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日記

海辺の大島さん

2020/07/12 22:56
感想
※女性差別に対しての個人的な意見が
書いてあります。ご注意。


初めて読んだ村上春樹作品が『海辺のカフカ』で、
それ以降一番好きな長編小説として自分史に燦然と
輝くことになるんですが、
好きなセリフやシーンを確認するために
ときどき読み返すようにしてるんですね。
で、せっかくなのでグッとくるシーンを
備忘録兼ご紹介のため、ここで引用させて
いただきたいと思います。


ストーリーをさくっと説明しますと、
15歳の少年が家出して高松にある
図書館で住み込みで働くことになり
そこで司書さんや館長さんとの交流を通して
自分自身を見つめ直すって感じのやつです。

簡単に説明するとこうなんですが
実際はそうじゃないです、もっと込み入った話です。
ハードカバー上下巻にわたって
そんな中学生の成長記みたいなもの
書くような人じゃないですから、世界のムラカミは。
なので、ちゃんと内容入れたい人はご自身で
読んでみてください。


前にも雑記で書いたような気がするんですが、
一番好きなキャラクターが『大島さん』っていって、
彼は小さな私設図書館で働く司書さんなんですが、
この図書館自体が公立のものではないので、
厳密にいうと司書というよりは
お手伝いさんみたいな立場の人でありまして、
作中ではこんなふうに描写されております。

『小柄な整った顔だちの青年だった。
 ハンサムというよりは、
 むしろ美しいと言ったほうが近いかもしれない。
 白いコットンのボタンダウンの長袖のシャツを着て、
 オリーブ・グリーンのチノパンツをはいている。
 どちらにもしわひとつない。
 髪の毛は長めで、うつむくと前髪が額に落ちて、
 それをときどき思いだしたように手ですくいあげる。
 シャツの袖が肘のところまで折られていて、
 ほっそりとした白い手首が見える。
 細くて繊細なフレームの眼鏡が
 顔のかたちによく似合っている。
 胸に「大島」と書かれた
 小さなプラスチックの札をつけている。
 彼は僕の知っているどんな図書館員ともちがっている。』


少女向けラノベ作品に出てきそうなキャラ設定じゃない?
まじかよ村上。
正気かよ村上。

大島さん、優しいし賢いし物腰柔らかだし
とても良いんです。とても好きなタイプの男子。
なので家出少年の田村カフカくんも
すぐに打ち解けてしまいます。

上巻の後半あたり、大島さんが
フェミニストを返り討ちにするシーンがあるんですけど
これがもう圧巻なので長尺で紹介させてください。
ここまじで好き。


導入を簡単に説明すると、

ある日図書館に二人連れの女性が来館する。
この二人はとある組織に属する人たちで、
『女性としての立場から、日本全国の文化公共施設の設備、
 使いやすさ、アクセスの公平性などを実地調査している』
のだそう。
それでこの図書館をくまなく検分なさったところ、
いくつかの問題点が見受けられると指摘されます。

女性専用の洗面所が無いだの、
著者の分類が男女別になっいるだの、
男性の著者が女性の著者より先に来ているだの。

『これは男女平等という原則に反し、
         公平性を欠いた処置です』

などとチクチク言って、
女性利用者に対するハラスメントじゃないかと
激昂するわけですね。

これに対し大島さんは、
女性の正当な権利を主張したいなら、
こんな小さな私立図書館で粗探しするよりも
もっと有効なことが他にあるでしょうと反論。
指摘通りここは不備だってあるし、限界もある。
でも精いっぱいのことはやってる。
僕らが出来ないでいることを見るよりは、
出来ていることのほうに目を向けてほしい、と。

『それがフェアネスというものではありませんか』

しかし二人組も引き下がらない。
大島さんが言っていることは結局のところ
責任回避の言い逃れにすぎない。
「現実」を盾にして自己を正当化しているだけだ、と。

『あなたはまさに
   男性性のパセティックな歴史的例です』

大島さんのことを
『典型的な差別主体としての男性的男性』と罵る二人。

『あなたは女性というジェンダー全体を二級市民化し、
 女性が当然受け取るべき権利を制限し剥奪しています。
 意図的にというよりはむしろ非自覚的にですが、
 そのぶんかえって罪が深いとも言えます。
 あなたがたは他社の痛みに鈍感になることによって
 男性としての既得権益を確保しているのです。
 そしてそのような無自覚性が女性に対して、
 社会に対して、どれほど悪を及ぼしているのかを
 見ようとはしません』。

細部から始めることで、社会全体の無自覚な差別を
減らしていくのだともっともらしく語るお二人。
それが自分たちの行動原則であり、
それはまた、
すべての心ある女性の感じていることでもある、と。

しかし大島さんは二人の言うことは
根本的に間違っていると告げる。

『僕は男性的男性の
  パセティックな歴史的例なんかじゃありません』

『僕は女だ』

大島さんが二人に自分の運転免許証を確認させる。
そこには戸籍上の性別が記されている。

つまり大島さんは差別する側の人間じゃなく、
ずっと差別される側の人間として生きてきたってことが
ここで分かるということですね。

『あなたがたの報告書にはなんなりとも
 ご自由にお書きください。
 どのように書かれても、
 我々はたぶん気にしないと思います。
 私たちはこれまでどこからの補助も受けず、指図も受けず、
 自分たちの考えるやり方で物事を進めてきましたし、
 これからもそうするつもりでいます』。


二人が帰ってしまったあとで、
大島さんが田村カフカくんに対して言う。

『僕はごらんのとおりの人間だから、
 これまでいろんなところで、
 いろんな意味で差別を受けてきた』

『差別されるのがどういうことなのか、
 それがどれくらい深く人を傷つけるのか、
 それは差別された人間にしかわからない。
 痛みというのは個別的なもので、
 そのあとには個別的な傷口が残る。
 だから公平さや公正さを求めるという点では、
 僕だって誰にもひけをとらないと思う。

 ただね、
 僕がそれよりもうんざりさせられるのは、
 想像力を欠いた人々だ。

 その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、
 無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、
 自分ではそのことに気づかないで
 表を歩きまわっている人間だ。
 そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、
 他人に無理に押し付けようとする人間だ。
 つまり早い話、さっきの二人組のような人間のことだよ』

『僕はそういうものを適当に笑い飛ばして
 やり過ごしてしまうことができない』


ネットの海で見かけるのがこの想像力を欠いた
“自称フェミニスト”なんですよね。
もうこんなのいっぱいいる。うんざりする。
私自身も差別される側の人間として生きて来たけど
この手のうつろな人間に救われたことなどないし、
共感も感謝もしたこともないし、
むしろ目障りだから山ほどブロックしてきた。

だけど大島さんはこの手の正義感振りかざし隊を
適当にあしらうことができない人。
ミュートもブロ解もできない、
どう転んでも生き辛い人。


やっぱ良いな、フェミニストを駆逐する大島さん。

人生の師だな。

コメント

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  • トランスジェンダーの男 (非ログイン)2020/07/23 03:19

    私はあなたの作品を愛し、賞賛し、あなたの作品を購入します。 しかし、私はもはやそうすることができません。 私はトランスジェンダーで、ほとんどすべての人がフェミニストです。