して、早速、ナビにセットをする。
「ルフィの奴は、塾に本当に勉強しに行ってんのか?」
これは、嫌味でもなんでもなく、心からの、そして素朴な疑問だった。
ルフィは、やってることはまるで子供みたいだけれど、決して頭が悪いわけではない。
でも、勉強よりも仲間と騒ぐ方が楽しいような少年なのだ。塾に通っているというイメージが沸かないのが正直なところだ。
「昨日も、塾の先生に出された宿題を友達と一緒に頑張って解いとったぞ。」
「へぇ…!」
「意外じゃろ?」
「あぁ、すげぇ。」
「わしも、お前が受験勉強を始めると言い出した時は
天地がひっくり返るかと思ったわ。」
ガープにガッハッハと笑われて、エースは「うるせぇ。」と小さく言い返す。
適当に話をしていれば、あっという間に目的地にたどり着いた。
ガープを迎えに行ったつるの家が、そもそもこの塾に近かったようだ。
「へぇ、ここが。なんていうかすげぇ…、」
「派手じゃろ。」
車を路肩にとめたエースは、車内から助手席側にある〝レッド・フォース〟を見上げる。
それは、街の大通りを一本入って、たくさんのビルが立ち並ぶ中にあった。
3階建ての低いビルだ。
入口の扉が大きめのガラス張りになっている以外は、小さな窓がいくつか並ぶだけの所謂よくあるビルのカタチをしている。
あまり新しいようにも見えないが、綺麗にリフォームはされているようだ。
シャンクスは、中古のビルを買って、好みの塾になるようにカスタマイズしたのだろう。
彼の髪色とそっくりの真っ赤な色に塗り潰されている。
さらにはそれに自分達で飾りをつけようと思ったのか、1階部分の壁には、お世辞にも上手いとは言えない子供みたいな絵が描かれている。
麦わら帽子の少年や、緑の坊主頭、鼻の長い少年———見覚えのある絵柄だったことは、気づかなかったことにした。
そして、3階の窓の上にデカデカと〝レッド・フォース〟と書かれている。
「早く着き過ぎたみたいじゃな。
塾の授業が終わるまであと10分ある。ここでのんびり待っとくか。」
「そうだな。ルフィにLINEしとく。」
「なんでじゃ、せっかくなら秘密にして驚かせればいいじゃろ。
サプライズじゃ、サプラーイズ。」
「なんだよ、サプラーイズって。」
楽しそうに真っ赤なビルを見上げるガープに、エースは小さく苦笑いをする。
たまには、こんな風に祖父に振り回される休日もいいかもしれない———無意識に、そんなことを思ってしまった。
彼には、ずっと反発していた。
正義を生きていた彼とは、どうしても相容れなかったのだ。
もしかすると、真っすぐな彼と、ひねくれてしまった自分を比べて嫉妬をしていたのかもしれない。
そんな風に客観的に過去の自分を振り返られるようになったのも、大人になったということなのだろうか。
(なんだ、これ?)
特に意味もなくガープを見ていたエースは、助手席のダッシュボードのところに折りたたまれた紙を見つけた。
チラシみたいだった。
なんとなく興味を持って手を伸ばし、それを広げてみた。
≪塾講師の助手を募集中‼≫
チラシの一番上に、デカデカとそう書かれていた。
どうやら、レッド・フォースが出したアルバイト募集中のチラシのようだ。
ドラゴンがルフィを迎えに来たときにでも、車の中に置き忘れてしまったのだろう。
「今、塾講師達がヒーヒー悲鳴をあげとるらしいわ。」
可笑しそうに言ったガープは、聞いてもいないのに、塾講師の助手を募集する羽目になってしまった経緯を教えてくれた。
簡単に言えば、塾の人気が出過ぎて生徒が増えたせいで、塾講師達の負担が増えてしまったらしい。
シャンクスが開校した塾〝レッド・フォース〟は生徒ひとりひとりと向き合い、共に手を取り合って夢を叶えるというのを指針にしている。
1人の塾講師が受け持つ生徒も、5人以下の少人数と定めて、勉強を教えるだけではなく、信頼関係を築き、しっかりと深い絆を繋ぐように指導しているのだそうだ。
そのためか、昨年の4月に開校したばかりの〝レッド・フォース〟は、あっという間に口コミで人気を集め、うちの子供も見てほしいという親からの連絡が途絶えなかった。
そこで、サービス精神旺盛のシャンクスは、昼間は小学生を限定に不登校になっている子供達を受け入れることを決めた。
受験勉強を主な目的としている中高生に対しての方針と同じように、それもまた、1人の塾講師につき5人以下の少人数のクラス分けをして、勉強だけではなく、むしろ、課外授業なんかでクラスメイトとの遊びをメインにして、仲間との絆を築くことを目的としているらしい。
昨年の10月に始まったそれもあっという間に定員に達し、さすがというべきか、シャンクスが見つけてきた講師陣の手腕によって、初めは笑顔を見せなかった子供達は、少しずつ明るさを取り戻してきたのだと、まるで自分のことのようにガープが嬉しそうに教えてくれた。
ただ、昼間は小学生と遊び尽くし、夕方からは学校を終えた中高生を迎え入れて、受験に向けての勉強を教える塾講師達の仕事量は、相当以上のものになった。
そのため、シャンクスは、塾講師達の負担を少しでも減らすために、助手を雇うことを決めたのだそうだ。
「なんじゃ、興味があるのか?」
ガープが楽しそうに口元を歪める。
それに対してすぐに返事をしなかったエースだったが、手に持つチラシを興味深く見ていた。
時給も悪くはない、何より、顔見知りのシャンクスが経営する塾で働くというのは、安心もある。
彼はいつも豪快で何も考えていないように見えるところがあるけれど、誠実で信頼できる大人だ。
シャンクスの右腕的存在のベン・ベックマンは異常なくらいに頭が良いし、あのシャンクスをサポート出来るくらいだから、アルバイトの助手達にも上手く立ち回ってくれるだろう。
それに、エースが大学の学部で学んでいること、将来の夢も、この仕事に通じるところがあった。
バイトを探しているところに、本当に理想的な募集だったのは間違いない。
でも、興味がある——と簡単に言えないのにも理由がある。
それは、採用条件の中に、困った記述を見つけたからだ。
大学生、もしくは高卒以上の知識があり勉強を教えるのが苦ではない人、だとか、それなりに当てはまる条件の多い中、ただ一つ、どうしても安易に受け入れられないものがあった。
≪残業や休日出勤OKの人限定。
とても忙しいです。ビックリするほど忙しいです。
どれくらいかというと、塾講師が、助手が欲しいと泣き喚きだしたほどです。
残業は当たり前だし、塾講師に突然呼び出されることもあるかもしれません。
それでもOKという方、大歓迎!!≫
サラッと書いてあるけれど、とてつもなく恐怖心を煽る文章だ。
それに、大学生のエースには、自身の大学生活もある。
講義やレポート、それに友達とも遊びたい————。
結局のところ、お金がないとは言いながらも、エースは〝仕事〟というものに自分の自由を奪われるのが嫌だったのだ。
「やっぱり、やめ———。」
「お、ルフィが出てきたぞ。」
ガープが窓の外を見て、嬉しそうに言う。
エースも、塾の入口の方に視線を向ければ、ゾロとウソップと一緒に騒いでいるルフィを見つけた。
ルフィ達は、すぐそこにとまっている車に気づきもしないで、塾のビルを見上げて楽しそうに喋っている。
「あんまり乗り出すと落ちるぞ!」
「アハハ、落ちたらゾロ達が受け止めてよ~!」
「潰れるわ!!」
「コラ、ウソップくん!レディに失礼だぞ!
正月太りアタックしてやる!!」
「ギャーーー!!おれ様もビックリの100トンアタック!!」
「ウソップ、宿題100ページ追加な。」
「ごめんなさぁぁぁぁあい!!」
大袈裟にウソップがスライディング土下座をすれば、ルフィとゾロが腹を抱えて笑う。
彼らが本当にすごく楽しそうで、エースは数年前の自分と友人達の姿と重なった。
「それじゃあ、名前、またな!!」
「気を付けて帰ってね!!」
塾ビルの3階の窓から、悪ガキ衆の担当になってしまったと思われる不憫な塾講師が、大きく手を振った。
名前が、懐かしい笑顔で、とても楽しそうに手を振っていた。