◇第一話◇悪夢の再来
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100年の平穏が終わりを迎えてから5年が経った。
巨人襲来とその後のウォール・マリア奪還作戦にて人口のおよそ2割が失われたと王政から発表はあったが、ウォール・ローゼの最南端であるトロスト区に住んでいると、あまり実感することはない。
むしろ増えたように感じる。
それはきっと、生きる場所を失ったウォール・マリアの住人が、現在の外地であるここウォール・ローゼで暮らしているからだろう。
巨人との対戦が現実的になってきたことで、兵団の活動が活発化し、兵団関係の仕事が増えた。
そのおかげで、トロスト区の人口が増えても、なんとかみんなが職について生活を成り立たせることが出来ている。
巨人によって生活を奪われた人類が、その巨人のおかげで増えた仕事で生活しているのだから、なんと無情な世界だろうかと思う。
だが、その恩恵を受けているのは私も同じだ。
「みょうじ、これも頼む。」
「はい、わかりました。」
技術士から立体起動装置を受け取って立ち上がると、私は事務所奥にある保管庫へと向かった。
今の私の仕事場は、トロスト区にある駐屯兵団施設そばにあるこの事務所だ。
兵団が使用する立体起動装置や超硬質スチールの修理やメンテナンスを行っている兵団施設の請負いで、簡単な修理やメンテナンスならここの技術士達が任されている。
そこで私は、預かった立体起動装置や超硬質スチールの管理や簡単な事務をさせてもらっている。
二重の鍵でしっかり施錠された保管庫の鍵を開け、技術士から受け取った立体起動装置を棚に置いた。
整然と並べられた立体起動装置と超硬質スチールは、何度見ても慣れない。
巨人を殺す道具だとは知っていても、あまりピンとこない。
でも、この道具が怖いものであることは理解している。
その矛盾が気持ち悪くて、私は兵士達が大切そうに身に着けているこの装備があまり好きではない。
預かっている立体起動装置と超硬質スチールの数に問題がないことを確認して、鍵を閉める。
私が自分の席に戻ると同僚のヒルラが声をかけてきた。
「今日はなんだかいつもよりも幸せそうに見えるわね?」
目ざとい彼女がニヤニヤと笑みを浮かべる視線の先では、大きなダイヤが輝いている。
まだ慣れない左手の薬指の重たさを、右手の指が撫でる。
昨日の夜、恋人から指輪を貰った。
こんな辺鄙な街だが、彼に出来る限りのお洒落でロマンチックなプロポーズをしてくれた。
奇しくも昨日は、訓練兵の解散式だった。
彼らが、人類の未来のために心臓を捧げることを誓ったその日、私は、彼に人生を捧げることを決めたのだ。
「昨日、貰ったの。」
「そんなこと見りゃ分かるわよ。いいわね、アンタは、将来安泰じゃないの。」
「どうして?」
本当に不思議に思って訊ねれば、ヒルラにこれ見よがしなため息を吐かれた。
「なんでって、アンタ。あんな優良物件、この街には絶対にいないんだから!」
「そうよね。」
「あ~あ、惚気られちゃったぁ。私にもチャンスがあるはずだったのにぃ。
もうっ、今度、絶対に彼氏の友達紹介してよ!貴族の彼氏の!!」
鬼気迫るヒルラに優良物件の紹介が出来るように努力すると約束をして、私達は残りの事務仕事に取り掛かった。
といっても、特に急ぎの仕事があるわけでもない。
ヒルラなんて、堂々とマニキュアを塗りだした。
勝負の日につけると言っていた赤色が彼女の綺麗な形をした爪にのせられていく。
さすがにそんなに堂々と仕事をサボることは出来ないが、私も書類に文字を走らせながらも、左手薬指の宝石の輝きに目がいってしまってなかなか仕事が捗らない。
ヒルラは幸せボケだとからかうけれど、本当にそうなのか。
不安が襲ってくる感覚が消えてくれないのだ。
これがマリッジブルーというやつだろうか。
恋人のルーカスとの出逢いは、上司に同行して内地であるウォール・シーナのストヘス区へ行ったときだった。
本当なら上司の同行はヒルラだったのだが、体調を崩して欠勤していたため、急遽代理でついていくことになったのだ。
ヒルラが、自分にもチャンスがあるはずだった、というのはそのためだ。
だが、今でも自分が一番信じられないでいる。
だって、奇跡としか思えないことに、何のとりえもない私に一目惚れをしたと、ルーカスが声をかけてきたのだから。
ヒルラ曰く、前世での行いが余程良くないとこんなことにはならないらしい。前世での自分に感謝しろと何度も言われている。
とにかく、何度かの逢瀬ののち、私とルーカスは晴れて恋人同士になった。
ヒルラだけではなく、事務所の上司や先輩、友人は一様に驚き、そして手放しで喜んだ。
これであなたの人生は安泰だね―と。
でも、私はそうは思っていなかったし、家族もそうだった。
貴族である彼が、こんな壁の最南端に暮らす田舎町の娘と結婚してくれるなんて誰が想像できるだろう。
少なくとも、私は“今だけ”の恋人だと思っていたし、いつかの別れを覚悟していた。
でも、彼は違った。
よくある“お金持ちタイプ”である両親を説得し、私達家族全員でウォール・シーナのストヘス区へ移住することを条件に、結婚の許しを貰ってきてくれたのだ。
そしてやっぱり、ヒルラだけではなく、事務所の上司や先輩、友人が一様に驚き、そして手放しで喜ぶ姿を想像するのは容易い。
これであなたの人生は最高になるわね―と。
「はぁ…。」
隣にいるヒルラに聞こえないようにため息を吐く。
スラリと伸びた手足と整った顔立ち、容姿端麗に加えて、誠実で優しく、一途に自分を愛してくれる。
そして、貴族出身で将来安泰。しかも、家族まるごとを壁の中で最も安全な内地で面倒を見ると言ってくれている。
結婚相手にこれ以上に最高の相手は、きっと今後、何度生まれ変わったって出逢うことはないだろう。
それなのになぜ、私はこんなに不安なんだろう。
そんなことを考えていると、思わず笑いが出てきてしまった。
さすがにヒルラに聞かれて、また彼氏のことでも考えていたのかとからかわれる。
でも、そうじゃない。
可笑しくなったのだ。
100年の平穏が巨人によって踏み潰されたあの日、この悪夢は絶対に忘れないと思った。
人類のほとんどすべてがそう思ったはずなのに、平和な5年という月日が忘れさせていることに気づいたのだ。
あの日の恐怖や不安は今の比ではなかったはずなのに、私の心は今、結婚への不安で支配されているのだ。
なんとも自分勝手な記憶、感情だろう。
「幸せだなぁ。」
「はいはい、アンタは幸せ者よ。」
ヒルラがため息交じりに言う。
「よかったわね。絶対に幸せになりなさいよ。」
ピースサインを見せるヒルラの指の爪は、塗られたばかりの真っ赤なマニキュアが煌めいている。
アンタばっかり―と愚痴を言う割には、自分のことのようにプロポーズを喜んでくれているヒルラの笑顔は温かくて、私はやっぱり幸せだと思った。
その瞬間に、ほんの些細な幸せすら許さないとばかりに、大きな轟音にぶち壊されるとも知らずに―。
巨人襲来とその後のウォール・マリア奪還作戦にて人口のおよそ2割が失われたと王政から発表はあったが、ウォール・ローゼの最南端であるトロスト区に住んでいると、あまり実感することはない。
むしろ増えたように感じる。
それはきっと、生きる場所を失ったウォール・マリアの住人が、現在の外地であるここウォール・ローゼで暮らしているからだろう。
巨人との対戦が現実的になってきたことで、兵団の活動が活発化し、兵団関係の仕事が増えた。
そのおかげで、トロスト区の人口が増えても、なんとかみんなが職について生活を成り立たせることが出来ている。
巨人によって生活を奪われた人類が、その巨人のおかげで増えた仕事で生活しているのだから、なんと無情な世界だろうかと思う。
だが、その恩恵を受けているのは私も同じだ。
「みょうじ、これも頼む。」
「はい、わかりました。」
技術士から立体起動装置を受け取って立ち上がると、私は事務所奥にある保管庫へと向かった。
今の私の仕事場は、トロスト区にある駐屯兵団施設そばにあるこの事務所だ。
兵団が使用する立体起動装置や超硬質スチールの修理やメンテナンスを行っている兵団施設の請負いで、簡単な修理やメンテナンスならここの技術士達が任されている。
そこで私は、預かった立体起動装置や超硬質スチールの管理や簡単な事務をさせてもらっている。
二重の鍵でしっかり施錠された保管庫の鍵を開け、技術士から受け取った立体起動装置を棚に置いた。
整然と並べられた立体起動装置と超硬質スチールは、何度見ても慣れない。
巨人を殺す道具だとは知っていても、あまりピンとこない。
でも、この道具が怖いものであることは理解している。
その矛盾が気持ち悪くて、私は兵士達が大切そうに身に着けているこの装備があまり好きではない。
預かっている立体起動装置と超硬質スチールの数に問題がないことを確認して、鍵を閉める。
私が自分の席に戻ると同僚のヒルラが声をかけてきた。
「今日はなんだかいつもよりも幸せそうに見えるわね?」
目ざとい彼女がニヤニヤと笑みを浮かべる視線の先では、大きなダイヤが輝いている。
まだ慣れない左手の薬指の重たさを、右手の指が撫でる。
昨日の夜、恋人から指輪を貰った。
こんな辺鄙な街だが、彼に出来る限りのお洒落でロマンチックなプロポーズをしてくれた。
奇しくも昨日は、訓練兵の解散式だった。
彼らが、人類の未来のために心臓を捧げることを誓ったその日、私は、彼に人生を捧げることを決めたのだ。
「昨日、貰ったの。」
「そんなこと見りゃ分かるわよ。いいわね、アンタは、将来安泰じゃないの。」
「どうして?」
本当に不思議に思って訊ねれば、ヒルラにこれ見よがしなため息を吐かれた。
「なんでって、アンタ。あんな優良物件、この街には絶対にいないんだから!」
「そうよね。」
「あ~あ、惚気られちゃったぁ。私にもチャンスがあるはずだったのにぃ。
もうっ、今度、絶対に彼氏の友達紹介してよ!貴族の彼氏の!!」
鬼気迫るヒルラに優良物件の紹介が出来るように努力すると約束をして、私達は残りの事務仕事に取り掛かった。
といっても、特に急ぎの仕事があるわけでもない。
ヒルラなんて、堂々とマニキュアを塗りだした。
勝負の日につけると言っていた赤色が彼女の綺麗な形をした爪にのせられていく。
さすがにそんなに堂々と仕事をサボることは出来ないが、私も書類に文字を走らせながらも、左手薬指の宝石の輝きに目がいってしまってなかなか仕事が捗らない。
ヒルラは幸せボケだとからかうけれど、本当にそうなのか。
不安が襲ってくる感覚が消えてくれないのだ。
これがマリッジブルーというやつだろうか。
恋人のルーカスとの出逢いは、上司に同行して内地であるウォール・シーナのストヘス区へ行ったときだった。
本当なら上司の同行はヒルラだったのだが、体調を崩して欠勤していたため、急遽代理でついていくことになったのだ。
ヒルラが、自分にもチャンスがあるはずだった、というのはそのためだ。
だが、今でも自分が一番信じられないでいる。
だって、奇跡としか思えないことに、何のとりえもない私に一目惚れをしたと、ルーカスが声をかけてきたのだから。
ヒルラ曰く、前世での行いが余程良くないとこんなことにはならないらしい。前世での自分に感謝しろと何度も言われている。
とにかく、何度かの逢瀬ののち、私とルーカスは晴れて恋人同士になった。
ヒルラだけではなく、事務所の上司や先輩、友人は一様に驚き、そして手放しで喜んだ。
これであなたの人生は安泰だね―と。
でも、私はそうは思っていなかったし、家族もそうだった。
貴族である彼が、こんな壁の最南端に暮らす田舎町の娘と結婚してくれるなんて誰が想像できるだろう。
少なくとも、私は“今だけ”の恋人だと思っていたし、いつかの別れを覚悟していた。
でも、彼は違った。
よくある“お金持ちタイプ”である両親を説得し、私達家族全員でウォール・シーナのストヘス区へ移住することを条件に、結婚の許しを貰ってきてくれたのだ。
そしてやっぱり、ヒルラだけではなく、事務所の上司や先輩、友人が一様に驚き、そして手放しで喜ぶ姿を想像するのは容易い。
これであなたの人生は最高になるわね―と。
「はぁ…。」
隣にいるヒルラに聞こえないようにため息を吐く。
スラリと伸びた手足と整った顔立ち、容姿端麗に加えて、誠実で優しく、一途に自分を愛してくれる。
そして、貴族出身で将来安泰。しかも、家族まるごとを壁の中で最も安全な内地で面倒を見ると言ってくれている。
結婚相手にこれ以上に最高の相手は、きっと今後、何度生まれ変わったって出逢うことはないだろう。
それなのになぜ、私はこんなに不安なんだろう。
そんなことを考えていると、思わず笑いが出てきてしまった。
さすがにヒルラに聞かれて、また彼氏のことでも考えていたのかとからかわれる。
でも、そうじゃない。
可笑しくなったのだ。
100年の平穏が巨人によって踏み潰されたあの日、この悪夢は絶対に忘れないと思った。
人類のほとんどすべてがそう思ったはずなのに、平和な5年という月日が忘れさせていることに気づいたのだ。
あの日の恐怖や不安は今の比ではなかったはずなのに、私の心は今、結婚への不安で支配されているのだ。
なんとも自分勝手な記憶、感情だろう。
「幸せだなぁ。」
「はいはい、アンタは幸せ者よ。」
ヒルラがため息交じりに言う。
「よかったわね。絶対に幸せになりなさいよ。」
ピースサインを見せるヒルラの指の爪は、塗られたばかりの真っ赤なマニキュアが煌めいている。
アンタばっかり―と愚痴を言う割には、自分のことのようにプロポーズを喜んでくれているヒルラの笑顔は温かくて、私はやっぱり幸せだと思った。
その瞬間に、ほんの些細な幸せすら許さないとばかりに、大きな轟音にぶち壊されるとも知らずに―。