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「なまえちゃん!本当に、もう戻ってきて大丈夫なの!?」
「ふふ、はい。もうすっかり元気です。ご心配とご迷惑をお掛けして申し訳ありません。傷は見た目よりも浅かったみたいで、丁寧に治療して頂いたおかげで傷跡もありません。…それで、今日からですが…。」
「あぁ、大丈夫だよ。旦那さんが来てるんだよね?撮影の妨げにならなければ、好きにしてもらっていいから。」
怪我から2日後。予定よりもだいぶ早く、撮影現場に戻ってこられた。1話目はつい数日前に放送され、どうやら既に話題になっているらしい。来週には番宣で人気バラエティ番組へ出る事になっているが…どうしたってあの花園かのんと一緒に出る事になってしまうので、今から少し憂鬱だ。
「…あぁ、良かった。探したぜ、なまえ。」
「露伴!」
結局、露伴は撮影現場へとやってきた。問題のリップもそうだが、それを渡してきた花園かのんも気になると言われ、私は断れなかった。まぁ正直露伴がそばにいてくれた方が安心だし、何より私のやる気が出るから、一概に来てほしくないというわけではなかったのだが。
「監督。ご存知かと思いますが、夫の岸辺露伴です。こちらは、いつもお世話になってる黒川監督。」
「よろしく。」
「岸辺露伴くんだね。よろしく。あとでサインくれないかな?娘が君のファンでね。」
「あぁ。お安い御用だ。」
「おはようござ…、えっ!?岸辺露伴…先生っ…!!?」
あぁ…来た。現場内に響き渡る高い声は、花園かのんのもの。名前を呼ばれた張本人はその声の主を見たあと、チラリと私に視線を寄越した。
「あの子が今回のヒロインの、花園かのんちゃん。」
彼女には、露伴の紹介など不要だろう。私の夫である露伴を目の前に、キャーキャーと黄色い声を上げているので、紹介しても聞こえないだろうし。
「私っ、露伴先生の大ファンで…!」
「あぁ、そうかい。ありがとう。」
「露伴先生に会えるなら、もっとかわいくしてくれば良かった…!」
「………。」
微笑みを浮かべながらも心の中では黒い感情がぐるぐると渦巻いて、口を開けば声色にそれが滲み出そうで、きゅ、と引き結んで耐えた。
「…私、準備してきますね。」
むしろこの状況は、今回の役を上手く演じるにはうってつけかもしれないな…とポジティブに考えつつ準備をしようと踵を返すと、露伴にガシリと腕を捕まえられた。
「どこに行くんだ?僕を置いていくなよ。」
「…、ふふ。着替えとか、メイクだよ。露伴も来る?」
「もちろん行くよ。どこを見て回っても構わないらしいからな。」
「あっ…露伴先生…。」
「花園さん、だったかな?僕はこの撮影現場の取材で来てるんだ。こう見えて、忙しいんだよ。」
あぁ、彼女と2人になるのが嫌だったんだ。それでも露伴にしては辛辣な言葉を吐かないのはきっと、私に配慮してくれているからだ。露伴のそういうところ、大好き。
「髪の毛、もうだいぶ馴染んだな。」
「…あぁ、エクステ?」
1人用の更衣室に当たり前のように一緒に入ってきて、ただでさえ狭いのにこれでは身動きが取れない。申し訳ないが出てもらおうとカーテンに手をかけるとその手をぎゅ、と握られて、思わずドキッとしてしまった。
「髪の毛越しに見える君の白い肌が、エロいんだよ。」
「っ、露伴…!」
キッと睨みつけると、露伴は目を細めて笑った。からかわれたのだろうが、これでは準備が進まない。
「そんな事ばっかりしてたら、現場から追い出すからね。」
「おっと、それは困るな。着替えたらメイクやヘアセットをスケッチさせてくれ。」
露伴…なんだか楽しんでない?元々は怪しいリップの取材にきたはずなのだが。
「なまえさん!今日は私も、こっちで準備させてくださ〜い!」
「…かのんちゃん?」
そう来たか。ご丁寧に自分の衣装を持ってきたのか、隣の更衣室のカーテンの閉まる音が耳に入ってきて、内心ため息をついた。できれば関わりたくはないのだが、かのんちゃんみたいなタイプは無下にするとあとあともっと面倒くさくなるから困る。だから仕方ないが、私からの返答は「うん、いいよ」だ。
「着替え終わりました〜。メイクお願いします。」
「なまえちゃん!怪我大丈夫だった?大事にならなくて良かったよ〜。」
「心配かけちゃってごめんなさい。本当にもう大丈夫なの。ほら。」
「本当、綺麗に治ってる…。はぁ〜、良かったぁ。」
「今日は夫もいるから、いつもよりもうんと美人にお願いしますね。」
「はい!気合い入りますね!」
数日ぶりのメイクさんとのいつものやりとりを、露伴は私の隣で、ただ静かに聞いていた。だけど手元にはスケッチブックと鉛筆が動いており、ちゃんと取材も兼ねているのだと意外に思った。というか…、露伴がこうして真剣に絵を描いているところを見るのは初めてかもしれない。いつもは、邪魔しちゃ悪いからと遠慮していたから。
「露伴…今、何描いてる?」
「君を描いてる。」
「えっ?私、今こんな格好なのに。」
「どんな格好でもいいだろ。」
メイク中の今、粉が衣装に落ちないようテープを巻いて、前髪が落ちてこないようにキッチリと止められている。とてもじゃないがいい被写体とは言えない格好なのに、わざわざこんなところを描くなんて。
「これがこういう現場の日常だろ?君なら、僕がそういうシーンを大事にしてると知っているだろう。」
露伴はすぐそうやって、私が喜ぶ言葉を紡ぐ。口角が上がりそうになるのを耐えるのって、大変なんだから。
「それに、君はどんな格好でも綺麗だから、心配しなくていい。」
「!…露伴、もうそれ以上言わなくていいよ…!」
「なまえさん…!めちゃめちゃラブラブですね…!羨ましいっ…!」
「………。」
本当、いつもよりも大盤振る舞いだ。言った本人はなんて事ない顔をしているが、言われた方は気を抜けば緩みそうになる表情筋を押さえつけるのに精一杯だというのに!それに、着替え終えて出てきたかのんちゃんの不機嫌オーラも大変な事になっている。どうするの、この空気。
「あぁ待ってくれ。彼女のリップは、僕に塗らせてくれないか。」
最後の仕上げ段階になって、ようやく露伴が鉛筆を置いて動いた。メイクさんは露伴の申し出に快くOKし色んな色のリップが入ったケースをテーブルに並べた。ピンクや赤、ブラウンに紫まで色んな色が揃っている中、一際目立つのが例のリップだ。この前メイクしたまま病院に行ったから、メイクさんが預かってくれていたらしい。
「これ…ヴィンテージか?いや…アンティークか。これほど精巧な金細工は初めて見た。すごいな…。」
「さすが露伴先生。お詳しいですね。色味も深みがあってとても綺麗で、なまえさんによく似合ってたんですよ。」
「あぁ、そうだろうな。」
指で軽く掬って、自分の手に伸ばす露伴。それを見ているかのんちゃんが少し焦ったような表情になったのを、私は見逃さなかった。
「だが、そうだな…。今日はこれじゃあなく、ローズ系のリップにしよう。これなんかいいんじゃあないか?」
「じゃあチークは、これですね。なまえさん、もうすぐ完璧な美人になりますからね!」
「ふふ、楽しみ。」
トントン、と露伴の指が唇を叩くのが、いつもとは違って変な感じがする。きっと相手が露伴だからだ。まっすぐ私を見る露伴がかっこよすぎるから。変にドキドキしてしまう。
「フ……。」
私を見て顔を綻ばせる露伴の顔が、まるで私を"かわいい"と思っているかのような表情で、耐えきれずに目を閉じてしまった。最近の露伴は、色んな意味で私に甘すぎる。
「露伴先生。手、洗った方がいいんじゃないですか?向こうにメイク落としと洗面所がありますよ。」
最後にチークを塗ってもらっている間、かのんちゃんがそう話すのが聞こえてきた。さっき露伴が自分の手に塗った、赤いリップの事を言っているのだろう。しかし露伴の答えは「あぁ、いいんだよ。ちょっと確認したい事があってね」という拒否の言葉で。それを聞いたかのんちゃんがソワソワしていたのが、私はどうしても気になってしまった。