動かない
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「君、僕以外にも好きなもの、あったじゃあないか。」
「えっ?」
露伴はそう言って、ガシ、と私の肩を掴んで見下ろした。露伴以外に、好きなもの?私が?さっきの会話で、そんなものあっただろうか?
「あ、ロールケーキ?」
「…違う。どうしてこういう時だけ鈍いんだ。…由花子だよ。君、由花子の名前を出しただけで目の色を変えただろ?」
由花子。由花子ちゃん。
確かに、言われてみればそうだ。
私はずっと、由花子ちゃんに会いたいと思っている。だが、最初からこの熱量だっただろうか?いや、そんな事はなかった。杜王町で暮らして康一くんや仗助くんとは知り合えたが、同性の、女の子の知り合いがいなかった。それは今もだ。だから余計に、私は由花子ちゃんと会って、お話がしたい。そしてできる事ならば、お友達になりたい。それがなかなか叶わなくて、私は今、由花子ちゃんに…、言うなれば、執着している、といったところだ。
「好き…なのかな?でも言われてみたら、そうなのかも。由花子ちゃんと会って、仲良くなりた、…っ!」
突然、視界が悪くなった。いや、露伴に抱きしめられている。ドラマの、撮影現場の片隅で。急に。
「相手が由花子なのが気に食わんが……、良かったな、なまえ…。」
扉の向こうではスタッフ達の話し声や準備をしている作業音が聞こえてくるし、露伴の匂いや温もりを感じて心臓がうるさいし頭が混乱しそうだったが、露伴の私を抱きしめる腕の力強さと絞り出すような声が私の涙腺を刺激して、なんだか涙が出てきた。
「ありがとう…露伴…。私の事なのに、喜んでくれて…。」
「当たり前だろ…!」
「私…露伴のおかげで、好きなものができたよ。」
「僕は、由花子の事に関しては何もしてないだろ。なんでもかんでも僕のおかげにするなよ。」
「…違う…違うの、露伴。」
露伴が力になると言ってくれなければ、私はきっとそのまま、何が好きか、何が嫌いか分からないまま生きていた。それが私の当たり前で、もう変わる事はないと思っていたから。だけど露伴が、力になると言ってくれたから、その一言があったから、私は意識を変える事ができた。それは紛れもなく露伴のおかげだ。
「由花子ちゃんの事は好きだけど…、やっぱり…、露伴が一番好き……。大好き…、好き、露伴…。」
「あぁ…、僕も君が、愛おしくて仕方ない。…ほら、そんなに泣くな。撮影はこれからだぜ?」
私だけが好きだと思っていたのに、いつの間にか露伴も私を好きになってくれて、支えてくれる。こんなに幸せな事って、これ以上にあるのだろうか。
「んん…、むり…。ッ、ろはん…なみだ止めて…。」
「…あぁ、分かった…。」
「!」
露伴の顔が近づいてきたかと思うと、ちゅ、と音を立てて露伴の唇が涙を吸い取っていった。私はてっきりヘブンズドアを使ってくれるものと思っていて、あまりの驚きに思考が停止し一瞬で涙は止まった。え、そういう事…?
「ん…、待って露伴…!とま、止まったから…!」
「…もう?…いや、まだ止まってないんじゃあないか?」
「ろ、…んぅ…!」
そんなつもりじゃなかったのに、露伴に火がついてしまった。これから撮影だっていうのに、露伴の火が私にまで引火してしまう。
この日の撮影は私が珍しく何度かNGを出してしまい(納得できなくて自ら出して撮り直してもらった)撤収までいつもの時間よりも1時間ほど押してしまったのだった。
「なまえさん、おはようございます。露伴先生も、お疲れ様です。」
「宮城くん。おはよう。今日もよろしくね。」
今日はいつものスタジオとは別の場所で撮影で、珍しく昼からの撮影だ。いつも私よりも先に現場入りしている宮城くんは今回のこのドラマの主役を務める若手俳優で、私よりも3歳ほど若い男の子だ。前にも現場が一緒だった事があったが実力は確かなもので、一緒に撮影に挑む事でこちらが刺激を受けることもしばしば。ちなみに本で指を切った時に撮影を止めてくれたのも彼だった。
「なまえさん、昨日は差し入れありがとうございました。」
「宮城くんも食べた?あれ美味しいよね。また今度買ってこようかな。」
「はは、それは楽しみですね。ですが今日はお返しにと思って、マドレーヌの差し入れを持ってきたんです。なまえさんも露伴先生も、良かったら食べてください。」
「本当?露伴、ありがたく戴きましょう!」
「フッ…、毎日ここの現場にいたら、太りそうだな。」
「そんなに簡単には太らないよ。ちゃーんと体型管理してますから!」
「なまえさんも露伴先生も、日常的に運動されてるんですか?特に露伴先生は漫画家さんなのに、とても良い体つきしてますよね。」
何だか宮城くん、いつにも増して積極的だなぁ。露伴が取材に入って3日目でみんなも慣れてきて囲まれる事が無くなったから、もしかしたら今までは遠慮していたのかもしれない。
「おはようございま〜す!きゃっ…!」
和やかな雰囲気の中、花園かのんが現場入りするなりよろめいて、それを露伴が受け止めた。というより、露伴に向かって倒れ込んだという方が正しいが。内心、面白くはない。
「かのんちゃん、大丈夫?」
「はい…、露伴先生が受け止めてくれたので。ごめんなさい、露伴先生。」
「いや…、別に構わんが。」
「…?露伴?」
「あぁ、どうかしたか?なまえ。」
「…うぅん。なんでもない。」
一瞬、露伴の表情に違和感を感じたのだが、どんな違和感なのかと言われると、……よく分からない。ただの、気のせいかもしれない。
「…着替えてくるね。」
既に露伴からは先ほど感じた少しの違和感は消え失せており、宮城くんとの会話に戻っている。やっぱり、ただの気のせいか。少しかのんちゃんに対して、過敏になりすぎているのかもしれない。リップの件で疑われてもおかしくないこの状況で、向こうも下手な動きはしないだろう。
そう考えていたこの時の私は、まだまだ考えが甘かったのかもしれない。露伴が毎日一緒にいて、危機感が薄れていた。だから、この時感じた小さな違和感を、後回しにしてしまったのだ。