◇67ページ◇記憶
Name change
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あまりにも温かすぎる淡い記憶が、じんわり、じんわりと胸の奥に広がっていった。
気付けば、指切りを交わす写真を持つ手に、無意識に力が入っていた。
そこにいる若い俺は、この日のことを胸に生きていくのだろうと信じていた。
どうして、俺は忘れていたのだろう。
あのとき、名前はー。
あのとき、俺はー。
10年以上も昔の出逢いから今日の日まで、たくさんの名前と俺の記憶が、ぶわっと溢れて、止まらない。
後悔が、してやりたかったことが、あまりにも溢れすぎて、止まらなかった。
「名前、だったのか…?」
気付けなかった自分が許せなくて、俺の声は震えていた。
そんな俺に、エルヴィンは少しだけ困ったように眉尻を下げてから口を開いた。
「約束の10年を待たないで、名前はこの大学に入学してきたんだ。
お久しぶりですと言われて、私も最初は誰だか分からなかったよ。
驚くくらいに大人っぽく綺麗になっていたからね。」
「俺は、忘れないと約束をした…。」
「仕方ないさ。あれから、リヴァイにもいろいろあったし、
少女が女性になるまでの時間と、すっかり大人になっていた我々の時間の流れは違うからね。
ファーランも気づいたときは、顔色を真っ青にしていたよ。」
「アイツは、気づいてたのか。」
「偶々、名前のフルネームを知ってしまったらしい。
名前もファーランとは退院のときしか会っていなかったから、分からなくて油断したんだろうな。
ナイルに聞いた後、俺のところに会いに来たよ。今日のリヴァイと同じようにね。」
エルヴィンが苦笑した。
それ以外は、名前はうまく隠していたとー。
それでも俺は、気づいてやるべきだった。
思い出してやるべきだったのだ。
そうすればきっと、少なくともこんな一方的な別れは来なかったはずだ。
それに、何よりも、名前を無意識に傷つけることだってせずにすんだはずなのにー。
「アイツは、俺に会うために、この大学に入ったのか…?」
「すぐにリヴァイのことを聞かれたよ。元気でやっているかと。
恋人がいると教えてやると、幸せならよかったと嬉しそうにしていた。
少女も大人になって、あの約束の意味をもうちゃんと理解していた。」
「そうか…。」
ホッとしたような、寂しいような気持ちが心を支配した。
そんな俺の心を見透かすエルヴィンの青い瞳が、僅かに細くなる。
「優秀な成績で入学してきた名前は、大学でもとても真剣に勉学に励んでいた。
バイトや、恋人、食べ物、遊びに夢中な友人達に囲まれて、名前だけはいつも夢を見ていたよ。」
「夢?」
「あぁ、優秀な研究員になって、リヴァイの隣で支えたいという夢だ。
あの容姿だから、男子学生達にも人気でよく誘われていてね。
でも、相手にもしないから、ついには研究バカだと友人達にはからかわれていたよ。」
「…!」
可笑しそうに言ったエルヴィンは、小さく吹き出した。
そのときの名前や友人達のやりとりを思い出したのかもしれない。
でも、俺は名前の夢を知って、驚きを隠しきれなかった。
「在学中から、知識や才能に溢れていた名前にザックレーが目をつけて
実は、研究所で一時期、研究員の助手をしていたんだよ。
その頃にはもう、リヴァイは辞めてしまっていたけどな。」
「それでも、薬の研究員になりたかったのか。もう、俺はいねぇのに…。」
「いつかきっと戻ってくるといつも言っていた。
たくさんの人を笑顔に出来る魔法の薬を作れるのは、リヴァイしかいないからと。」
俺は思わず、拳を握って目を伏せた。
全てに対して投げやりになって、薬の研究から目を反らして生きていたとき、俺のことをそんな風に思ってくれているヤツがいたなんて、あの頃、どうして知ることが出来ただろう。
それが、名前だったなんて、どうして俺は、知ることが出来なかったんだろう。
名前のように強く、夢を見失わずにいたのなら、もっと早く再会できたかもしれなかった。
分かってる。
今さら悔やんでも、もう遅い。
目を閉じるように、ゆっくりと瞬きをして、訊ねた。
「それなのに、アイツは大学を辞めた。
再発、したのか…?」
知りたいけれど、知りたくなくて、俺の声はまた震えていた。
俺の覚悟を待つようにじっくりと時間をかけてから、エルヴィンは口を開いた。
「講義中、発作を起こして倒れたんだ。」
「発作…。」
「あぁ、すぐに救急車で運ばれて検査をすると、成長するにつれて
小さくなっていたはずの影が大きくなっていた。
既にあの点滴薬は名前の身体には効かなくなっていて、また、記憶障害になるまで時間の問題だった。」
エルヴィンはそこまで一気に言うと、一度、ゆっくりと息を吐きだした。
そして、また続けた。
「俺がリヴァイを飲みに誘って、その帰りに君が名前に再会した日のことだ。
あの日、検査結果を知った名前は、病院から抜け出して身を投げようとしたんだ。」
僅かに伏せていた俺の目が、ゆっくりと見開かれた。
そして、視線を上げた俺に見えたのは、とてもすまなそうにしているエルヴィンの情けない顔だった。
「だからあの日…、お前は俺を誘ったのか。」
「あぁ。」
「だから…、何か言いたそうな顔をしてたのか。」
「そうだ。」
「なら…、…なぜそれをすぐに言わねぇ?
…なぜクソみてぇな面して、黙ってた?」
俺はエルヴィンを責めた。
もしも、あのとき、エルヴィンがそのことを俺に話してくれていたのなら、薬を作ろうとしたはずだ。
母親のために薬を作ったように、今度こそ、少女を助ける薬を作った。絶対に、そうした。
「名前に止められていた。もう新しい生活をしている君に迷惑をかけたくないと。
それから…、自分の知っている魔法使いではなくなった君に会うのが怖かったのだと思う。
記憶がなくなるかもしれないと不安になってる名前に、それ以上の負担はかけられないと思った。」
エルヴィンにそう言われて、俺は何も言えなくなってしまう。
結局は、ちゃんと約束を守ってやれなかった俺が一番悪いのだ。
名前が魔法使いを一番必要としていたときに、俺はそばにいてやれなかったどころか、少女のことを記憶の奥に仕舞い込もうとしていた。
少女に出逢って、自分のことを好きになれた日があった。
でも今、俺は自分のことが一番嫌いだ。
名前を守ってやれず、消えるしかないという悲しい決断をさせてしまった自分が、大嫌いだー。
「まさか、そのまま死のうとするなんて思いもしなかったんだ。
でも、リヴァイ、君はまた名前を救ったんだ。心も、命も。」
「アイツは、すぐに俺だと分かったのか…?
そんな風には、見えなかった。」
「最初は分からなかったらしい。
でも、昔と同じことを言われて気付いたと言っていたよ。
心当たりはあるか?」
「同じこと…?」
俺は首を捻った。
橋の上で名前と交わした会話なんて、ほんの少ししかない。
必死に手繰り寄せた記憶に、俺はハッとした。
あのとき俺は、自分の存在はみんなを傷つけるだけだと泣く名前の絶望を宿した瞳に、優しさを見たのだ。
それが少女と重なった。
そうだ。そして、確か俺は、こう言った。
『お前が死んででも傷つけたくねぇ奴らはきっと、
お前のいない明日が来るくらいなら、お前に傷つけられる明日を選ぶんじゃねぇのか。
まずはそれを訊いてから、飛び降りるか決めやがれ。』
『お前が、もう二度と目を覚まさなくてもいいから、覚えていたいと思った大切な奴らは、
お前に忘れられたって構わないから、お前の笑顔が見たいと思ってる。
それだけは忘れるな。約束だ。』
思い出したセリフが、遠い昔に俺が少女にさせた約束と重なった。
俺は、覚えていたのだ。ちゃんと。
そして、名前も約束を覚えていた。
だから、俺に気づいてくれたー。
心当たりがある俺に気づいたエルヴィンは、とても嬉しそうに目を細めた。
「リヴァイが自分の知っている魔法使いのままで、名前はとても嬉しかったんだろうね。
次の日、私のところに来て、自分が消えてしまう前に君を魔法使いに戻したいと言ったんだ。」
「魔法使いに?」
「研究所に戻してあげたかったんだよ。
まぁ、そのついでに、最後に君のお嫁さんごっこもしたいと笑っていたけどね。」
「あぁ…、それで…。」
俺のマンションに押しかけて来たばかりの頃の名前を思い出した。
追い出そうと思って帰ってきたら、部屋が驚くくらいに綺麗になっていて、料理もすごく美味しくて、気づいたら名前の底抜けに明るい笑顔にほだされていた。
名前はいつも、掃除はプロレベルだし、家事洗濯も完璧だった。
礼儀正しいところもあって、知識や教養もしっかり身に着けていた。
だから、とても良いところのお嬢さんなんだろうと思っていた。
実際、名前は、お偉い画家と茶道の家元の娘で、本物のお嬢様だ。
でも、俺を納得させるくらいに掃除が上手かったのも、家事洗濯が完璧だったのも、知識や教養も、薬研究の知識さえも、すべてー。
「どうだ、リヴァイ?
10年という約束の時間は過ぎていたけど、名前は君の理想の女性になって
会いに来てくれたんじゃないかい?」
「バカ言え…、ファーランにえげつねぇと言われた条件だぞ。」
「ハハ、そういえば、そうだったな。」
「あぁ、そうだ。だから、そんなの…。」
そこまで言って、俺は言葉を切った。
少女から大人の女になった名前が、俺の記憶の中に鮮やかに蘇っていた。
記憶の中にいる名前は、いろんな表情をしていたけれど、いつだってただ真っすぐに俺を見つめていた。
そのどれも、俺は今でも愛おしい。
「理想以上に、決まってるじゃねぇか。」
俺は、ゆっくりと噛みしめるように言った。
珍しく素直な俺に、エルヴィンは驚いたようだった。
でも、すぐに嬉しそうに頬を緩めた。
「やっぱり、私の思った通りだったな。
魔法使いに魔法を使えるようしてもらったあのコは、
どんな夢だって叶えると思っていたんだ。さすが魔法の力だな。」
「あぁ、そうだな。」
そう言ったけれど、俺もエルヴィンも分かっていた。
退院の日、サヨナラと見送ったあの日から、名前はずっと努力をしたのだ。
そうやって、世界一料理の美味い母親のレシピを覚えて、えげつないとファーランに言わせた掃除のスキルだって身につけた。
研究所のエースと呼ばれているペトラ達を驚かせる医学の知識も、政治家や医者達と堂々と話せる知識と教養も、必死に勉強しなければ手に入れることは出来ない。
それを知っているから、コニーも、ミカサは天才だが、成績が1番のヤツは研究バカなだけだと言っていたのだろう。
「俺の家に…、押しかけて来たとき、名前はコレと似た服を着てた…。」
写真に視線を落とし、俺は記憶を吐き出した。
それを聞いて、エルヴィンは心底驚いていたようだった。
だって、そんなのまるで、気づいてくれと言っているようなものだ。
名前は、ずっと俺に正体を隠し続けていたのに、そんなのおかしいじゃないか。
知られたくなかった、はずなのにー。
いつか消えるときのために、正体を隠していたのにー。
「気づいて、欲しかったんだ…。
本当はアイツ、俺に…気づいて欲しかった…。」
あの日、俺は、ゴミ箱の中に赤いリボンが捨てられているのを見たのだ。
名前の気持ちを想って、俺はやりきれなかった。
君に流させた涙を瞳に戻すことが出来ないように
戻ることが出来ない時計のように
俺の想いはただ君だけに向かってる
気付けば、指切りを交わす写真を持つ手に、無意識に力が入っていた。
そこにいる若い俺は、この日のことを胸に生きていくのだろうと信じていた。
どうして、俺は忘れていたのだろう。
あのとき、名前はー。
あのとき、俺はー。
10年以上も昔の出逢いから今日の日まで、たくさんの名前と俺の記憶が、ぶわっと溢れて、止まらない。
後悔が、してやりたかったことが、あまりにも溢れすぎて、止まらなかった。
「名前、だったのか…?」
気付けなかった自分が許せなくて、俺の声は震えていた。
そんな俺に、エルヴィンは少しだけ困ったように眉尻を下げてから口を開いた。
「約束の10年を待たないで、名前はこの大学に入学してきたんだ。
お久しぶりですと言われて、私も最初は誰だか分からなかったよ。
驚くくらいに大人っぽく綺麗になっていたからね。」
「俺は、忘れないと約束をした…。」
「仕方ないさ。あれから、リヴァイにもいろいろあったし、
少女が女性になるまでの時間と、すっかり大人になっていた我々の時間の流れは違うからね。
ファーランも気づいたときは、顔色を真っ青にしていたよ。」
「アイツは、気づいてたのか。」
「偶々、名前のフルネームを知ってしまったらしい。
名前もファーランとは退院のときしか会っていなかったから、分からなくて油断したんだろうな。
ナイルに聞いた後、俺のところに会いに来たよ。今日のリヴァイと同じようにね。」
エルヴィンが苦笑した。
それ以外は、名前はうまく隠していたとー。
それでも俺は、気づいてやるべきだった。
思い出してやるべきだったのだ。
そうすればきっと、少なくともこんな一方的な別れは来なかったはずだ。
それに、何よりも、名前を無意識に傷つけることだってせずにすんだはずなのにー。
「アイツは、俺に会うために、この大学に入ったのか…?」
「すぐにリヴァイのことを聞かれたよ。元気でやっているかと。
恋人がいると教えてやると、幸せならよかったと嬉しそうにしていた。
少女も大人になって、あの約束の意味をもうちゃんと理解していた。」
「そうか…。」
ホッとしたような、寂しいような気持ちが心を支配した。
そんな俺の心を見透かすエルヴィンの青い瞳が、僅かに細くなる。
「優秀な成績で入学してきた名前は、大学でもとても真剣に勉学に励んでいた。
バイトや、恋人、食べ物、遊びに夢中な友人達に囲まれて、名前だけはいつも夢を見ていたよ。」
「夢?」
「あぁ、優秀な研究員になって、リヴァイの隣で支えたいという夢だ。
あの容姿だから、男子学生達にも人気でよく誘われていてね。
でも、相手にもしないから、ついには研究バカだと友人達にはからかわれていたよ。」
「…!」
可笑しそうに言ったエルヴィンは、小さく吹き出した。
そのときの名前や友人達のやりとりを思い出したのかもしれない。
でも、俺は名前の夢を知って、驚きを隠しきれなかった。
「在学中から、知識や才能に溢れていた名前にザックレーが目をつけて
実は、研究所で一時期、研究員の助手をしていたんだよ。
その頃にはもう、リヴァイは辞めてしまっていたけどな。」
「それでも、薬の研究員になりたかったのか。もう、俺はいねぇのに…。」
「いつかきっと戻ってくるといつも言っていた。
たくさんの人を笑顔に出来る魔法の薬を作れるのは、リヴァイしかいないからと。」
俺は思わず、拳を握って目を伏せた。
全てに対して投げやりになって、薬の研究から目を反らして生きていたとき、俺のことをそんな風に思ってくれているヤツがいたなんて、あの頃、どうして知ることが出来ただろう。
それが、名前だったなんて、どうして俺は、知ることが出来なかったんだろう。
名前のように強く、夢を見失わずにいたのなら、もっと早く再会できたかもしれなかった。
分かってる。
今さら悔やんでも、もう遅い。
目を閉じるように、ゆっくりと瞬きをして、訊ねた。
「それなのに、アイツは大学を辞めた。
再発、したのか…?」
知りたいけれど、知りたくなくて、俺の声はまた震えていた。
俺の覚悟を待つようにじっくりと時間をかけてから、エルヴィンは口を開いた。
「講義中、発作を起こして倒れたんだ。」
「発作…。」
「あぁ、すぐに救急車で運ばれて検査をすると、成長するにつれて
小さくなっていたはずの影が大きくなっていた。
既にあの点滴薬は名前の身体には効かなくなっていて、また、記憶障害になるまで時間の問題だった。」
エルヴィンはそこまで一気に言うと、一度、ゆっくりと息を吐きだした。
そして、また続けた。
「俺がリヴァイを飲みに誘って、その帰りに君が名前に再会した日のことだ。
あの日、検査結果を知った名前は、病院から抜け出して身を投げようとしたんだ。」
僅かに伏せていた俺の目が、ゆっくりと見開かれた。
そして、視線を上げた俺に見えたのは、とてもすまなそうにしているエルヴィンの情けない顔だった。
「だからあの日…、お前は俺を誘ったのか。」
「あぁ。」
「だから…、何か言いたそうな顔をしてたのか。」
「そうだ。」
「なら…、…なぜそれをすぐに言わねぇ?
…なぜクソみてぇな面して、黙ってた?」
俺はエルヴィンを責めた。
もしも、あのとき、エルヴィンがそのことを俺に話してくれていたのなら、薬を作ろうとしたはずだ。
母親のために薬を作ったように、今度こそ、少女を助ける薬を作った。絶対に、そうした。
「名前に止められていた。もう新しい生活をしている君に迷惑をかけたくないと。
それから…、自分の知っている魔法使いではなくなった君に会うのが怖かったのだと思う。
記憶がなくなるかもしれないと不安になってる名前に、それ以上の負担はかけられないと思った。」
エルヴィンにそう言われて、俺は何も言えなくなってしまう。
結局は、ちゃんと約束を守ってやれなかった俺が一番悪いのだ。
名前が魔法使いを一番必要としていたときに、俺はそばにいてやれなかったどころか、少女のことを記憶の奥に仕舞い込もうとしていた。
少女に出逢って、自分のことを好きになれた日があった。
でも今、俺は自分のことが一番嫌いだ。
名前を守ってやれず、消えるしかないという悲しい決断をさせてしまった自分が、大嫌いだー。
「まさか、そのまま死のうとするなんて思いもしなかったんだ。
でも、リヴァイ、君はまた名前を救ったんだ。心も、命も。」
「アイツは、すぐに俺だと分かったのか…?
そんな風には、見えなかった。」
「最初は分からなかったらしい。
でも、昔と同じことを言われて気付いたと言っていたよ。
心当たりはあるか?」
「同じこと…?」
俺は首を捻った。
橋の上で名前と交わした会話なんて、ほんの少ししかない。
必死に手繰り寄せた記憶に、俺はハッとした。
あのとき俺は、自分の存在はみんなを傷つけるだけだと泣く名前の絶望を宿した瞳に、優しさを見たのだ。
それが少女と重なった。
そうだ。そして、確か俺は、こう言った。
『お前が死んででも傷つけたくねぇ奴らはきっと、
お前のいない明日が来るくらいなら、お前に傷つけられる明日を選ぶんじゃねぇのか。
まずはそれを訊いてから、飛び降りるか決めやがれ。』
『お前が、もう二度と目を覚まさなくてもいいから、覚えていたいと思った大切な奴らは、
お前に忘れられたって構わないから、お前の笑顔が見たいと思ってる。
それだけは忘れるな。約束だ。』
思い出したセリフが、遠い昔に俺が少女にさせた約束と重なった。
俺は、覚えていたのだ。ちゃんと。
そして、名前も約束を覚えていた。
だから、俺に気づいてくれたー。
心当たりがある俺に気づいたエルヴィンは、とても嬉しそうに目を細めた。
「リヴァイが自分の知っている魔法使いのままで、名前はとても嬉しかったんだろうね。
次の日、私のところに来て、自分が消えてしまう前に君を魔法使いに戻したいと言ったんだ。」
「魔法使いに?」
「研究所に戻してあげたかったんだよ。
まぁ、そのついでに、最後に君のお嫁さんごっこもしたいと笑っていたけどね。」
「あぁ…、それで…。」
俺のマンションに押しかけて来たばかりの頃の名前を思い出した。
追い出そうと思って帰ってきたら、部屋が驚くくらいに綺麗になっていて、料理もすごく美味しくて、気づいたら名前の底抜けに明るい笑顔にほだされていた。
名前はいつも、掃除はプロレベルだし、家事洗濯も完璧だった。
礼儀正しいところもあって、知識や教養もしっかり身に着けていた。
だから、とても良いところのお嬢さんなんだろうと思っていた。
実際、名前は、お偉い画家と茶道の家元の娘で、本物のお嬢様だ。
でも、俺を納得させるくらいに掃除が上手かったのも、家事洗濯が完璧だったのも、知識や教養も、薬研究の知識さえも、すべてー。
「どうだ、リヴァイ?
10年という約束の時間は過ぎていたけど、名前は君の理想の女性になって
会いに来てくれたんじゃないかい?」
「バカ言え…、ファーランにえげつねぇと言われた条件だぞ。」
「ハハ、そういえば、そうだったな。」
「あぁ、そうだ。だから、そんなの…。」
そこまで言って、俺は言葉を切った。
少女から大人の女になった名前が、俺の記憶の中に鮮やかに蘇っていた。
記憶の中にいる名前は、いろんな表情をしていたけれど、いつだってただ真っすぐに俺を見つめていた。
そのどれも、俺は今でも愛おしい。
「理想以上に、決まってるじゃねぇか。」
俺は、ゆっくりと噛みしめるように言った。
珍しく素直な俺に、エルヴィンは驚いたようだった。
でも、すぐに嬉しそうに頬を緩めた。
「やっぱり、私の思った通りだったな。
魔法使いに魔法を使えるようしてもらったあのコは、
どんな夢だって叶えると思っていたんだ。さすが魔法の力だな。」
「あぁ、そうだな。」
そう言ったけれど、俺もエルヴィンも分かっていた。
退院の日、サヨナラと見送ったあの日から、名前はずっと努力をしたのだ。
そうやって、世界一料理の美味い母親のレシピを覚えて、えげつないとファーランに言わせた掃除のスキルだって身につけた。
研究所のエースと呼ばれているペトラ達を驚かせる医学の知識も、政治家や医者達と堂々と話せる知識と教養も、必死に勉強しなければ手に入れることは出来ない。
それを知っているから、コニーも、ミカサは天才だが、成績が1番のヤツは研究バカなだけだと言っていたのだろう。
「俺の家に…、押しかけて来たとき、名前はコレと似た服を着てた…。」
写真に視線を落とし、俺は記憶を吐き出した。
それを聞いて、エルヴィンは心底驚いていたようだった。
だって、そんなのまるで、気づいてくれと言っているようなものだ。
名前は、ずっと俺に正体を隠し続けていたのに、そんなのおかしいじゃないか。
知られたくなかった、はずなのにー。
いつか消えるときのために、正体を隠していたのにー。
「気づいて、欲しかったんだ…。
本当はアイツ、俺に…気づいて欲しかった…。」
あの日、俺は、ゴミ箱の中に赤いリボンが捨てられているのを見たのだ。
名前の気持ちを想って、俺はやりきれなかった。
君に流させた涙を瞳に戻すことが出来ないように
戻ることが出来ない時計のように
俺の想いはただ君だけに向かってる