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夜中、1時半。
細心の注意を払って、物音を立てずに家の中へ入る事には成功した。電気はつけない。しー、とバキンに静かにしているようにとジェスチャーしてからキャリーケースの外へと出し、最低限トイレシートと寝床だけは準備した。足音を立てないように洗面所へと行って、暗闇の中手を洗い、耳を澄ます。いつも気づいた時には背後を取られていたが、今日は大丈夫だったらしい。
…いつも?私はいつ、露伴に背後を取られただろうか?あの偽物の露伴と会ったのはこの前が初めてで、後ろに立たれた事など、ないはずだが。
「…ふぅ…。」
とりあえず、今はそんな事はいいか、と小さく息を漏らして気持ちを切り替えた。今日ここへ来たのは、明日、露伴を探すためだ。今日はこのままバレないうちに眠ってしまって、明日の朝、シャワーを浴びてから外へ行こう。
あの偽物の露伴は、日中は恐らく、手を出しては来ない。…多分。
そんな記憶も私にはないはずだが、撮影の疲れもあり、気にしている余裕はなかった。
この日私はこの家に越してきてから初めて、1人寂しくリビングのソファで眠った。
いつの日か露伴に膝枕をしてもらった、温かい思い出の場所で、膝を抱えて。
「なまえ…?」
私の名前を呼ぶ声で、意識が急浮上する。パチ、と瞼を開けると窓の外は明るくなっており、朝になったのだと理解した。縮こまって眠ったので関節が軋む。あまりいい眠りだったとは言えないが、思っていたよりは眠れた。そんな感じだ。
「なまえ…、君、帰ってきていたのか…!」
喜びの感情を隠しきれないといった表情で私のもとへ駆け寄ってきて、ぎゅう、と私の体を抱きしめる、露伴の姿をした何か。寝起きの頭では、露伴の温もりと露伴の匂いに少し安心してしまって、混乱する。が、なんだか、違和感を感じる。
「君がこうして帰ってきてくれて、嬉しいよ。だが、今度からはきちんと連絡をしてくれ。」
本当に嬉しそうな声で、私を抱きしめる。が、やっぱり変だ。変というか…、この偽物の露伴はどういうわけかは知らないが、これまでは確かに露伴の匂いがしていたはず。いや、今も露伴の匂いはしているのだが、その匂いに混じって、知らない人の香りがする。そう、まるで若い女の子から香ってきそうな、フローラルで甘い香り。
思わずドン、と胸を押して、物理的距離をとる。
もしかして、まさか、この男は…!
嫌な予感が頭の中を駆け巡って、頭を振る。大丈夫、この男は露伴ではない。いや、違う。私だけがそれを知っているだけで、この男は周りから見れば岸辺露伴その人だ。私の気持ちは、今は大事じゃない。この男が岸辺露伴であろうがそうでなかろうが、世間的に見たら今、岸辺露伴は、みょうじなまえという妻がいながら女遊び…いや、不倫をしているという事で。そんなの、イメージダウンどころの騒ぎじゃない。
「…女の子、連れ込んでるの…?」
「!…あぁ、女の勘ってやつか?心配するな。君がなかなか帰ってこないから、代わりにな。君、ここで寝てたって事は夜のうちに帰ってきてたんだろ?起こしてくれたら、昨日は君を愛したのに。」
「……、…最低…。」
なぜこんな事を平然と言ってのける奴が、露伴の姿をしているのだろう。本当、文字通り、最低だ。
「露伴の姿で、あまり好き勝手やらないで。」
「あぁ。言っただろ?君に迷惑はかけない。…あれ?言ったか…?」
「?…何の話?」
「いや、こっちの話だ。改めて誓うよ。君の仕事の迷惑になる事はしない。」
「……、なにそれ…。」
どうせなら、私の迷惑になる事はしないと誓ってくれればいいのに。
神様に誓いを立てるように両手で私の手を握る露伴ではない露伴。何を言っているのかわけが分からないし、何を信じていいのかも分からない。本当に、何もかもが分からない。
「露伴先生ェ〜、おはよ〜。…え、みょうじなまえ…?」
「!」
「あぁ、君か。おはよう。昨日の夜遅くに帰ってきていたみたいだ。待っててくれ、なまえ。今コーヒーを淹れるから。」
「「……。」」
正妻と不倫相手を残し、露伴の偽物はキッチンの方へと去っていく。私達の間に流れる空気は、最悪だった。向こうはどうか知らないが、私は気まずい。彼女が、怒っているか悲しんでいるか、それを確かめる事ができなかった。
「…バキンちゃん、おはよう。今、朝ご飯あげるね。」
「わんっ」
気まずい空気に耐えられなくて、私は玄関の方にいるバキンのもとへ逃げた。
前にこの家に来た時は餌を貰えず小さくなって震えていたバキンは、あの後お腹を壊す事もなく無事、元気に戻った。あのままここにいたら、もしかしたら今頃死んでいたかもしれないと思うと手が震えそうになる。
「ふふ…バキンちゃん、今日は私と、お散歩に行こうね。」
「わふっ」
元気に生きていてくれているのを確かめるように頭を撫でると、柔らかくて温かくて、安心した。
「君、外に出るのか?あぁ、コーヒー淹れたぜ。」
不意に後ろからぎゅ、と抱きしめられて、不覚にも安心してしまった。何もかもが、露伴のそれと同じなのが悪い。
「……シャワーを浴びたらね。」
「僕も行くよ。せっかく君がいるんだから、少しでも一緒にいたい。また、今日の夜には帰るんだろ?」
「いや……。」
露伴が言う言葉ならばときめいただろうが、言ったのは偽物の露伴。それに…不穏な空気の発信元を見るとあの女の子が不満げに眉間に皺を寄せ唇を尖らせてこちらを見ていて、胃のあたりが痛んだ。
「…あの子と一緒に過ごしたら?」
なぜ、私が彼女に気を遣わなくてはならないのか。もう、面倒くさい。
「?せっかく君が帰ってきてるんだから、君を優先するに決まってるだろ。」
あぁ、これはもう、何を言ってもダメなやつだ。思い返してみれば今週のジャンプは偽物の露伴が描いたもののはずなのに何ら違和感は感じなかったし、休載の話を聞かないという事は偽物の露伴がきちんと原稿を仕上げているという事で。姿かたちが岸辺露伴になっただけでなく、仕事に対する熱意や想いはきっとそのままなのだ。つまりは、頑固なところは残っていると想定していい。
という事はつまり…露伴は私の事を恐ろしいくらい大事に想ってくれているという事が分かる。その肝心の愛し方を間違ってしまっているのだが。なんだか、それが分かったところで嬉しいような気がしないでもないのが困り物だ。私はこんな愛し方を、望んではいないのだから。こうなったら本物の露伴が帰ってきたら「露伴って、本当に心の底から私の事が好きなのね」とからかってやろう。そう、心に決めた。
「駅まで送るよ。」
「…ありがとう。」
今回も、収穫なし。そして今回も、前回同様にすんなりと私を解放する偽物の露伴。
怖い。そして気持ち悪い。
「君と過ごすと筆が乗るんだ。今日だけで19ページ描きあげられそうだ」と言っていたので、帰ったらきっと仕事部屋に籠るのだろう。
キッ、と少し高い音を立てて、車が停車する。どうやら駅に着いたらしいとシートベルトを外すと徐ろに露伴の手が私の手を包んで、思わずそちらに視線を送った。交わった視線の先の露伴の目は思いのほか真剣で、私もじっと見つめ返した。
「また、帰ってくるよな…?」
「……さぁ…分からない。」
「前にも言ったと思うが、僕が君を愛しているのは、本当だ。」
「そうね…。」
「…僕は君に捨てられたら、きっと何もかも手につかなくなってしまう。そんな気がしている。君に捨てられるのもそうだが、もしも漫画を描けなくなってしまったらと思うと、恐ろしくて仕方がないんだ。」
「…ッ!」
そんなの、狡い。露伴の姿でそんな事を言うなんて。私に対する、これ以上ない脅しだ。
「…本当、最低っ…!」
「…そうだな。だが、そうなったら君も、困るだろう?」
私も、露伴も、そんな事になってしまっては困る。この男はそれを利用して…、いや、それを盾にして、私を帰ってこさせようとしている。
いや…、案外、本当の事を言っているのかもしれない。
いつも自信満々な露伴の顔が、今は見る影もなく情けなく眉を下げているし、弱々しく笑う口元だって引き攣っている。これはきっと、演技なんかじゃないと、私の勘がそう告げている。
だからといって簡単に「帰ってくるよ」とは言えず。
「…もう、電車が来るから。」
それだけ言って、逃げた。
「くぅん…」
「バキンちゃん…。心配してくれて、ありがとう。」
本当の調子が狂うという事は、きっとこういう事だ。最低な奴のはずなのに厄介にも露伴の姿をして、最悪な形な形で心の奥底では私を必要としているような素振りを見せる。
本当、私はこれから、どう奴と接していけばいいのだろうか。