◇38ページ◇シンデレラの真意
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夕食を終えた後、俺は、いつものようにソファに座って、読みかけの本を開いていた。
隣に座る名前が、さっきから集中して観ているのは、去年実写化されたばかりの有名な映画だ。
義母や義姉に灰かぶりと呼ばれ虐げられた女が、魔法でお姫様になって王子様と結ばれるというあの有名な物語だ。
それが、今夜、初めてテレビで放送されていたのだ。
真剣に観ている名前の横顔が可愛くて、悪戯心が湧いた。
まずは、指で頬をつついてみた。
反応はない。
無視しているというより、映画に夢中過ぎて気づかなかったようだった。
それなら、と頬をつねってみると、テレビに視線を向けたままで手を離された。
無視されてたらしい。
そうと分かると、悪戯心は、絶対に反応させたいと意地になった。
恋人になってまだ日は浅いけれど、名前の弱いところは熟知している。
まずはジャブだ、と思いながら、耳に息を吹きかけてみた。
これが思った以上に大成功だった。
「ひゃあ…っ!」
驚いてビクッと肩を上下に揺らした名前が、困った顔をして俺の方を向いた。
目が合ったことが嬉しくて、それで分かってしまった。
俺はただ、テレビじゃなくて自分を見て欲しかっただけだったのだ。
自分が、こんな女々しい気持ちを知るようになるなんて、信じられなかった。
「もう、ビックリしちゃいました。」
名前は困ったように言いながら、俺の腰に抱き着いて肩に頭を乗せて寄り掛かった。
視線はまたテレビへ戻ってしまったが、密着した身体が温かくて、これはこれで満足した。
「そんなに面白いのか?」
「今はまだ胸が痛いですね。
意地悪なお母様とお姉様にいじめられているので。」
「魔法待ちか。」
「クス、はい、魔法待ちです。」
名前がクスクスと笑った。
その姿を、俺もクスリと笑って、読みかけの本に視線を戻した。
パーティーで、お互いに本当の恋人になったと認め合ってから数日が経っていた。
あの後、タクシーで自宅マンションに帰った俺は、バルコニーでの続きを期待しなかったわけではないが、お偉い方の相手で疲れた様子だった名前に無理をさせたくなくて、ただ抱きしめるだけして眠った。
それから、毎晩、抱きしめ合って眠ってはいるけれど、まだ体を重ね合うことはしていない。
あの夜の名前が嘘のように、あれから一度も、俺を求めようとしないのだ。
寝る前に、そういう雰囲気に持って行こうとしても、笑顔ではらりとかわされてしまう。
でも、だからといって、スキンシップそのものを嫌がっている様子はない。
俺の隣に座れば、こうやって甘えてくるし、抱きついたり、キスをしてきたりもする。
だからきっと、そういうことをするのが怖くなったのだろう。
そう考えて、俺もプレッシャーを与えるようなことはしないように注意している。
それはもちろん、抱き合って眠れば、心と身体は期待をして反応してしまうけれど、そこは大人の男として我慢だ。
心の準備ができるまで、待ってやるべきだ。
しばらくすると、ボロボロのドレスで悲愴に暮れるヒロインの元へ魔法使いが現れたのが、テレビを見ていなくても、聞こえてくるメロディーとミュージカル風の歌からなんとなく分かった。
「ねぇ、リヴァイさん。」
「ん?」
名前を呼ばれた俺は、顔を上げた。
俺の肩に頭を乗せて寄り掛かる名前は、視線はテレビに釘付けのままで話し続けた。
「どうして、魔法が解けても、ガラスの靴だけは、
残ってしまったんだと思いますか?」
「んー…。靴作りが、魔法使いの得意技だったんじゃねぇのか。」
「お~、さすが、リヴァイさんは天才ですね。
さっき、魔法使いもそう言ってました。」
「へぇ。」
適当に言ったのが当たるとは思わず、俺の方が驚いた。
テレビの向こうでは、美しいお姫様に変身したシンデレラが、カボチャの馬車で舞踏会へ出かけ、ついに王子様と踊り始めていた。
そんな幸せそうな光景を真剣に見つめながら、名前は続けた。
「すごく魔法の下手な魔法使いだったら良かったのにって思いますよね。」
「…いや?それじゃ、話が終わっちまうだろ?」
「それでいいじゃないですか。」
「いいってのはどういうことだ?」
名前の言いたいことがよく分からず、俺は首を傾げた。
とうとうテレビの向こうでは、時計台の針が0時をさそうとしていた。
焦ったようにカボチャの馬車の元へ走るシンデレラを王子様が必死に追いかけている。
「だって、ガラスの靴が残ってしまうから、王子様はシンデレラを忘れられなくて探してしまうし、
シンデレラは、王子様とまた出逢えるかもしれないと期待してしまう。
もしも、永遠に再会出来ないままだったら、お互いにツラいだけじゃないですか。」
ついに魔法が解けてボロボロのドレス姿に戻ってしまったシンデレラを眺めながら、名前は表情一つ変えずに、淡々とした口調で言った。
それを悲しいだとか思っているような様子すらも、なかった。
魔法、魔法と夢のようなことを繰り返す名前が、そんな風に思いながらこの物語を観ていたなんて、意外だった。
でも、どうしてもそれが本心だとは思えなかった。
まるで、心を殺して、そう思い込もうとしているようだった。少なくとも、俺には確かにそう見えたのだ。
俺は、開いていた本を閉じると、膝の上に置いた。
「さっきの答えは間違えた。」
そう言って、俺は名前の両肩を掴んで自分の方を向かせた。
そして、不思議そうに首を傾げた名前に、俺なりに考えた答えを伝えた。
「魔法使いはきっと、忘れて欲しくなかったんだ。」
「忘れて欲しくなかった…?」
「ガラスの靴を見る度に、魔法にかけられて好きなやつと一緒に過ごした夢のような時間は
嘘じゃなかったと、思い出してほしかったんだ。」
「…でも、そんな記憶だけが残っても寂しいだけですよね?
それなら忘れてしまった方がずっといい。」
「そう思うなら、必死に探し合えばいい。思い出にしたいなら、そうすればいい。
後は、2人がどうするかだ。魔法使いはただ、ツラいことばかりだったシンデレラに
せめて幸せな想い出だけでも、残してやりたかったんじゃねぇのか。」
「・・・・・リヴァイさんらしい優しい答えですね。
そんなことを魔法使いが考えてくれていたのなら、とても素敵です。」
少しの間をあけて、名前はふわりと柔らかく笑った。
俺の答えを真剣に聞いているフリをして、右から左へ受け流そうとしているような無表情に見えていたから、少しホッとした。
いつもの名前に戻った気がしたのだ。
だが、やっぱり、俺の声は届いていなかったようだ。
名前は視線と心を俺ではなくてテレビの向こうに移してしまった。
そこでは、シンデレラが大切にしていたガラスの靴を義母が無残にも床に叩きつけて割ってしまっていた。
「でもね、リヴァイさん。この世に存在するものはすべていつか壊れてしまうんですよ。
とっても悲しいけど、魔法が解けてしまった時点で、物語はお終いなんです。
結局、こんなのただの夢物語に過ぎないんですよ。」
名前はまた、あの心を押し殺したような表情に戻っていた。
そして、夢物語を語ってばかりいたはずの口から出てきたのは、やけに現実的なものだった。
テレビの向こうでは、まるで、そんな名前の声が聞こえているみたいに、割れたガラスの靴を抱きしめてシンデレラが泣き崩れていた。
「だから、私がシンデレラなら、絶対にガラスの靴を王子様の元に残したりしないです。
自分で割って、粉々にして、消してしまいます。」
名前のセリフとはアンバランスのテレビのシーンでは、ついに王子様が現れて、自分が大切に持っていたガラスの靴を差し出していた。
そして、ピタリとサイズの合ったシンデレラが嬉しそうに微笑んだ。
すると、名前もまた優しく微笑んで、俺へと視線を移した。
「そうすれば、私の大好きな人は、自分勝手に消えた私を探さずに済むでしょう?
偽物のお姫様のことなんか早く忘れて、幸せになってもらいたいもの。」
初めて見るような優しい微笑みが、ひどく儚く見えた。
急に、今すぐにでも、名前が消えてしまうような、そんな不安に襲われた。
だって、名前はそれをまるで、俺に言っているように聞こえたのだ。
いつか自分は全てを粉々に割って消えてしまうとー。
「…名前、お前はー。」
「なんだか眠たくなっちゃいました。
今夜は先に寝ますね。おやすみなさい。」
消えないよな?-。
思わず、そう確かめようとしてしまった俺の声に被せて、名前は立ち上がった。
抱きしめようとした俺の腕は冷たい空気をかすめ、捕まえられないまま、名前の背中を見送った。
俺の寝室へは行かず、1人きりで眠ることを決めた名前は自分の寝室の扉を閉じた。
名前が観ないまま背を向けたハッピーエンドの幸せそうなメロディだけが、静かなリビングで虚しく響いていた。
それなら俺はさ、粉々に砕けたガラスの破片を
ひとつひとつ繋ぎ合わせて、どうしたって、君を探しに行くよ
でも、君だってガラスの靴も愛も壊せないんだろう
電気をつけないまま、私はベッドに正面からダイブした。
柔らかいベッドに身体が沈んでいく。
もういっそこのままずっとずっと底まで落ちて、これ以上苦しまずにすむようになればいいのに、と願った。
優しいリヴァイさんに八つ当たりして、私は何がしたいのだろう。
リヴァイさんは何も悪くないし、悪気があるわけじゃない。
枕に顔を埋めて、涙を必死に堪えた。
ジャンから連絡があったのはパーティーの日の夜だった。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、パーティーでの私の様子をエレンから聞いた、とメッセージが届いていた。
リヴァイさんが私のことを恋人だと紹介していたことや、目立つなと言われていたのに政治家やお医者様とお喋りを楽しんでいたことまで知っていた。
バラしただなんて、エレンのことを責めるつもりはない。
きっと、エレンも私のことを心配してわざわざジャンに報告したのだと分かっているから。
でも、やっぱり、ジャンはすごく怒っていて、ちゃんと会って話そうと言われた。
そして、その翌日、バイト帰りに会ったジャンとの会話が、頭の中でずっと響き続けて、私を現実に縛りつけた。
夢を見ることを、許してはくれなかった。
分かっている、それが、私のためだ。そして、リヴァイさんのためなのだー。
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-
「は?本当の恋人になった?」
病院の庭園のベンチに座って、私とジャンは話をした。
長い付き合いのジャンに誤魔化しは効かないと理解している私は、全てを正直に話した。
反応は、思った通りだった。
驚いた様子はあまりなく、そうではなければいいと思っていた事実に眉を顰めて、不機嫌な声で私を責めた。
「お前、それがどういうことか分かってんのか?
魔法が解ける前に夢を見るだけでいいって、親父さん達と約束したはずだろ。
まさか、ずっとそのままあの人と一緒にー。」
「そんなことは思ってない!
魔法がいつか解けちゃうことは、分かってる。
それまで、時間もないってことも…。」
「なら、どうしてだよ!
俺だって、あの人が適当に女と付き合うような悪い男じゃねぇのは分かってる。
だから、親父さん達だって許したんだ。きっと、恋人にはならないと!!信じて…!」
ジャンの声は次第に大きくなって、最後には堪らず立ち上がって、私を悔しそうに見下ろしていた。
父と母が一番心配していた関係になってしまったことは、昨日のうちから分かっていた。
理解していた。
それでも、気持ちは止められなかった。
ずっとずっと夢に見ていたリヴァイさんの瞳に、私が映ったのだ。
その視界から、どうすれば自分の意思で外れることが出来ただろうか。
知っていたのなら、教えて欲しい。
そうすれば私だって、身を引けたのだ。
でも誰も、恋を本当に諦める方法なんて知らないから、苦しむんじゃないか。
「ごめんなさい。」
「謝るのは、俺じゃねぇ。
お前の大好きなリヴァイさんに謝るべきなんじゃねぇのかよ。」
目を伏せて謝った私の上に、責めるというよりも、悲しそうに呟くようなジャンの声が落ちて来た。
そして、視線が合うように膝を曲げて屈むと、私の両腕に手を添えた。
「恋人になったってことは、リヴァイさんもお前が好きなんだよな?
あの人のことだから本気なんだと思う。
大切にもしてもらってるんだろう?」
目を伏せたまま頷いた私に、ジャンのため息が返ってきた。
「きっともうすぐ魔法は解ける。名前はリヴァイさんの前から消えるんだ。
それがどういうことか分かるか?恋人になっちまったってことは、
もう、ただの居候が消えただけじゃなくなるってことだ。」
「…分かってる。」
「なら、今すぐ別れろ。同居も解消だ。
他に好きな男が出来たとでも言って、リヴァイさんとはもう会わないようにー。」
「ヤだ!!」
伏せていた顔を上げて、叫んだ。
待っていたみたいに、真っすぐなジャンの瞳が、私の瞳を捉えた。
まるで、自分のことばかり考えている我儘な私を見透かされているみたいで、居心地が悪かった。
「ほら、分かってねぇじゃねぇか。」
「…だって、好きなの…。一緒にいたい。初めて、心から幸せなの。
リヴァイさんのそばにいたい…。魔法が解けちゃうまででいい。」
「そんなのお前のー。」
「私の勝手だし、我儘だって分かってる…!でも…、どうしてもダメなの…?
それくらい、願っちゃいけないの…?私だって…、幸せになりたい…。
大好きな人に好きになってもらう気持ちを、最後に私に、教えてあげたい…。」
涙が零れそうになって、私は両手で顔を覆って唇を噛んだ。
そんな私の両腕に添えていたジャンの手に力が入っていく。
次第に強くなっていく痛みはそのまま、近い未来のリヴァイさんの心の痛みを教えてくれているみたいだった。
「本当に、それでいいのか?
わけもわからないまま、突然、名前の存在だけが
世界から消える恐怖をあの人に味わわせていいのか。」
「…大丈夫だよ。私のことなんて、すぐに忘れてくれる。
リヴァイさんは素敵な人だから、新しい恋人も出来る。
幸せになってくれるって、信じてる。」
「本当にそれでいいんだな?」
「うん、いいよ。それでー。」
「なぁ、名前。こっちを見て言え。それでいいんだな?
魔法が解けたとき、それは名前が消えるときで、独りになった大切な人を、
心配することすら出来なくなるんだ、お前は本当にそれを望むんだな?」
ジャンの言い方はいつも意地悪だ。
そして、頭に来るくらいに、昔から正論なのだ。
子供の頃から、エレンとそりが合わない理由もよく分かる。
でも、ジャンがそういう性格だから、両親も私も彼を信頼しているのも事実だ。
「…私、最低なの…。」
ゆっくり顔を上げて、私はジャンを見て答えた。
私よりも傷ついたような顔をしたジャンは、震える手で私を抱きしめた。
「バカ、最低なヤツはそんな顔しねぇよ…!」
「好きなの…っ、リヴァイさんが、好き…っ。」
私を抱きしめるジャンの腕に力がこもって、耳元からは「やっぱ、最低だ、お前…っ。」と苦しそうに吐き出す声が小さく聞こえた。
そして、しばらくそうやって抱きしめた後、痛いくらいに力を込めていた手をそっと離した。
「親父さん達には恋人になったことは黙っておく。
あと、パーティーでお前が顔を見られた奴らの後始末もしとくから
もう二度と目立つような真似はするな。わかったな?」
「ジャン…っ、本当に、ありがとう…!!」
無理やりでも連れ戻されると覚悟した私は、嬉しくて、ホッとして、ジャンに抱き着いた。
もう抱きしめ返してはくれなかったジャンだったけれど、私の頭をクシャリと撫でてくれた。
まだ慣れないリヴァイさんのそれとは違って、子供の頃から知っているジャンの優しい仕草は、私をいつも安心させてくれる。
いつだって、ジャンは私の味方でいてくれた。
だから、なんだかんだ甘やかしてくれると、ズルい私は本当は知っていた。
リヴァイさんの帰りを待つ家に戻る私を、ジャンは仕方ないなと苦笑しながら手を振って見送った。
「だから、嫌だったんだ…。
最初から、あの人のとこに名前を行かせるのは、反対したのに…、クソ…ッ。」
私の背中が見えなくなった頃、ジャンは崩れるようにベンチに腰を降ろした。
そして、悔しそうに悪態を吐き出して、握った拳でベンチを叩いていた。
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-
「消えたくないよ…。」
漏れてしまった心の声を消すために、枕を顔に押しつけて抱きしめた。
握りしめた枕は、涙で濡れていた。
隣に座る名前が、さっきから集中して観ているのは、去年実写化されたばかりの有名な映画だ。
義母や義姉に灰かぶりと呼ばれ虐げられた女が、魔法でお姫様になって王子様と結ばれるというあの有名な物語だ。
それが、今夜、初めてテレビで放送されていたのだ。
真剣に観ている名前の横顔が可愛くて、悪戯心が湧いた。
まずは、指で頬をつついてみた。
反応はない。
無視しているというより、映画に夢中過ぎて気づかなかったようだった。
それなら、と頬をつねってみると、テレビに視線を向けたままで手を離された。
無視されてたらしい。
そうと分かると、悪戯心は、絶対に反応させたいと意地になった。
恋人になってまだ日は浅いけれど、名前の弱いところは熟知している。
まずはジャブだ、と思いながら、耳に息を吹きかけてみた。
これが思った以上に大成功だった。
「ひゃあ…っ!」
驚いてビクッと肩を上下に揺らした名前が、困った顔をして俺の方を向いた。
目が合ったことが嬉しくて、それで分かってしまった。
俺はただ、テレビじゃなくて自分を見て欲しかっただけだったのだ。
自分が、こんな女々しい気持ちを知るようになるなんて、信じられなかった。
「もう、ビックリしちゃいました。」
名前は困ったように言いながら、俺の腰に抱き着いて肩に頭を乗せて寄り掛かった。
視線はまたテレビへ戻ってしまったが、密着した身体が温かくて、これはこれで満足した。
「そんなに面白いのか?」
「今はまだ胸が痛いですね。
意地悪なお母様とお姉様にいじめられているので。」
「魔法待ちか。」
「クス、はい、魔法待ちです。」
名前がクスクスと笑った。
その姿を、俺もクスリと笑って、読みかけの本に視線を戻した。
パーティーで、お互いに本当の恋人になったと認め合ってから数日が経っていた。
あの後、タクシーで自宅マンションに帰った俺は、バルコニーでの続きを期待しなかったわけではないが、お偉い方の相手で疲れた様子だった名前に無理をさせたくなくて、ただ抱きしめるだけして眠った。
それから、毎晩、抱きしめ合って眠ってはいるけれど、まだ体を重ね合うことはしていない。
あの夜の名前が嘘のように、あれから一度も、俺を求めようとしないのだ。
寝る前に、そういう雰囲気に持って行こうとしても、笑顔ではらりとかわされてしまう。
でも、だからといって、スキンシップそのものを嫌がっている様子はない。
俺の隣に座れば、こうやって甘えてくるし、抱きついたり、キスをしてきたりもする。
だからきっと、そういうことをするのが怖くなったのだろう。
そう考えて、俺もプレッシャーを与えるようなことはしないように注意している。
それはもちろん、抱き合って眠れば、心と身体は期待をして反応してしまうけれど、そこは大人の男として我慢だ。
心の準備ができるまで、待ってやるべきだ。
しばらくすると、ボロボロのドレスで悲愴に暮れるヒロインの元へ魔法使いが現れたのが、テレビを見ていなくても、聞こえてくるメロディーとミュージカル風の歌からなんとなく分かった。
「ねぇ、リヴァイさん。」
「ん?」
名前を呼ばれた俺は、顔を上げた。
俺の肩に頭を乗せて寄り掛かる名前は、視線はテレビに釘付けのままで話し続けた。
「どうして、魔法が解けても、ガラスの靴だけは、
残ってしまったんだと思いますか?」
「んー…。靴作りが、魔法使いの得意技だったんじゃねぇのか。」
「お~、さすが、リヴァイさんは天才ですね。
さっき、魔法使いもそう言ってました。」
「へぇ。」
適当に言ったのが当たるとは思わず、俺の方が驚いた。
テレビの向こうでは、美しいお姫様に変身したシンデレラが、カボチャの馬車で舞踏会へ出かけ、ついに王子様と踊り始めていた。
そんな幸せそうな光景を真剣に見つめながら、名前は続けた。
「すごく魔法の下手な魔法使いだったら良かったのにって思いますよね。」
「…いや?それじゃ、話が終わっちまうだろ?」
「それでいいじゃないですか。」
「いいってのはどういうことだ?」
名前の言いたいことがよく分からず、俺は首を傾げた。
とうとうテレビの向こうでは、時計台の針が0時をさそうとしていた。
焦ったようにカボチャの馬車の元へ走るシンデレラを王子様が必死に追いかけている。
「だって、ガラスの靴が残ってしまうから、王子様はシンデレラを忘れられなくて探してしまうし、
シンデレラは、王子様とまた出逢えるかもしれないと期待してしまう。
もしも、永遠に再会出来ないままだったら、お互いにツラいだけじゃないですか。」
ついに魔法が解けてボロボロのドレス姿に戻ってしまったシンデレラを眺めながら、名前は表情一つ変えずに、淡々とした口調で言った。
それを悲しいだとか思っているような様子すらも、なかった。
魔法、魔法と夢のようなことを繰り返す名前が、そんな風に思いながらこの物語を観ていたなんて、意外だった。
でも、どうしてもそれが本心だとは思えなかった。
まるで、心を殺して、そう思い込もうとしているようだった。少なくとも、俺には確かにそう見えたのだ。
俺は、開いていた本を閉じると、膝の上に置いた。
「さっきの答えは間違えた。」
そう言って、俺は名前の両肩を掴んで自分の方を向かせた。
そして、不思議そうに首を傾げた名前に、俺なりに考えた答えを伝えた。
「魔法使いはきっと、忘れて欲しくなかったんだ。」
「忘れて欲しくなかった…?」
「ガラスの靴を見る度に、魔法にかけられて好きなやつと一緒に過ごした夢のような時間は
嘘じゃなかったと、思い出してほしかったんだ。」
「…でも、そんな記憶だけが残っても寂しいだけですよね?
それなら忘れてしまった方がずっといい。」
「そう思うなら、必死に探し合えばいい。思い出にしたいなら、そうすればいい。
後は、2人がどうするかだ。魔法使いはただ、ツラいことばかりだったシンデレラに
せめて幸せな想い出だけでも、残してやりたかったんじゃねぇのか。」
「・・・・・リヴァイさんらしい優しい答えですね。
そんなことを魔法使いが考えてくれていたのなら、とても素敵です。」
少しの間をあけて、名前はふわりと柔らかく笑った。
俺の答えを真剣に聞いているフリをして、右から左へ受け流そうとしているような無表情に見えていたから、少しホッとした。
いつもの名前に戻った気がしたのだ。
だが、やっぱり、俺の声は届いていなかったようだ。
名前は視線と心を俺ではなくてテレビの向こうに移してしまった。
そこでは、シンデレラが大切にしていたガラスの靴を義母が無残にも床に叩きつけて割ってしまっていた。
「でもね、リヴァイさん。この世に存在するものはすべていつか壊れてしまうんですよ。
とっても悲しいけど、魔法が解けてしまった時点で、物語はお終いなんです。
結局、こんなのただの夢物語に過ぎないんですよ。」
名前はまた、あの心を押し殺したような表情に戻っていた。
そして、夢物語を語ってばかりいたはずの口から出てきたのは、やけに現実的なものだった。
テレビの向こうでは、まるで、そんな名前の声が聞こえているみたいに、割れたガラスの靴を抱きしめてシンデレラが泣き崩れていた。
「だから、私がシンデレラなら、絶対にガラスの靴を王子様の元に残したりしないです。
自分で割って、粉々にして、消してしまいます。」
名前のセリフとはアンバランスのテレビのシーンでは、ついに王子様が現れて、自分が大切に持っていたガラスの靴を差し出していた。
そして、ピタリとサイズの合ったシンデレラが嬉しそうに微笑んだ。
すると、名前もまた優しく微笑んで、俺へと視線を移した。
「そうすれば、私の大好きな人は、自分勝手に消えた私を探さずに済むでしょう?
偽物のお姫様のことなんか早く忘れて、幸せになってもらいたいもの。」
初めて見るような優しい微笑みが、ひどく儚く見えた。
急に、今すぐにでも、名前が消えてしまうような、そんな不安に襲われた。
だって、名前はそれをまるで、俺に言っているように聞こえたのだ。
いつか自分は全てを粉々に割って消えてしまうとー。
「…名前、お前はー。」
「なんだか眠たくなっちゃいました。
今夜は先に寝ますね。おやすみなさい。」
消えないよな?-。
思わず、そう確かめようとしてしまった俺の声に被せて、名前は立ち上がった。
抱きしめようとした俺の腕は冷たい空気をかすめ、捕まえられないまま、名前の背中を見送った。
俺の寝室へは行かず、1人きりで眠ることを決めた名前は自分の寝室の扉を閉じた。
名前が観ないまま背を向けたハッピーエンドの幸せそうなメロディだけが、静かなリビングで虚しく響いていた。
それなら俺はさ、粉々に砕けたガラスの破片を
ひとつひとつ繋ぎ合わせて、どうしたって、君を探しに行くよ
でも、君だってガラスの靴も愛も壊せないんだろう
電気をつけないまま、私はベッドに正面からダイブした。
柔らかいベッドに身体が沈んでいく。
もういっそこのままずっとずっと底まで落ちて、これ以上苦しまずにすむようになればいいのに、と願った。
優しいリヴァイさんに八つ当たりして、私は何がしたいのだろう。
リヴァイさんは何も悪くないし、悪気があるわけじゃない。
枕に顔を埋めて、涙を必死に堪えた。
ジャンから連絡があったのはパーティーの日の夜だった。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、パーティーでの私の様子をエレンから聞いた、とメッセージが届いていた。
リヴァイさんが私のことを恋人だと紹介していたことや、目立つなと言われていたのに政治家やお医者様とお喋りを楽しんでいたことまで知っていた。
バラしただなんて、エレンのことを責めるつもりはない。
きっと、エレンも私のことを心配してわざわざジャンに報告したのだと分かっているから。
でも、やっぱり、ジャンはすごく怒っていて、ちゃんと会って話そうと言われた。
そして、その翌日、バイト帰りに会ったジャンとの会話が、頭の中でずっと響き続けて、私を現実に縛りつけた。
夢を見ることを、許してはくれなかった。
分かっている、それが、私のためだ。そして、リヴァイさんのためなのだー。
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「は?本当の恋人になった?」
病院の庭園のベンチに座って、私とジャンは話をした。
長い付き合いのジャンに誤魔化しは効かないと理解している私は、全てを正直に話した。
反応は、思った通りだった。
驚いた様子はあまりなく、そうではなければいいと思っていた事実に眉を顰めて、不機嫌な声で私を責めた。
「お前、それがどういうことか分かってんのか?
魔法が解ける前に夢を見るだけでいいって、親父さん達と約束したはずだろ。
まさか、ずっとそのままあの人と一緒にー。」
「そんなことは思ってない!
魔法がいつか解けちゃうことは、分かってる。
それまで、時間もないってことも…。」
「なら、どうしてだよ!
俺だって、あの人が適当に女と付き合うような悪い男じゃねぇのは分かってる。
だから、親父さん達だって許したんだ。きっと、恋人にはならないと!!信じて…!」
ジャンの声は次第に大きくなって、最後には堪らず立ち上がって、私を悔しそうに見下ろしていた。
父と母が一番心配していた関係になってしまったことは、昨日のうちから分かっていた。
理解していた。
それでも、気持ちは止められなかった。
ずっとずっと夢に見ていたリヴァイさんの瞳に、私が映ったのだ。
その視界から、どうすれば自分の意思で外れることが出来ただろうか。
知っていたのなら、教えて欲しい。
そうすれば私だって、身を引けたのだ。
でも誰も、恋を本当に諦める方法なんて知らないから、苦しむんじゃないか。
「ごめんなさい。」
「謝るのは、俺じゃねぇ。
お前の大好きなリヴァイさんに謝るべきなんじゃねぇのかよ。」
目を伏せて謝った私の上に、責めるというよりも、悲しそうに呟くようなジャンの声が落ちて来た。
そして、視線が合うように膝を曲げて屈むと、私の両腕に手を添えた。
「恋人になったってことは、リヴァイさんもお前が好きなんだよな?
あの人のことだから本気なんだと思う。
大切にもしてもらってるんだろう?」
目を伏せたまま頷いた私に、ジャンのため息が返ってきた。
「きっともうすぐ魔法は解ける。名前はリヴァイさんの前から消えるんだ。
それがどういうことか分かるか?恋人になっちまったってことは、
もう、ただの居候が消えただけじゃなくなるってことだ。」
「…分かってる。」
「なら、今すぐ別れろ。同居も解消だ。
他に好きな男が出来たとでも言って、リヴァイさんとはもう会わないようにー。」
「ヤだ!!」
伏せていた顔を上げて、叫んだ。
待っていたみたいに、真っすぐなジャンの瞳が、私の瞳を捉えた。
まるで、自分のことばかり考えている我儘な私を見透かされているみたいで、居心地が悪かった。
「ほら、分かってねぇじゃねぇか。」
「…だって、好きなの…。一緒にいたい。初めて、心から幸せなの。
リヴァイさんのそばにいたい…。魔法が解けちゃうまででいい。」
「そんなのお前のー。」
「私の勝手だし、我儘だって分かってる…!でも…、どうしてもダメなの…?
それくらい、願っちゃいけないの…?私だって…、幸せになりたい…。
大好きな人に好きになってもらう気持ちを、最後に私に、教えてあげたい…。」
涙が零れそうになって、私は両手で顔を覆って唇を噛んだ。
そんな私の両腕に添えていたジャンの手に力が入っていく。
次第に強くなっていく痛みはそのまま、近い未来のリヴァイさんの心の痛みを教えてくれているみたいだった。
「本当に、それでいいのか?
わけもわからないまま、突然、名前の存在だけが
世界から消える恐怖をあの人に味わわせていいのか。」
「…大丈夫だよ。私のことなんて、すぐに忘れてくれる。
リヴァイさんは素敵な人だから、新しい恋人も出来る。
幸せになってくれるって、信じてる。」
「本当にそれでいいんだな?」
「うん、いいよ。それでー。」
「なぁ、名前。こっちを見て言え。それでいいんだな?
魔法が解けたとき、それは名前が消えるときで、独りになった大切な人を、
心配することすら出来なくなるんだ、お前は本当にそれを望むんだな?」
ジャンの言い方はいつも意地悪だ。
そして、頭に来るくらいに、昔から正論なのだ。
子供の頃から、エレンとそりが合わない理由もよく分かる。
でも、ジャンがそういう性格だから、両親も私も彼を信頼しているのも事実だ。
「…私、最低なの…。」
ゆっくり顔を上げて、私はジャンを見て答えた。
私よりも傷ついたような顔をしたジャンは、震える手で私を抱きしめた。
「バカ、最低なヤツはそんな顔しねぇよ…!」
「好きなの…っ、リヴァイさんが、好き…っ。」
私を抱きしめるジャンの腕に力がこもって、耳元からは「やっぱ、最低だ、お前…っ。」と苦しそうに吐き出す声が小さく聞こえた。
そして、しばらくそうやって抱きしめた後、痛いくらいに力を込めていた手をそっと離した。
「親父さん達には恋人になったことは黙っておく。
あと、パーティーでお前が顔を見られた奴らの後始末もしとくから
もう二度と目立つような真似はするな。わかったな?」
「ジャン…っ、本当に、ありがとう…!!」
無理やりでも連れ戻されると覚悟した私は、嬉しくて、ホッとして、ジャンに抱き着いた。
もう抱きしめ返してはくれなかったジャンだったけれど、私の頭をクシャリと撫でてくれた。
まだ慣れないリヴァイさんのそれとは違って、子供の頃から知っているジャンの優しい仕草は、私をいつも安心させてくれる。
いつだって、ジャンは私の味方でいてくれた。
だから、なんだかんだ甘やかしてくれると、ズルい私は本当は知っていた。
リヴァイさんの帰りを待つ家に戻る私を、ジャンは仕方ないなと苦笑しながら手を振って見送った。
「だから、嫌だったんだ…。
最初から、あの人のとこに名前を行かせるのは、反対したのに…、クソ…ッ。」
私の背中が見えなくなった頃、ジャンは崩れるようにベンチに腰を降ろした。
そして、悔しそうに悪態を吐き出して、握った拳でベンチを叩いていた。
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「消えたくないよ…。」
漏れてしまった心の声を消すために、枕を顔に押しつけて抱きしめた。
握りしめた枕は、涙で濡れていた。