日記
映像研12話感想
2020/03/27 22:14考察感想
第12話 芝浜UFO大戦!
リアタイ直後の感想は「えっ!なんかモヤモヤする!」だったので脊髄反射で感想文書くのはよくないなと思ってちょっと熟考してたんですね。
なにがモヤモヤだったのかというとまず音楽の納品ミスがそう都合よく(というか都合悪く)起きるもんかね、なにかこう、ラストにちょっとトラブルあったほうが娯楽作品っぽいなーみたいな、アクシデントが起きたときこそ各々のやるべき事が見えてくるんやでみたいな、そういう安易な演出に見えてしまって1モヤっとでしょ。
つぎ、音楽に合わせてラストシーンを変えると宣言する浅草氏で2モヤっと。
いやたしかにね、11話の最終チェックのときからなんか納得してない感じの表情だったけどもさ。音楽はこれしかない!だけど完成させなければ意味がない!完成させるには考えるしかない!考えた結果はこれだ!の流れも分かるし、「実は大団円のラストはおかしいと思っていた」って最後までこだわりを貫くのも浅草氏っぽいとも思うのよ。
でもコンテ上げる段階で散々時間かかったのにさらに当初から決まってた宴のシーンを最後の最後で削りますって、これメンバーが浅草氏に全幅の信頼置いてるからこそ許されることであって普通なら激おこプンプンされて当然なんですよね。
3モヤっとはその修正内容なんだけど、
『人間とカッパが和解してハッピー!』
よりも
『お互いの捕虜が相手に降伏してエンド!』
にすることで本当に作品が良くなったのか、が疑問。
芝浜の街を盛り上げようってことで商工会が協力してくれた企画じゃないですか。前作までは校内での上映、つまり同年代または大人にウケればOKだったけれど、今作のUFO大戦は商店街での上映イベントも決まっていた。つまりチビっ子ウケも考慮しとかなければいけないものだったはずなんですね。『UFO同士の空戦は見映えするけど勝敗が決するシーンは無くラストもイマイチ盛り上がりに欠けるアニメ』を子どもが喜ぶかどうか、これは疑問です。簡単には理解し合えないってメッセージが間違ってるとは言わないしむしろ真理だからこれを無視することは出来ないって、分かってはいるけどこのメッセージを入れることで主旨がズレるような気もするんですよね。
4モヤっと。12話の後半は芝浜UFO大戦の本編映像がたっぷり長尺で流れるんですが、これってその、メタ的な見方になるんですけど、結局は大人が描いてるものじゃないですか。『映像研の作品というテイで見せているプロのアニメーターによる本格的なアニメーション』じゃないですか。だから(表現が横柄になりますけど)動きも音も「スゴくて当然」なわけで、それを長々と見せる意味は果たしてあるのか?と思うんですよ。いやね、これが観たくて12話までついて来た視聴者ももちろんいるのだろうけども。でもあのアニメーションは浅草氏が描いたものでも水崎氏が描いたものでもないじゃん…て。
しかしまさかあの湯浅政明監督が視聴者にモヤモヤいだかせるような最終回を世に放つはずはあるまい。
そんなわけで、監督の意図を可能な限り読み取りたいので最終回の分析を試みたいと思います。なんか、手放しで「面白かったー!」って言っちゃいけないような気がするんだよね、今回。
まず大いなる問題は『UFO大戦本編を修正して本当に良くなったのか』ですね。ラストシーンに音楽が合わないからやむを得ず修正することに、っていう流れなんだけど、音源のミスが無くてもたぶん浅草氏は「直したい」って言ってたと思うんですよ。時間に余裕があるなら直したいって。
『みんなが一斉にすべてを理解して、全員が同時に武器を捨て、お互いのテリトリーを侵さないよう、守り合い、一歩引き合って、友好のかたちに変わる。そういう大団円。………んなワケない!!!』
『世の中、大半は平和じゃない!完全な50-50など、この世に存在しない!』
真理。まさかあの浅草氏がこんな大人な発言するとは思いませんでしたよ。だって少し前まで水路でザブザブ遊んでませんでした?
たぶん11話の「児童総お友達説は妖怪信仰」が伏線になってるのかな。
でもね、これっていわゆる『定説』じゃないですか。理想は戦争のない世界なんだけど実際無くならないよねーっていう定説。原作版では『定説を描いてどうするんだ!?』って突っ込むほうの人なんですよね、浅草氏って。
『主人公を正義だと思い込んでる観客は裏切りたい!!「勝ったほうが正義」っていうのが常識なんだから、そんな話は描かない!』って言っちゃうような人。
なのに納期直前で定説に舵を取ったのはなぜか。
それは最終話のラストカットにヒントがあるんじゃないかと思うんですね。
全12話のラストを締めくくるのはGoogle Earthを逆再生したかのような、宇宙そして地球の全景です。この地球、よく見ると海の面積がだいぶ広いんですね。アニメの時代設定が現代よりも進んでいるので、未来の世界は地球全体の海面上昇によって陸地が少ない、という設定になってることが分かります。
映像研の3人が芝浜の街を探索するシーンでも『街が作られた当初よりも川の水面が上昇している』という描写が幾度となく出てきますよね。
なので、3人とも口にはしなかったけれど『いつかは街全体が水中に沈むかも』って予想できるわけじゃないですか。
水面の上昇により、人の住める陸地は少なくなる。
そうなると、陸地を離れて空へ、つまり宇宙への移住が始まるわけですね。月とか、火星とか。富裕層が今まさに月旅行の準備してる段階なので、もはや空想でもなんでもない話。
じゃあ富裕層じゃない一般ピープルはどうなるか。
狭い土地に高いビルを建てたり、海を埋め立てて人工の島を作ったり。
こないだ偶然テレビで観たんだけど、将来海中に都市を作る計画があるみたいなんですってね。ものすごい費用がかかるから実現するかどうかはホントに未来になってみないと分からんのですけど、とにかく、
映像研究同好会が作った『芝浜UFO大戦』は完全なフィクションではなく、今の生活の延長線上にある世界だってことが分かります。
浅草氏がそういう事を意識してあのシナリオを描き上げたかどうかは知らん。まったく無意識ってことも考えられる。
けど、『今は仲良くアニメ作ってるこの仲間たちともいつかは離ればなれになって、住む場所も環境もまったく変わってしまって、価値観の相違からかつての同胞と対立する関係になるかもしれない。そのとき自分はどうするのだろう』の答えとしてラストシーンの修正をおこなったのだとしたら、それはかなり浅草氏らしいし、あのシナリオにも納得してしまうなあと思うんですよ。
つまり、「考えるんだ!」は現在の浅草みどりが未来の自分へ宛てたメッセージなんですね。
「正しいと思うことが上手くいかなくても、考えて考えて、そのときベストだと思う行動をとり続ける!」
未来の浅草氏がこの宣誓を忘れてしまっても、今こうしてアニメーション作品として映像を残しておくことで、子どもの頃の誓いを未来の自分に届けることができるかもしれない。伝えたいのは宴ではなく誓い。そんな意図もあったのかもしれないなーと思うわけです。
そう考えると、浅草氏の描き溜めた街のスケッチも、百目鬼氏の録音した対岸の鐘の音も、とても意味のあるものに思えてきますね。
『その景色を遺せたなら 千年後の知らない誰かの目に 僕の声が突き刺さるような 鮮やかな色』
いつか無くなってしまう故郷の街並みや古い音を後世に残しておくこと。これって映像研の偉大な業績になると思うんですよね。めっちゃくちゃエモじゃないですか。エモすぎ。
こう書いてると『え、映像研ってカウボーイビバップの前日譚じゃん!』って感じがしてきます。18話で、フェイ宛てにビデオテープが届く回がありましたよね。スパイクもジェットもβテープを再生できる機械なんて持ってなくて、それで地球に降りてビデオデッキを探すんだけど色々あって借りて来られなくて。でも後日β用の再生デッキが船に届く。テープの中身は、地球に住んでいた頃の(たしか50年ぐらい昔の?)子どもの頃のフェイが未来の自分に宛てた他愛もないビデオメッセージだった。ってやつ。あの「未来の私へエールを贈ります」ってくだり、何回観ても泣けてきちゃうんだけど、映像研の最終回もきっと同じなんだろうな。よく分からんけどなぜか泣けちゃうんですよね。
あと気になったのは、UFO大戦本編の途中に、戦闘とは関係なく映る『錦鯉』。
色の違う鯉がスイスイ泳いでるから、『見た目は違うけどみんな同じ種族だよ』ってメッセージかなとおもったんですけど、それだったら別に鯉じゃなくてもいいよね。
じゃあ錦鯉にした理由とは?
正誤にかかわらず、ちょっとエモい逸話を発見したので貼っておきます。将来は仙人になろうと言っていた女子高生の未来の姿か。
とにもかくにも、3ヶ月めちゃくちゃ楽しませてもらいました。
2期来てほしいですね。
リアタイ直後の感想は「えっ!なんかモヤモヤする!」だったので脊髄反射で感想文書くのはよくないなと思ってちょっと熟考してたんですね。
なにがモヤモヤだったのかというとまず音楽の納品ミスがそう都合よく(というか都合悪く)起きるもんかね、なにかこう、ラストにちょっとトラブルあったほうが娯楽作品っぽいなーみたいな、アクシデントが起きたときこそ各々のやるべき事が見えてくるんやでみたいな、そういう安易な演出に見えてしまって1モヤっとでしょ。
つぎ、音楽に合わせてラストシーンを変えると宣言する浅草氏で2モヤっと。
いやたしかにね、11話の最終チェックのときからなんか納得してない感じの表情だったけどもさ。音楽はこれしかない!だけど完成させなければ意味がない!完成させるには考えるしかない!考えた結果はこれだ!の流れも分かるし、「実は大団円のラストはおかしいと思っていた」って最後までこだわりを貫くのも浅草氏っぽいとも思うのよ。
でもコンテ上げる段階で散々時間かかったのにさらに当初から決まってた宴のシーンを最後の最後で削りますって、これメンバーが浅草氏に全幅の信頼置いてるからこそ許されることであって普通なら激おこプンプンされて当然なんですよね。
3モヤっとはその修正内容なんだけど、
『人間とカッパが和解してハッピー!』
よりも
『お互いの捕虜が相手に降伏してエンド!』
にすることで本当に作品が良くなったのか、が疑問。
芝浜の街を盛り上げようってことで商工会が協力してくれた企画じゃないですか。前作までは校内での上映、つまり同年代または大人にウケればOKだったけれど、今作のUFO大戦は商店街での上映イベントも決まっていた。つまりチビっ子ウケも考慮しとかなければいけないものだったはずなんですね。『UFO同士の空戦は見映えするけど勝敗が決するシーンは無くラストもイマイチ盛り上がりに欠けるアニメ』を子どもが喜ぶかどうか、これは疑問です。簡単には理解し合えないってメッセージが間違ってるとは言わないしむしろ真理だからこれを無視することは出来ないって、分かってはいるけどこのメッセージを入れることで主旨がズレるような気もするんですよね。
4モヤっと。12話の後半は芝浜UFO大戦の本編映像がたっぷり長尺で流れるんですが、これってその、メタ的な見方になるんですけど、結局は大人が描いてるものじゃないですか。『映像研の作品というテイで見せているプロのアニメーターによる本格的なアニメーション』じゃないですか。だから(表現が横柄になりますけど)動きも音も「スゴくて当然」なわけで、それを長々と見せる意味は果たしてあるのか?と思うんですよ。いやね、これが観たくて12話までついて来た視聴者ももちろんいるのだろうけども。でもあのアニメーションは浅草氏が描いたものでも水崎氏が描いたものでもないじゃん…て。
しかしまさかあの湯浅政明監督が視聴者にモヤモヤいだかせるような最終回を世に放つはずはあるまい。
そんなわけで、監督の意図を可能な限り読み取りたいので最終回の分析を試みたいと思います。なんか、手放しで「面白かったー!」って言っちゃいけないような気がするんだよね、今回。
まず大いなる問題は『UFO大戦本編を修正して本当に良くなったのか』ですね。ラストシーンに音楽が合わないからやむを得ず修正することに、っていう流れなんだけど、音源のミスが無くてもたぶん浅草氏は「直したい」って言ってたと思うんですよ。時間に余裕があるなら直したいって。
『みんなが一斉にすべてを理解して、全員が同時に武器を捨て、お互いのテリトリーを侵さないよう、守り合い、一歩引き合って、友好のかたちに変わる。そういう大団円。………んなワケない!!!』
『世の中、大半は平和じゃない!完全な50-50など、この世に存在しない!』
真理。まさかあの浅草氏がこんな大人な発言するとは思いませんでしたよ。だって少し前まで水路でザブザブ遊んでませんでした?
たぶん11話の「児童総お友達説は妖怪信仰」が伏線になってるのかな。
でもね、これっていわゆる『定説』じゃないですか。理想は戦争のない世界なんだけど実際無くならないよねーっていう定説。原作版では『定説を描いてどうするんだ!?』って突っ込むほうの人なんですよね、浅草氏って。
『主人公を正義だと思い込んでる観客は裏切りたい!!「勝ったほうが正義」っていうのが常識なんだから、そんな話は描かない!』って言っちゃうような人。
なのに納期直前で定説に舵を取ったのはなぜか。
それは最終話のラストカットにヒントがあるんじゃないかと思うんですね。
全12話のラストを締めくくるのはGoogle Earthを逆再生したかのような、宇宙そして地球の全景です。この地球、よく見ると海の面積がだいぶ広いんですね。アニメの時代設定が現代よりも進んでいるので、未来の世界は地球全体の海面上昇によって陸地が少ない、という設定になってることが分かります。
映像研の3人が芝浜の街を探索するシーンでも『街が作られた当初よりも川の水面が上昇している』という描写が幾度となく出てきますよね。
なので、3人とも口にはしなかったけれど『いつかは街全体が水中に沈むかも』って予想できるわけじゃないですか。
水面の上昇により、人の住める陸地は少なくなる。
そうなると、陸地を離れて空へ、つまり宇宙への移住が始まるわけですね。月とか、火星とか。富裕層が今まさに月旅行の準備してる段階なので、もはや空想でもなんでもない話。
じゃあ富裕層じゃない一般ピープルはどうなるか。
狭い土地に高いビルを建てたり、海を埋め立てて人工の島を作ったり。
こないだ偶然テレビで観たんだけど、将来海中に都市を作る計画があるみたいなんですってね。ものすごい費用がかかるから実現するかどうかはホントに未来になってみないと分からんのですけど、とにかく、
映像研究同好会が作った『芝浜UFO大戦』は完全なフィクションではなく、今の生活の延長線上にある世界だってことが分かります。
浅草氏がそういう事を意識してあのシナリオを描き上げたかどうかは知らん。まったく無意識ってことも考えられる。
けど、『今は仲良くアニメ作ってるこの仲間たちともいつかは離ればなれになって、住む場所も環境もまったく変わってしまって、価値観の相違からかつての同胞と対立する関係になるかもしれない。そのとき自分はどうするのだろう』の答えとしてラストシーンの修正をおこなったのだとしたら、それはかなり浅草氏らしいし、あのシナリオにも納得してしまうなあと思うんですよ。
つまり、「考えるんだ!」は現在の浅草みどりが未来の自分へ宛てたメッセージなんですね。
「正しいと思うことが上手くいかなくても、考えて考えて、そのときベストだと思う行動をとり続ける!」
未来の浅草氏がこの宣誓を忘れてしまっても、今こうしてアニメーション作品として映像を残しておくことで、子どもの頃の誓いを未来の自分に届けることができるかもしれない。伝えたいのは宴ではなく誓い。そんな意図もあったのかもしれないなーと思うわけです。
そう考えると、浅草氏の描き溜めた街のスケッチも、百目鬼氏の録音した対岸の鐘の音も、とても意味のあるものに思えてきますね。
『その景色を遺せたなら 千年後の知らない誰かの目に 僕の声が突き刺さるような 鮮やかな色』
いつか無くなってしまう故郷の街並みや古い音を後世に残しておくこと。これって映像研の偉大な業績になると思うんですよね。めっちゃくちゃエモじゃないですか。エモすぎ。
こう書いてると『え、映像研ってカウボーイビバップの前日譚じゃん!』って感じがしてきます。18話で、フェイ宛てにビデオテープが届く回がありましたよね。スパイクもジェットもβテープを再生できる機械なんて持ってなくて、それで地球に降りてビデオデッキを探すんだけど色々あって借りて来られなくて。でも後日β用の再生デッキが船に届く。テープの中身は、地球に住んでいた頃の(たしか50年ぐらい昔の?)子どもの頃のフェイが未来の自分に宛てた他愛もないビデオメッセージだった。ってやつ。あの「未来の私へエールを贈ります」ってくだり、何回観ても泣けてきちゃうんだけど、映像研の最終回もきっと同じなんだろうな。よく分からんけどなぜか泣けちゃうんですよね。
あと気になったのは、UFO大戦本編の途中に、戦闘とは関係なく映る『錦鯉』。
色の違う鯉がスイスイ泳いでるから、『見た目は違うけどみんな同じ種族だよ』ってメッセージかなとおもったんですけど、それだったら別に鯉じゃなくてもいいよね。
じゃあ錦鯉にした理由とは?
正誤にかかわらず、ちょっとエモい逸話を発見したので貼っておきます。将来は仙人になろうと言っていた女子高生の未来の姿か。
とにもかくにも、3ヶ月めちゃくちゃ楽しませてもらいました。
2期来てほしいですね。