日記
論理的な思考能力とは
2019/09/09 23:55考察
岡田斗司夫氏の動画で論理的思考能力とは?を我々一般人のために噛み砕いて説明してくれたのがなかなか興味深かったので文字起こししてみました。
『論理的思考能力と、一般的な思考能力との違いはね、チェスとかウォーゲームとかあるじゃん、四角形のマスがあったり、で、その位置にしか置いちゃいけない。決まってる。これが論理的思考能力だ。
論理的な思考っていうのは、必ず決まったポイントにしか物を置いちゃいけなくて、それによって思考っていうのをドンドン進めていくんだ。
でも僕らはもっと曖昧な言葉で生きてるし、それどころか言葉にせずに生きてるじゃん?
なんかコイツ気に食う気に食わないっていうふうに考えるんじゃなくて、この人良い人だなとか嫌な奴だなっていう、思考の状態にまで持っていかずに、なんとなくヤな感じとかザラッとした気分っていうのだけで日々を生きてるよね。こういうのが非論理的な考え方っていうふうに、まあ今日のところは名付けてみよう。
つまり、(例えで)大人が飛行機とか自動車のオモチャを使って遊ぶときに、飛行機はバックしない、自動車は空を飛べない、こういう筋道を必ず守るよね。これが論理的思考能力。
でも子どもが自動車のオモチャを持ったらそりゃ持ちたいように持つし、動かしたいように動かす。これが非論理的思考能力みたいなもんだと思ってくれ。非論理的な思考能力のほうが自由度が高いしラクなんだ。でもそれは何が面白いのか、それは子どもにしか分からない場合がすごく多い。
それに対して論理的思考能力ってのはやることが限られてたり、守らなきゃいけない(列車はレールの上を走らなきゃいけない・車は道路の上しか走れない・信号が赤だったら止まらなきゃいけない)ルールがある。だから小さい子どもにしてみたら全ッ然面白くない。
ところが大人になればなるほどそうやってレイアウトを引いてミニチュアの車とか電車を動かすとゾクゾクするぐらい楽しい。大人になるとこのルールに縛られる中で精一杯遊んでルールを守って守って守ってがものすごく面白い。
これが論理的思考の本質的な楽しさと、非論理的思考のラクさ自由さの差なんだよ。』
ウテナのDVDに付いてたブックレットの中で、生徒会メンバーは卵の殻を破らねば~…とか言ってるわりには大人が(世界の果てが)決めた決闘のルールを真面目に守ってて、そんなんで世界を革命できるのかなみたいな指摘があったと思うんだけど、岡田氏の説明を踏まえた上で考えると、賢くて論理的な彼らはルールを守ることによって自分たちが大人であると主張してたわけだよね。大人としてこの決闘ゲームを楽しんでいるよ、みたいな。だけど後になってようやくこの決闘が全然面白くないことに気付く。気付くというか認める?自分たちはまだルールを楽しめる大人ではなく、自由さを求める子どもであるということを認める。
っていうのが37話で描かれていることなんじゃないかと今思いました。
『論理的思考能力と、一般的な思考能力との違いはね、チェスとかウォーゲームとかあるじゃん、四角形のマスがあったり、で、その位置にしか置いちゃいけない。決まってる。これが論理的思考能力だ。
論理的な思考っていうのは、必ず決まったポイントにしか物を置いちゃいけなくて、それによって思考っていうのをドンドン進めていくんだ。
でも僕らはもっと曖昧な言葉で生きてるし、それどころか言葉にせずに生きてるじゃん?
なんかコイツ気に食う気に食わないっていうふうに考えるんじゃなくて、この人良い人だなとか嫌な奴だなっていう、思考の状態にまで持っていかずに、なんとなくヤな感じとかザラッとした気分っていうのだけで日々を生きてるよね。こういうのが非論理的な考え方っていうふうに、まあ今日のところは名付けてみよう。
つまり、(例えで)大人が飛行機とか自動車のオモチャを使って遊ぶときに、飛行機はバックしない、自動車は空を飛べない、こういう筋道を必ず守るよね。これが論理的思考能力。
でも子どもが自動車のオモチャを持ったらそりゃ持ちたいように持つし、動かしたいように動かす。これが非論理的思考能力みたいなもんだと思ってくれ。非論理的な思考能力のほうが自由度が高いしラクなんだ。でもそれは何が面白いのか、それは子どもにしか分からない場合がすごく多い。
それに対して論理的思考能力ってのはやることが限られてたり、守らなきゃいけない(列車はレールの上を走らなきゃいけない・車は道路の上しか走れない・信号が赤だったら止まらなきゃいけない)ルールがある。だから小さい子どもにしてみたら全ッ然面白くない。
ところが大人になればなるほどそうやってレイアウトを引いてミニチュアの車とか電車を動かすとゾクゾクするぐらい楽しい。大人になるとこのルールに縛られる中で精一杯遊んでルールを守って守って守ってがものすごく面白い。
これが論理的思考の本質的な楽しさと、非論理的思考のラクさ自由さの差なんだよ。』
ウテナのDVDに付いてたブックレットの中で、生徒会メンバーは卵の殻を破らねば~…とか言ってるわりには大人が(世界の果てが)決めた決闘のルールを真面目に守ってて、そんなんで世界を革命できるのかなみたいな指摘があったと思うんだけど、岡田氏の説明を踏まえた上で考えると、賢くて論理的な彼らはルールを守ることによって自分たちが大人であると主張してたわけだよね。大人としてこの決闘ゲームを楽しんでいるよ、みたいな。だけど後になってようやくこの決闘が全然面白くないことに気付く。気付くというか認める?自分たちはまだルールを楽しめる大人ではなく、自由さを求める子どもであるということを認める。
っていうのが37話で描かれていることなんじゃないかと今思いました。
追記
この「論理的思考能力」ってのは4話の薫幹紹介回で出てきたワードですよ。