『…ふふふ……。』
内海が目を開くと、目の前で女が口元に手を当てながら笑っていた。
『おはよう…オサム。』
内海の目の前には、死んだはずの自分の妻がいた。
ー君の妻と娘は死んだ。ー
内海がこのセリフを聞いた瞬間、自分の家族を狙った人間が全員彼女の手に落ちたことを知った。
彼女の膝の上にはエマが愛犬のフラテと共にスヤスヤと寝息を立てていた。
内海は自分が任務を失敗してしまったことを改めて思い出していた。
一体どこで選択を間違えたのか…。
『…考え込むほどではない…貴様はなにもヘマはしていないのだから。』
エマの髪を優しく撫でながら、会話の対象を絞った声で内海に話しかけてきた。
エマが起きていたとしても聞き取ることのできない会話だ。
そして彼女は小さくため息をついた。
『……近く、こことは戦争になるだろう。』
『…な…？』
『今回、貴様の動きは以前から怪しまれていた。うちの中に無謀にもこちらの情報で金銭を得ていた愚か者がいたようでな。アメリカも賢いよ。ただ信用しない、そいつを最大限使うことを選んだのだから。』
内海はようやく合点がいった。
何故、彼女が自分の元に来たのか。
あの結城中佐の意図も。
『のこのこやってきたよ。わたしがまさか、陸軍の諜報機関の人間だとは夢にも思わなかったんだろう。あの時の顔、思い出しただけで笑いが止まらない。』
『…これからどうする？』
『ふむ…これから先のことはなんの指示も受けてはいないのでな、なにも考えていないのだ。まぁ…エマがいるから危険な場所に根をはるのはお断りだな。』
内海はまた驚きを瞳に浮かべた。
この女がエマの心配をしたことに驚いたのだ。
『心配…してくれてるのか…？』
内海の反応に、彼女は少しばかり機嫌を損ねたようだった。
『なんだ…わたしが自分の娘を心配することがそんなにおかしなことか？』
『いや…そういうわけじゃ……。』
『わたしは貴様の妻であり、この子の母だ。心配するのは当然だろう。』
内海はおもわず肩を竦めた。
『私は確かに任務で貴様の元に来た。それは事実だ。しかし、おかげで娘も旦那も出来たんだ。今回ばかりは中佐に感謝をするしかないな。』
彼女は口元に笑みを浮かべながらそう語りかけた。
スパイは時に潜伏先で妻を娶り、子を宿すこともする。
現地で暮らしていて、家族を作らないほうが逆に怪しまれることもあるからだ。
『ふふふ…これが母性というものなのだな。どうだ？もうしばらくわたしと仮面夫婦を続けないか？』
内海は彼女の膝でスヤスヤと寝息を立てているエマに視線を向けた。
エマは一度母を無くしている。
ようやく慣れたところだ、また母を失うのは彼女の心にまた深い傷を負わせてしまうかもしれない。
『…エマのためにも、そのほうが良さそうだ。』
『そう言うと思ったよ。ま…よろしく頼む。』
そう言って彼女は内海のネクタイを掴んで強引に引き寄せ、内海の頬に口づけを落とした。