日記

シンエバ観たよ

2021/03/21 12:57
日常考察感想
シン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきたので思ったことを思いだせる範囲で書きます。
ネタバレ回避したい方は読まないようにしてくださいね。
一切の解説・考察を見てないから間違いだらけの解釈になるかもしれないんですけど。
それでもよければどうぞ。









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序破Qの記憶が曖昧だったのでこれまでのあらすじみたいなのを最初に見せてくれるのは親切だなと思った。
ああそうね、そういえばカヲル君がBANしたんだっけ。あのあたりよく分かんなかったけどとにかくシンジ君にとってはとてもつらいことだったんだな。

誰と誰が何と戦っているのかもよく分かってない状態でシンを観に行ってしまったんだけど作っている人が20年前のTV版から変わっていないので「シン」と冠しているけど実質「続」なんですよね?
「続」であり「完」か。えーなんか、声優さんの変更もなく完結まで作ってもらえるのって羨ましいな。20年も経ってるのに、あれを終わらそうとしてくれたのが嬉しいですね。
ありがてえはなしですわ。ありがとう庵野監督。

見終わったあとの率直な感想としては
「アニメなんか見てないで大人になれよ」と言われた気がしてめちゃくちゃ寂しかった。

もうさー、トウジと委員長とケンスケの成長ぶりというか、しっかり「大人」になってるのが嬉しくもあり悲しくもありなんだけど。
ケンスケなんか子供のころはエヴァのパイロットになりたがってたミリオタ全開の少年だったのに、シンジと再会したあとのケンケン見た?なんだあの落ち着きようは。あれが成熟か。
ニアサーを経験した者だけが身にまとうことができる達観のオーラか。
トウジもよ、まさか医療関係者になってるだなんて。
妹が軍事関係者として登場したときも驚いたけど、あのやんちゃな鈴原トウジがパパに…………
旧作で死にかけたトウジが………
感慨深いな…
委員長幸せそうでなによりだった。
トウジが歌ってた吉田拓郎の『人生を語らず』は私も好きです。

待って、シンで特筆すべき点はそんなことじゃない。
シンの一番の見どころはあやなみ(仮)の可愛さじゃない?
なんだあの無垢な美少女。
村の生活にまったく馴染めないシンジとアスカをよそに、郷に入っては郷に従う綾波レイ(仮)が可愛すぎた。
プラグスーツのままで田植えする美少女。
プラグスーツのまま薪割りをする美少女。
最高かよ。誰だあのシーン考えたの。変態だな。大好きだ。
ネコ化動物に興味津々の綾波()可愛いな。
おんぶ紐でヒカリの赤さん背負ってる綾波()も可愛かったしヒカリの中学校の頃の制服着せてもらう綾波()も懐かしすぎて最高だった。
まじであの制服姿久しぶりすぎん?たまらん。
制服といえば、シンジが貸してもらったジャージはトウジが中学でいつも来てたやつじゃない?泣かせるなあ、おい。
いやそれにしても綾波()可愛かったな。綾波レイのオタクが発狂して死ぬんじゃないかってレベルの可愛さ。
まるで高畑勲の映画の世界に迷い込んでしまったかのような綾波()素晴らしすぎた。
背景は高畑勲なのにところどころにオーパーツが浮かんでるのがシュールだった。
日常と非日常の混在。
シンジとアスカが子供の姿のままで「エヴァがー」「使徒がー」「ネルフがー」とか言ってる横で大人になったクラスメイトが立派に『生活』を営んでいるのを見るとなんか申し訳ない気持ちになる。
申し訳ないというか、正確には「恥ずかしい」だよね。
現実を生きている人々の前でフィクションの話なんかして恥ずかしい。
いやあの世界ではセカンドインパクトもニアサードインパクトもフィクションではなく実際の災害なんだけど、でもなんかいつまでもSFの話してごめんねって感じになりますね。仕事も子育てもして大変なときなのに、ごめんね。
しんどい。

アスカのパンツ見せすぎ問題についても言及しとく?
なにあのパンツ絶対見せたいアングル。気色悪い。何が狙いなんだろう。

シンジ君がひたすらネガキャンでさすがにイライラしましたね。
前半ずっと自分の殻に閉じこもってたのに、ちょっと本気出しただけで世界救えちゃうんだから主人公ってのはすごいですね。

加持さんとミサトさんの息子がイケメンすぎて泣いた。
なにあの恵まれた顔の息子。貞本?貞本デザイン?
すぐにでも細田守作品で主演張れそうな華のあるキャラデザの息子、リョウジ。
出番が一瞬だけなんてもったいなさすぎるでしょ。

ミサトさんってなんか…軍人に向いてないよ性格が。情に流されやすすぎる。
シンジ君はそりゃ息子みたいな家族みたいな存在なんだろうけど、甘やかしてるよなあ。
それに比べてリツコさんの女捨てた科学者ぶりよ。尊敬するわ。そりゃ後輩が立派に育つわ。
整備長伊吹マヤが好きすぎる。めちゃくちゃ頼れる女になってて惚れた。昔はあんなに温室だったのに。
日向くんがなんかやさぐれた感じになってた。Qからあんなだったっけ?
青葉くんはロン毛のままで子安だからあーお変わりなくて良かったですって感じだったけど。
あれか、好きな女が他の男の子供産んだからひねくれたんかなーマコト。

ラスボスのはずの碇ゲンドウがカッコ悪くて嫌だった。ダサくてめんどくさいおじさんだった。ぜんぜん許せない。
しかしゲンドウくんと冬月先生と真希波マリをいっぺんに虜にしたユイさん、何者なんだ。総受けすぎる。
岡田斗司夫がシンジの本当の父親は冬月!ってトンデモ予想してたけどそれはさすがに無いみたいだったな。でもユイくんに対して特別な感情があったのは間違いなさそう。てゆーかあのユイくんの才能を見出し引き出してしまったのならすべての元凶というかはじまりは冬月先生ということに…?

お父さんと息子の対話ですべてが収束したってことなんだろうか?
それならもっと早くなんとかして欲しかったですよね。
最終決戦で今までの背景全部使ってやるぜみたいな演出はウテナで見た。

ミサトさんの特攻は意外だったなー。自己犠牲なんて彼女らしくないな。加持の後追いなんだろうか。
ミサトさんってほら、お父さんのこともあるし、シンジアスカとの家族ごっこも経験して、これからは家庭を大事にしていく人なんじゃないかと勝手に思ってたからさ。
加持さんが次の命を託したのもそれが目的だったんじゃないのかね?
ミサトさんを前線から離れさせるためにしたことじゃなかったのかね?
大学からの親友を2人も喪うことになったリツコさんの気持ちはどうなるのよミサト。
つーかアニメ作ってる人たちみんな三石琴乃に奇跡起こしてもらいたすぎだろ。そんな簡単に起きねえぞ奇跡。奇跡の価値を下げるなー!

元上官であり昔愛した男でもある碇ゲンドウを躊躇なく銃撃する赤木リツコ最高だった。

人じゃない人が多すぎ。

進撃の巨人に先取られたシーンが散見。

病気で死亡説まで流れた宮村優子が今作で誰よりも声張ってて感動した。
帰ってきてくれてありがとうみやむー。完結までに帰って来てくれてありがとう。愛してる。
愛河里花子とやってたラジオ毎週聴いてたよ。

結局結末は漫画版と同じってことかしら?
「使徒が襲ってこなかった場合の世界線」としてリセットされたってこと?
セラムン無印の最終話と同じ展開ってことなんかな。
ダレンシャン最終巻の展開と(以下略
なんか、あれだけの騒動を無かったことにするのはちょっとむしが良すぎる気もするが。
大人になって声変わりもしたシンジくん、衝撃だな。
あの子はずっと子供のままでいると思い込んでたからねえ。
アニメのなかのキャラクターは歳を取らない、そんな思い込みを蹴とばされたラストシーンだった。
あれ見終わってすぐは「君たちもいい加減大人になりなさいね」っていう安っぽいメッセージだと思って、「庵野なにその使い古されたお説教、やめろよ、らしくねえよ」って悲しくなった。

だって、そんな事言ったってアニメの世界で苦労させられるのは子供じゃないですか。
大人なんてエヴァに乗れって命令することしかできないじゃん。
自分たちが現場で戦闘するわけじゃないじゃん。
子供よりはるかに知識があって体力があって経験もある大人があんなに大勢組織にいるのに肝心なパイロットは中学生って、どういうことよ。
まあそれを言い出したらほとんどのアニメ作品は子供が感情移入しやすいように子供が大変な目に遭うようにできてるんだけどね。
要するにアニメって、大人になろう!っていうメッセージを送るわりには
作品内の「大人」を役立たずに描く傾向にあるんですよね。
そうなると大人になるってホントに大事なことなのかって疑問にぶち当たるんですよ。
疑問っつーか矛盾。
だからホントは大人になんかならなくてもいいんじゃないかと思うんですよね。
というのも、あのラストシーンだって結局はフィクションじゃないですか。
起きてしまった惨事をすべて無かったことにして再スタート☆
なんてこと現実世界ではできっこない。
だからあれは大人になることを励行しているように見えて実はまだSFを見せている。

ちょうど『俺の家の話』の9話で、同じような事言ってたんだよな。
家出した寿限無が実家に戻ってきたとき、寿一が尋ねるんですよ、この数カ月何してたって。
寿限無はいろいろ仕事探してたみたいなんだけど、子供の頃から能の稽古一筋だったから能以外できることがなくて、一歩家を出たらただの40代フリーターでしかないって嘆いてた。
これが現実なんですよ。
再スタートなんてそう簡単なものじゃないんです。
三つ子の魂百までっていうけど、自分の生き方を変えることって本当に難しいことなんですよね。
エヴァを降りた後の人生をそう簡単に手に入れられるはずはないんですよ。
だからあのシンジとマリの笑顔もフィクション、虚構、想像でしかないんです。現実とは程遠いもの。
制作側が、それを承知の上で観客に虚構を見せ続けているんだとしたら、
まだ私たちはフィクションを見続けていていいんだって、許しを得たことにならないかなあ。

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