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10月25日(月)
「キャスト全員、クランクアップです!お疲れ様でした!!!」
やっと……やっとだ。7月から撮り始め、9月には終わるはずだった撮影が、やっと今、終わった。もう、10月も後半だ。この間に色々と起きすぎて、1年くらい撮っていたのではないかと錯覚してしまうほど。それくらい濃い現場だった。忙しくて大変な思いをしていた最初の頃が、なんだか懐かしい。
あの呪いの品に苦しめられたのがもう数ヶ月前の事だなんて信じられない思いだが、今はまた別の問題の真っ只中であるという事に、ここ数日胃を痛めていた。撮影が無事終わった事だし、明日にでも病院に行こうと考えていたが…。撮影メンバー達とクランクアップのお祝いをし家にたどり着いたところで限界を迎え、最終日だからと家の玄関まで付き添っていたマネージャーの目の前でとうとう血を吐いた。咳き込みながら、最近胃が痛むので、その類いだろうとぼんやりと他人事のように考えた。
とんぼ返りで病院に連れられて行くと「急性胃潰瘍だね」と即診断され即入院、即手術を勧められ「そんなに悪かったんだ…」と零すとマネージャーにはこっぴどく叱られたが、無事にドラマの撮影は終えたのだから良いだろう。
「マネージャー、しばらく、バキンちゃんのお世話をお願いしてもいい?これ、家の鍵。」
「バキン?あぁ、あのワンちゃんの事?」
数ヶ月前に借りたばかりの1LDKの仮住まいの鍵をマネージャーに手渡し、少し言い淀む。そして咄嗟に「露伴は今、年末に向けて忙しくてお世話できそうにないの」と返した私は偉いと思う。年末に向けて。それまでには退院しているだろうという勝手な判断だったが、私としても年内には露伴を見つけて連れ戻したいという、願望や目標を含んでいる。
「露伴は私の仕事に口出ししないでしょ?だから私も、なるべく露伴の邪魔はしたくないの。」
「…その分、俺の仕事が増えてる気がするんだが?…はぁ…、まぁ、いいよ。」
「ふふ、ありがとう。」
分かってもらえたようで、良かった。あとで、お世話の仕方を書いたメモを送らなければ。
「はぁ…、露伴…バキンちゃん…。」
完全個室の病室で発された愛しい人達の名前は、誰の耳に届くでもなく、溶けて消えてしまった。寂しい。露伴がいないと私は、こんなにも孤独なのだと気付かされた。
「露伴…。」
露伴に、会いたい。
11月10日(水)
まさか誕生日を病院で過ごすはめになるとは思わなかった。露伴もいないのだから別に何でもいいか、と考えたところで、ため息が漏れる。手術をしたとはいえ、私の体はどうやら未だいい状態とは言えないらしい。そりゃそうだ。ストレスの根源は、解決はおろか何ひとつ進展すらしていないのだから。
「ただいま、バキンちゃん。」
「おかえり。まだ完治はしてないんだから、ゆっくり休めよ。ドラマも撮り終わったし、しばらく仕事は入れないからな。」
「ありがとう、マネージャー。」
「S市に帰るんだろ?露伴先生によろしくな。」
「、はぁい。」
帰る、だろうか。いや、露伴が行方不明だというのに、帰らなずに何もしないという選択肢はない。問題はあの家に帰るかどうかだ。
スマートフォンを取り出しSNSで"岸辺露伴"を検索すると、集英社のアカウントやファンの人達の投稿がいくつも出てくる。中には私との話題もいくつかあったが、何ら変なところはない。
まだあの家には、あの若い女の子はいるだろうか?もしそうだとしたら、やっぱりあの家には、帰りたくない。
「帰るしかない、かぁ…。」
独り言のように呟いた言葉は、今度は壁に溶けていくことはなく、バキンの耳だけに届いた。
11月12日(金)
ガラガラと大荷物を引き、またS市まで帰ってきた。いつもと違い夜ではなく日中に新幹線に乗ってやってきた。この時間にここにいるのは、随分久しぶりな気がする。
「ここからは歩いて行こうか、バキンちゃん。」
バキンも気がつけば体がひと回り大きくなっていて、つい数ヶ月前に初めてうちに来た時と同じ子とは思えない成長っぷりだ。早く露伴とも、この子の成長を分かち合いたいものだが…。一体、どこにいるのだろうか。
「あっ、えっ、なまえちゃんっ…!?」
「!こんにちは。」
すっきりしない頭でボーッとしていたが、名前を呼ぶ声に咄嗟に笑顔を作りにこやかに応対する自分が、自分で少し怖く思った。本当に、自分が自分じゃないみたい。
「顔ちっちゃ…!睫毛なが…!握手…、はダメか。」
「ふふ、ありがとう。写真ならいいよ。一緒に撮ろう。」
「えっ、本当に…!?」
ファンの子がスマートフォンを弄っている間にバキンを抱っこして、用意された画面の方を見るといつもの、テレビで見るような自分自身が目に入った。いつも通りの、私。
(本当…いつもと変わらないな…。)
露伴といた時の自分は、どんな顔をしていただろう。露伴がいなければ、そんな事さえ分からない。
私はこの仕事をして初めて、嘘の表情を浮かべる自分が気持ち悪いと思った。
「ありがとうございます〜!!」
「こちらこそありがとうね。」
なんだか、せっかくのファンとの交流なのに、気分が悪い。バイバイ、と手を振って別れたところで、途端に疲労感がやってきた。
「…ふぅ……帰ろうか、バキンちゃん。」
こんなところで時間を潰していたって、なんにも解決しない。少し先に岸辺邸方向へ向かうバスのバス停があったはずだ。もう一度バキンをキャリーケースに入れて数分待てば来るはず。そうシフトチェンジをしたもののやはり帰るのはまだ勇気が出ず、バス停に向かう足は、重いままだった。
「なまえ…!」
「……ちょっと、これはどういう事?」
家へ帰ると、一体何があったのかは知らないが家中が荒れていた。いや、荒れ果てていた。おまけに口輪を着けているとはいえ家の中にワニがいて、驚いて腰を抜かすかと思った。何もかもが、以前とは違っていたのだ。
「君、今までどこにいたんだ?しばらく帰ってこないから、心配したんだぜ?」
「……あなた、どうして当たり前に私が帰ってくると思ってるの?」
「はは、さぁな。だが、こうして君は帰ってきただろ?」
「……帰りたくて、来てるんじゃないから…。」
「それでもいいさ。僕は君がいれば満足だ。」
そんなの嘘だ。私がいれば満足なら、あんな事をする必要はないのだから。
「私はゲストルームを使うから。どうせまだ、あの子がいるんでしょう?」
「ん?あぁ、そうだな。」
「大事な物だけ取らせて。そしたら、寝室はあなたと、あの子にあげるから。」
「?なぜ君だけ別の部屋に行くんだ?」
「…あなた、本質的なところは露伴と同じなんじゃないの?自分で考えて。」
「はは、つれないな。冗談じゃあないか。」
冗談、ね。あいにくだが、この男と冗談を言い合って、笑い合えるような関係になれるとは到底思えない。
話しているだけで既に若干疲れてきた。さっさと寝室から大事な物だけ取ってあとは部屋へ引き篭ろうと、寝室へ向かう私の後ろを露伴が着いてきていたが、もう何を言うのも疲れたと気にせずに扉を開け放った。そうしたらまぁ、予想通りあの女の子がいて、バッチリ目が合ったと思ったらその直後には睨みつけられた。普通、睨みつけるのは私の方なんじゃないだろうか?
「いいから。そこにいていいから。大事な物だけ取らせてね。」
お目当ての物は2つだけ。それが置いてあった場所には既に別の物が置かれていたが、どうやら壊されたり、捨てられたりはしていなさそうで内心ホッと胸を撫で下ろした。そしてもうひとつの方は壁に飾っていた額縁で。それを外そうと手を伸ばすと「えっ、それ持っていくの?やだ〜!」とあの子の間延びした声がかかった。
「……これは、宝物だから。」
「えぇ〜。でもでも〜、宝物なのにずっとここに放置してたじゃないですかぁ〜。」
「…これはね、新婚旅行でイタリアに行った時に撮ったの。私が、露伴のカメラで。」
「……。」
「だから、これはただの綺麗な露伴の写真じゃないの。幸せな思い出が詰まってるのよ。…露伴と、私のね。」
最後の一言は偽物の露伴に向けたものであったが、ちゃんと理解しただろうか。いや、きっと理解したはずだ。露伴とほぼ同じ頭脳を持っている、この男なら。
「じゃあ、やっぱりいらなーい。」
「そう。良かったわ、ありがとう。」
穏便に解決できるなら、その方がいい。用は済んだと踵を返すと露伴もまた後ろを着いてくるので思わず「なんで着いてくるの?ここにいなよ」と冷たい言葉を放つが彼はそんな事意にも介さず「君と話そうと思って」と一言。確かに、私もこの男には聞きたい事が山ほどある。女の子の刺すような視線から逃げるように、私達は寝室を後にした。
「それで、話したい事って?」
「僕は君と話せれば何でもいい。聞きたい事があるのは、君の方だろ。」
何だか、少々腹が立つ。が、こいつがここに来て初めて、対話をしようとしているのだ。次にいつこんなタイミングが来るかは分からないのだから、聞ける事は全部、聞いてしまわなければ。
はぁ、と一回ため息を吐いて、口を開いた。
「露伴は、どこなの?」
これが今の私の、私と露伴の、一番の問題だ。これさえ分かってしまえば、あとはきっと、どうにでもなる。ちゃんと答えてくれるだろうかと祈るような気持ちでじっと見つめる事数秒。ニコ、とおよそ露伴らしくない笑みを浮かべた目の前の男は、とうとう口を開いた。
「さぁな。僕にも分からん。分かったところで、君は"そこ"へは辿り着けない。」
「…なに、それ…。」
あやふやな言い方だが、どうやら適当を言っているわけではないらしいというのは、ただの勘だ。後半の言葉の意味を考えると、この世界ではないどこかにいるのではないかとファンタジーめいたものが思い浮かぶ。しかしいくらファンタジーめいていようと、露伴は今までそういったオカルトチックな事態に何度も陥った事があるのだ。それも加味すると充分に有り得る事ではあるが、それは私を絶望させるには充分だった。
「そんなの…私がどうこうできる問題じゃ……。」
きっとまた、露伴が面倒事に首を突っ込んでしまったのだ。好奇心に負けたのか、事故だったのかは分からないが、一層不安が募るばかりだ。
「安心しろよ。死んでないんだぜ。」
「!…本当に…?」
「あぁ。時が来れば、全て分かる。」
時が来れば…?これはもしかして、重大なヒントなのではないだろうか?
ひとまず生きてさえいてくれればいい。それが分かっただけで、不安がひとつ取り除かれた。無意識に力の篭っていた肩の力を抜き、落ち着かせるようにふぅ、と息を吐き出した。
「じゃあ、あなたはなんなの?どうして露伴の姿をしているの?」
「それは…僕にも分からない。自分がなんなのか、なぜここにいるのか。……君と、同じだ。」
「……。」
笑顔を浮かべて新しい質問に答える目の前の男が少し寂しそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。いや、もしかしたら私と同じであると言われて、少し同情してしまったのかもしれない。話題を、変えよう。
「あなたには、自分の意思はないの?漫画を描くのは、あなたの意思じゃなくて露伴の意思でしょう?」
「僕の意思?あるさ。君を傷つけて、泣かせるのが好きなんだ。泣いてる君は、最高にかわいいんだよ。」
ギラ、と瞳が光ったように見えて、思わず体がビクリと反応し、強ばる。コイツの前で、泣いた事なんてない。それなのにコイツのこの表情は、私が泣いているところを見た事がある時のそれだ。それに私だって。さっきの狂気を孕んだ表情に、無意識に怯えているのが分かる。前にも感じた、あの感覚。
「…私、あなたと会ったのは、あの時が初めて…よね?」
「……あぁ、今回は、な。」
まただ。また"今回は"という言葉。
この言葉が意味するのは、前回が存在する、という事。
「おいおい…顔色が悪いぜ、なまえ。」
「…いつ…、いったい、いつ、あなたと……。」
「いつでもいいじゃあないか。またこうして、君と会えたんだ。あぁそうだ。君が思い出すまで、こうしておこうか。」
ガチャ
「!…ろ、……何を…!」
嫌な金属音、そして腕に感じた、ヒヤリとした冷たさに視線を自身の腕に移すと、そこには所謂、手錠がかけられていて。長い鎖の向こう側は、海外製の重いベッドの脚へと繋がれた。
「僕は岸辺露伴そのもの。君の仕事の邪魔になる事は、どうしてもできなかった。…君、少し前にドラマの撮影が終わったんだろ?帰ってくるのを、ずっと待ってたんだぜ?」
捕まった。今までのは、全部私をここへ来させるために、計算されたものだった。何度目かの絶望感に、目眩がする。そして未だ完治していない胃も、途端にズキズキと痛んできた。
「…これで、ずっと君と一緒にいられる…。夢みたいだな、なまえ。」
夢みたい。本当に、これが夢だったら、良かったのに。