見慣れた夜
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週末は、どんなに忙しくても、早めに仕事を切り上げる。
焦って慌てる手が、書類を雑にデスクに重ねていく。
クローゼットから取り出したのは、数日前に出張先で買ってきた革のジャケットだ。なまえが、似合うねと言ってくれた薄手のセーターと細身のシルエットのパンツを合わせる。
姿見の鏡で全身をチェックするが、お洒落なんてものは正直よくわからない。
そんなことをしていると、待ち合わせの時間まであと少しになっていた。
この日だけは、必ず散らかってしまう部屋をそのままにして、パンツのポケットに財布と鍵を突っ込む。
こんな姿を見たら、どんなに鈍感な馬鹿だって、俺の気持ちに気づくんだろう。
「兵長、さっき頂いた書類に確認してほしいことが———。」
「悪ィ、ペトラ。明日にしてくれ。」
急いで部屋を飛び出したら、ペトラに声をかけられた。
早口で断り、廊下を駆け抜け調査兵団兵舎を出た俺は、いつもの店へと急ぐ。
家路を急ぐ駐屯兵や、店の片づけをしている主人、帰りが遅いことを叱られている子供達、夜が始まりだしたトロスト区の街並みが、視界の端っこを足早に通り過ぎていく。
裏通りを抜けて辿り着いたのは、もう遠い昔にファーランが見つけたお気に入りのカフェだ。
昼から開店する代わりに、夜遅くまで営業していて、甘いデザートも充実しているからイザベルも好きだった。
扉の前で一度立ち止まり、ゆっくりと深呼吸をして息を整える。
そして、平静を装って扉を開けば、いつも通り、窓際にある左奥のテーブル席になまえの姿を見つけた。
俺を見つけて小さく微笑んだなまえが軽く挙げた左手の薬指には、永遠の愛を誓う石が煌々と輝いている。
だから俺は、今夜もまた何食わぬ顔で声をかける。
「待たせたか。」
「ううん、私も今来たところだよ。」
そう言って小さく首を横に振ったなまえの腰元に、開いたまま伏せられて置いてある本はもう半分以上読み終わっていた。
テーブルの上には、まだほとんど残っているアイスレモンティーがひとつ。飲み干してしまったら、ずっと待っていたことがバレると思っているのかもしれないけれど、氷が溶けてほとんど色を失っているそれを見れば、大体どれくらいここにいたのかくらいは分かる。
それでも、下手くそな嘘を吐くなまえを見ていると、あぁ、嘘を吐いてるのは自分だけじゃないのだと、安心するのだ。
だから俺は、「ならよかった。」と思ってもいないことを言って、今日も簡単に騙されたフリをする。
「今日もお仕事、お疲れ様。」
「お前もな。」
ジャケットを脱ぎながらテーブルを挟んで座れば、なまえが俺を労って微笑んでくれる。
それだけで俺は、いとも容易く、1週間分の疲れを忘れてしまう。
こんな俺を見たら、ファーランは笑うだろうか。
それとも———。
「何、頼む?私、お腹すいちゃった~。
今日はガッツリにしようかな。」
なまえは、テーブルの端に置かれているメニューを手に取っると、俺の方に向けてテーブルの上に広げる。
「いつもガッツリじゃねぇか。」
「え~、そうだったかなぁ~。」
今夜もまた、俺は、さりげない気遣いを台無しにするように、メニューをなまえに向けて広げ直す。
そして、なまえは、俺の気遣いを素直に受け入れる。
ヘラヘラと笑いながら、なまえは何を考えているのだろう。
俺よりもずっと、沢山のことを考えているような気がするのだ。
花屋の店内でひとりきり、死んだ調査兵達に白い花を束ねながら、きっと、沢山のことを思っている。
「もう若くねぇんだ、太ったらなかなか戻らねぇぞ。
ほら、その二の腕も、戻ってねぇじゃねぇか。」
「え!?嘘、太った!?」
ひどくショックを受けた様子のなまえは、そんな気がしていたけれど気づかないフリをしていたのだと言い訳をしながら、緩めの白いセーターの上から自分の二の腕をつまみ出した。
全くの嘘だった俺は、その間抜けな姿に、思わず笑いを吹き出してしまう。
その途端、俺にからかわれたことを知ったなまえが、頬を膨らませて怒り出す。
結局、俺もなまえもいつもと同じメニューを頼んで、料理をシェアしながら、共通の友人の話題で盛り上がり、会話は途切れない。
壁に囲まれた窮屈なこの世界では、いつ巨人に襲われ、誰が死ぬか分からない。
まるで奇跡のような幸せの中で、俺達は今夜も、誰も入り込めない空気の中で、互いに気を許す相手に心を休ませて、共に生きている幸せを喜び合っている。
この儚い奇跡のような日々が続いたのなら、いつの日か、なまえの左手の薬指を独り占めしているその指輪は、消えてくれるだろうか。
あと一歩、俺が踏み込めば、もしかしたら———。
でも、そんな勇気も、愛する人を奪いとる強さも弱さもない俺は、散らかった部屋を隠す子供のように、今夜もまた好きじゃないフリをする。
せめて、この関係がいつまでも続くように願って———。
焦って慌てる手が、書類を雑にデスクに重ねていく。
クローゼットから取り出したのは、数日前に出張先で買ってきた革のジャケットだ。なまえが、似合うねと言ってくれた薄手のセーターと細身のシルエットのパンツを合わせる。
姿見の鏡で全身をチェックするが、お洒落なんてものは正直よくわからない。
そんなことをしていると、待ち合わせの時間まであと少しになっていた。
この日だけは、必ず散らかってしまう部屋をそのままにして、パンツのポケットに財布と鍵を突っ込む。
こんな姿を見たら、どんなに鈍感な馬鹿だって、俺の気持ちに気づくんだろう。
「兵長、さっき頂いた書類に確認してほしいことが———。」
「悪ィ、ペトラ。明日にしてくれ。」
急いで部屋を飛び出したら、ペトラに声をかけられた。
早口で断り、廊下を駆け抜け調査兵団兵舎を出た俺は、いつもの店へと急ぐ。
家路を急ぐ駐屯兵や、店の片づけをしている主人、帰りが遅いことを叱られている子供達、夜が始まりだしたトロスト区の街並みが、視界の端っこを足早に通り過ぎていく。
裏通りを抜けて辿り着いたのは、もう遠い昔にファーランが見つけたお気に入りのカフェだ。
昼から開店する代わりに、夜遅くまで営業していて、甘いデザートも充実しているからイザベルも好きだった。
扉の前で一度立ち止まり、ゆっくりと深呼吸をして息を整える。
そして、平静を装って扉を開けば、いつも通り、窓際にある左奥のテーブル席になまえの姿を見つけた。
俺を見つけて小さく微笑んだなまえが軽く挙げた左手の薬指には、永遠の愛を誓う石が煌々と輝いている。
だから俺は、今夜もまた何食わぬ顔で声をかける。
「待たせたか。」
「ううん、私も今来たところだよ。」
そう言って小さく首を横に振ったなまえの腰元に、開いたまま伏せられて置いてある本はもう半分以上読み終わっていた。
テーブルの上には、まだほとんど残っているアイスレモンティーがひとつ。飲み干してしまったら、ずっと待っていたことがバレると思っているのかもしれないけれど、氷が溶けてほとんど色を失っているそれを見れば、大体どれくらいここにいたのかくらいは分かる。
それでも、下手くそな嘘を吐くなまえを見ていると、あぁ、嘘を吐いてるのは自分だけじゃないのだと、安心するのだ。
だから俺は、「ならよかった。」と思ってもいないことを言って、今日も簡単に騙されたフリをする。
「今日もお仕事、お疲れ様。」
「お前もな。」
ジャケットを脱ぎながらテーブルを挟んで座れば、なまえが俺を労って微笑んでくれる。
それだけで俺は、いとも容易く、1週間分の疲れを忘れてしまう。
こんな俺を見たら、ファーランは笑うだろうか。
それとも———。
「何、頼む?私、お腹すいちゃった~。
今日はガッツリにしようかな。」
なまえは、テーブルの端に置かれているメニューを手に取っると、俺の方に向けてテーブルの上に広げる。
「いつもガッツリじゃねぇか。」
「え~、そうだったかなぁ~。」
今夜もまた、俺は、さりげない気遣いを台無しにするように、メニューをなまえに向けて広げ直す。
そして、なまえは、俺の気遣いを素直に受け入れる。
ヘラヘラと笑いながら、なまえは何を考えているのだろう。
俺よりもずっと、沢山のことを考えているような気がするのだ。
花屋の店内でひとりきり、死んだ調査兵達に白い花を束ねながら、きっと、沢山のことを思っている。
「もう若くねぇんだ、太ったらなかなか戻らねぇぞ。
ほら、その二の腕も、戻ってねぇじゃねぇか。」
「え!?嘘、太った!?」
ひどくショックを受けた様子のなまえは、そんな気がしていたけれど気づかないフリをしていたのだと言い訳をしながら、緩めの白いセーターの上から自分の二の腕をつまみ出した。
全くの嘘だった俺は、その間抜けな姿に、思わず笑いを吹き出してしまう。
その途端、俺にからかわれたことを知ったなまえが、頬を膨らませて怒り出す。
結局、俺もなまえもいつもと同じメニューを頼んで、料理をシェアしながら、共通の友人の話題で盛り上がり、会話は途切れない。
壁に囲まれた窮屈なこの世界では、いつ巨人に襲われ、誰が死ぬか分からない。
まるで奇跡のような幸せの中で、俺達は今夜も、誰も入り込めない空気の中で、互いに気を許す相手に心を休ませて、共に生きている幸せを喜び合っている。
この儚い奇跡のような日々が続いたのなら、いつの日か、なまえの左手の薬指を独り占めしているその指輪は、消えてくれるだろうか。
あと一歩、俺が踏み込めば、もしかしたら———。
でも、そんな勇気も、愛する人を奪いとる強さも弱さもない俺は、散らかった部屋を隠す子供のように、今夜もまた好きじゃないフリをする。
せめて、この関係がいつまでも続くように願って———。
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