動かない
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「つまり、ホットサマー・マーサのデザインが盗用だと⋯⋯、君はそう⋯言ってるのか?」
「先生ェ〜!ホットサマー・マーサが盗用とまでは私、申してません!」
これは少々、面倒な事になったな⋯と頭を抱えた。
PCを使ってのオンラインでの打ち合わせ。その相手は僕の担当編集者の泉京香で、あろう事か僕の拘りを詰め込んで描いたホットサマー・マーサのデザインに問題があると言い出したのだ。彼女にあけすけな物言いをされるのは、同じように包み隠さずなんでも話してくれるなまえに言われるのとは違いどうにも気に入らない。なまえは中立の立場で物事を見るのに対し、泉京香は編集者の立場で懸念点を上げているからだ。それは編集者としては正しいのかも知れないが、それに大人しく従うのは漫画家・岸辺露伴として有り得ない事だ。
「ハァ⋯⋯。」
椅子に深く腰かけ、ため息を吐く。先日このホットサマー・マーサの原稿を撮ってなまえへと送ったが、予想した通り"かわいい!"と最初に一言あった。そしてそれ以上に僕の拘りをしっかりと理解し長々と感想をくれた。僕のファンであるならば、そういう風に受け取ってくれるはずなのに⋯、と思わずにはいられない。
「む⋯⋯、⋯またか⋯。」
うんざりして何気なくさ迷わせた視線の端に、見覚えのある女の子が1人。この前うちの敷地内に勝手に入ってきた奴だ、とすぐに気がついた。
「君、そこはうちの庭だよ。勝手に入ってきちゃあ駄目だ。」
「露伴先生ェ〜〜!大ファンなんですっ!先生超大好きッ!!」
一応声は掛けたが、相変わらず話が通じているような、いないような。しかしあんなに素直にファンだと言われると、さすがの僕も強く言う事も憚られる。
「ありがとう。でも以前、サインを2回あげたよ。とにかくね⋯庭から出ていって欲しい。」
「叱られちゃったぁ。はぁ〜い!」
「⋯先生、その子敷地へ入ってるんですか?あたし、これから仕事場に伺いますよ。打ち合わせもありますし、彼女にはあたしの方からちゃんと注意しておきます。」
「いや、そこまでしなくても、⋯ッあぁ!!」
振り返りざまに腕が当たりガシャ、と音を立ててインクが倒れた。クソッ!なんなんだ、次から次へと⋯!
「原稿が⋯!マスクのせいだ!こんなのいつまでするんだよ!酸素が脳へ行かずバカになるぞ!!」
こんな姿、とてもじゃないがなまえには見せられない。あと少しすればなまえが帰ってくるが、それは根本的な解決にならない。彼女に会って寂しさは埋められても、外を自由に出歩けないのは依然、変わらないのだ。取材に行って自分で見たもの、感じたものを理解しなければ、僕は満足に漫画も描けない。その事に改めて気付かされた。
「散歩してくる。バキン、行こう。」
僕は病んでいるのかな⋯無縁とは思っていたが⋯、鬱ってヤツなのかもしれない。生きている心地がしない。頭が正常じゃない感覚。
プルルルル──
「⋯なまえ⋯。⋯もしもし。」
珍しい時間帯のなまえからの電話に、一瞬出るのを躊躇ってしまった。何も上手くいかないいま彼女と話して、劣等感を抱きたくなかったという、幼稚な理由だ。しかし彼女の包み込むような優しさを感じたい気持ちの方が強く、意を決して通話ボタンを押した。
"もしもし"
その一言しか発していないのに、それだけで何かを察したなまえは第一声に「露伴、大丈夫?」と優しい声で僕の不安を優しく包み込んだ。
「⋯⋯大丈夫だ。」
「ごめん、聞き方を間違えたね。そうだなぁ⋯。ねぇ、露伴。何か、思う事があるんでしょう?私はいつだって露伴の事知りたいし、なんでも話してほしい。⋯強制はしないけどね。私は露伴のどんなところだって好きな自信があるの。今はヘブンズドアで読んでもらえないから信じられるか分からないけど、それだけは覚えておいて。」
"どんなところだって好き"だって?それは、なまえが僕の、自分でもどうしようもない、面倒臭い性格を知らないからだ。いつもなまえを前にすると消えてしまう、わがままでひねくれていて、負けず嫌いで頑固な子供みたいな僕を、今さら曝け出せというのか。いや⋯違う。きっとなまえは、僕が元々そういう奴だって事ぐらい知っている。というより、知らなくとも⋯なまえは本当に、僕の全てを受け入れて愛してくれる。そういえば、そういう奴だった。そういう、変な奴なんだ、なまえは。
「⋯取材ができなくて、フラストレーションが溜まっているんだ。さっきだって、編集者の泉くん相手に大声を出してしまった⋯。」
「そうだったんだ⋯。⋯取材に行けないのは、露伴にとっては1番辛い事だよね。私は撮影で外に出られるけど、露伴はずっと家の中だし⋯。」
「あぁ。バキンの散歩で近所を歩くくらいだ。今も打ち合わせが捗らなくて、散歩に出てきたところなんだ。」
一度口を開くと、驚くほどスラスラと口が動く。なまえは人の話を聞くのが上手い。いつもは僕の方が聞き役になる方が多いが、仕事柄人の話を聞く方が多いためだろう。話しているうちに、少しは楽になってきた気がする。もしも女優じゃなかったら、カウンセラーなんて向いているんじゃあないだろうか。
「今日の杜王町の天気は?」
「⋯快晴とは言えないが、晴れてるな。」
「蝉も鳴いてるね。今日は暑いんじゃない?水分補給は忘れずにね。」
「あぁ⋯そうだな。」
当たり障りのない会話をすれば、もう鬱々とした感情は消え去った。一体何がどうなっているのかは分からないが、心が浄化されたような、そんな不思議な感覚だ。
「太陽の熱は、どんな風に肌を焼く?風は、どっちからどのくらいの強さで吹いてる?葉っぱの緑はどれくらいの濃さで、空の色はどのくらいの青さ?」
「っ、⋯!」
なまえの問いかけを聞いて、ハッとして顔を上げる。そう、上げたのだ。僕は今まで、下を向いて歩いていた。無意識に。
辺りに視線をさ迷わせて、胸を震わせた。
日差しの強さ、風の動き、緑の濃さ、空気の匂い、空の青さ、人の流れ。そのどれもが、鮮明に感じられる。思考がクリアになる。
「君⋯⋯、本当に最高だよ。今すぐ君を抱きしめてキスをして、ここでクルクル回りたい気分だ。」
「⋯それは⋯、あとでじゃダメ?明後日には一度帰るから。」
「ははッ!いや、あとでも構わないよ。とにかく、感謝している。君と一緒になれて、僕は本当に幸せだ。」
「は⋯⋯、⋯っ、⋯露伴⋯、それ、次に会った時、もう一度言ってくれる⋯ッ!?」
「それは断る。」
というよりも、なまえと一緒にいれば今みたいな事はあと何度かあるだろうと確信があるからだ。別に、無理に何度も言わなくてもまた、絶対に、機会があるはずだ。
「あぁ〜!露伴⋯意地悪⋯。⋯、あ、そろそろ行かなきゃ。」
「あぁ、悪かったな。君、何か用があったんじゃあないのか?」
「用は済んだから大丈夫だよ。⋯露伴、最近無理してるんじゃないかって心配だったから。」
「⋯⋯君の観察眼の鋭さには敵わないな。」
「ふふ、露伴に褒められるならよっぽどだね。じゃ、またあとでね。」
「あぁ、じゃあな。」
プツ、と通話が途切れ、スマートフォンをポケットへ戻す。足元でバキンがこちらを見上げているのと目が合って、散歩中だというのを忘れて話し込んでしまった事に気がついた。
「ごめんな、バキン」と抱き上げると頭をこちらに擦り寄せてくるので、その頭を撫でてやった。
僕はどうやら犬にまで、心配されていたらしい。