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「なまえ!もうすぐリヴァイくんが迎えに来る時間じゃないの?!早くしなさい!」
鏡の前で最終チェックをしていると、1階から母親が私を呼んだ。
慌てて時計を見れば、約束の時間まであと15分しかない。
過去に付き合ってきた恋人達なら、待たされるのはいつも私の方だった。
でも、リヴァイは違う。
絶対に私を待たせないし、会いに行くと約束をした時間の5分前には、家の前に車を停めていて、時間ピッタリに呼び鈴を鳴らすのだ。
「分かってるよ!」
扉の向こうに大声で返事をして、私は髪の毛のチェックを再開する。
今夜は、いつもは緩く巻いている髪をストレートに伸ばした。アクセサリーも、リヴァイにもらった指輪と、控えめなピアスだけだ。
普段なら、いかに瞳を大きく見せるかに気合を入れるメイクは、薄めを意識しつつも、しっかりと要点は抑えた、つもりだ。
大好きなミニスカートも封印して、清楚なひざ丈のワンピースに身を包んだ私は、ちゃんとリヴァイに相応しい恋人に見えるだろうか。
不安で、緊張して、鏡の前から動けない。
(大丈夫、うまくやれる。)
何度も自分に言い聞かせるのだけれど、鏡の向こうの私があんまりにも不安そうだから、頼りにならないのだ。
このまま、逃げ出したい。いや、絶対に逃げたくない。
私は、リヴァイを心から愛している。
「よし!覚悟を決めろ、私!」
両頬を少し強めに叩いて、私は自分に気合を入れた。
1階から、また母親が急かす声が聞こえて、私は今度こそ「今から行く!」と返事をして、菓子折りをいれた紙袋とバッグを掴み、部屋を出る。
階段を降りると、リビングにいたのは、父親だけだった。
ソファに座って、新聞を読んでいるけれど、残念ながら逆さまだ。
一体、何を読んでいるつもりなのか。
気にしていないフリをするつもりなら、もっと徹底的にやってくれないと、気まずくて仕方がない。
「あれ?ママは?」
「あ、あ~…、そういえば、さっき電話が来てたな。」
逆さまになっている新聞から顔を上げた父親は、キッチンの方へ視線を向けた。
キッチン奥にあるユーティリティルームから、母親の声が微かに聞こえてくる。
断片的に聞こえた声の中から、お喋り好きな隣人の奥様の名前が聞き取れて、電話が長引くことを理解した。
「行くのか?」
「あー…。」
腕時計を確認すると、リヴァイとの約束の時間まで8分を切っていた。
あと3分ほどで、彼の運転する車が家の駐車場に到着するのだろう。
本当は、母親にも声をかけてから出かけたかったのだけれど仕方ない。
「うん、そろそろ行こうかな。もうすぐ迎えに来るだろうし。」
「そうか。」
短く答えると、父親は、また逆さまの新聞に視線を落とした。
読まない新聞を眺めながら、何を考えているのだろうか。
なんとなく視界に入った新聞の左端に、とぼけたイラストの四コマ漫画を見つける。
幼い頃、私はその四コマ漫画が大好きで、父親に読んでくれと何度もせがんでいた。
感情を込めて面白おかしく読む父親がおかしくて、私はいつもお腹を抱えて、泣きながら笑うのだ。
きっと、父親は、私が喜ぶのが嬉しかったのだと思う。
そして私も、普段は無口で、おとなしい印象の父親が、愉快になるその瞬間が大好きだったのを、今でも覚えている。
「今日は、彼の実家に泊まってくるね。」
「あぁ。」
父親は、逆さまの新聞をじっと見たまま、答えた。
私に向けた背中は、ピクリとも動かない。
「明日の朝、帰ってくるから。」
「酒を飲むんじゃないのか。」
「んー、どうだろう?彼の叔父さんはお酒がすごく好きらしいけど。」
「帰りは、車なんだろう。」
「そうよ、彼が送ってくる。
あぁ…!大丈夫よ、彼はお酒を飲んで運転するようなことはしないから。」
「当然だ。」
「今度、パパがいるときに、彼を連れてくるね。
リヴァイも、パパに会いたいって言ってたから。」
「…あぁ。」
「あまり言葉数は多くないけど、時々、おかしなことを言って笑わせてくれるの。
冗談が下手くそで、それがすごく面白いの。彼も、私が笑うのが好きなんだって。
なんだか少し、パパに似てるかも。」
「…そうか。」
「きっと、気に入るよ。すごく素敵な人だから。
だから、パパにも会って欲しいな。」
「…分かった。」
「ありがとう。
————じゃあ、行ってくるね。」
一度も振り返らない父親の背中がなんだかひどく寂しそうで、これ以上、見ていられなかった。
バッグを握り直して、玄関へと向かおうとすると、父親が新聞をとじて立ち上がる。
「玄関まで送る。」
いいよ———そう言って断ろうとして、思い直す。
久しぶりに、2人並んで、玄関へと向かう。
父親に見送りをしてもらうのなんて、何年ぶりだろうか。
子供の頃、遊びに出かける私に父親はいつも『気をつけろよ。』『早く帰ってくるんだ。』『危ないところへ行ってはダメだぞ。』と言い聞かせていた。
そして、自転車に乗って友達の元へ急ぐ私の背中を、いつまでも手を振って見送ってくれた。
年頃になって、遊びや恋に夢中で帰りが遅くなる私を、寝ないで待ってくれていたのも、一度や二度じゃない。
今夜、父親は、私に何を言って見送るのだろう。
少なくとも、早く帰って来いとは、言えないのだろう。
たとえ彼が、そう言いたいと望んでいたとしても———。
「じゃあ、行ってくるね。」
玄関の扉を開けてポーチに出ると、駐車場には見覚えのある黒い車が停まっていた。
ちょうど、運転席からリヴァイが降りたところで、父親を見つけて、軽く会釈をする。
父親も応えるように頭を下げたけれど、彼らがそれ以上、コミュニケーションをとることはなかった。
運転席を降りたリヴァイは、いつもなら玄関にやってきて呼び鈴を鳴らすのに、今夜は、車に寄りかかって夜空を眺め出してしまったからだ。
きっと、私と父親に気を遣ってくれたのだと思う。
あまり器用な人ではないけれど、そうやって、誰かを想う心を持っている、優しい人なのだ。
「今夜は冷えるな。
コートを持っていった方がいいんじゃないのか。」
「大丈夫よ。今夜は、私は寒くないから。」
「…なら、いい。」
「ありがとう。心配してくれてるのよね。
でも、私は大丈夫。
お母さんにも、行ってきますって伝えておいてくれる?」
「あぁ、分かった。
気を付けるんだぞ、はやく・・・・・、
———あちらのご家族に失礼のないように。」
「菓子折りもちゃんと用意してあるよ。」
私は、左手に持った紙袋を少し持ち上げて、ニコリと笑った。
本当は『早く帰ってくるんだぞ』と、父親がそう言いかけたのにはすぐに気づいてる。
でも、気づかないフリをした。
だってそれが、癖が出てしまっただけなのか、それとも、娘を心配する父親の想いからなのかは、私には分からないから。
もし、この先、子供が生まれて、その子が女の子だったときに、リヴァイなら理解してあげられるのかもしれない。
「礼儀については、パパとママが丁寧に教えてくれたから、
今まで一度も恥ずかしい思いをしたことはないよ。」
「そうか、ならいい。」
「じゃあ、行ってくるね。」
「あぁ。」
「見送り、ありがとう。
じゃあね。」
そう言って、背を向けようとした私の手を、父親が掴んで引き留める。
驚いたのは、私だけじゃなかった。
振り向いた私が見たのは、自分の行動になによりも驚いている父親だった。
どうしたの———そんなこと、聞かなくたって分かってる。
だから、私は、ただ父親を振り返ったまま、何も言えなかった。
何を言えばいいのか、分からなかった。
数秒の沈黙の後、父親は、私を掴んでいた手を離すと、そのまま肩にそっと触れて、優しく抱き寄せた。
父親の両腕が私の背中にまわると、夜風で冷えていた身体があっという間に温まった気がした。
「ふふ、子供の頃に戻ったみたい。」
父親の腕の中で、私は、可笑しそうに言った。
恋人がすぐそこの駐車場で待っている前だということもあって、気恥ずかしさが勝ってしまう。
父親に抱きしめられるのなんて、本当に小さな子供の頃ぶりだ。
思春期に入ると、お互いに、喋る機会どころか、触れることもなくなった。
でも、父親の腕の中は、相変わらず、とても優しい。
この世界に蔓延るすべての悲しみを、私から引き離して、いつまでも守り続けてくれるような、安心感が胸を満たすのだ。
ただ、子供の頃は、ひどく大きく感じた父親の両腕が、私も大人になった今では、なんだか小さくなったような気がして、ほんの少し、切なかった。
でも、それも仕方のないことだ。
だって、昔は黒々としていた髪も、いつの日か少しずつ増えていった白い糸のようなものに埋め尽くされて、灰色になっている。
「バカ言え、お前はいつまでも、俺にとっては子供だ。」
耳元で叱る父親の声が、あまりにも小さくて、掠れていたから、まるで、そうであってほしいと願っているように聞こえたのだ。
「私にとっても、パパはいつまでも、世界で一番の父親だよ。」
父親の背中にそっと手をまわして、甘えるように言う。
その途端、私の背中にまわる父親の両腕の力が、強くなった気がした。
娘をどこにもやりたくない———私は親ではないけれど、父親の両腕が何を叫んでいるのかは、分かってしまう。
でも、いつまでもこの腕の中で守られて、子供の様に甘えるわけにはいかないのだ。
それを、私だけではなく、父親だって、理解している。
「それじゃあ、行くね。
———リヴァイが、待ってるから。」
少し薄くなった気がする父親の胸板を、そっと押すようにして離れる。
「あぁ。」
父親の両腕は、名残惜し気に、ゆるゆると離れていった。
もう一度、父親と向き合って「行ってくるね」と手を振る。
「気を付けて。」と見送る父親に背を向けて、私は、玄関ポーチの階段を降りて、リヴァイの元へと駆け寄った。
「もういいのか?」
私に気づくと、リヴァイは玄関の方をチラリと見た。
「うん、大丈夫だよ。待っててくれてありがとう。」
私も、答えながら玄関ポーチを見る。
いつの間にか、玄関扉は閉まっていて、さっきまでそこにいた父親の姿はもう見えなかった。
「なんか、悪ィことしちまったみたいだな。
実家に連れて行くなんて、まだ早かったか?」
「そんなことないよ。パパも、リヴァイは素敵な人だって本当は分かってるの。
じゃなきゃ、ご家族への挨拶になんて行かせてもらえないもん。」
「そうか。」
安心したのか、ゆっくりと息を吐いた後、リヴァイは、私の腰をそっと抱き寄せた。
「緊張してる?」
私も、リヴァイの腰に手をまわした。
華奢な見かけによらず、筋肉質で分厚い胸板に、甘えるように頬を寄せる。
「さっきが、一番緊張した。」
「パパがいたから?」
「まさか、一緒に出てくるとは思わなかった。
いつもは、たまに見送りがあっても、母親だけだろ。」
「今日は、仕事を早く終わらせて帰ってきてたの。
久しぶりの長期休暇で私が帰ってきてたし、それに…、
リヴァイの実家に泊まりに行くのを心配してたんだと思う。」
「そうか。俺の家族も、お前のことを絶対に気に入る。
だから、早く、安心してくれたらいいな。」
「うん、ありがとう。」
「さぁ、行くか。」
「もうちょっと…、こう、してて。」
リヴァイの腰に回す腕に力を込めた。
きっと私も、寂しかったのだ。
結婚という文字が、ドラマや小説、憧れから飛び出して、現実味を帯びてきたことで、気づいたことがたくさんある。
そのほとんどが、両親から受けてきた偉大でとても優しい愛だったから———。
「あぁ。分かった。」
リヴァイの腕は、私を包むように背中にまわった。
身長は、あまり変わらないし、決して大きいとは言えないけれど、私は、リヴァイの腕の中にいると、とても安心する。
裏切られる心配も不安もなにもなく、ただひたむきに愛され続ける未来を信じられるのだ。
私も父親も、今、すごく寂しいのは、きっと、知っているからだ。
子供の頃、私を強く抱きしめて守ってくれたのは、父親だった。
でも今はもう、それをしてくれるのは、父親じゃない。
それが、とても素敵なことで、寂しい。
あなたの娘は、心から愛する人に出逢ったの、たぶん、初めてのことよ
そして、あなたは、私を心から愛してくれた、初めての人なの
父親は、シンと静まり返ったリビングを見渡すと、小さく息を吐いた。
子供が思いきり走り回れるようにと広くとったリビングの端には、未だに、何も置いていないスペースが残っている。
そこは、なまえがいつも、お気に入りの小さなカーペットを敷いて、おままごとをしていた場所だ。
可愛らしいくまのぬいぐるみを子供に見立てて、見よう見まねで、母親の真似事をしていたのを、今でもよく覚えている。
それが、もしかすると、あと数年もすれば、彼女は本当の母親になるのかもしれない。
そしてその前に、両親の手から離れて、花嫁になる。
きっと、世界で二番目に美しくて、綺麗な花嫁なのだろう。
そんな花嫁に選んでもらえた運のいい幸せな男は、どれほど、彼女を幸せに出来るのか。
その男がどれほど真剣に『彼女を幸せにします』と誓ったところで、信用できない。自分よりも幸せにしてやれる男がこの世に存在すると、到底思えないのだ。
でもきっと、父親の心配なんて露ほども知らず、彼女はきっと、その男の隣で、世界で一番幸せなのは自分だと信じて微笑みながら生きるのだろう。
そんな女性を、すぐ隣で見ていたから、自分が一番よく知っている。
だから、それは、とても素晴らしいことだと分かってはいるのだ。
でも、どうしても、まだまだ子供だと思っていたい娘の成長に、心が追い付かない。
「いつまで、長電話のフリしてるんだ。」
リビングから、ユーティリティルームにいる母親に向かって大声で声をかけた。
すぐにドタバタと音がした後に、キッチンから母親が顔を出す。
「あら、もうなまえは行ったの?」
「今、行った。
———長電話のフリなんて、子供みたいなことをするな。」
父親が、咎めるように眉を顰め、ソファに腰を降ろした。
少し困ったような顔をした後、母親は小走りで、父親の元へ駆け寄る。
そして、父親の隣に腰を降ろすと、相変わらず男らしい腕に自分のそれを絡めた。
「だって、私がいたら、あなた、素直になれないでしょう?」
「…何の話だ。」
「ふふ、なんでもないわ。」
可笑しそうに母親が笑うほどに、父親の眉間の皴は濃くなっていった。
それが可笑しくて、まだ笑えそうな母親だったけれど、これ以上怒らせるのは得策ではないことを長い付き合いでよく理解している。
「リヴァイくんには会った?いい子だったでしょ?」
「顔を見ただけだ。あの男、俺に挨拶もしねぇで。」
「あなたに気を遣ったんでしょう。見てなくたって分かるわ。
だって、あなたとリヴァイくんって、似てるもの。」
母親が、どこか嬉しそうに言う。
「どこが。なまえも言ってたが、俺には分からん。
どう考えても俺の方が・・・・・いい男だ。背も高い。」
「見た目の話をしてるんじゃないのよ。」
「じゃあ、何が似てるって言うんだ。俺はあんな悪い目つきはしてない。」
「してるわ。」
「してない。」
「口下手で、言葉足らずで、冷たい印象で誤解されがちだけど、本当はすごく優しい人。」
「それは・・・・俺のことか?」
「それと、リヴァイくん。言葉では、恥ずかしがって、あまり愛を伝えてはくれないけど
その代わり、態度で、誠実で深い愛を示してくれる。
だから、私もあの娘も、自分は世界で一番幸せな女だって、心から信じられるの。」
「…よく、分からん。」
「ふふ、いいのよ。あなたは分からなくても。なまえはちゃんと、分かってるから。」
「そうか。」
「きっとあなたも、リヴァイくんに会えば気に入るわ。
———だから、会いたくないのよね。」
「・・・・うるさい。」
自分が気づいてもいなかった図星をつかれて、父親は口を尖らせた。
それが可笑しくて、母親はまた、楽しそうに笑う。
そして気づくのだ。
今から20年と少し前に、同じような会話をした夫婦が、もしかしたらいたかもしれないことに———。
鏡の前で最終チェックをしていると、1階から母親が私を呼んだ。
慌てて時計を見れば、約束の時間まであと15分しかない。
過去に付き合ってきた恋人達なら、待たされるのはいつも私の方だった。
でも、リヴァイは違う。
絶対に私を待たせないし、会いに行くと約束をした時間の5分前には、家の前に車を停めていて、時間ピッタリに呼び鈴を鳴らすのだ。
「分かってるよ!」
扉の向こうに大声で返事をして、私は髪の毛のチェックを再開する。
今夜は、いつもは緩く巻いている髪をストレートに伸ばした。アクセサリーも、リヴァイにもらった指輪と、控えめなピアスだけだ。
普段なら、いかに瞳を大きく見せるかに気合を入れるメイクは、薄めを意識しつつも、しっかりと要点は抑えた、つもりだ。
大好きなミニスカートも封印して、清楚なひざ丈のワンピースに身を包んだ私は、ちゃんとリヴァイに相応しい恋人に見えるだろうか。
不安で、緊張して、鏡の前から動けない。
(大丈夫、うまくやれる。)
何度も自分に言い聞かせるのだけれど、鏡の向こうの私があんまりにも不安そうだから、頼りにならないのだ。
このまま、逃げ出したい。いや、絶対に逃げたくない。
私は、リヴァイを心から愛している。
「よし!覚悟を決めろ、私!」
両頬を少し強めに叩いて、私は自分に気合を入れた。
1階から、また母親が急かす声が聞こえて、私は今度こそ「今から行く!」と返事をして、菓子折りをいれた紙袋とバッグを掴み、部屋を出る。
階段を降りると、リビングにいたのは、父親だけだった。
ソファに座って、新聞を読んでいるけれど、残念ながら逆さまだ。
一体、何を読んでいるつもりなのか。
気にしていないフリをするつもりなら、もっと徹底的にやってくれないと、気まずくて仕方がない。
「あれ?ママは?」
「あ、あ~…、そういえば、さっき電話が来てたな。」
逆さまになっている新聞から顔を上げた父親は、キッチンの方へ視線を向けた。
キッチン奥にあるユーティリティルームから、母親の声が微かに聞こえてくる。
断片的に聞こえた声の中から、お喋り好きな隣人の奥様の名前が聞き取れて、電話が長引くことを理解した。
「行くのか?」
「あー…。」
腕時計を確認すると、リヴァイとの約束の時間まで8分を切っていた。
あと3分ほどで、彼の運転する車が家の駐車場に到着するのだろう。
本当は、母親にも声をかけてから出かけたかったのだけれど仕方ない。
「うん、そろそろ行こうかな。もうすぐ迎えに来るだろうし。」
「そうか。」
短く答えると、父親は、また逆さまの新聞に視線を落とした。
読まない新聞を眺めながら、何を考えているのだろうか。
なんとなく視界に入った新聞の左端に、とぼけたイラストの四コマ漫画を見つける。
幼い頃、私はその四コマ漫画が大好きで、父親に読んでくれと何度もせがんでいた。
感情を込めて面白おかしく読む父親がおかしくて、私はいつもお腹を抱えて、泣きながら笑うのだ。
きっと、父親は、私が喜ぶのが嬉しかったのだと思う。
そして私も、普段は無口で、おとなしい印象の父親が、愉快になるその瞬間が大好きだったのを、今でも覚えている。
「今日は、彼の実家に泊まってくるね。」
「あぁ。」
父親は、逆さまの新聞をじっと見たまま、答えた。
私に向けた背中は、ピクリとも動かない。
「明日の朝、帰ってくるから。」
「酒を飲むんじゃないのか。」
「んー、どうだろう?彼の叔父さんはお酒がすごく好きらしいけど。」
「帰りは、車なんだろう。」
「そうよ、彼が送ってくる。
あぁ…!大丈夫よ、彼はお酒を飲んで運転するようなことはしないから。」
「当然だ。」
「今度、パパがいるときに、彼を連れてくるね。
リヴァイも、パパに会いたいって言ってたから。」
「…あぁ。」
「あまり言葉数は多くないけど、時々、おかしなことを言って笑わせてくれるの。
冗談が下手くそで、それがすごく面白いの。彼も、私が笑うのが好きなんだって。
なんだか少し、パパに似てるかも。」
「…そうか。」
「きっと、気に入るよ。すごく素敵な人だから。
だから、パパにも会って欲しいな。」
「…分かった。」
「ありがとう。
————じゃあ、行ってくるね。」
一度も振り返らない父親の背中がなんだかひどく寂しそうで、これ以上、見ていられなかった。
バッグを握り直して、玄関へと向かおうとすると、父親が新聞をとじて立ち上がる。
「玄関まで送る。」
いいよ———そう言って断ろうとして、思い直す。
久しぶりに、2人並んで、玄関へと向かう。
父親に見送りをしてもらうのなんて、何年ぶりだろうか。
子供の頃、遊びに出かける私に父親はいつも『気をつけろよ。』『早く帰ってくるんだ。』『危ないところへ行ってはダメだぞ。』と言い聞かせていた。
そして、自転車に乗って友達の元へ急ぐ私の背中を、いつまでも手を振って見送ってくれた。
年頃になって、遊びや恋に夢中で帰りが遅くなる私を、寝ないで待ってくれていたのも、一度や二度じゃない。
今夜、父親は、私に何を言って見送るのだろう。
少なくとも、早く帰って来いとは、言えないのだろう。
たとえ彼が、そう言いたいと望んでいたとしても———。
「じゃあ、行ってくるね。」
玄関の扉を開けてポーチに出ると、駐車場には見覚えのある黒い車が停まっていた。
ちょうど、運転席からリヴァイが降りたところで、父親を見つけて、軽く会釈をする。
父親も応えるように頭を下げたけれど、彼らがそれ以上、コミュニケーションをとることはなかった。
運転席を降りたリヴァイは、いつもなら玄関にやってきて呼び鈴を鳴らすのに、今夜は、車に寄りかかって夜空を眺め出してしまったからだ。
きっと、私と父親に気を遣ってくれたのだと思う。
あまり器用な人ではないけれど、そうやって、誰かを想う心を持っている、優しい人なのだ。
「今夜は冷えるな。
コートを持っていった方がいいんじゃないのか。」
「大丈夫よ。今夜は、私は寒くないから。」
「…なら、いい。」
「ありがとう。心配してくれてるのよね。
でも、私は大丈夫。
お母さんにも、行ってきますって伝えておいてくれる?」
「あぁ、分かった。
気を付けるんだぞ、はやく・・・・・、
———あちらのご家族に失礼のないように。」
「菓子折りもちゃんと用意してあるよ。」
私は、左手に持った紙袋を少し持ち上げて、ニコリと笑った。
本当は『早く帰ってくるんだぞ』と、父親がそう言いかけたのにはすぐに気づいてる。
でも、気づかないフリをした。
だってそれが、癖が出てしまっただけなのか、それとも、娘を心配する父親の想いからなのかは、私には分からないから。
もし、この先、子供が生まれて、その子が女の子だったときに、リヴァイなら理解してあげられるのかもしれない。
「礼儀については、パパとママが丁寧に教えてくれたから、
今まで一度も恥ずかしい思いをしたことはないよ。」
「そうか、ならいい。」
「じゃあ、行ってくるね。」
「あぁ。」
「見送り、ありがとう。
じゃあね。」
そう言って、背を向けようとした私の手を、父親が掴んで引き留める。
驚いたのは、私だけじゃなかった。
振り向いた私が見たのは、自分の行動になによりも驚いている父親だった。
どうしたの———そんなこと、聞かなくたって分かってる。
だから、私は、ただ父親を振り返ったまま、何も言えなかった。
何を言えばいいのか、分からなかった。
数秒の沈黙の後、父親は、私を掴んでいた手を離すと、そのまま肩にそっと触れて、優しく抱き寄せた。
父親の両腕が私の背中にまわると、夜風で冷えていた身体があっという間に温まった気がした。
「ふふ、子供の頃に戻ったみたい。」
父親の腕の中で、私は、可笑しそうに言った。
恋人がすぐそこの駐車場で待っている前だということもあって、気恥ずかしさが勝ってしまう。
父親に抱きしめられるのなんて、本当に小さな子供の頃ぶりだ。
思春期に入ると、お互いに、喋る機会どころか、触れることもなくなった。
でも、父親の腕の中は、相変わらず、とても優しい。
この世界に蔓延るすべての悲しみを、私から引き離して、いつまでも守り続けてくれるような、安心感が胸を満たすのだ。
ただ、子供の頃は、ひどく大きく感じた父親の両腕が、私も大人になった今では、なんだか小さくなったような気がして、ほんの少し、切なかった。
でも、それも仕方のないことだ。
だって、昔は黒々としていた髪も、いつの日か少しずつ増えていった白い糸のようなものに埋め尽くされて、灰色になっている。
「バカ言え、お前はいつまでも、俺にとっては子供だ。」
耳元で叱る父親の声が、あまりにも小さくて、掠れていたから、まるで、そうであってほしいと願っているように聞こえたのだ。
「私にとっても、パパはいつまでも、世界で一番の父親だよ。」
父親の背中にそっと手をまわして、甘えるように言う。
その途端、私の背中にまわる父親の両腕の力が、強くなった気がした。
娘をどこにもやりたくない———私は親ではないけれど、父親の両腕が何を叫んでいるのかは、分かってしまう。
でも、いつまでもこの腕の中で守られて、子供の様に甘えるわけにはいかないのだ。
それを、私だけではなく、父親だって、理解している。
「それじゃあ、行くね。
———リヴァイが、待ってるから。」
少し薄くなった気がする父親の胸板を、そっと押すようにして離れる。
「あぁ。」
父親の両腕は、名残惜し気に、ゆるゆると離れていった。
もう一度、父親と向き合って「行ってくるね」と手を振る。
「気を付けて。」と見送る父親に背を向けて、私は、玄関ポーチの階段を降りて、リヴァイの元へと駆け寄った。
「もういいのか?」
私に気づくと、リヴァイは玄関の方をチラリと見た。
「うん、大丈夫だよ。待っててくれてありがとう。」
私も、答えながら玄関ポーチを見る。
いつの間にか、玄関扉は閉まっていて、さっきまでそこにいた父親の姿はもう見えなかった。
「なんか、悪ィことしちまったみたいだな。
実家に連れて行くなんて、まだ早かったか?」
「そんなことないよ。パパも、リヴァイは素敵な人だって本当は分かってるの。
じゃなきゃ、ご家族への挨拶になんて行かせてもらえないもん。」
「そうか。」
安心したのか、ゆっくりと息を吐いた後、リヴァイは、私の腰をそっと抱き寄せた。
「緊張してる?」
私も、リヴァイの腰に手をまわした。
華奢な見かけによらず、筋肉質で分厚い胸板に、甘えるように頬を寄せる。
「さっきが、一番緊張した。」
「パパがいたから?」
「まさか、一緒に出てくるとは思わなかった。
いつもは、たまに見送りがあっても、母親だけだろ。」
「今日は、仕事を早く終わらせて帰ってきてたの。
久しぶりの長期休暇で私が帰ってきてたし、それに…、
リヴァイの実家に泊まりに行くのを心配してたんだと思う。」
「そうか。俺の家族も、お前のことを絶対に気に入る。
だから、早く、安心してくれたらいいな。」
「うん、ありがとう。」
「さぁ、行くか。」
「もうちょっと…、こう、してて。」
リヴァイの腰に回す腕に力を込めた。
きっと私も、寂しかったのだ。
結婚という文字が、ドラマや小説、憧れから飛び出して、現実味を帯びてきたことで、気づいたことがたくさんある。
そのほとんどが、両親から受けてきた偉大でとても優しい愛だったから———。
「あぁ。分かった。」
リヴァイの腕は、私を包むように背中にまわった。
身長は、あまり変わらないし、決して大きいとは言えないけれど、私は、リヴァイの腕の中にいると、とても安心する。
裏切られる心配も不安もなにもなく、ただひたむきに愛され続ける未来を信じられるのだ。
私も父親も、今、すごく寂しいのは、きっと、知っているからだ。
子供の頃、私を強く抱きしめて守ってくれたのは、父親だった。
でも今はもう、それをしてくれるのは、父親じゃない。
それが、とても素敵なことで、寂しい。
あなたの娘は、心から愛する人に出逢ったの、たぶん、初めてのことよ
そして、あなたは、私を心から愛してくれた、初めての人なの
父親は、シンと静まり返ったリビングを見渡すと、小さく息を吐いた。
子供が思いきり走り回れるようにと広くとったリビングの端には、未だに、何も置いていないスペースが残っている。
そこは、なまえがいつも、お気に入りの小さなカーペットを敷いて、おままごとをしていた場所だ。
可愛らしいくまのぬいぐるみを子供に見立てて、見よう見まねで、母親の真似事をしていたのを、今でもよく覚えている。
それが、もしかすると、あと数年もすれば、彼女は本当の母親になるのかもしれない。
そしてその前に、両親の手から離れて、花嫁になる。
きっと、世界で二番目に美しくて、綺麗な花嫁なのだろう。
そんな花嫁に選んでもらえた運のいい幸せな男は、どれほど、彼女を幸せに出来るのか。
その男がどれほど真剣に『彼女を幸せにします』と誓ったところで、信用できない。自分よりも幸せにしてやれる男がこの世に存在すると、到底思えないのだ。
でもきっと、父親の心配なんて露ほども知らず、彼女はきっと、その男の隣で、世界で一番幸せなのは自分だと信じて微笑みながら生きるのだろう。
そんな女性を、すぐ隣で見ていたから、自分が一番よく知っている。
だから、それは、とても素晴らしいことだと分かってはいるのだ。
でも、どうしても、まだまだ子供だと思っていたい娘の成長に、心が追い付かない。
「いつまで、長電話のフリしてるんだ。」
リビングから、ユーティリティルームにいる母親に向かって大声で声をかけた。
すぐにドタバタと音がした後に、キッチンから母親が顔を出す。
「あら、もうなまえは行ったの?」
「今、行った。
———長電話のフリなんて、子供みたいなことをするな。」
父親が、咎めるように眉を顰め、ソファに腰を降ろした。
少し困ったような顔をした後、母親は小走りで、父親の元へ駆け寄る。
そして、父親の隣に腰を降ろすと、相変わらず男らしい腕に自分のそれを絡めた。
「だって、私がいたら、あなた、素直になれないでしょう?」
「…何の話だ。」
「ふふ、なんでもないわ。」
可笑しそうに母親が笑うほどに、父親の眉間の皴は濃くなっていった。
それが可笑しくて、まだ笑えそうな母親だったけれど、これ以上怒らせるのは得策ではないことを長い付き合いでよく理解している。
「リヴァイくんには会った?いい子だったでしょ?」
「顔を見ただけだ。あの男、俺に挨拶もしねぇで。」
「あなたに気を遣ったんでしょう。見てなくたって分かるわ。
だって、あなたとリヴァイくんって、似てるもの。」
母親が、どこか嬉しそうに言う。
「どこが。なまえも言ってたが、俺には分からん。
どう考えても俺の方が・・・・・いい男だ。背も高い。」
「見た目の話をしてるんじゃないのよ。」
「じゃあ、何が似てるって言うんだ。俺はあんな悪い目つきはしてない。」
「してるわ。」
「してない。」
「口下手で、言葉足らずで、冷たい印象で誤解されがちだけど、本当はすごく優しい人。」
「それは・・・・俺のことか?」
「それと、リヴァイくん。言葉では、恥ずかしがって、あまり愛を伝えてはくれないけど
その代わり、態度で、誠実で深い愛を示してくれる。
だから、私もあの娘も、自分は世界で一番幸せな女だって、心から信じられるの。」
「…よく、分からん。」
「ふふ、いいのよ。あなたは分からなくても。なまえはちゃんと、分かってるから。」
「そうか。」
「きっとあなたも、リヴァイくんに会えば気に入るわ。
———だから、会いたくないのよね。」
「・・・・うるさい。」
自分が気づいてもいなかった図星をつかれて、父親は口を尖らせた。
それが可笑しくて、母親はまた、楽しそうに笑う。
そして気づくのだ。
今から20年と少し前に、同じような会話をした夫婦が、もしかしたらいたかもしれないことに———。
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