【逃げ若夢】命短し、踠けや乙女!

 とん、とん、ふわっ
 そんな効果音が目に映るように、ふわふわと地面を蹴り上げた。

 重苦しい袿は脱ぎ捨てて、秘密裏に保持している水干に腕を通し、面倒だけれど伸ばしている黒髪はそれっぽく雑にまとめる。
 屋敷の人間には一つとも知られていない抜け道を通って下町にやって来た私は、何処からどう見ても遊ぼうと鎌倉から逃げ出した武士か何かの子息のように見えるだろう。
 男女の身長差が小さく声変わりも始まっていないこの時期だからこそできる男装である。


「体力は成長してるな……うーん、足の筋力は要成長かも」


 実践訓練、と言えば良いだろうか。基礎体力を鍛えた後に、それを実際に使う。大きさや成長度合いが違うからか思うように身体が動かないこともある。絶体絶命の危機にそんなことになっては大変なので、時折こうして身体を動かしている。

 ……というのも、実は建前だったり?


「おっ、坊主また脱走か! ほれ食ってけ食ってけ!!」

「おっちゃんどーも。ちげーし、景色見にきただけ」


 顔見知りの団子屋のおっちゃんに団子を押し付けられる。それをさささ、と口の中に放り込み、詰まらせないように嚥下する。持ち帰ってもし家でバレてしまったら盛大に怒られるので、家族への土産として追加でもらった分も口の中に突っ込んだ。ごめんよおっちゃん。


「ほいほいほい〜っと」


 食べ切って手元が軽くなったので、ぴよんと身体を跳ねせて木の枝を掴み、そのままぐいと木の上に着地する。

 今は春ではないから陽の目を浴びていないが、街の中には一本の桜の木がある。それに登れば、鎌倉から山と海を一望できるのだ。
 私は、この風景が好きだ。爽やかな風が頬を通り抜けて髪の毛をゆらゆらと揺らす。果てしなく太平洋まで続くその海と、この鎌倉の守護神とも言える悠々自適な大地は、くらくらと眩暈がするほど広大で美しく。人の感情や血生臭い戦のこと、後は、この先の未来のこととか。そういった様々なことをぜーんぶ忘れて、ただぼんやりと風景を眺めることができたのだ。

 前世から私はどちらかと言うと自然なんかと相性が良かったようで、かの裏山にも訓練以外で時々遊びに行っていた。ふわふわとしていた友人と虫を取りに行ったりした記憶は、なんだかんだ楽しかったものだと思う。

 そんなこんなで、私はこの鎌倉が好きだ。北条だの足利だの天下だの、そんなのは面倒なので正直関わりたいとは思わないけれど。この景色が見られるならば、この時代も捨てたもんじゃないかもしれないな。なんて、思ってしまうくらいには。



「ならば!! この頼重と共に行きましょうぞ!!!!」



***



「え、誰お前、キモ……」

「想像の数倍冷酷な反応!!!!」


 なんなんだ此奴は。マジで、ガチで。

 そうだ、一旦、一旦状況を整理しよう。と言っても、景色を眺めていたと思ったら急に後ろから光が差し、喧しい声が聞こえてきたのだ。なんやなんやと振り向けば、そこにいたのは煌々と目に良くないであろう後光を発し、胡散臭い顔をなさっている男。そのニヤつき顔、何処かデジャヴを感じる……具体的には、黄色いタコの。本当に誰だ貴様。格好から見て神官のように見れるが、私の知り合いや記憶の範囲にそんな奴はいなかった気がする。


「えぇ、『誰だお前!!』みたいなノリツッコミを期待していたのに……」

「それは顔見知りだからするんだよ、初対面でそんなことしたらやばい奴だろうが」


 至極当たり前の思考。私はまぁ所謂“狂人”と呼ばれる部類にあったかもしれないが、そんな奴だって最低限の常識や危機感は持ち合わせているものである。しょぼしょぼ、と顔を窄ませる男を見て更に引く。なんだお前……


「なにか用があんの?」


 あくまで今は男装中の身。あえて口は悪く、態度もまるで下級のやさぐれた少年の様に。まぁ、髪や肌の状態は良いため決して下級武士なんて言えるほどでもないが、こうしておくだけで先程の団子屋のおっちゃんのような、ある程度の人間は騙せるようになるのだ。此奴がその“騙せる人間”に値するか、というのは見極めねばいけないが。


「え、ええそうですとも! 勿論でございます! 私は刹那様に用があって参ったのです。此処に来ることは視えておりましたので」


 残念ながら思ったより馬鹿ではなかったようで。此奴デキる奴かもしれない、一発で見抜きやがった。而も名前まで当てられてしまうとは。と、なると、もしかしたら彼は私の顔を見たことがあるのかもしれない。


「……嗚呼、はいはい。てかこんなところで大声で名前を晒さないでくださいな。我お忍びぞ。んで、アンタ誰?」

「えっなんか急に冷酷になった……イメージと違う……」

「そんなんで失望するくらいなら失せろ」

「嘘! 嘘嘘とっても冗談です!!」

「なら良し」


 名前もお忍びの姿もバレてしまった訳だ、もう猫を被る必要も無かろう。残念ながら、普段の……“北条刹那”という姿に於ける私は、謂わば猫を10枚くらい被ってお淑やかにした姿であり。素を出してしまえば、ちょっとやさぐれた典型的なヤンキーなのです。だからと言って、外見や立場を見て勝手に価値をつけて話しかけ、勝手に失望する人間は大嫌いなんだけれども。そう思うなら、最初から関わってくるんじゃねぇよ、みたいな。前世から時々あったけれども、嗚呼、吐き気がする。


「私、諏訪大社の神官、諏訪頼重と申します。神力により朧げな未来が視えるのです」


 諏訪明神というのは知っている。現代でも存在している大きな神社の一つだ。あとは、現人神がいるだとか、独自の神道とも違う信仰が根付いているとか。正直京都奈良などの観光スポットに比べれば目劣りするかもしれないが、調べれば調べるほど面白い情報が出てくる、愉快な場所だ、という記憶はある。

 神力。そう口内で反芻する。はて、そんな非科学的なものが実在するのだろうか? 前世においても不思議なことーーあのタコや月云々だとかーーは比較的起きたものだが、あれらも結局は科学によって裏付けされた事実でしかなかった。しかし科学も発展していないこの時代において、前世でもなし得なかった未来予知というものが可能なのだろうか、と、正直半信半疑である。

 そんなことを思いながら首を傾げれば、目の前の男……頼重殿は見透かしたように笑みを浮かべていた。


「貴方様にとって、この未来が見えるという力は実に非科学的と思えるでしょう。現に、貴方が生きていた時代ではこんなもの殆どない」

「まぁ、うん、そうだけど」

「ですがこの時代は違う。神秘と呼ばれるものは、秘されているからこそ価値を得る。殆どの神秘が観測・記録されてしまったこの先の未来では彼らも行先を亡くしてしまい、自然に還元されてしまったのです」


 知られぬからこそ価値を持つもの。この時代にしかない、とっておきの力。そう頼重は答えた。

 彼が柔らかく手で空気を包めば、その中にきらきらとした光が瞬く。手品か何かの化学製品か、なんて野暮なことはもう言うまい。これは奇跡だ、そう思うしかないのだろう。

 ならば、返事はきっと。


「生憎。私は世間一般が思うような華奢で華やかな女じゃない。自己中だし暴力的、他人より自分の利益と幸せを優先する。そんな奴だけれど」

「……いえ、そんなもの構いませぬ。私が目指すのは我が主、北条、及び北条時行様の天下唯一つ。その為の協力者になっていただきたい。それだけでございます」


 嗚呼、なんと愉快な男! 私が完全に協力しない、と言えば、それは私も、と返してくるのだから。もしかしたらこのやり取りさえも視えていたのか? 摩訶不思議だこと。

 これはきっと、主従といった美しいものでも、協力なんて潔いものでもない。


「気に入った。契約成立ってことで」

「有難き幸せにございます」


 お互いの理念の為に相手を利用する……世間ではきっと、これを契約と呼ぶのだろう。
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