今夜、私は悪い女になる
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おとなしく控えめで優等生タイプ。
友人や仲間達が私に抱くイメージは、きっとそんなものだろう。
だって、私が皆にそう思われるように、必死にいい子を装っていたのだから、当然だ。
でも、今夜、三兵団合同で行われる親睦パーティーで、私は被り続けて来たいい子の仮面を外すつもりだ。
開始時間よりもだいぶ遅れてパーティー会場に入った私は、化粧室で最後の全身チェックをする。
(私じゃないみたい…。)
今夜、鏡に映る私に、私は自分でも感心してしまう。
鏡にそっと手を触れれば、ひんやりと冷たい感触が伝わって来て、胸がキュッと苦しくなる。
楽しそうに出かけていく友人達を見送る勇気すらなかった私が、今夜、パーティー会場にいるなんて、信じられない。
だって、今の私は遅れてパーティー会場にやって来て、化粧室で1人、鏡に映る自分の姿に見惚れているのだ。
どうしてこんなことになったのか。
私はただ、悔しかったのだ。
愛されるためだけに自分自身を偽って、今までずっといい子を演じて来た。
いつも私は『こんなのは本当の私じゃない』と思っていた。
本当の私を愛して欲しいと願いながら、偽物の私の姿で告白をして、偽物の私を受け入れて貰えなかったら、まるですべてを否定されたように傷ついた。
でも、違うのだ。
どうせフラれるのなら、本当の私の姿でフラれたい。
本当の私は、真面目でおとなしくて、誰にでも優しい優等生なんかじゃない。
当然、ジャンの視線の先で、エレンばかりを見つめる見る目のない女でもない。
何をどう努力したって私は私でしかなくて、ミカサにはなれないのだ。
でもだからって、私なんかじゃ好きな人の頬を綺麗な薄いピンク色に染めることも出来ないなんて、誰が言いきれるだろう。
そんなこと、絶対に出来ないはずだ。
私は、自分の可能性を自分で潰すことなんてしたくない。
偽りの姿を装って本当の私の悪いところを隠すことで、本当の私の魅力だって消えていた。
ジャンに気づいてもらえるなら、この恋が叶うなら、それでもいいと思っていた。
でも———。
『…悪い。なまえはすごくいいヤツだし、優しいし、イイヤツだと思う。
でも…、俺、お前のこと、友達にしか見えなくて…。』
耳の奥にこびりついた好きな人の低い声が、私の心臓をズキズキと刺し続ける。
今夜のパーティーには、男女がペアになって参加する仲間も多かった。
ジャンの想い人のミカサがエレンとパーティーに参加すると聞いた私は、愚かにもチャンスだと思って、決死の告白をしたのだ。
そんな私にジャンは、申し訳なさそうに、でも、目すら合わさずに、女とすら見ていないと告げた。
だから、私は今夜、今まで隠し続けていたすべてを解き放つ。
もう我慢もしないし、何年も想い続けて来た恋に破れた私に、失うものなんてなにもない。
今夜の私は、無敵で、そして自由なのだ。
鏡に映る私は、決して負けられない戦いに向かう兵士。生きるか死ぬかの覚悟を持って、壁門の前に立つ調査兵だ。
私はしゃんと背筋を伸ばして、鏡の向こうの私に勝利を誓う。
いつもよりも赤い口紅を引いて、今まで誰も見たことのないような妖艶な笑みを口元に浮かべた。
純真無垢な笑顔で控えめに微笑んでいた偽物なんかよりも、ずっと私らしい。
さぁ、これからが、新しいようで、本来の私の人生の始まりだ。
化粧室を出た私は、エントランスホールの向こうにある階段を一段一段踏みしめながら上がる。
階段を上りきった私の前に現れたのは、大きな扉だ。
締め切られた扉の両端には、駐屯兵が立っていた。見覚えのある顔をした彼らは、私を見ると途端に頬を染めた。
そして、知らない誰かに声をかけるように、パーティーの参加者なのかと、とても丁寧に訊ねる。
頷けば、彼らは私の為に、大きな扉をゆっくりと開いてくれた。
「なぁ、あんな綺麗な娘、兵士にいたか?」
「憲兵じゃねぇの?俺も見たことねぇし。」
「憲兵に行ったら、あんなに綺麗な先輩がいたのか。」
「マルコ達が羨ましいな。」
訓練兵団時代に共に苦楽を共にした同期の彼らが、こそこそと話す見当はずれの声に吹き出しそうになるのを堪えて、私はついにパーティー会場に足を踏み入れた。
煌びやかな飾りで彩られたパーティー会場は、まるで魔法の世界のようだった。
初めて見るような世界で、見覚えのある兵士も、そうではない兵士も、毎日の厳しい訓練から解き放たれ、兵団の垣根を飛び越えたパーティーを楽しんでいる。
私の為に開いた扉が、また閉じていく。
その扉の動きに気を取られた多くの兵士達が、扉に視線を向け、そこに立つ私に気づく。
そして、彼らは、まるで強い魔力に引き寄せられているかのように、私から視線を反らせなくなった。
「誰?」
「お前の兵団の娘?」
「いや、知らねぇよ。お前のとこじゃねぇの?」
「すごく可愛い。」
「本当、綺麗ね。」
聞こえてくる小さな囁き声は、私の気分を上げるBGMだった。
パーティー会場の視線をすべて浴びてるような感覚の中、私は、いつもよりも露出度の高いドレスを身に纏って、まるでミスコンテストの女王様のように堂々と歩く。
「ねぇ、君、どこの兵団?」
「名前、何て言うの?」
「一緒に飲まない?」
休みなくかけられてくる声を聞き流し、私はパーティー会場の奥へ、奥へと突き進む。
騒がしい声の中に、ジャンのものを見つけたのだ。
肉を食いつくそうとしているらしいサシャを、コニーとマルコと一緒に止めようとしているみたいだ。
私は今夜、ジャンの為にいい女でいようとは思わない。
今夜の私は、悪い女だ。
そして、自由だ。
優等生の仮面を外して、もう、気を遣って笑うこともしないし、話しを合わせたりもしない。
好きな時に、好きなように笑って、興味のない話にはつまらないって顔をしてしまう。
沢山の誘いを受け入れて、一夜限りの関係を楽しんだって、誰もそれを咎めることは出来ない。
でも、そんなことはしない。絶対に、しないと言い切れる。
だって、今夜の私は、悪い女なのだ。
訓練兵時代から、調査兵団に入団して4年が経った今も変わらずに、ずっとただひとりだけを想い続けてきた、諦めの悪い女だ。
それが、本当の私。私はもう、自分自身も、自分の気持ちも、偽ったりしない。
(見つけた。)
ジャンは、ケータリング料理の並ぶテーブルのすぐ横にいた。
美味しそうな肉料理の乗った大皿を両手に持って、獣と化したサシャから肉を守っているようだった。
そのすぐそばでは、肉にかぶりつくサシャを、ライナーが羽交い絞めにしていて、コニーやマルコ、アルミンが必死にサシャを落ち着けようとしている。
アニとベルトルトは恥ずかしそうに目を反らしていて、なぜかエレンは憲兵と喧嘩中だ。
そのすぐ隣で、騒動がまるで目に入っていない様子のミカサが、ドレスに全く似合っていないマフラーを幸せそうに握りしめている。
それは、何度だって見たことのあるいつもの光景だった。
いつもならここに、偽物の私がいる。
アルミンの隣で、困ったように眉尻を下げて、優しい声でサシャを落ち着けようとしているはずだ。
でも私は、サシャが肉を食いつくそうが、他の人達にどう見られようが、どうだっていい。
私が望むのはひとつだけだ。
騒動の中心へと向かって真っすぐに歩く私を、幾つもの視線が追いかける。
遂に、ライナー達も、私に気がついた。
でも、何人が、私だと気づいただろう。
少なくとも、顔を赤くしたアルミンとライナー、ベルトルトは気づいてない。
そして———。
「こんばんは。」
ジャンの前で立ち止まった私は、渾身の美しい笑みを浮かべた。
やっと私に気がついたジャンは、せっかく大人っぽくするために伸ばした髪も髭も無駄になってしまうくらいに、間抜けに口をポカンと開けて、両手に持っていた大皿を落としてしまった。
ほら、私にだって出来た。
ジャンの頬は、いつもミカサを見てるときとは比べものにならないくらいに赤く染まっている。
それが恋とは違っていたって、今は構わない。
頬が染まるということは、今のジャンは、私を女として見ている、という証拠なのだ。
今はまだ、それだけでもいい。
「あ…、あの…、えっと、誰…すっかね?
え、俺に?話しかけました…よね?」
下手くそな敬語で、戸惑い気味に訊ねてくるジャンが面白くて、笑ってしまいそうだった。
本当に、私だと分からないらしい。
正直に言えば、ショックだった。
いつもとは違うメイクをして、いつもとは違うドレスを着て、いつもとは違う表情をしている。
でも、私は、例えば、ジャンがいつもとは違う髪型で、似合わない髭を仙人みたいに伸ばしていたって、すぐに気づける。
だって、それくらいにずっと、彼だけを見ていたのだ。
だから、間抜けにポカンとしているジャンを目の前にして、私は、本当に彼が私に興味なんかこれっぽっちもなかったのだと思い知らされてしまった。
ジャンの視線が向かう世界に存在したくて、用事もないのにミカサのそばにいた私は、彼にとって、ただの風景の一部に過ぎなかったのだ。
本当は気づいていたけれど、気づかないフリをしていた。
自分自身を騙して誤魔化して守って来た、受け入れたくない現実を、私はとうとう目の前に突きつけられてしまったわけだ。
それでも、仮面をつけていた今までの私なら、優しく、正直に、名前を告げてやっていただろう。
でも、性格の悪い本当の私は、私を傷つけた好きな人に、意地悪をしたくなってしまった。
「何を言ってるの?3日前に告白をしたばかりでしょう。」
「へ?」
ジャンは、空気が抜けるような声を出して、頭にハテナを浮かべていた。
そこまで言っても、たったの3日前に告白をしてきた同期の優等生の顔が思い浮かばないらしい。
訓練兵時代から調査兵団に入団してからもずっと、共に残酷な世界と戦って来た。そのつもりだった。
私って、彼にとって、一体何だったのだろう。
「ジャンに告白?」
「あの娘が?」
「はへふぇふは、はのほ。(誰ですか、彼女?)」
「さぁ、知らねぇよ。それよりサシャ、肉食いながらしゃべるなよ。」
「ジャンに告白とか見る目がねぇな。」
近くで見ている同期達が勝手なことを言ってる声がする。
目の前では、ジャンがまだ、私が誰か分からずに戸惑ってる。
彼らを上手く騙し続けていたらしい自分の変身術の自慢と、彼らとその程度の関係性しか築けていなかった虚しさが一気に押し寄せては、何も残らずに引いていく。
でも、そうさせたのは、他の誰でもなく自分なのだ。
偽物なんて、所詮そんなものだということだ。
だからこそ、私はもう二度と自分を偽らない。
恋も諦めない。
自分自身も、恋も、どちらも手に入れる。
ジャンは知らないといけない。
自分自身は、私でなければ手に入らないけれど、恋は、私がその気にさえなれば、相手がジャンではなくたって手に入れることが出来るということを———。
「友達としてしか見えないってフッた女のことなんて
記憶から抜け落ちることになってるのかしら。」
ジャンが私に気づくまで待つのも馬鹿らしくなってきて、首を竦めた。
「?・・・・・?!」
ポカンとしていたジャンの表情が少しずつ変化していくのは、とても興味深かった。
ゆっくりと目を見開き、でも、間抜けに開いたままの口は、脳裏に浮かんだ同期と目の前にいる私が繋がらないことを無言で語っていた。
「え、だって…っ、あれは…っ。え?なまえ?
いや、ちが…、でも…っ。」
ジャンが独り言のように、私の名前とそれを否定する言葉を繰り返す。
漸く、ライナー達も、目の前にいる女と同期の優等生の姿が、なんとなく重なりだしたらしく、ザワザワとし始めた。
「これ以上、時間を無駄にはしたくないの。
だから、ブツブツ言ってないで、どっちにするか決めてくれない?」
「どっちって…?」
「これからもずっと、私のことは友達としか見れないのか。
それとも、女として見る可能性があるのか。
言っておくけど私は、叶わない恋をいつまでも胸に秘めておくような、一途な女じゃないのよ。」
ピシャリと言い切った。
気づけば、私とジャンの周りには同期だけではなくて、見覚えのある顔も、そうではない顔も、幾つもが集まっていて、この恋の行方がどう転がるのかを見守っているようだった。
他の人達に見られるのは、いい気分はしない。
でも、今はそんなことどうだって良かった。
私はただ、ジャンに自分を見て欲しいだけだ。
それが無理でも、爪痕くらいは残さないと、この恋が本当に最初からなかったみたいに消えてしまう。
私という人間が、彼の中に残らないなんて、それだけは絶対に嫌だ。
いつか、ジャンが他の恋をした時に、不意に思い出す女くらいにはなっていたい。
あぁ、あわよくば、私はジャンが欲しい。
あの真っすぐな瞳で、私を見て欲しい。
もう二度と、ミカサは見ないで————。
でも、残念ながら、ジャンは、チラリとミカサを見た。
彼は何も言わない。でも、答えは決まった。
「そう、分かった。
なら、私ももう二度とジャンを男としては見ないわ。
好きだった男と友人になれる自信もないから、これでサヨナラね。」
私は、名残惜しげもなくジャンに背を向けた。
無様に、私を見て欲しいなんて懇願する女にはなり下がりたくない。
だって、そんなことをしてしまったら、ジャンの中にある私の価値が下がってしまうでしょう。
それに、私はジャンをずっと見てたから、彼がどういう人間なのか知ってる。
たぶん、最後に彼は、私を引き留めることになる———。
「ね、ねぇ…!」
数歩歩いた先で、声をかけてきたのは、私とジャンの恋の成り行きを見守っていた男の中の1人だった。
その男を皮切りに、数名の男達が私に声をかけてくる。
そして、次の恋は自分としないかと誘ってきた。
「そうね、新しい恋をするのもいいかも。」
私がニコリと微笑めば、見た目だけでコロリと態度を変えた男達が、嬉しそうに鼻の下を伸ばす。
私は今夜、ジャンの為にいい女でいようと思っていたわけではない。
でも、いつもよりも少しだけ赤い口紅も、露出度の高いドレスも、妖艶な笑みさえも、ジャンを振り向かせるためにあるのだ。
それは、彼に背を向けた今だって、変わらない。
何度だって言おう。
私は今夜、悪い女だ。
ジャンを必ず落とす、ジャンの為だけに着飾った悪い女なのだ。
「おい…っ、待てよ…!!」
ほら、焦ったようなジャンの声が後ろから聞こえた。
それからすぐに、ジャンは私の隣に並ぶと、その鍛えられた長身で、鼻の下を伸ばしていた男達を牽制する。
「お前ら、急に態度変えるとか、男として恥ずかしくねぇのかよ!!」
「なんだよ、お前だって俺達に横取りされそうになって焦っただけじゃねぇのか。」
「そうだ!元々の彼女のことはフッたんだろ!」
「綺麗になって態度を変えてんのは、お前も一緒じゃねぇか!!」
男達が一斉にジャンに食って掛かった。
すると、思わずと言う様子で言い返した。
「お前らと一緒にすんじゃねぇよ!俺は…ッ。」
そこまで言って、ジャンがグッと言葉を切って歯を鳴らす。
そうなれば、男達は、ほら一緒じゃないか、と勝ち誇ったような顔をする。
何を勝ち誇っているのか、私にはさっぱり分からない。
だって、そうでしょう。
ジャンの言う通りだ。ジャンと彼らは違う。
彼は———。
「ジャンはあなた達とは違うわ。ジャンは特別よ。」
不意に口を挟んだ私に、ジャンを含めた男達が驚いたように視線を向けた。
全ての視線が集まってから、私はジャンを見上げる。
好きな男と視線がカチリと重なれば、少し切なそうに私は口を開くのだ。
「ジャンは、私の好きな人だから。」
私のセリフに、またシンと周りは静まり返る。
いや違う。きっと、私とジャンの耳にだけ、誰の声も聞こえなくなっただけだ。
貴方の頬が染まれば、それは私の恋が叶うサイン
気づかなかったでしょう。
恋の駆け引きは、あなたが私を引き留めるまでだと決まっていたのよ。
友人や仲間達が私に抱くイメージは、きっとそんなものだろう。
だって、私が皆にそう思われるように、必死にいい子を装っていたのだから、当然だ。
でも、今夜、三兵団合同で行われる親睦パーティーで、私は被り続けて来たいい子の仮面を外すつもりだ。
開始時間よりもだいぶ遅れてパーティー会場に入った私は、化粧室で最後の全身チェックをする。
(私じゃないみたい…。)
今夜、鏡に映る私に、私は自分でも感心してしまう。
鏡にそっと手を触れれば、ひんやりと冷たい感触が伝わって来て、胸がキュッと苦しくなる。
楽しそうに出かけていく友人達を見送る勇気すらなかった私が、今夜、パーティー会場にいるなんて、信じられない。
だって、今の私は遅れてパーティー会場にやって来て、化粧室で1人、鏡に映る自分の姿に見惚れているのだ。
どうしてこんなことになったのか。
私はただ、悔しかったのだ。
愛されるためだけに自分自身を偽って、今までずっといい子を演じて来た。
いつも私は『こんなのは本当の私じゃない』と思っていた。
本当の私を愛して欲しいと願いながら、偽物の私の姿で告白をして、偽物の私を受け入れて貰えなかったら、まるですべてを否定されたように傷ついた。
でも、違うのだ。
どうせフラれるのなら、本当の私の姿でフラれたい。
本当の私は、真面目でおとなしくて、誰にでも優しい優等生なんかじゃない。
当然、ジャンの視線の先で、エレンばかりを見つめる見る目のない女でもない。
何をどう努力したって私は私でしかなくて、ミカサにはなれないのだ。
でもだからって、私なんかじゃ好きな人の頬を綺麗な薄いピンク色に染めることも出来ないなんて、誰が言いきれるだろう。
そんなこと、絶対に出来ないはずだ。
私は、自分の可能性を自分で潰すことなんてしたくない。
偽りの姿を装って本当の私の悪いところを隠すことで、本当の私の魅力だって消えていた。
ジャンに気づいてもらえるなら、この恋が叶うなら、それでもいいと思っていた。
でも———。
『…悪い。なまえはすごくいいヤツだし、優しいし、イイヤツだと思う。
でも…、俺、お前のこと、友達にしか見えなくて…。』
耳の奥にこびりついた好きな人の低い声が、私の心臓をズキズキと刺し続ける。
今夜のパーティーには、男女がペアになって参加する仲間も多かった。
ジャンの想い人のミカサがエレンとパーティーに参加すると聞いた私は、愚かにもチャンスだと思って、決死の告白をしたのだ。
そんな私にジャンは、申し訳なさそうに、でも、目すら合わさずに、女とすら見ていないと告げた。
だから、私は今夜、今まで隠し続けていたすべてを解き放つ。
もう我慢もしないし、何年も想い続けて来た恋に破れた私に、失うものなんてなにもない。
今夜の私は、無敵で、そして自由なのだ。
鏡に映る私は、決して負けられない戦いに向かう兵士。生きるか死ぬかの覚悟を持って、壁門の前に立つ調査兵だ。
私はしゃんと背筋を伸ばして、鏡の向こうの私に勝利を誓う。
いつもよりも赤い口紅を引いて、今まで誰も見たことのないような妖艶な笑みを口元に浮かべた。
純真無垢な笑顔で控えめに微笑んでいた偽物なんかよりも、ずっと私らしい。
さぁ、これからが、新しいようで、本来の私の人生の始まりだ。
化粧室を出た私は、エントランスホールの向こうにある階段を一段一段踏みしめながら上がる。
階段を上りきった私の前に現れたのは、大きな扉だ。
締め切られた扉の両端には、駐屯兵が立っていた。見覚えのある顔をした彼らは、私を見ると途端に頬を染めた。
そして、知らない誰かに声をかけるように、パーティーの参加者なのかと、とても丁寧に訊ねる。
頷けば、彼らは私の為に、大きな扉をゆっくりと開いてくれた。
「なぁ、あんな綺麗な娘、兵士にいたか?」
「憲兵じゃねぇの?俺も見たことねぇし。」
「憲兵に行ったら、あんなに綺麗な先輩がいたのか。」
「マルコ達が羨ましいな。」
訓練兵団時代に共に苦楽を共にした同期の彼らが、こそこそと話す見当はずれの声に吹き出しそうになるのを堪えて、私はついにパーティー会場に足を踏み入れた。
煌びやかな飾りで彩られたパーティー会場は、まるで魔法の世界のようだった。
初めて見るような世界で、見覚えのある兵士も、そうではない兵士も、毎日の厳しい訓練から解き放たれ、兵団の垣根を飛び越えたパーティーを楽しんでいる。
私の為に開いた扉が、また閉じていく。
その扉の動きに気を取られた多くの兵士達が、扉に視線を向け、そこに立つ私に気づく。
そして、彼らは、まるで強い魔力に引き寄せられているかのように、私から視線を反らせなくなった。
「誰?」
「お前の兵団の娘?」
「いや、知らねぇよ。お前のとこじゃねぇの?」
「すごく可愛い。」
「本当、綺麗ね。」
聞こえてくる小さな囁き声は、私の気分を上げるBGMだった。
パーティー会場の視線をすべて浴びてるような感覚の中、私は、いつもよりも露出度の高いドレスを身に纏って、まるでミスコンテストの女王様のように堂々と歩く。
「ねぇ、君、どこの兵団?」
「名前、何て言うの?」
「一緒に飲まない?」
休みなくかけられてくる声を聞き流し、私はパーティー会場の奥へ、奥へと突き進む。
騒がしい声の中に、ジャンのものを見つけたのだ。
肉を食いつくそうとしているらしいサシャを、コニーとマルコと一緒に止めようとしているみたいだ。
私は今夜、ジャンの為にいい女でいようとは思わない。
今夜の私は、悪い女だ。
そして、自由だ。
優等生の仮面を外して、もう、気を遣って笑うこともしないし、話しを合わせたりもしない。
好きな時に、好きなように笑って、興味のない話にはつまらないって顔をしてしまう。
沢山の誘いを受け入れて、一夜限りの関係を楽しんだって、誰もそれを咎めることは出来ない。
でも、そんなことはしない。絶対に、しないと言い切れる。
だって、今夜の私は、悪い女なのだ。
訓練兵時代から、調査兵団に入団して4年が経った今も変わらずに、ずっとただひとりだけを想い続けてきた、諦めの悪い女だ。
それが、本当の私。私はもう、自分自身も、自分の気持ちも、偽ったりしない。
(見つけた。)
ジャンは、ケータリング料理の並ぶテーブルのすぐ横にいた。
美味しそうな肉料理の乗った大皿を両手に持って、獣と化したサシャから肉を守っているようだった。
そのすぐそばでは、肉にかぶりつくサシャを、ライナーが羽交い絞めにしていて、コニーやマルコ、アルミンが必死にサシャを落ち着けようとしている。
アニとベルトルトは恥ずかしそうに目を反らしていて、なぜかエレンは憲兵と喧嘩中だ。
そのすぐ隣で、騒動がまるで目に入っていない様子のミカサが、ドレスに全く似合っていないマフラーを幸せそうに握りしめている。
それは、何度だって見たことのあるいつもの光景だった。
いつもならここに、偽物の私がいる。
アルミンの隣で、困ったように眉尻を下げて、優しい声でサシャを落ち着けようとしているはずだ。
でも私は、サシャが肉を食いつくそうが、他の人達にどう見られようが、どうだっていい。
私が望むのはひとつだけだ。
騒動の中心へと向かって真っすぐに歩く私を、幾つもの視線が追いかける。
遂に、ライナー達も、私に気がついた。
でも、何人が、私だと気づいただろう。
少なくとも、顔を赤くしたアルミンとライナー、ベルトルトは気づいてない。
そして———。
「こんばんは。」
ジャンの前で立ち止まった私は、渾身の美しい笑みを浮かべた。
やっと私に気がついたジャンは、せっかく大人っぽくするために伸ばした髪も髭も無駄になってしまうくらいに、間抜けに口をポカンと開けて、両手に持っていた大皿を落としてしまった。
ほら、私にだって出来た。
ジャンの頬は、いつもミカサを見てるときとは比べものにならないくらいに赤く染まっている。
それが恋とは違っていたって、今は構わない。
頬が染まるということは、今のジャンは、私を女として見ている、という証拠なのだ。
今はまだ、それだけでもいい。
「あ…、あの…、えっと、誰…すっかね?
え、俺に?話しかけました…よね?」
下手くそな敬語で、戸惑い気味に訊ねてくるジャンが面白くて、笑ってしまいそうだった。
本当に、私だと分からないらしい。
正直に言えば、ショックだった。
いつもとは違うメイクをして、いつもとは違うドレスを着て、いつもとは違う表情をしている。
でも、私は、例えば、ジャンがいつもとは違う髪型で、似合わない髭を仙人みたいに伸ばしていたって、すぐに気づける。
だって、それくらいにずっと、彼だけを見ていたのだ。
だから、間抜けにポカンとしているジャンを目の前にして、私は、本当に彼が私に興味なんかこれっぽっちもなかったのだと思い知らされてしまった。
ジャンの視線が向かう世界に存在したくて、用事もないのにミカサのそばにいた私は、彼にとって、ただの風景の一部に過ぎなかったのだ。
本当は気づいていたけれど、気づかないフリをしていた。
自分自身を騙して誤魔化して守って来た、受け入れたくない現実を、私はとうとう目の前に突きつけられてしまったわけだ。
それでも、仮面をつけていた今までの私なら、優しく、正直に、名前を告げてやっていただろう。
でも、性格の悪い本当の私は、私を傷つけた好きな人に、意地悪をしたくなってしまった。
「何を言ってるの?3日前に告白をしたばかりでしょう。」
「へ?」
ジャンは、空気が抜けるような声を出して、頭にハテナを浮かべていた。
そこまで言っても、たったの3日前に告白をしてきた同期の優等生の顔が思い浮かばないらしい。
訓練兵時代から調査兵団に入団してからもずっと、共に残酷な世界と戦って来た。そのつもりだった。
私って、彼にとって、一体何だったのだろう。
「ジャンに告白?」
「あの娘が?」
「はへふぇふは、はのほ。(誰ですか、彼女?)」
「さぁ、知らねぇよ。それよりサシャ、肉食いながらしゃべるなよ。」
「ジャンに告白とか見る目がねぇな。」
近くで見ている同期達が勝手なことを言ってる声がする。
目の前では、ジャンがまだ、私が誰か分からずに戸惑ってる。
彼らを上手く騙し続けていたらしい自分の変身術の自慢と、彼らとその程度の関係性しか築けていなかった虚しさが一気に押し寄せては、何も残らずに引いていく。
でも、そうさせたのは、他の誰でもなく自分なのだ。
偽物なんて、所詮そんなものだということだ。
だからこそ、私はもう二度と自分を偽らない。
恋も諦めない。
自分自身も、恋も、どちらも手に入れる。
ジャンは知らないといけない。
自分自身は、私でなければ手に入らないけれど、恋は、私がその気にさえなれば、相手がジャンではなくたって手に入れることが出来るということを———。
「友達としてしか見えないってフッた女のことなんて
記憶から抜け落ちることになってるのかしら。」
ジャンが私に気づくまで待つのも馬鹿らしくなってきて、首を竦めた。
「?・・・・・?!」
ポカンとしていたジャンの表情が少しずつ変化していくのは、とても興味深かった。
ゆっくりと目を見開き、でも、間抜けに開いたままの口は、脳裏に浮かんだ同期と目の前にいる私が繋がらないことを無言で語っていた。
「え、だって…っ、あれは…っ。え?なまえ?
いや、ちが…、でも…っ。」
ジャンが独り言のように、私の名前とそれを否定する言葉を繰り返す。
漸く、ライナー達も、目の前にいる女と同期の優等生の姿が、なんとなく重なりだしたらしく、ザワザワとし始めた。
「これ以上、時間を無駄にはしたくないの。
だから、ブツブツ言ってないで、どっちにするか決めてくれない?」
「どっちって…?」
「これからもずっと、私のことは友達としか見れないのか。
それとも、女として見る可能性があるのか。
言っておくけど私は、叶わない恋をいつまでも胸に秘めておくような、一途な女じゃないのよ。」
ピシャリと言い切った。
気づけば、私とジャンの周りには同期だけではなくて、見覚えのある顔も、そうではない顔も、幾つもが集まっていて、この恋の行方がどう転がるのかを見守っているようだった。
他の人達に見られるのは、いい気分はしない。
でも、今はそんなことどうだって良かった。
私はただ、ジャンに自分を見て欲しいだけだ。
それが無理でも、爪痕くらいは残さないと、この恋が本当に最初からなかったみたいに消えてしまう。
私という人間が、彼の中に残らないなんて、それだけは絶対に嫌だ。
いつか、ジャンが他の恋をした時に、不意に思い出す女くらいにはなっていたい。
あぁ、あわよくば、私はジャンが欲しい。
あの真っすぐな瞳で、私を見て欲しい。
もう二度と、ミカサは見ないで————。
でも、残念ながら、ジャンは、チラリとミカサを見た。
彼は何も言わない。でも、答えは決まった。
「そう、分かった。
なら、私ももう二度とジャンを男としては見ないわ。
好きだった男と友人になれる自信もないから、これでサヨナラね。」
私は、名残惜しげもなくジャンに背を向けた。
無様に、私を見て欲しいなんて懇願する女にはなり下がりたくない。
だって、そんなことをしてしまったら、ジャンの中にある私の価値が下がってしまうでしょう。
それに、私はジャンをずっと見てたから、彼がどういう人間なのか知ってる。
たぶん、最後に彼は、私を引き留めることになる———。
「ね、ねぇ…!」
数歩歩いた先で、声をかけてきたのは、私とジャンの恋の成り行きを見守っていた男の中の1人だった。
その男を皮切りに、数名の男達が私に声をかけてくる。
そして、次の恋は自分としないかと誘ってきた。
「そうね、新しい恋をするのもいいかも。」
私がニコリと微笑めば、見た目だけでコロリと態度を変えた男達が、嬉しそうに鼻の下を伸ばす。
私は今夜、ジャンの為にいい女でいようと思っていたわけではない。
でも、いつもよりも少しだけ赤い口紅も、露出度の高いドレスも、妖艶な笑みさえも、ジャンを振り向かせるためにあるのだ。
それは、彼に背を向けた今だって、変わらない。
何度だって言おう。
私は今夜、悪い女だ。
ジャンを必ず落とす、ジャンの為だけに着飾った悪い女なのだ。
「おい…っ、待てよ…!!」
ほら、焦ったようなジャンの声が後ろから聞こえた。
それからすぐに、ジャンは私の隣に並ぶと、その鍛えられた長身で、鼻の下を伸ばしていた男達を牽制する。
「お前ら、急に態度変えるとか、男として恥ずかしくねぇのかよ!!」
「なんだよ、お前だって俺達に横取りされそうになって焦っただけじゃねぇのか。」
「そうだ!元々の彼女のことはフッたんだろ!」
「綺麗になって態度を変えてんのは、お前も一緒じゃねぇか!!」
男達が一斉にジャンに食って掛かった。
すると、思わずと言う様子で言い返した。
「お前らと一緒にすんじゃねぇよ!俺は…ッ。」
そこまで言って、ジャンがグッと言葉を切って歯を鳴らす。
そうなれば、男達は、ほら一緒じゃないか、と勝ち誇ったような顔をする。
何を勝ち誇っているのか、私にはさっぱり分からない。
だって、そうでしょう。
ジャンの言う通りだ。ジャンと彼らは違う。
彼は———。
「ジャンはあなた達とは違うわ。ジャンは特別よ。」
不意に口を挟んだ私に、ジャンを含めた男達が驚いたように視線を向けた。
全ての視線が集まってから、私はジャンを見上げる。
好きな男と視線がカチリと重なれば、少し切なそうに私は口を開くのだ。
「ジャンは、私の好きな人だから。」
私のセリフに、またシンと周りは静まり返る。
いや違う。きっと、私とジャンの耳にだけ、誰の声も聞こえなくなっただけだ。
貴方の頬が染まれば、それは私の恋が叶うサイン
気づかなかったでしょう。
恋の駆け引きは、あなたが私を引き留めるまでだと決まっていたのよ。
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