「時間は大丈夫なの？あなたは本当にマイペースなんだから。」

リビングのソファに座って、スマホでネットニュースをのんびり見ていたら、母親に急かすように声をかけられた。
スマホの時計を確認すれば、リヴァイの家に迎えに行くまであと45分を切っている。
ここから、リヴァイの家まで30分以上はかかる。
絶対に私を待たせないリヴァイのことだから、それよりもだいぶ前に準備を終わらせているだろう。
そろそろ行った方がいいかもしれない———そう思って、車を出してくれることになっている父親の方を見たら、私と似たような格好で斜め向かいのソファに座って、逆さまになった新聞を読んでいた。
少し驚いて母親の方を見ると、悪戯っ子な顔をした彼女が私の耳に口元を寄せる。

「あなたを帰したくないのよ。リヴァイくんのところにね。」
「あぁ…そういう…。」

妙に納得した後、私と母親は顔を見合わせてクスクスと笑う。
小声は聞こえなったはずだけれど、雰囲気で何かを感じ取ったらしい父親が、逆さまの新聞紙の向こうで僅かに眉を顰めた。
でも、帰りたくないと思っているのは、私も同じだった。
大人になれば自由になれると思っていた。実際に、そうだった。
でも、なんだかんだと、実家に帰れば、心地がよくて離れがたくなる。
就職をして、飛行機の距離に離れたから余計に、両親の有難さを感じているところだ。
そして、実家に帰れば、両親はいつも私を笑顔で受け入れてくれる。
ここが私の居場所なのだと、思わせてくれる。
でも、たぶん、あと少ししたら、ここは私の帰る場所であって、居場所ではなくなる。
今も、私達はお互いに、そうなりつつあることを感じている。

「パパ、もうそろそろ行こうかなと思うんだけど、大丈夫？」
「あぁ…！そうか、もうそんな時間か。」

あからさまに、今気づいたフリをした父親の反応が可笑しくて、私と母親は顔を見合わせて笑いを堪える。
私達の反応の意味を分かっているはずの父親は、まるで見えていないみたいに、玄関へと向かう。
その背中を小走りで追いかける私の後ろを、母親もゆっくりとついてきた。

「それじゃ、帰るね。
　いろいろ、ありがとう。」

玄関で靴を履くと、父親は先に車を出すために駐車場へ向かう。
でも私は、その背中は追いかけずに、振り返り、見送りに来てくれた母親に言う。
少し驚いた顔をした後、母親は、少しだけ笑った。

「あなたがお礼を言うなんて、珍しすぎてビックリしちゃったわ。
　これも、リヴァイくんのおかげかしら。」
「うるさいな。もう言わない。」
「あら、それは残念。」

不機嫌な顔で口を尖らせる私を気にもしない様子で、母親が可笑しそうにクスクスと笑う。
そして、柔らかく目尻を下げた。

「でも、いいのよ。お礼をしてもらいたくてしたことなんて、
　あなたが産まれて今日まで、一度だってないんだから。
　また、いつでも帰ってきてね。今度は、リヴァイくんと一緒に。」
「うん、ありがとう。」

少しだけ目を伏せて、私は、もう言わないと言ったはずの礼を言う。
目も合わせないで伝える感謝だったけれど、母親はもう笑わなかったし、咎めもしなかった。
助手席に乗り込んでシートベルトを締めた後、私はもう一度、駐車場まで見送りに出てきてくれた母親に手を振る。

「身体を大切にね。あなたも、運転、気を付けて。」
「あぁ、行ってくる。」
「じゃあ、またね。」

父親がアクセルを踏んで、家の駐車場から車が出ていく。
遠ざかっていく家の前には、いつまでも手を振っている母親の姿があった。