大人≪進撃/Eren≫
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巨人との戦いが終わりを告げて、壁の中の人類は、壁の外にいる人類との戦争を始めた。
その戦いすらも団長になったハンジさんや人類最強のリヴァイ兵長、始祖の巨人を操るエレンによって幕を下ろした。
(これを平和って言うのかなぁ。)
賑やかな夜の街に出かけた同期のペトラ達に背を向けた私は、不要になった高い壁の上で両足を空中に投げ出して座り、巨人のいない広い草原を見下ろしていた。
一応、夜の見張りという任務中なのだけれど、何の驚異から人類を守らせようとしているのか分からない。
そもそもそんな気は兵団のトップにも王政にもないから、この広い壁の上で、たった1人の調査兵に見張りをさせているのだろう。
ほど良く気持ちのいい風が頬を撫でて、暇すぎて寝そうだ。
調査兵団の兵士になって数年、私はきっともう二度と巨人とは戦わない。
今までそれだけを考えて、そのためだけに訓練を積んできたから、人生が空っぽになったような気がしていた。
証拠に、目標を失った調査兵達が何人も兵団から去った。
誰も失いたくないと思いながら戦ってきたけれど、明日も明後日もこれからも、私達は離れ離れになっていく。
今度は、自分達の意志でー。
「お疲れ様です。」
ぼんやりと草原を見下ろしていると、後ろから声をかけられた。
そういえば、交代はエレンだった。
でも、交代にはまだ早いなと思いながら顔を上げれば、エレンが両手にグラスを持って立っていた。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
「いえ。」
グラスをひとつ私に渡したエレンは、隣に腰を降ろすと、折り曲げた長い脚に寄り掛かるようにして、両腕をダラリと膝に乗せた。
受け取ったグラスからは、私の好きなお酒の甘くてキツい香りがしていた。
「さっき、ハンジさんが名前さんの班の書類が届いてないって困ってたんで、
勝手に部屋に入って持って行っておきました。」
エレンは、私を見ないまま、何もない草原を眺めた。
その報告も兼ねて、交代よりだいぶ早くやって来たようだ。
「あ~…、ごめん、忘れてたよ。ありがとう。」
「俺もちょうど名前さんに届けたい書類があったんで、
ついでにデスクの上に置いておきました。」
「了解。後で確認しておくね。」
「なんか…、俺、思うんですけど、
平和ってこういうこと言うんですかね。」
エレンは、酒の入ったグラスを口に運びながら言って、巨人のいなくなった草原を遠い目で眺める。
さっき、私が思ったのと同じことを、どんな気持ちで言ったのだろう。
何処か憂いを帯びた横顔は、月明かりに照らされて余計に妖しく見えた。
肩にかかりそうなくらいに長い髪が、夜風に靡いて首筋で揺れている。
スッと通った鼻筋も、薄い唇も、意志の強さよりも色気を増した大きな瞳も、数年の時を経てだいぶ大人びた。
(それもそうか。エレンももう20歳だもんな。)
新兵の指導係となった私が、104期の彼らと過ごした厳しくツライ日々はもう遠い昔のようだ。
巨人を駆逐してやるー!
調査兵団に入ったそのときから、目をギラギラさせていた危なっかしい少年は、もういない。
良くも悪くも、エレンはたくさんの経験をした。
それこそ、きっともう、中身だけで言えば私よりずっと大人びているのだと思う。
だから、巨人のいない草原を見下ろして、寂しいなんて我儘なことは感じないのだろう。
「髪、伸びたね。」
私は、草原を眺める綺麗な横顔に手を伸ばした。
すぐに、意志の強い瞳を隠してしまう長さの前髪が指に触れた。
夜風に靡いていた髪は、女の子達も羨むくらいにサラサラだ。
実際、お父さんのことや腹違いの兄との関係もあって、この戦いで影を背負うしかなかったエレンは、そこがまたミステリアスだとか言って、若い女の子達に人気なんだとペトラが教えてくれた。
好きで、ミステリアスキャラになったわけじゃないのにー。
エレンの苦悩を思うほど、私は胸が苦しくなった。
「これでも短くしたんですよ。
昨日、長すぎてウザイって兵長に切られたばっかなんですけど。」
エレンが少し不機嫌そうに眉を顰めた。
それは知っている。
昨日、リヴァイ兵長が鋏を持ってエレンを追いかけていたのは、調査兵のほとんど全員が知っている。
でも、そうじゃない。
そういうことじゃないのだ。
「もう15歳のエレンじゃないんだなぁ、と思っただけだよ。」
たぶん私は、寂しそうに微笑んだのだと思う。
触れていた前髪を、最後にそっとひと撫でして手を離した。
「あぁ…。まぁ、俺ももう20歳ですからね。
こうやって兵長に文句も言われずに酒も飲めますし。」
エレンが、自分が持っているグラスを少し持ち上げて見せた。
まだ半分ほど残った酒が、氷と重なって揺れていた。
「名前さんは、15歳の俺の方が好きなんすよね。」
エレンはスッと私から目を反らすようにして、また平和になった草原に視線を向けた。
「そんなこと思ってないよ?」
「え~、嘘だぁ。」
エレンは、相変わらず、草原を眺めたままだった。
でも、歪に持ち上げられた唇の端も、空虚な瞳も、空っぽに見えた。
自嘲気味の笑みにすらなっていない、それはとても痛々しい。
「私、15歳の一生懸命なエレンも好きだったし、
仲間の為に強くなるしかなかったエレンだって、好きだよ。尊敬してる。」
「別にいいですよ。
15歳の俺は、バカで無鉄砲でどうしようもねぇ駆逐野郎だったけど、
汚れちまってる20歳の俺よりはマシだなって自分でも思いますから。」
必死に頭を回して伝えた言葉も、エレンの耳には空虚に聞こえたようで、フッと鼻で笑われた。
いつから彼は、そんな虚しい笑みを浮かべるようになったのだろう。
あぁ、こんな風に思っていることだって、エレンはきっと見抜いているのだ。
上辺だけを見て黄色い声を上げる可愛い子達よりも、過去と比べる私の方が、エレンのことを傷つけている。
そう思うと、心臓にナイフが刺さったみたいに痛くなった。
でも、今のエレンだって、大切だと思っていることに嘘はないのだ。
だって、彼はー。
「そんなことない。エレンは今も昔も私の可愛い後輩だよ。」
「…そうですね。知ってますよ。分かってます。」
エレンは呟くようにそう言うと、壁の向こうにグラスを持っている手を伸ばした。
骨格がしっかりした手首を捻れば、グラスが斜め下を向いて、残っていた酒が少しずつ零れて落ちていく。
月の明かりに照らされた酒が、キラキラと宝石のように輝いていた。
「でも、大人になればどうにかなるんじゃねぇかって思ってたんです。」
「何のこと?」
「まさか、大人になった方が、汚ぇ手じゃ名前さんに触れることすら出来なくなるなんて
想定外過ぎて最悪な気分です。酒くらいじゃ酔えもしねぇ。」
グラスから酒を零しながら、エレンは悔し気に眉を顰めた。
キラキラと輝きながら少しずつ落ちて消えていくそれは、15歳のエレンなのかもしれない。
それがすべてなくなったら、エレンはどうなるのだろう。
(大人の男の人になるの?それとも…、壊れちゃうの。)
無意識に、私の手はエレンに伸びていた。
そして、掴んだのはグラスを握るエレンの手だった。
「大丈夫だよ。ほら、私が触っても全然汚くならないよ。
だって、エレンの手は全然汚れてないもん。
兵長にしごかれて、綺麗好きになったもんね?」
ニコッと微笑むと、エレンは私の方を向いて顔を顰めた。
そして、これ見よがしにため息を吐く。
「それ本気で言ってるんですか?
それとも俺のことをまだガキだと思って慰めてんの?
気づかねぇフリするの、もうやめてください。」
「…ごめん。」
触れていた手を離して、私は目を伏せて謝った。
「あー…、マジで、最悪…!」
エレンは、頭を雑に掻くと、まだ僅かに残っていたお酒ごとグラスを壁の向こうに投げ捨てた。
しばらくしても、グラスの落ちて割れた音は、壁の上にいる私達には聞こえなかった。
突然視界が変わった世界では、私を見下ろすエレンの向こうに濃い紺色の空に怪しい三日月が浮かんでいた。
固い壁に押しつけられた背中がひんやりと冷たくて、身体が震える。
両手首を地面に縫い付けて私に馬乗りになったエレンは、悔し気に唇を噛んでいた。
「なんで…!変わらねぇんだよ…!俺が大人になったって歳の差が縮まるわけじゃねぇ…!
アンタにとって俺はいつだってガキで!隣にいるだけで馬鹿みたいに心臓が速くなって、
息もろくにできやしねぇダセェガキで…!」
「エレン、ちょっと落ち着こう。お酒で酔っちゃったのかな?」
「またそうやって、俺をガキ扱いですか…っ!悪いけど、アンタより酒だって飲める。
アンタはあの頃からちっとも変ってねぇけど、俺は大人になったんだ…!」
「ごめん、分かってるよ。エレンはもう大人だって分かってる。」
「だからガキ扱いはやめろって!
アンタは本当に変わってねぇ…!綺麗なままなんだ…!
俺は汚れるばかりだったのに、アンタだけはずっと綺麗で…っ。」
なんでー。
絞り出すように出て来たエレンの本音が、涙になって私の頬に幾つも落ちて来た。
グラスから零れて落ちたお酒みたいに、月明かりに照らされてキラキラと輝いた。
ううん、さっきのお酒よりもずっとずっと、綺麗ー。
「私を、汚したい?」
「は?」
大きな瞳に溜まった涙を指でそっと撫でると、エレンが驚いて漏らした声と一緒にポロッと一粒零れて落ちた。
「私はね、ずっと思ってたの。私だけが変われてないって。
エルヴィン団長は調査兵団から退いて、ハンジさんは団長になった。
兵長はどんどん強くなっていくし、エレンまで…大人になってしまった。」
「…嫌なんですか。」
「ヤだよ。大人になったエレンは、いつの間にか遠い人になってて、ずっと寂しかったよ。
巨人がいなくなって嬉しいはずなのに、あの頃に戻りたいと思ってた。
15歳のエレンなら、いつも私の隣で笑ってくれてるのにって…。」
「…っ、やっぱ、アンタって馬鹿っすね。
俺が離れて行くわけ、ないでしょおが…!
もう何年、アンタに片想いしてると思ってんすか…!」
エレンは泣きながら怒っていた。
でも、口元は嬉しそうに緩んでいて、それが遠い昔の無邪気なエレンを残しているような気がして嬉しかった。
エレンの目が、いつしか私を追いかけるようになっていることには割とすぐに気づいたと思う。
でも、私にとって彼は可愛い後輩で、15歳の子供だった。
それがいつか、大人の男になって、それでも相変わらず熱っぽい目で見つめるから、怖くなった。
だって、私はいつの間にか、エレンに惹かれていたからー。
大人になったエレンは、熱っぽい目で私を見ながら、どこか遠いところを向いていた。いつだって、遠くにいた。
そんな、気がしていた。
「それでもやっぱり、不安だよ。
変わらないなんて保証はどこにもないし、エレンはー。」
「言わないで。一緒に、汚れましょう。俺が、汚してやるから。
そしたら、俺達は同じだから。もう二度と、離れない。」
エレンが私の髪を撫でながら、口の端を上げる。
妖艶な微笑みにはもう、15歳の少年の面影はない。
重なった唇からは、キツいお酒の味がした。
私の身体を這う大きな手のひら、耳元にかかる熱い吐息。
彼は大人の男なのだと思い知った。
エレンの言う『一緒に汚れる』が本当に出来たなら、平和なのに虚しかった世界は様変わりするのかな。
さっきのお酒みたいに、エレンの涙みたいに、キラキラ輝くのかな。
そう言えば、エレンは可笑しそうに笑った。
「名前さんみたいに綺麗な世界になるんだよ。」って。
それは分からないけど、見てみたいな。
エレンの隣で、変わっていく世界をー。
その戦いすらも団長になったハンジさんや人類最強のリヴァイ兵長、始祖の巨人を操るエレンによって幕を下ろした。
(これを平和って言うのかなぁ。)
賑やかな夜の街に出かけた同期のペトラ達に背を向けた私は、不要になった高い壁の上で両足を空中に投げ出して座り、巨人のいない広い草原を見下ろしていた。
一応、夜の見張りという任務中なのだけれど、何の驚異から人類を守らせようとしているのか分からない。
そもそもそんな気は兵団のトップにも王政にもないから、この広い壁の上で、たった1人の調査兵に見張りをさせているのだろう。
ほど良く気持ちのいい風が頬を撫でて、暇すぎて寝そうだ。
調査兵団の兵士になって数年、私はきっともう二度と巨人とは戦わない。
今までそれだけを考えて、そのためだけに訓練を積んできたから、人生が空っぽになったような気がしていた。
証拠に、目標を失った調査兵達が何人も兵団から去った。
誰も失いたくないと思いながら戦ってきたけれど、明日も明後日もこれからも、私達は離れ離れになっていく。
今度は、自分達の意志でー。
「お疲れ様です。」
ぼんやりと草原を見下ろしていると、後ろから声をかけられた。
そういえば、交代はエレンだった。
でも、交代にはまだ早いなと思いながら顔を上げれば、エレンが両手にグラスを持って立っていた。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
「いえ。」
グラスをひとつ私に渡したエレンは、隣に腰を降ろすと、折り曲げた長い脚に寄り掛かるようにして、両腕をダラリと膝に乗せた。
受け取ったグラスからは、私の好きなお酒の甘くてキツい香りがしていた。
「さっき、ハンジさんが名前さんの班の書類が届いてないって困ってたんで、
勝手に部屋に入って持って行っておきました。」
エレンは、私を見ないまま、何もない草原を眺めた。
その報告も兼ねて、交代よりだいぶ早くやって来たようだ。
「あ~…、ごめん、忘れてたよ。ありがとう。」
「俺もちょうど名前さんに届けたい書類があったんで、
ついでにデスクの上に置いておきました。」
「了解。後で確認しておくね。」
「なんか…、俺、思うんですけど、
平和ってこういうこと言うんですかね。」
エレンは、酒の入ったグラスを口に運びながら言って、巨人のいなくなった草原を遠い目で眺める。
さっき、私が思ったのと同じことを、どんな気持ちで言ったのだろう。
何処か憂いを帯びた横顔は、月明かりに照らされて余計に妖しく見えた。
肩にかかりそうなくらいに長い髪が、夜風に靡いて首筋で揺れている。
スッと通った鼻筋も、薄い唇も、意志の強さよりも色気を増した大きな瞳も、数年の時を経てだいぶ大人びた。
(それもそうか。エレンももう20歳だもんな。)
新兵の指導係となった私が、104期の彼らと過ごした厳しくツライ日々はもう遠い昔のようだ。
巨人を駆逐してやるー!
調査兵団に入ったそのときから、目をギラギラさせていた危なっかしい少年は、もういない。
良くも悪くも、エレンはたくさんの経験をした。
それこそ、きっともう、中身だけで言えば私よりずっと大人びているのだと思う。
だから、巨人のいない草原を見下ろして、寂しいなんて我儘なことは感じないのだろう。
「髪、伸びたね。」
私は、草原を眺める綺麗な横顔に手を伸ばした。
すぐに、意志の強い瞳を隠してしまう長さの前髪が指に触れた。
夜風に靡いていた髪は、女の子達も羨むくらいにサラサラだ。
実際、お父さんのことや腹違いの兄との関係もあって、この戦いで影を背負うしかなかったエレンは、そこがまたミステリアスだとか言って、若い女の子達に人気なんだとペトラが教えてくれた。
好きで、ミステリアスキャラになったわけじゃないのにー。
エレンの苦悩を思うほど、私は胸が苦しくなった。
「これでも短くしたんですよ。
昨日、長すぎてウザイって兵長に切られたばっかなんですけど。」
エレンが少し不機嫌そうに眉を顰めた。
それは知っている。
昨日、リヴァイ兵長が鋏を持ってエレンを追いかけていたのは、調査兵のほとんど全員が知っている。
でも、そうじゃない。
そういうことじゃないのだ。
「もう15歳のエレンじゃないんだなぁ、と思っただけだよ。」
たぶん私は、寂しそうに微笑んだのだと思う。
触れていた前髪を、最後にそっとひと撫でして手を離した。
「あぁ…。まぁ、俺ももう20歳ですからね。
こうやって兵長に文句も言われずに酒も飲めますし。」
エレンが、自分が持っているグラスを少し持ち上げて見せた。
まだ半分ほど残った酒が、氷と重なって揺れていた。
「名前さんは、15歳の俺の方が好きなんすよね。」
エレンはスッと私から目を反らすようにして、また平和になった草原に視線を向けた。
「そんなこと思ってないよ?」
「え~、嘘だぁ。」
エレンは、相変わらず、草原を眺めたままだった。
でも、歪に持ち上げられた唇の端も、空虚な瞳も、空っぽに見えた。
自嘲気味の笑みにすらなっていない、それはとても痛々しい。
「私、15歳の一生懸命なエレンも好きだったし、
仲間の為に強くなるしかなかったエレンだって、好きだよ。尊敬してる。」
「別にいいですよ。
15歳の俺は、バカで無鉄砲でどうしようもねぇ駆逐野郎だったけど、
汚れちまってる20歳の俺よりはマシだなって自分でも思いますから。」
必死に頭を回して伝えた言葉も、エレンの耳には空虚に聞こえたようで、フッと鼻で笑われた。
いつから彼は、そんな虚しい笑みを浮かべるようになったのだろう。
あぁ、こんな風に思っていることだって、エレンはきっと見抜いているのだ。
上辺だけを見て黄色い声を上げる可愛い子達よりも、過去と比べる私の方が、エレンのことを傷つけている。
そう思うと、心臓にナイフが刺さったみたいに痛くなった。
でも、今のエレンだって、大切だと思っていることに嘘はないのだ。
だって、彼はー。
「そんなことない。エレンは今も昔も私の可愛い後輩だよ。」
「…そうですね。知ってますよ。分かってます。」
エレンは呟くようにそう言うと、壁の向こうにグラスを持っている手を伸ばした。
骨格がしっかりした手首を捻れば、グラスが斜め下を向いて、残っていた酒が少しずつ零れて落ちていく。
月の明かりに照らされた酒が、キラキラと宝石のように輝いていた。
「でも、大人になればどうにかなるんじゃねぇかって思ってたんです。」
「何のこと?」
「まさか、大人になった方が、汚ぇ手じゃ名前さんに触れることすら出来なくなるなんて
想定外過ぎて最悪な気分です。酒くらいじゃ酔えもしねぇ。」
グラスから酒を零しながら、エレンは悔し気に眉を顰めた。
キラキラと輝きながら少しずつ落ちて消えていくそれは、15歳のエレンなのかもしれない。
それがすべてなくなったら、エレンはどうなるのだろう。
(大人の男の人になるの?それとも…、壊れちゃうの。)
無意識に、私の手はエレンに伸びていた。
そして、掴んだのはグラスを握るエレンの手だった。
「大丈夫だよ。ほら、私が触っても全然汚くならないよ。
だって、エレンの手は全然汚れてないもん。
兵長にしごかれて、綺麗好きになったもんね?」
ニコッと微笑むと、エレンは私の方を向いて顔を顰めた。
そして、これ見よがしにため息を吐く。
「それ本気で言ってるんですか?
それとも俺のことをまだガキだと思って慰めてんの?
気づかねぇフリするの、もうやめてください。」
「…ごめん。」
触れていた手を離して、私は目を伏せて謝った。
「あー…、マジで、最悪…!」
エレンは、頭を雑に掻くと、まだ僅かに残っていたお酒ごとグラスを壁の向こうに投げ捨てた。
しばらくしても、グラスの落ちて割れた音は、壁の上にいる私達には聞こえなかった。
突然視界が変わった世界では、私を見下ろすエレンの向こうに濃い紺色の空に怪しい三日月が浮かんでいた。
固い壁に押しつけられた背中がひんやりと冷たくて、身体が震える。
両手首を地面に縫い付けて私に馬乗りになったエレンは、悔し気に唇を噛んでいた。
「なんで…!変わらねぇんだよ…!俺が大人になったって歳の差が縮まるわけじゃねぇ…!
アンタにとって俺はいつだってガキで!隣にいるだけで馬鹿みたいに心臓が速くなって、
息もろくにできやしねぇダセェガキで…!」
「エレン、ちょっと落ち着こう。お酒で酔っちゃったのかな?」
「またそうやって、俺をガキ扱いですか…っ!悪いけど、アンタより酒だって飲める。
アンタはあの頃からちっとも変ってねぇけど、俺は大人になったんだ…!」
「ごめん、分かってるよ。エレンはもう大人だって分かってる。」
「だからガキ扱いはやめろって!
アンタは本当に変わってねぇ…!綺麗なままなんだ…!
俺は汚れるばかりだったのに、アンタだけはずっと綺麗で…っ。」
なんでー。
絞り出すように出て来たエレンの本音が、涙になって私の頬に幾つも落ちて来た。
グラスから零れて落ちたお酒みたいに、月明かりに照らされてキラキラと輝いた。
ううん、さっきのお酒よりもずっとずっと、綺麗ー。
「私を、汚したい?」
「は?」
大きな瞳に溜まった涙を指でそっと撫でると、エレンが驚いて漏らした声と一緒にポロッと一粒零れて落ちた。
「私はね、ずっと思ってたの。私だけが変われてないって。
エルヴィン団長は調査兵団から退いて、ハンジさんは団長になった。
兵長はどんどん強くなっていくし、エレンまで…大人になってしまった。」
「…嫌なんですか。」
「ヤだよ。大人になったエレンは、いつの間にか遠い人になってて、ずっと寂しかったよ。
巨人がいなくなって嬉しいはずなのに、あの頃に戻りたいと思ってた。
15歳のエレンなら、いつも私の隣で笑ってくれてるのにって…。」
「…っ、やっぱ、アンタって馬鹿っすね。
俺が離れて行くわけ、ないでしょおが…!
もう何年、アンタに片想いしてると思ってんすか…!」
エレンは泣きながら怒っていた。
でも、口元は嬉しそうに緩んでいて、それが遠い昔の無邪気なエレンを残しているような気がして嬉しかった。
エレンの目が、いつしか私を追いかけるようになっていることには割とすぐに気づいたと思う。
でも、私にとって彼は可愛い後輩で、15歳の子供だった。
それがいつか、大人の男になって、それでも相変わらず熱っぽい目で見つめるから、怖くなった。
だって、私はいつの間にか、エレンに惹かれていたからー。
大人になったエレンは、熱っぽい目で私を見ながら、どこか遠いところを向いていた。いつだって、遠くにいた。
そんな、気がしていた。
「それでもやっぱり、不安だよ。
変わらないなんて保証はどこにもないし、エレンはー。」
「言わないで。一緒に、汚れましょう。俺が、汚してやるから。
そしたら、俺達は同じだから。もう二度と、離れない。」
エレンが私の髪を撫でながら、口の端を上げる。
妖艶な微笑みにはもう、15歳の少年の面影はない。
重なった唇からは、キツいお酒の味がした。
私の身体を這う大きな手のひら、耳元にかかる熱い吐息。
彼は大人の男なのだと思い知った。
エレンの言う『一緒に汚れる』が本当に出来たなら、平和なのに虚しかった世界は様変わりするのかな。
さっきのお酒みたいに、エレンの涙みたいに、キラキラ輝くのかな。
そう言えば、エレンは可笑しそうに笑った。
「名前さんみたいに綺麗な世界になるんだよ。」って。
それは分からないけど、見てみたいな。
エレンの隣で、変わっていく世界をー。
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