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「OK!映像チェック!」
「……ふぅ…。」
何事もなく撮影は現在3話目まで進み、そろそろ撮影メンバーとも打ち解けてきたかなという頃。役作りに関しては監督に絶賛の言葉を頂いた事でホッと胸を撫で下ろしあっさりと解決したのだが…今度は全く他の問題が浮上してしまった。問題というほどの事ではないのかもしれないが、私からしてみれば、少し気にかかるというか…。
「なまえさん、今日もものすごい悪女っぷりですね!」
「…そう?ありがとう。」
「なまえさん、その役とってもお似合いですね。私にはできないです〜!」
「本当?私も初めてだから、そう言ってもらえて嬉しい。」
今気になっている事というのは、今作のヒロイン役の女優である花園かのんという子が、事ある毎に私にチクチクとした言葉を掛けてくるのだ。別に私の事を疎ましく思うのは構わないのだが、そうであれば無駄に絡まなければ良いものをこうして暇さえあれば近づいてくるので、態度にこそ出さないが、内心面倒くさいな…と思ってしまう。早く帰って、露伴に癒されたい。
「そうだ。今日はジャンプの発売日でしたね。ピンクダークの少年、もう読みました?」
「あぁ、そういえば…。」
「まだ読んでないんですか?今週も最高でしたよ〜!」
まただ。彼女はいつも、口を開けばピンクダークの少年の話。きっと露伴のファンなんだろうな、と思う。が、それで私にこうして絡んでくるのは如何なものだろうか。といっても、彼女はまだ22歳と若いので仕方ない気もするし、私が正論で言いくるめれば現場の空気も悪くなるだろうしという事で、こうして特に何もする事はなく現状放置している。
「OK!一旦お昼休憩入ろうか!」
「は〜い!じゃあなまえさん、またあとで!」
「うん。午後もよろしくね。」
きちんとお仕事はこなしているというのが、たちが悪い。まぁ、やって当たり前ではあるのでその点は評価できるのだが。うーん、面倒くさい。
「すみません、お先に失礼します!」
慌てて撮影現場から逃げるように出て向かったのは、東京駅。思いがけず撮影時間が長引いてしまい、乗りたい新幹線の時間ギリギリになってしまった。目的の新幹線に乗り込んで数秒後にドアが閉じられ、ふぅ、と安堵のため息を吐いた時、窓ガラスに映った自分がメイクもそのままに乗り込んでいた事に気がついた。確かに、露伴がいなければ悪い女そのものだ。撮影が始まる前にエクステをつけたのも、良い感じに馴染んでいる。
露伴に最初見せた時に「長いのも似合うじゃあないか」と結構気に入っていたみたいだったし、これを機に伸ばしてみてもいいかもしれない。と露伴の事を考え出した途端に自然と口角が上がってくるので、今の私の姿とは少し、アンバランスかもしれない。
カチャリ、と最小限の音で家の鍵を開け、同じように最小限の音で扉を開け家に入り、扉と鍵を閉める。現在の時刻は0時を回ったところで、露伴はもう眠ってしまっているだろうという配慮である。とにかく露伴を起こさぬように静かに、しかし早く布団には入りたいため迅速にシャワーを浴びて就寝準備を終えたのは、時計があと15分程で1時を指し示そうという頃だった。
そーっと寝室に入り、既に眠っている露伴の姿を見ると急激に体の緊張が解れて、今までなかった眠気が襲ってきた。…今日も、疲れた…。
もぞ、と露伴の温もりの方へ体を滑り込ませてくっつくとさすがに露伴も目を覚まして「ん…帰ったのか……おかえり…」と寝惚けながらも私を抱きしめてくれて…もう、好き。
お仕事以外の、私の大切で、大好きなもの。たとえ誰が露伴の事が好きでも、露伴が誰か他の人を好きになっても、離したくない。もしもそんな事になったら、露伴に首輪を着けて、部屋のどこかに繋いで…、…って、ダメだ。疲れて眠くて、思考が役に引っ張られちゃう。…ふふ。今日もお仕事頑張ったなぁ…明日も、頑張ろう。
「おはようございます、なまえさん。」
「おはよう、かのんちゃん。今日もよろしくね。」
体力的には少し大変だけど、毎日家に帰って露伴に触れているおかげで精神的には回復して今日も元気に撮影できる。本当、無茶をしてでも結婚して良かった…!と思う、今日この頃。
家事などはできなくて少し申し訳ないが、元々1人であの家に暮らしていた露伴が「心配しなくても自分でできる」と言うので、安心してお仕事できる。やっぱり、自立してる男の人って、いいよね。
「そうだ、なまえさん。良かったらこれ、貰ってくれませんか?」
「え?これ…リップ?」
「はい!私には似合わなかったので、良かったら。今回の役にもピッタリだと思うんです!赤いリップって、悪役って感じですし〜。」
「…そうね。毎回使うコスメも変えてるみたいだし、メイクさんにお願いしたら使ってもらえるかも。ありがとう。」
この子は何故こうもいちいちチクッと刺してくるのか…。あぁ、露伴の事が好きだから、私が嫌いなんだった。
しかし、彼女が渡してきたこのリップはどこの物だろうか?パレットタイプで、入れ物はアンティークっぽい。…いや、ぽいどころか、アンティークなんじゃないだろうか?ちゃちな造りではなく丁寧に彫られていて、とても趣きがありかわいらしい。
「あの、今日はこれを使ってもらってもいいですか?」
「なまえさん、おはようございます!これどうしたんですか?めちゃめちゃかわいいですね。…わ!色も綺麗だし、なまえさんにも似合いそう!」
「本当?じゃあ今日も、とびきり美人にしてください!」
「お任せください!」
かのんちゃんがくれた物というのが少し気にかかるが、物は良さそうだ。なんたって、プロのメイクさんのお墨付きなのだし。自分の顔がみるみる変わっていく様を見て、やっぱりプロはすごいなぁ、と当たり前の事を考えながらも思い浮かべるのは露伴の事で。男性だというのにメイクもできて、ただでさえ尊敬しているというのに、ますます尊敬の念が深まる。はぁ…会いたいなぁ…と考えた途端に鏡に映った自分が役とは程遠い表情をしているのが見えて内心、少し笑ってしまった。露伴と結婚してから、表情が外に出る事が増えた気がする。
「終わりましたよ。今日もとっても綺麗です!」
「本当…いつもありがとう。」
「いえいえ、こちらこそ!」
今日のメイクも、どの角度から見ても完璧。あとは髪の毛もセットしてもらって、いよいよ今日の撮影開始だ。
「"この本は…、私の、"…っ、痛…。」
「…、なまえさん、大丈夫ですか?すみません、カットで!なまえさんが怪我を!」
「ちょっと指を紙で切っただけです。すみません、撮影止めちゃって。」
本番中、私の怪我で撮影がストップした。紙で指を切るなんて久しぶりだ。じわ、と小さく血の滲む指を見て、仗助くんはこの小さな傷も治せるんだっけ…その力があればこうして撮影を止めなくてもいいんだよね…いいなぁ、とぼんやり考えた。珍しくボーッとしてしまい、次に起こった出来事に咄嗟に反応する事ができなかった。
「あっ…!っなまえさん!危な…!!」
「えっ…、っ!!」
ガシャン!と大きな音を立てて、照明が倒れた。それも私の方に。近くに人はいなくて、勝手に倒れたようで、現場は騒然となった。
「なまえさん!怪我…!!」
「あ…、本当だ。ちょっと、痛いかも…。」
嘘。めちゃめちゃ痛い。見るとガラスの破片でストッキングが切れて、血が流れ出ている。通りで痛いわけだ。
「今日の撮影は中止!なまえちゃん、すぐに病院に行こう!」
「はい…。すみません、監督。皆さんも、すみません。この怪我の事は、内密にお願いしますね。」
「そんな事いいから、早く行くよ!」
演者やスタッフの焦ったような表情に申し訳なく思ったが、そんな中1人だけ、あの花園かのんだけが口元を抑えながら目尻を細めていたのを、私は見逃さなかった。それはまるで嬉しさを抑えきれないとでもいうような表情で、そう思ったら背筋がスッと冷えた。