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「大丈夫?露伴…。」
私の怪我で止まってしまっていたシーンの撮影が終わり、今は次のシーンの撮影の移動待ちのための準備時間だ。小道具置き場で1人立ち尽くしている露伴が何をしているのかと思えば、あの時の本を片手にもう片方の手を見つめていて、同じように血を流していたので驚いた。
「あぁ、大丈夫だ、問題ない。」
手当をしている間も何かを考え込むようにうわの空で、何か、露伴には気になる事でもあるのだろうか。
「露伴先生、なまえさん。そろそろ出られるそうです。」
「あぁ。行こうか、なまえ。」
次の撮影場所は、外だ。露伴の手からは先ほど赤いリップは落としたが…何か良くない事が、起きなければいいが。
「あれはきっと、呪いの類いだな。」
無事に今日の分の仕事を終えてホテルに戻った時、露伴は開口一番そう口にした。呪い、なんて…。なぜそんなものを、あの子が?それにそれを私に渡すなんて。まさか、知ってて渡したなんて事は…。
「まぁ、これはもう、使わない方がいいだろうな。」
「露伴…持ってきてたの?」
露伴が徐ろにポケットから出したのは、美しい金細工の小さなケース。あの例のリップだ。自分で呪いの品と言っておいて持ち歩くなんて、何があるか分からないというのに。
「心配するな。持ち歩くだけじゃ何も起こらない。使用しなければ、効果はないんだろう。」
「露伴…、まさか、今日1日、それを検証してたの…!?」
「まぁな。これがどんな効果をもたらすのか知らなければ、対処のしようがないだろ。現に今、使わなければ無害だと分かったんだ。良かったじゃあないか。」
「っ、……はぁ…。露伴が無事で、本当に良かった…。」
以前の橋本陽馬くんとの出来事が、嫌でも頭を過ぎる。あそこまでの危険は感じられないが、そうは言っても、恐らく使うと怪我をする。危険な物には違いない。もしもの時は仗助くんという保険があるとはいえ、露伴が心配だ。
「露伴。露伴がいつも私を心配してくれるように、私も露伴を心配してるんだからね。」
「!……、そうか…。…そうだな。」
「そういう事に首を突っ込むのは露伴の性格上仕方ないし止める気はないけど、私は露伴の事を心配してるっていうのは覚えておいて。」
「……善処する。」
露伴の気まずそうな顔を見て、私も同じ顔になってしまう。露伴の行動を縛り付けるのは、私だって嫌だ。ただ危険な事には首を突っ込んでほしくないだけではあるが、露伴にとってはそれは難しいという事も分かっている。露伴の漫画家としてのポリシーであるリアリティのためには、多少の危険は侵すのも厭わない。私は露伴のそんなところが好きだが、反面、やっぱり露伴が怪我をするのは見たくはなくて…。
露伴はきっと、私のそういう複雑な想いを理解している。私が危険で心配しているからといって露伴の行動を制限した結果、私が露伴に本音を漏らしたのを後悔するという事まで、だ。
それでも言わずにはいられなかった。この前みたいに、露伴が死ぬかもしれないシーンに直面するなんて、考えるだけで吐き気がする。
「…なまえ。」
「明日も撮影だし、もう寝ようか。」
私が伝えたい事は伝えた。あとはそれを聞いた露伴が、決めるだけだ。
人と人って、難しい。特に、夫婦というものは。
ただ好きなだけじゃ足りない。お互いを尊敬し、尊重し合っても、まだ足りない。
一緒にいる時間が長ければ長いほど、お互い口を出したくなって、悩む。
私はその事を、露伴と夫婦になって初めて知った。
「おはようございま〜す!露伴先生、なまえさん、今日もよろしくお願いしますね!」
「おはよう、かのんちゃん。こちらこそよろしくね。」
昨日も今日も、私よりも先に露伴の名前を呼ぶなんて、あまりにあからさますぎて周囲の人達も不信感を抱き始めていそうだ。現場の雰囲気が悪くなるのはまずい。このメンバーでの撮影は、まだまだ続くのだから。
「今日は私と夫から、清水屋のロールケーキの差し入れがあるのでみなさん良かったら食べてくださいね。冷蔵庫にたくさん入ってるので、いつでもどうぞ。」
「えっ清水屋の!?ありがとうございます!」
「わ!こんなにたくさん!」
「余ったら私が食べるので、みなさん私が太らないように協力してくださいね。」
「露伴先生も、ありがとうございます!」
「あぁ、いいんだ。こうして自由にさせてもらっているし、妻も世話になっているしな。感謝している。」
たちまち明るい雰囲気へと戻され、私達の周りは人集りができた。こういう場面の露伴はいつもよりも大人な立ち振る舞いができて、毎度の事ながらいつも見直してしまう。しかしそれは私だけではなかったようで、彼女─花園かのんも例に漏れず露伴を見て頬を赤く染めていた。
「君も今食べるだろう?大好物だもんな。」
「え?…うん、食べる。」
「なまえさん、甘い物お好きなんですか?」
「そうなんだよ。旅行でベネツィアに行った時なんか、観光とドルチェ半々でね。」
あ…。露伴は今、私のフォローをしてくれた。
私は甘い物は好きだが、飛び抜けて好物というほどではない。それは別に他に好きな物があるとかそういう事ではなく、食べ物ならなんでも好きで、もっと言うと好き嫌いが無い…いや、分からないからである。
旅行でドルチェばかり食べたのは、イタリアといえばドルチェだったからであり、スイスに行けばチーズばかり食べるし韓国に行けば辛いものばかり食べる。ただそれだけ。
それを露伴は、私が好物を聞かれた時に困ると思って甘い物が好きだという事にした。人によっては迷惑だと思う人もいるかもしれないが私は違う。清水屋のロールケーキを選んだのは、前の現場で誰かがこれを持ってきた時にみんなが嬉しそうにしていたからだ。だから、露伴が答えなければ、私は曖昧な返答を返すしかなかった。
「もう…やめてよ。観光もちゃんとしてたってば。」
「え〜!なまえさん照れてる?本当なんだ!」
「露伴先生。先生もどうぞ!」
かのんちゃんによって取り分けられたロールケーキが、露伴の前へと差し出される。どうぞって…それを差し入れたのは私と露伴だし、事前に切り分けておいたのも私なのに。
「うん、美味いじゃあないか。甘すぎなくて、くどくない。君が好きなのも頷ける。」
「…そうでしょう?これで家にあるアッサムティーでもあれば最高なんだけど。」
「あぁそうだ。今度家に康一くんと由花子を呼ぼう。きっと喜ぶだろう。」
「えっ!由花子ちゃん!?」
まさかのタイミングの、"由花子"という名前。康一くんの奥さんで、私がずっと会いたいと思っている人なのだが、向こうが「私なんかがあんな美少女に…」とか何とか言って一向に会ってくれなくて半ば諦めかけていたのだ。それがまさか、露伴の方から持ち出してくるなんて…もしかして由花子ちゃんを説得するのを協力してくれるのだろうか?
「お友達の話ですか?なまえさんがそんなに嬉しそうにしてるの、初めて見ました!」
「露伴のお友達の奥さんなんだけど、恥ずかしがってなかなか会ってくれないの。」
「…向こうは君の事を知っているからな。僕が女でも、初めて会うのは勇気がいるかもな。」
「露伴が女性だったら、絶対に美人だよ!私なんて足元にも及ばないくらい!ね、かのんちゃん。」
「えっ?あっ、はい。そうですね…。」
「……、…なまえ、ちょっといいか?」
和やかな雰囲気とは裏腹に、露伴は何かに気がついたような、何かが気になっているかのような面持ちで奥の方へと私を促した。そんな顔になる原因は、一体何なのだろうか。
今は誰もいない部屋に入り扉を閉めたところで、やっと露伴は閉ざしていた口を開いた。