結婚してみる
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「露伴先生。先日ぶりです。」
待ち合わせ場所である料亭の個室。待ち合わせ時間5分前に到着したのだが、当然のように彼女は既にそこにいた。
いつもそうだ。早く着きすぎたな、と思っても彼女は既に先に待っているのだ。前に「わざわざ僕より先に来なくていい。僕は君の上司じゃあないぞ」と言ったのだが「たまたまですよ」と躱されたので、それからはこれは彼女の癖なのだと思う事にした。彼女は意外と頑固だから、言って直るものでもない。
「先生は、今日は日帰りですか?」
「いや、今日は近くにホテルを取ってる。」
これもいつもの事。会って挨拶を交わして、僕の帰りの時間を確認する。
会って30秒だが、ここまでで既に彼女の気遣いが3つあった。内2つは今言った、待ち合わせ時間よりも早く来る、帰りの時間を確認する。そしてあと1つは、この料亭を選んだ事だ。以前僕が「和食が好きだ」と言ったのを覚えていて、こうして会う時は7割は料亭を予約する。そしてどの料亭もハズレがない。これは憶測だが、予約する前に1度自身で足を運んでいるのではないかと思う。正気じゃないとは思うが、彼女ならばやりかねない。
「じゃあ、ゆっくりお話できますね。先生、なにか頼みますか?」
「いや、とりあえず水でいい。うっかり食事を摂り忘れて空腹なんだ。食事もここにあるものを食べてから頼むよ。」
「またですか?じゃあ、話し合いは後ですね。ゆっくり食べてください。」
「別に待たなくていいぞ。」
「いえ。私の愚痴を聞いてください。」
前菜を1口口に入れ、彼女を見る。先日彼女をヘブンズドアで読んだ時にはそんなものなかった気がするので、その後に何かがあったのだろう。
「あぁ、いいぜ。話してくれ。」
彼女が愚痴を零すなんて、そうそうあるもんじゃあない。珍しい事もあるものだと、少し興味が湧いた。
「先日あの後、マネージャーに報告したんです。結婚するかもって。そしたら、驚いて倒れちゃって。」
「…あぁ、僕も驚かれたよ。」
そういえば、康一くんには言ったが集英社には言ってないなと気付く。まぁ僕は彼女と違って、結婚したからといって報告義務はないのだが。
「それで、社長のところに連れて行かれて説明を求められたから、そのまま伝えたんです。」
「それで、社長はなんて?」
「相手は誰だ!って。」
「君、僕だって言ったんだろう?」
「言いましたよ。そしたら社長、なんて言ったと思います?」
珍しく表情を崩し、いかにも不満げであると主張する彼女。一体何を言われたらそんな顔になるのだろうか、と思い尋ねると「イケメン俳優なら良かったのに、って言ったんですよ!あの人!」とふざけた答えが返ってきた。
「そりゃあ事務所で人気絶頂中の君の結婚相手だ。イケメン俳優が相手なら話題性も出るしな。」
「話題性なら漫画家岸辺露伴だって充分です!というか、問題はそこじゃなくて!」
「はぁ?それ以外に何が問題なんだ?」
「先生だって綺麗なお顔してるじゃないですか!それこそ最近のイケメン俳優に負けないくらい!」
「……君、何言ってるんだ?」
なんだかズレている気がするのだが。彼女と話していると、自分がまともな人間なのではないかと思えてくる。
「イケメン俳優と露伴先生。違うのは職業だけでしょう?イケメンだからと成り行きで俳優やっているような人と、綺麗なお顔をひけらかさずに、ただ読者のために漫画を描いてる露伴先生を比べるなんて!」
「!」
綺麗な顔、というのは同意し兼ねるが、彼女の怒ったポイントは僕にとって1番重要なところだった。彼女は変な奴だが、人の事をよく見ている。いや、これは…7年の付き合いの賜物か。
「まぁいいじゃあないか。別に、世間にひけらかしたり、祝福してもらいたくて結婚するわけじゃあないんだし。」
「……そう、ですね。ふふ、ほんとだ。」
フッと顔を綻ばせて笑う彼女の精神状態は果たして正常だろうかと、少し心配になった。本人曰く"切り替えが早い"のだそうだが、その切り替えの早さが精神状態の悪さではなく、俳優をしている故のものだと願いたい。
目の前で「これ美味しいですね」と幸せそうな彼女を見て、今が幸せそうならいいか、と僕も止まっていた箸を再び動かした。
「今日の本題ですけど、これを。」
テーブルの上を片付けてもらい、いよいよ話し合いが始まった。彼女の言葉と同時に差し出されたタブレットの画面には文字が羅列してあり、思いついたものを書き出してきてくれたようである。
「君、忙しいのによくこんなに書いたな。」
「待ち時間の間に思いついたものを追加していっただけですよ。ただのメモです。」
ただのメモにしては大まかに分類されていたり行間が読みやすかったり。最初から僕に読んでもらう事を前提に作られたのだと分かる。全く、彼女は仕事ができすぎる。
「早めに決めなくてはならないのは、"お互いの呼び方"、"馴れ初め"、"いつから杜王町に住むか"か。」
「あ、その前に。私から露伴先生へお願いがあるので、そちらを先に。えーと…。」
スッスッと向かい側からタブレットに触れる彼女の手。向こうからでは見づらかったらしく、ム、と一瞬口を窄めた彼女は「すみません」と一言謝罪をし、僕の隣へとやってきた。こんなに近づいたのは初めてで…いや、彼女を助けた時にもっと近づいた事はあるが、それ以外で彼女をこんなに間近で見たのは初めてだった。
世間の評価通り彼女の見目は整っている。その上、仕事柄自身で自分の体型の管理をしているだけあって無駄な肉はないし、しかし必要な肉なちゃんと残っている。歯に衣着せぬ言い方をすれば、女性らしい体だ。内面の話をすると、彼女は変な奴ではあるが、決して倫理から外れた事はしない。尊敬した人には気遣いを忘れないし、気立てもいい。
ここまでで僕が何を思ったか。
それは"本当に僕はこの子と結婚するのか"という事だ。
彼女を好きだという人はたくさん、それこそ星の数ほどいるだろう。その中に、彼女の変な部分も受け入れてやれる人がいるのではないだろうかと考えた。別に、僕じゃあなくとも、と。
しかし。しかしだ。彼女は僕に頼んできた。他でもない、この岸辺露伴に。
そこに恋愛感情が含まれているかどうかは分からないし、むしろ今は関係ない。ただ単純に、優越感を感じてしまう。変わったところがあるだけで、世間からも評価されているこのみょうじなまえという女性が、僕と夫婦になるという事実が、強制的に優越感に浸らようとしてくるのだ。そう考えると、彼女は実は危ない奴なのかもしれないと、この結婚を受け入れた事を少しだけ後悔した。
「あった。別のところに入れてました。…先生、もしかしてお疲れですか?」
「いや、なんでもない。読ませてもらうよ。」
手元に戻ってきたタブレットへ思考を戻す。なんだか彼女には全て見透かされそうで、先程の自分の考えがバレないようにと、目の前を流れる文字に集中した。