◇No.27◇私は無敵ではありません
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炎に包まれ、高い火柱を上げるエレンの実家の周りを、ハートの海賊団の船員や町の住人達がホースやバケツを抱えて取り囲み、ありったけの水をかけて必死に鎮火にあたっていました。
なまえがエレンを助けるために家の中に入ったことをアルミンから聞いたカルラは、まるで魔界の生き物のように蠢く炎に襲われる我が家を、両手を組み、祈るような気持ちで見つめていました。
その隣では、ミカサは相変わらず、呆然としたままです。
炎に包まれた第二の我が家を眺めながら、エレンが死んでしまったら自分のせいだと、自分を責め続けているのです。
『写真が…!お父さんとお母さんの写真が…!!』
最初に、どこの家よりも大きな炎に包まれている家に走って行こうとしたのは、ミカサでした。
危険だからと、エレンは止めたのです。
それでも、絶対にとりに戻るのだと押し問答をしているところに、ロー達がこの町を助けに来てくれたと教えるためにアルミンが駆けてきました。
そして、エレンから事情を聞いたアルミンもまた、ミカサを止めました。
それでも、ミカサにとって、両親の写真は、彼らに会える唯一の手段でしたから、諦めることは出来ませんでした。
それに、一度、海賊に殺された両親の写真が、海賊が放ったガソリンの火で燃えて消えてしまったら、まるで二度も彼らに大切な両親を殺されてしまうようで、どうしても許せなかったのです。
ミカサの気持ちが伝わったのか、どうせ諦めないだろうとそれなりに長い付き合いで分かっていたのか、エレンは『俺が行く。』と炎に包まれた家の中へ飛び込んでしまいました。
あれから、どれくらいの時間が経ったのか、ミカサには分かりません。
エレンやミカサが心から憎んだ海賊達の助けを借りて、地獄のような炎に包まれていた家は、少しずつ炎の勢いを弱めて行っていました。
それでも、炎はなかなか鎮火されそうにありません。
もうそろそろ出てこないと危ないかもしれない———。
全員に、焦りが見え始めた頃、勢いを弱めた炎の向こうに、人影が見えました。
「…!」
カルラが祈るように握っていた手を離し、ミカサが立ち上がります。
そして、炎のすぐそばにある人影らしきものを、じっと凝視しました。
それからすぐでした。
弱まった炎の奥から、エレンが走って飛び出して来たのです。
足元が覚束ないのか、走り方が不自然でフラフラしていますが、無事なようです。
「エレン…!!」
カルラとミカサが、同時に名前を叫ぶように呼んで、エレンに駆け寄りました。
足の速いミカサが、最初にエレンを抱きしめました。
その途端に、エレンからは力が抜け、膝から崩れるように倒れました。
そこへ、カルラが駆け寄り、エレンを抱きしめるミカサごと抱き留めました。
「エレン…!!よかった…っ!!
アンタって子は、本当に…っ。無茶ばっかりするんだから…!!」
カルラが、力いっぱいにミカサごとエレンを抱きしめます。
ギュッと、ギュッと、何度も抱きしめながら、その温もりを確かめます。
酸素の薄い場所で息苦しかったせいなのか、エレンはぐったりしていました。
それでも、諦めろ、と言われた息子の命が、今、確かにここにあります。
それは、カルラにとって、どんな奇跡よりも素晴らしい奇跡でした。
そんな親子のそばには、ローやハートの海賊団の船員達も駆け寄って来て居ました。
もちろん、エレンの無事を喜ぶためではありません。
なまえの無事を確かめるためです。
ロー達は、エレンが飛び出してきた炎の向こうを凝視して、仲間の姿を探します。
でも、いつまで待っていても、エレンを探しに行ったなまえは現れません。
「おい、ガキ!!なまえはどこに行った!?
会ったんじゃねぇのか!?」
ローが、カルラの腕の中からエレンをひったくると、胸ぐらを掴み上げました。
エレンは、ハッと目を見開いてすぐに、逃げるように目を反らしました。
それが、ローやベポ達、ハートの海賊団のクルーに嫌な予感を覚えさせます。
「会った…。」
「あぁ、分かってる!!アイツは何処に行ったと聞いんだ!?
どうしてお前だけが出て来た!?」
「俺を、安全なとこまで、連れてきたら…、
また、中に、戻って行ったんだ…。」
「なぜだ!?」
「ミカサの部屋の場所、訊いてきたから…、
たぶん、写真、探しに行ったんだと、思う…。
俺が、写真がねぇと戻れねぇって…、言ったから…。」
「…ッ、クソ…!!」
焦りと心配が、エレンへの怒りへと変わったローは、掴み上げた胸ぐらを投げ捨てました。
背中から落ちたエレンの身体が、柔らかい雪に沈みました。
すぐに、カルラとミカサが、エレンを守るように身体を起こしてやったときでした。
何かが折れるような大きな音が響いた途端に、まだ少し炎が残っている家の柱が、ゆっくりと倒れて行きました。
それは、かろうじて隣の柱に引っかかり、黒焦げになった家を崩壊する直前で支えます。
でも、炎によって脆くなった家の柱や屋根が崩れ、全壊するのは最早時間の問題でした。
「鎮火を急げ!!姉ちゃんがまだ残ってる!!
俺達の息子の命の恩人を絶対に死なすんじゃねーぞ!!」
叫んだのは、エレンの為に命をかけてくれ、となまえの腕を掴んだあの男でした。
彼の声に続いて、ホースやバケツで必死に鎮火を続けていた町の男達が、大声で応えます。
「俺達もまずは火を消すぞ!」
ローが船員達に指示を出しました。
本当は、全員が、崩壊寸前の家に飛び込んでなまえを探しに行きたい気持ちでした。
ですが、そんなことをしてしまえば、二次災害を生むどころか、助けに入ることでギリギリのバランスで堪えている家の崩壊を早めてしまうことは、火を見るよりも明らかでした。
今、外で待っている人間に出来ることは、なまえを襲うかもしれない炎を消すことくらいしかなかったのです。
そうして、全員が力を合わせ、残っていた炎のすべての鎮火に成功しました。
あまり時間をかけずに出来たはずです。
でも、なまえはまだ出て来ません。
「なんで…。」
呟いたベポが握る拳は、小さく震えていました。
待っているだけは、辛すぎます。怖すぎます。
ベポは視線の端に、青い顔で崩壊寸前の家を見ているアルミンの横顔を見つけました。
自分のせいで——、と思っているのかもしれません。
でも、ベポはもう、彼を責めるつもりはありませんでした。
だって、アルミンがエレンを失うかもしれなかったときに感じていた恐怖がどれほどのものだったのかを、漸く知ったからです。
「俺が行く。」
ローが言いました。
それに、ペンギン、シャチ、ジャンバールにイッカク、ウニ達も『自分も行く!』と続きます。
でも、それも遅すぎました。
バリバリッと何かが割れる音と共に、大きな家が崩れていったのです。
それは、あっという間の出来事でした。
どうにかなまえを助けようとしていた男達が、驚きとショックで目を見開いている間に、燃え尽きた家は潰れてしまいました。
「なまえ…!!」
最初に叫んだのは、ローだったかもしれません。
もしかしたら、ベポだったかもしれませんし、イッカクかもしれません。
いいえ、それも違います。
正確には、ハートの海賊団の仲間達、全員がなまえの名前を叫んだのです。
彼らは、全壊した家に駆け寄りました。
「なまえ!!どこだ!?」
「どこにいる!?返事をしろ!!」
「すぐ助けてやるからな!!踏ん張れよ!!」
「死ぬんじゃねぇぞ!!」
「死ぬかよ!!アイツはロボだぞ!!死なねぇ!!壊れもしねぇ!!」
燃え尽きたばかりで火傷しそうな熱の残る柱や屋根、邪魔になりそうなものを、みんなで抱え上げながら、声を張り上げました。
そこへ、町の男達も集まってきました。
そして、力を合わせ、重たい柱や屋根を必死に持ち上げます。
そうしていると、ぼんやりとですが、足元に白と黄色が混ざったような眩い光が見えてきました。
町の男達は不思議そうに足元に目をやりましたが、その光に、ローとペンギン、シャチとベポは見覚えがありました。
「なまえだ!!」
ベポが嬉しそうに言いました。
ですが、ローとペンギン、シャチからはサーッと血の気が引いていきます。
ベポの言う通り、少なくともなまえに意識があると分かったからです。
だって、この眩い光は、一度だけ見たことがあるなまえの出すビームの光でした。
「逃げろ!!!」
ローが叫びました。
わけが分からないという顔をしている、船員や男達に、ローはさらに続けます。
「死にたくなかったら、今すぐここから離れやがれ!!
なまえにぶっ殺されるぞ!!」
理由は分からずとも、殺気さえ感じるローの命令から、これはまずい状況だということを理解した船員達が、慌てて逃げ出しました。
彼らと一緒にローも逃げれば、町の男達もパニックになって走り出します。
全員が逃げ終わったのと、さっきまでロー達がいた場所を突き破るように放たれた眩しいビームが、崩壊した柱や屋根を粉々にぶち壊しながら、空高く昇って行ったのは、殆ど同時でした。
「なんだありゃ…。戦闘機かよ。」
シャチがボソリと呟きました。
町の男達なんて、大きく目を見開き、顎が外れるほどにあんぐりと口を開けていました。
「・・・・・助ける必要、なかったみたいっすね。」
「後で叱ってやる。」
ペンギンが言うと、ローは怒っている風に言いました。
でも、さっきまで、眉間に深く刻まれていた皴は消え、表情は柔らかくなっています。
なまえの無事が分かり、漸く、ローもホッとしたのでしょう。
「あのバカが出て来れるように瓦礫をどかしてやるぞ。」
「アイアイ、キャプテン!!」
いつも通りのセリフで応えるハートの海賊団の船員達の表情も、晴れやかでした。
軽やかな足取りで駆け出して、全壊した家から粉々になった瓦礫をどかします。
町の男達も集まり、全員でがれきの撤去作業を始めました。
なまえのビームで粉々になっていたおかげで、瓦礫の数は増えましたが、それなりに簡単に作業が進み、すぐに、折り重なる瓦礫で隠れていた奥が見えてきました。
ローとベポが下を覗き込めば、顔や服を煤だらけにしたなまえがこちらを見上げています。
パッと見た感じだと、どこかが壊れているという様子はありません。
そこは、エレンの実家の地下スペースのようでした。
火のまわらないそこに逃げ込んだのはいいものの、家が全壊したことで階段を上がれなくなり、地下に閉じ込められてしまったのでしょう。
「ったく、無茶しやがって。それで、写真は見つたのか。」
「はい、見つかりました。」
「そりゃよかったな。ほら、すぐに出してやるから、俺の手を掴め。」
ローが、瓦礫の穴に長い腕をつっこみました。
「はい、知っています。」
なまえは真っすぐ上に手を伸ばし、ローの手を握りました。
ローは、片腕で軽々となまえを持ち上げました。
瓦礫の上になまえの姿が現れると、必死に彼女を探していた全員から歓声が上がりました。
「ありがとう。」
礼を言ったなまえの頭に、ローがポンと手を乗せました。
そのとき、ハートの海賊団の船員達は、なまえが自分に危険が迫ると分かっていながら覚悟を決めることが出来た理由を分かった気がしました。
なまえは、安心した顔で自分を見ているたくさんの顔をひとつひとつ見ながら、探しました。
そして、彼らの向こうに、煤だらけの顔で泣きそうになっているエレンを見つけました。
そのすぐ隣には、エレンを守るように背中に手を添えているカルラとミカサがいます。
なまえはエレンの元へ向かいました。
そして、不安そうに座り込んだままのエレンの前にまで行くと、視線の高さを合わせるために雪の上で膝立ちになりました。
視線が絡むと、エレンは、どうしたらいいか分からないような表情になりました。
心から恨み憎んでいた海賊に助けられた悔しさ、助けてもらった有難さ、そして、死ぬかもしれないと思ったときの恐怖と海賊への怒り、いろんな感情が心の奥でぐちゃぐちゃに混ぜられて、自分でもどんな顔をすればいいのか分からないのです。
いつの間にか、なまえとエレンの周りには、海賊や町の住人達が集まって来ていました。
「ミカサの両親の写真は、これで間違いありませんか?」
「…は?」
思いがけない言葉に驚いたエレンから、掠れて空気と混ざったような声が漏れました。
なまえが、スカートのポケットから大切そうに取り出し、両手にそっと乗せて見せたのは、今は亡きアッカーマン夫妻の写真でした。
少しだけ皴が出来ていましたが、どこも燃えていません。
エレンもミカサも、もう無理だと諦めていました。
記憶の中で、アッカーマン夫妻の顔を必死に繋ぎ止めるしかないのかもしれないと覚悟もしていました。
でも、確かに今、目の前に、諦めていたアッカーマン夫妻写真があります。
「これ…、本当に…、見つけてきたのか…?お前が…?」
「大切そうに銀の箱に入っていたので、奇跡的に無事でした。
箱は邪魔だったので置いてきましたが、必要でしたか?
それなら、もう一度、戻って——。」
「どうして、そこまでするんだよ!?お前、海賊なんだろ!?
悪いやつなのに、どうして…!!!!」
エレンが怒鳴りました。
当然のように、自分を助けるために命をかけたなまえに苛立ったのです。
でも、自分でも、怒っているのか、戸惑っているのか、はたまた、悲しいのか、分かっていませんでした。
なまえの行動の意味が分からなくて、怖かったというのもあるかもしれません。
だって、エレンの中で、海賊というのは、この世から駆逐すべき害虫に過ぎなかったのです。
そのはずだったのに———。
「エレン、あなたにはロー達の姿が見えますか?」
なまえは、エレンの頬を両手で挟むと、少し強引に上を向かせました。
エレンの視線は持ちあがり、大嫌いな海賊達が自分を見下ろしている姿が視界いっぱいに入り込みました。
彼らは、顔を煤だらけにして、服は焦げと煤でボロボロでした。
逃げ遅れた住人達を助けるために命懸けで地獄で戦った町の男達と同じです。
いいえ、同じという表現は正しくはありません。
だって、海賊達には、この町に何の恩も繋がりもないのです。
それでも、彼らは、命懸けで火の海を駆け回ってくれました。
見ていなくても、エレンにだって、それくらい分かりました。
煤だらけでボロボロの彼らの姿が、全てを物語っていたからです。
「…っ。」
エレンは、拳を握り、唇を噛みました。
それでも、グッとこみ上げた涙は目頭を熱くさせます。
本当は、なまえを怒鳴りつけたときから、答えは分かっていたのです。
でも、認めたくありませんでした。
だって、海賊はすべて悪い害虫だと信じた方が、楽だったからです。
そうすることで、恨みや憎しみのすべてを彼らに向けて生きる方が、ずっと楽だったのです。
「ミカサの両親を殺し、この町に火を放った海賊と
ロー達は同じ顔をしていますか?」
「…っ、違…っ、違う…っ。」
「はい、そうです。彼らは、ミカサの両親を殺し、この町に火を放った海賊ではありません。
ロー達は、ロー達です。ハートの海賊団です。
エレンの目が見えていることが分かって安心しました。」
なまえはそう言うと、エレンの両頬を挟んでいた手を離しました。
「それで、箱はどうしますか?取りに行きますか?」
「写真だけで、いい…っ。」
「そうですか。分かりました。
では、この写真は、エレンからミカサに渡してあげてください。」
なまえは、エレンの両手を包むように持ち上げると、広げた手のひらの上に、とても大切そうにアッカーマン夫妻の写真を乗せました。
エレンは、自分の手のひらの上に乗せられたアッカーマン夫妻の写真を見下ろします。
心の奥で、いろんな想いが駆け上がっていました。
アッカーマン夫妻との想い出、ミカサの笑顔や涙、悔しかったこと、海賊が憎くて仕方ないこと、それから——。
生きていて、よかった、ということ—————。
グッと唇を噛んだ後、エレンは隣にいるミカサの方を向きました。
ミカサと視線が絡むと、エレンの心の中で駆け巡っていたいろんな想いが、ひとつにまとまりました。
ただひたすら、ミカサの笑顔が見たかった——。
それだけの為に、危険を冒して海賊の元にだって、地獄の炎の中にだって飛び込びこめたのだということを思い出したのです。
「ほら…、お前の父さんと母さんの写真。
ちゃんと取り戻せたから、もう、泣くなよ。
俺が見つけてきたんじゃねぇけど・・・・っ。」
「エレン…っ!!」
ミカサが抱きしめたのは、エレンでした。
強く抱きしめながら、ミカサは、ワンワン泣きじゃくりました。
嬉しかったのです。
両親の写真が戻ってきたことではなくて、このときはただ、エレンが生きていることが嬉しくて、涙が止まらなかったのです。
生きていてよかったと泣き喚き抱きしめるミカサの心臓の鼓動が、エレンの心臓の鼓動と重なりました。
その途端、自分は生きているのだ、と実感が湧きあがりました。
よかった、生きていてよかった——。
だって、まるで生き物のように襲ってくる炎と熱、息苦しさの中で、自分はもう死ぬのだと漠然と思ったのです。
そのとき、向こうから、まるで天使が迎えに来たように白い手が伸びて——。
(怖かった…っ。)
エレンは、ミカサを抱きしめ返して、わんわん泣きじゃくりました。
怖かったのです。
当然です。10歳の男の子が、迫りくる炎の中、たったひとりきりで生きるために藻掻いていたのですから。
アルミンが駆けより、ミカサとエレンを両腕で抱きしめると、彼もまた大声で泣きました。
抱きしめ合う彼らの真ん中で、アッカーマン夫妻の写真だけが、ふわりと柔らかい笑みを浮かべていました。
なまえがエレンを助けるために家の中に入ったことをアルミンから聞いたカルラは、まるで魔界の生き物のように蠢く炎に襲われる我が家を、両手を組み、祈るような気持ちで見つめていました。
その隣では、ミカサは相変わらず、呆然としたままです。
炎に包まれた第二の我が家を眺めながら、エレンが死んでしまったら自分のせいだと、自分を責め続けているのです。
『写真が…!お父さんとお母さんの写真が…!!』
最初に、どこの家よりも大きな炎に包まれている家に走って行こうとしたのは、ミカサでした。
危険だからと、エレンは止めたのです。
それでも、絶対にとりに戻るのだと押し問答をしているところに、ロー達がこの町を助けに来てくれたと教えるためにアルミンが駆けてきました。
そして、エレンから事情を聞いたアルミンもまた、ミカサを止めました。
それでも、ミカサにとって、両親の写真は、彼らに会える唯一の手段でしたから、諦めることは出来ませんでした。
それに、一度、海賊に殺された両親の写真が、海賊が放ったガソリンの火で燃えて消えてしまったら、まるで二度も彼らに大切な両親を殺されてしまうようで、どうしても許せなかったのです。
ミカサの気持ちが伝わったのか、どうせ諦めないだろうとそれなりに長い付き合いで分かっていたのか、エレンは『俺が行く。』と炎に包まれた家の中へ飛び込んでしまいました。
あれから、どれくらいの時間が経ったのか、ミカサには分かりません。
エレンやミカサが心から憎んだ海賊達の助けを借りて、地獄のような炎に包まれていた家は、少しずつ炎の勢いを弱めて行っていました。
それでも、炎はなかなか鎮火されそうにありません。
もうそろそろ出てこないと危ないかもしれない———。
全員に、焦りが見え始めた頃、勢いを弱めた炎の向こうに、人影が見えました。
「…!」
カルラが祈るように握っていた手を離し、ミカサが立ち上がります。
そして、炎のすぐそばにある人影らしきものを、じっと凝視しました。
それからすぐでした。
弱まった炎の奥から、エレンが走って飛び出して来たのです。
足元が覚束ないのか、走り方が不自然でフラフラしていますが、無事なようです。
「エレン…!!」
カルラとミカサが、同時に名前を叫ぶように呼んで、エレンに駆け寄りました。
足の速いミカサが、最初にエレンを抱きしめました。
その途端に、エレンからは力が抜け、膝から崩れるように倒れました。
そこへ、カルラが駆け寄り、エレンを抱きしめるミカサごと抱き留めました。
「エレン…!!よかった…っ!!
アンタって子は、本当に…っ。無茶ばっかりするんだから…!!」
カルラが、力いっぱいにミカサごとエレンを抱きしめます。
ギュッと、ギュッと、何度も抱きしめながら、その温もりを確かめます。
酸素の薄い場所で息苦しかったせいなのか、エレンはぐったりしていました。
それでも、諦めろ、と言われた息子の命が、今、確かにここにあります。
それは、カルラにとって、どんな奇跡よりも素晴らしい奇跡でした。
そんな親子のそばには、ローやハートの海賊団の船員達も駆け寄って来て居ました。
もちろん、エレンの無事を喜ぶためではありません。
なまえの無事を確かめるためです。
ロー達は、エレンが飛び出してきた炎の向こうを凝視して、仲間の姿を探します。
でも、いつまで待っていても、エレンを探しに行ったなまえは現れません。
「おい、ガキ!!なまえはどこに行った!?
会ったんじゃねぇのか!?」
ローが、カルラの腕の中からエレンをひったくると、胸ぐらを掴み上げました。
エレンは、ハッと目を見開いてすぐに、逃げるように目を反らしました。
それが、ローやベポ達、ハートの海賊団のクルーに嫌な予感を覚えさせます。
「会った…。」
「あぁ、分かってる!!アイツは何処に行ったと聞いんだ!?
どうしてお前だけが出て来た!?」
「俺を、安全なとこまで、連れてきたら…、
また、中に、戻って行ったんだ…。」
「なぜだ!?」
「ミカサの部屋の場所、訊いてきたから…、
たぶん、写真、探しに行ったんだと、思う…。
俺が、写真がねぇと戻れねぇって…、言ったから…。」
「…ッ、クソ…!!」
焦りと心配が、エレンへの怒りへと変わったローは、掴み上げた胸ぐらを投げ捨てました。
背中から落ちたエレンの身体が、柔らかい雪に沈みました。
すぐに、カルラとミカサが、エレンを守るように身体を起こしてやったときでした。
何かが折れるような大きな音が響いた途端に、まだ少し炎が残っている家の柱が、ゆっくりと倒れて行きました。
それは、かろうじて隣の柱に引っかかり、黒焦げになった家を崩壊する直前で支えます。
でも、炎によって脆くなった家の柱や屋根が崩れ、全壊するのは最早時間の問題でした。
「鎮火を急げ!!姉ちゃんがまだ残ってる!!
俺達の息子の命の恩人を絶対に死なすんじゃねーぞ!!」
叫んだのは、エレンの為に命をかけてくれ、となまえの腕を掴んだあの男でした。
彼の声に続いて、ホースやバケツで必死に鎮火を続けていた町の男達が、大声で応えます。
「俺達もまずは火を消すぞ!」
ローが船員達に指示を出しました。
本当は、全員が、崩壊寸前の家に飛び込んでなまえを探しに行きたい気持ちでした。
ですが、そんなことをしてしまえば、二次災害を生むどころか、助けに入ることでギリギリのバランスで堪えている家の崩壊を早めてしまうことは、火を見るよりも明らかでした。
今、外で待っている人間に出来ることは、なまえを襲うかもしれない炎を消すことくらいしかなかったのです。
そうして、全員が力を合わせ、残っていた炎のすべての鎮火に成功しました。
あまり時間をかけずに出来たはずです。
でも、なまえはまだ出て来ません。
「なんで…。」
呟いたベポが握る拳は、小さく震えていました。
待っているだけは、辛すぎます。怖すぎます。
ベポは視線の端に、青い顔で崩壊寸前の家を見ているアルミンの横顔を見つけました。
自分のせいで——、と思っているのかもしれません。
でも、ベポはもう、彼を責めるつもりはありませんでした。
だって、アルミンがエレンを失うかもしれなかったときに感じていた恐怖がどれほどのものだったのかを、漸く知ったからです。
「俺が行く。」
ローが言いました。
それに、ペンギン、シャチ、ジャンバールにイッカク、ウニ達も『自分も行く!』と続きます。
でも、それも遅すぎました。
バリバリッと何かが割れる音と共に、大きな家が崩れていったのです。
それは、あっという間の出来事でした。
どうにかなまえを助けようとしていた男達が、驚きとショックで目を見開いている間に、燃え尽きた家は潰れてしまいました。
「なまえ…!!」
最初に叫んだのは、ローだったかもしれません。
もしかしたら、ベポだったかもしれませんし、イッカクかもしれません。
いいえ、それも違います。
正確には、ハートの海賊団の仲間達、全員がなまえの名前を叫んだのです。
彼らは、全壊した家に駆け寄りました。
「なまえ!!どこだ!?」
「どこにいる!?返事をしろ!!」
「すぐ助けてやるからな!!踏ん張れよ!!」
「死ぬんじゃねぇぞ!!」
「死ぬかよ!!アイツはロボだぞ!!死なねぇ!!壊れもしねぇ!!」
燃え尽きたばかりで火傷しそうな熱の残る柱や屋根、邪魔になりそうなものを、みんなで抱え上げながら、声を張り上げました。
そこへ、町の男達も集まってきました。
そして、力を合わせ、重たい柱や屋根を必死に持ち上げます。
そうしていると、ぼんやりとですが、足元に白と黄色が混ざったような眩い光が見えてきました。
町の男達は不思議そうに足元に目をやりましたが、その光に、ローとペンギン、シャチとベポは見覚えがありました。
「なまえだ!!」
ベポが嬉しそうに言いました。
ですが、ローとペンギン、シャチからはサーッと血の気が引いていきます。
ベポの言う通り、少なくともなまえに意識があると分かったからです。
だって、この眩い光は、一度だけ見たことがあるなまえの出すビームの光でした。
「逃げろ!!!」
ローが叫びました。
わけが分からないという顔をしている、船員や男達に、ローはさらに続けます。
「死にたくなかったら、今すぐここから離れやがれ!!
なまえにぶっ殺されるぞ!!」
理由は分からずとも、殺気さえ感じるローの命令から、これはまずい状況だということを理解した船員達が、慌てて逃げ出しました。
彼らと一緒にローも逃げれば、町の男達もパニックになって走り出します。
全員が逃げ終わったのと、さっきまでロー達がいた場所を突き破るように放たれた眩しいビームが、崩壊した柱や屋根を粉々にぶち壊しながら、空高く昇って行ったのは、殆ど同時でした。
「なんだありゃ…。戦闘機かよ。」
シャチがボソリと呟きました。
町の男達なんて、大きく目を見開き、顎が外れるほどにあんぐりと口を開けていました。
「・・・・・助ける必要、なかったみたいっすね。」
「後で叱ってやる。」
ペンギンが言うと、ローは怒っている風に言いました。
でも、さっきまで、眉間に深く刻まれていた皴は消え、表情は柔らかくなっています。
なまえの無事が分かり、漸く、ローもホッとしたのでしょう。
「あのバカが出て来れるように瓦礫をどかしてやるぞ。」
「アイアイ、キャプテン!!」
いつも通りのセリフで応えるハートの海賊団の船員達の表情も、晴れやかでした。
軽やかな足取りで駆け出して、全壊した家から粉々になった瓦礫をどかします。
町の男達も集まり、全員でがれきの撤去作業を始めました。
なまえのビームで粉々になっていたおかげで、瓦礫の数は増えましたが、それなりに簡単に作業が進み、すぐに、折り重なる瓦礫で隠れていた奥が見えてきました。
ローとベポが下を覗き込めば、顔や服を煤だらけにしたなまえがこちらを見上げています。
パッと見た感じだと、どこかが壊れているという様子はありません。
そこは、エレンの実家の地下スペースのようでした。
火のまわらないそこに逃げ込んだのはいいものの、家が全壊したことで階段を上がれなくなり、地下に閉じ込められてしまったのでしょう。
「ったく、無茶しやがって。それで、写真は見つたのか。」
「はい、見つかりました。」
「そりゃよかったな。ほら、すぐに出してやるから、俺の手を掴め。」
ローが、瓦礫の穴に長い腕をつっこみました。
「はい、知っています。」
なまえは真っすぐ上に手を伸ばし、ローの手を握りました。
ローは、片腕で軽々となまえを持ち上げました。
瓦礫の上になまえの姿が現れると、必死に彼女を探していた全員から歓声が上がりました。
「ありがとう。」
礼を言ったなまえの頭に、ローがポンと手を乗せました。
そのとき、ハートの海賊団の船員達は、なまえが自分に危険が迫ると分かっていながら覚悟を決めることが出来た理由を分かった気がしました。
なまえは、安心した顔で自分を見ているたくさんの顔をひとつひとつ見ながら、探しました。
そして、彼らの向こうに、煤だらけの顔で泣きそうになっているエレンを見つけました。
そのすぐ隣には、エレンを守るように背中に手を添えているカルラとミカサがいます。
なまえはエレンの元へ向かいました。
そして、不安そうに座り込んだままのエレンの前にまで行くと、視線の高さを合わせるために雪の上で膝立ちになりました。
視線が絡むと、エレンは、どうしたらいいか分からないような表情になりました。
心から恨み憎んでいた海賊に助けられた悔しさ、助けてもらった有難さ、そして、死ぬかもしれないと思ったときの恐怖と海賊への怒り、いろんな感情が心の奥でぐちゃぐちゃに混ぜられて、自分でもどんな顔をすればいいのか分からないのです。
いつの間にか、なまえとエレンの周りには、海賊や町の住人達が集まって来ていました。
「ミカサの両親の写真は、これで間違いありませんか?」
「…は?」
思いがけない言葉に驚いたエレンから、掠れて空気と混ざったような声が漏れました。
なまえが、スカートのポケットから大切そうに取り出し、両手にそっと乗せて見せたのは、今は亡きアッカーマン夫妻の写真でした。
少しだけ皴が出来ていましたが、どこも燃えていません。
エレンもミカサも、もう無理だと諦めていました。
記憶の中で、アッカーマン夫妻の顔を必死に繋ぎ止めるしかないのかもしれないと覚悟もしていました。
でも、確かに今、目の前に、諦めていたアッカーマン夫妻写真があります。
「これ…、本当に…、見つけてきたのか…?お前が…?」
「大切そうに銀の箱に入っていたので、奇跡的に無事でした。
箱は邪魔だったので置いてきましたが、必要でしたか?
それなら、もう一度、戻って——。」
「どうして、そこまでするんだよ!?お前、海賊なんだろ!?
悪いやつなのに、どうして…!!!!」
エレンが怒鳴りました。
当然のように、自分を助けるために命をかけたなまえに苛立ったのです。
でも、自分でも、怒っているのか、戸惑っているのか、はたまた、悲しいのか、分かっていませんでした。
なまえの行動の意味が分からなくて、怖かったというのもあるかもしれません。
だって、エレンの中で、海賊というのは、この世から駆逐すべき害虫に過ぎなかったのです。
そのはずだったのに———。
「エレン、あなたにはロー達の姿が見えますか?」
なまえは、エレンの頬を両手で挟むと、少し強引に上を向かせました。
エレンの視線は持ちあがり、大嫌いな海賊達が自分を見下ろしている姿が視界いっぱいに入り込みました。
彼らは、顔を煤だらけにして、服は焦げと煤でボロボロでした。
逃げ遅れた住人達を助けるために命懸けで地獄で戦った町の男達と同じです。
いいえ、同じという表現は正しくはありません。
だって、海賊達には、この町に何の恩も繋がりもないのです。
それでも、彼らは、命懸けで火の海を駆け回ってくれました。
見ていなくても、エレンにだって、それくらい分かりました。
煤だらけでボロボロの彼らの姿が、全てを物語っていたからです。
「…っ。」
エレンは、拳を握り、唇を噛みました。
それでも、グッとこみ上げた涙は目頭を熱くさせます。
本当は、なまえを怒鳴りつけたときから、答えは分かっていたのです。
でも、認めたくありませんでした。
だって、海賊はすべて悪い害虫だと信じた方が、楽だったからです。
そうすることで、恨みや憎しみのすべてを彼らに向けて生きる方が、ずっと楽だったのです。
「ミカサの両親を殺し、この町に火を放った海賊と
ロー達は同じ顔をしていますか?」
「…っ、違…っ、違う…っ。」
「はい、そうです。彼らは、ミカサの両親を殺し、この町に火を放った海賊ではありません。
ロー達は、ロー達です。ハートの海賊団です。
エレンの目が見えていることが分かって安心しました。」
なまえはそう言うと、エレンの両頬を挟んでいた手を離しました。
「それで、箱はどうしますか?取りに行きますか?」
「写真だけで、いい…っ。」
「そうですか。分かりました。
では、この写真は、エレンからミカサに渡してあげてください。」
なまえは、エレンの両手を包むように持ち上げると、広げた手のひらの上に、とても大切そうにアッカーマン夫妻の写真を乗せました。
エレンは、自分の手のひらの上に乗せられたアッカーマン夫妻の写真を見下ろします。
心の奥で、いろんな想いが駆け上がっていました。
アッカーマン夫妻との想い出、ミカサの笑顔や涙、悔しかったこと、海賊が憎くて仕方ないこと、それから——。
生きていて、よかった、ということ—————。
グッと唇を噛んだ後、エレンは隣にいるミカサの方を向きました。
ミカサと視線が絡むと、エレンの心の中で駆け巡っていたいろんな想いが、ひとつにまとまりました。
ただひたすら、ミカサの笑顔が見たかった——。
それだけの為に、危険を冒して海賊の元にだって、地獄の炎の中にだって飛び込びこめたのだということを思い出したのです。
「ほら…、お前の父さんと母さんの写真。
ちゃんと取り戻せたから、もう、泣くなよ。
俺が見つけてきたんじゃねぇけど・・・・っ。」
「エレン…っ!!」
ミカサが抱きしめたのは、エレンでした。
強く抱きしめながら、ミカサは、ワンワン泣きじゃくりました。
嬉しかったのです。
両親の写真が戻ってきたことではなくて、このときはただ、エレンが生きていることが嬉しくて、涙が止まらなかったのです。
生きていてよかったと泣き喚き抱きしめるミカサの心臓の鼓動が、エレンの心臓の鼓動と重なりました。
その途端、自分は生きているのだ、と実感が湧きあがりました。
よかった、生きていてよかった——。
だって、まるで生き物のように襲ってくる炎と熱、息苦しさの中で、自分はもう死ぬのだと漠然と思ったのです。
そのとき、向こうから、まるで天使が迎えに来たように白い手が伸びて——。
(怖かった…っ。)
エレンは、ミカサを抱きしめ返して、わんわん泣きじゃくりました。
怖かったのです。
当然です。10歳の男の子が、迫りくる炎の中、たったひとりきりで生きるために藻掻いていたのですから。
アルミンが駆けより、ミカサとエレンを両腕で抱きしめると、彼もまた大声で泣きました。
抱きしめ合う彼らの真ん中で、アッカーマン夫妻の写真だけが、ふわりと柔らかい笑みを浮かべていました。