動かない
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「露伴、そっちはどう?ストレスの発散とか、できてる?」
「いや…ほぼ外にすら出ていない。バキンの散歩の時くらいだ。」
「そう…。露伴も、大変なのね。」
彼女が家に帰れなくなってから、既に1ヶ月が過ぎた。その間彼女は一度も帰ってきていないし、それは僕らが1ヶ月の間会っていない事を意味する。正直、精神的にかなり参っている。それは僕も彼女も同じだが…僕にはバキンがいる分いくらかマシなんじゃあないだろうか。タブレット越しに見る彼女は、精神的にかなり疲れているように見える。
彼女が言うには、毎日ホテルと現場の往復でスタッフも最小限。その上会話も最小限にという体制を取っているらしい。それでも撮影の際は100パーセントのパフォーマンスをしている彼女を、素直に尊敬する。
「わふっ」
「バキンちゃ〜ん。私の事、忘れないでね…。うぅ…、かわいい…。」
「…おい、君いま、スクショしただろ。」
「ふふ、したよ。だってバキンちゃんが露伴の膝の上に乗ってるの、かわいすぎるもの。毎日寝る前に見よ。あぁ〜バキンちゃんと仲良しの露伴かわいい〜。露伴に懐いてるバキンちゃんもかわいい〜。」
「……相当疲れてるな…。」
そんなもので癒されるのなら、構わないか…。と思ったが、かわいい発言はいい加減どうにかしてほしい。アラサーだぞ、僕は。
「露伴…、好き。…会いたいよ。」
「…あぁ…、僕もだ。」
「わんっ」
「…ふふっ、バキンちゃんも好きよ。ごめんね。」
この期間に、いつか終わりは来るのだろうか。いや、きっと来るのだろうが、全く想像がつかない。もしも終わりが来たのなら、会えなかった分たくさん触れ合って、たくさん抱きしめて、飽きるほどにキスをしたい。
「はぁ…、行かなきゃ。じゃあね、露伴、バキンちゃん。また夜にね。」
「あぁ。体に気をつけて。」
「ありがと。露伴もね。」
この終わりの見えない遠距離期間に変化が訪れたのは、それからさらに2週間後の事だった。
熱がなく予防接種をきちんと受けていれば遠距離でも移動しても良いと政府が宣言した事で、撮影チーム内の規制もいくらか緩くなったのだ。そのおかげで、移動の前後には検査を受けなくてはいけないが、1週間に一度設けられているオフの日に帰ってこられるようになったのだと、彼女が嬉しそうに話してくれた。
「やっと2人に会える…!」
「良かったな、バキン。なまえが帰ってくるってよ。」
「も〜かわいい〜!私にも抱っこさせてね、バキンちゃん!」
またしても"かわいい"なんて言っているが…やっと彼女に会えるのだから、今は何も言うまい。
「…会えると分かっただけで、安心したよ。」
やはり終わりはあったのだと、肩の力が抜けたところでまたしてもスクショの動き。「おい」と一声かけるも返事はなく、頬に手を当てて表情を緩ませるだけだった。
「待て。今何を撮った。」
「えへへ…。露伴のベストショット撮れた。かわいいっていうか、美人さんなやつ。はぁ〜…モデルさんみたい。露伴、写真集出してよ。私、毎日見るから。」
「…出すわけないだろ。」
緩みきった彼女の顔はお世辞を言っているようには見えない。というか、彼女はいつも僕に対して素直に、正直に全て打ち明けるのできっと本心なのだろう。…恥ずかしい奴。そらに彼女みたいなとびきりの美人に言われると、さすがの僕も反応に困る。
「新婚旅行の時の露伴の写真も見たいなぁ…。帰ったらたくさん見るんだから。」
「あの写真か…。君がいないから、僕が毎日自分の顔を眺める羽目になってるんだぞ。」
だから早く帰ってこいよ、とは言葉にしなかったが、きっと彼女には伝わった事だろう。全く、わざわざ引き伸ばして額縁に入れやがって。
「ふふ。…早く、会いたいな。」
頬杖をついてはにかむ彼女があまりにかわいくて、お返しにスクショを撮ると「あ、今撮った」と目敏く指摘が入る。そりゃ今のは、撮るだろ。
「今の私、かわいかった?」
「あぁ。誰にも見せたくないくらいにな。」
「も〜!露伴大好き!お礼に、もっと撮ってもいいよ。」
「はは、そりゃ有難いな。」
久しぶりの、和やかな時間。先の見えない暗闇に、僅かに光が差した瞬間、というところだろうか。もう少ししたら彼女に会える。彼女に触れられるのだと思ったら、安心できた。
それなのに、それは叶わなかった。一体どこで何を間違ったのか分からないが、僕と彼女が想像していた通りに会う事は、できなかったのだ。
「わんっ!」
「…あぁバキン…、おはよう…。」
いつものようにバキンに起こされ、ベッドを出る。キッチンへ向かう道すがらバキンの散らかしたおもちゃを拾い、おもちゃ箱へと放り投げる。いつもの流れ。しかしあと数日もすれば、なまえが帰ってくる。たった1日だけだが、それが未だかつて無いほど待ち遠しく、なんだか妙な気分だ。
「…今日は、残りの原稿を描くか…。」
彼女が無理をしながらも1人で頑張っているのを知っている手前言い出せずにいるが、僕は僕で内心、かなりのストレスを溜めていた。元来家の中に篭り切りでいる事ができないたちの僕は、このコロナ禍という縛りつけはなかなかに堪えている。なまえと話している間はそれを忘れていられるのだが…。取材に行けないのはやはり、僕にとって耐え難い事だった。筆の進みが通常時よりも遅いのが、それを物語っている。本当に、嫌になる。
「ほら、バキン。……ん?」
バキンに朝飯をあげ、自分のコーヒーを淹れようとキッチンに立つと、窓の外で何かが動いたような気配。そぉっとロールカーテンを引くと確かに女の子が1人いて、バチ、と視線がかち合った。知らない女の子だ。
「…君、そこで何してる。そこはうちの敷地なんだが?」
窓を開けて声をかけるとニコ、と悪気のなさそうな笑顔を浮かべて「おはようございます、露伴先生!私、露伴先生のファンですッ!」と一言。そういう事を言っているんじゃあないんだが…。怒る気も失せるほどに純粋な笑顔だった。まるで、なまえのように。
「あぁ、それは嬉しいよ。ありがとう。」
「キャ〜!先生、サイン下さいっ!」
「それは構わんが、勝手に敷地内に入るのは頂けないな。⋯ほら、これを持って、帰るんだ。もしも僕が今通報したら君、捕まるぜ?」
「そうなんだぁ…。分かりました!露伴先生、ばいば〜い!」
……変な奴だな。
しかし、サインをあげたらすんなりと帰っていく辺り、話は一応通じるらしい。敷地内から彼女が出ていくのをしっかり確認してから、窓を閉め、机に向かった。
今描いているのは、新しいキャラクターがメインで動くシーンで、このキャラクターというのがなかなか自分自身でも気に入っている。特に、デザインが、だ。
カシャ、とスマートフォンで写真を撮り、なまえ宛に送信する。今は撮影中だろうから、時間ができた時にでも返事を返してくれるだろう。返信内容はきっと"かわいい!"から始まるに違いない。