結婚してみる
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岸辺露伴先生の描いた漫画"異人館の紳士"の実写映画の撮影が中止になってから、数年後。
コツコツと地道な営業や宣伝活動をしつつもきっちりと稽古は欠かさず努力を積み重ねてきた結果、ようやく途切れずに女優の仕事をする事ができるようになってきた。
あの岸辺露伴先生と出会ってから、実に3年。露伴先生は出会った時から、ものすごく人気のある漫画を描いているすごい先生だったが、ようやくその先生の背中が見えてきた…と感じているのは、さすがに烏滸がましいだろうか。それでも出会った頃に比べれば、着実に進歩している。それだけは誰がなんと言おうと、事実としてあるはずだ。だって、こんなにも忙しいのだから。
「きゃあ〜〜!なまえちゃん、かわいい!一緒に写真撮ってください!」
「ふふ、ありがとう。でも、ここでは騒ぎになるから、もう少し落ち着いて、静かにね。」
「あっ、ごめんなさい!」
「謝らなくて大丈夫。次から気をつけてね。はい。」
「えっ、近…!!」
「応援してくれて、ありがとう。今度のドラマも見てくれると嬉しいな。じゃあ、気をつけて帰ってね。」
「あ、ありがとう〜〜!」
ファンとの関わりは、自分の頑張りが認められたようで嬉しく思う。マネージャーや社長は時間を取られるからとあまり良しと思っていないようだったが、私のモチベーションのひとつだと言って仕方なく容認してもらっていた。
そして、私のもうひとつのモチベーションになっていたのは、あの岸辺露伴先生だった。
「露伴先生。お久しぶりです。」
「あぁ、忙しい中時間を取ってくれて、感謝する。」
露伴先生の言う言葉には、良くも悪くも偽りがない。だから私もいつも、嘘偽りなくいられる。露伴先生と過ごす月に一度のたった数時間が、私にとって唯一の休息の時間で、一番のモチベーションだった。
「この前のロケで、〇〇に行ってきたんです。」
「へぇ、〇〇というと、確か有名な観光地があったな。」
「はい。ちょうどその時期で──」
博識な露伴先生との会話は楽しく、いつもどちらかのタイムリミットが来るまで話が尽きない、良い友人関係であった。それは恐らく私だけでなく、露伴先生もそう思っている。だって露伴先生は、興味のない話はしない人だから。それくらいは、分かる。
「なぁ…君に、相談があるんだが。」
「……、露伴先生が、私に…ですか?」
とある日の食事会が始まって間もなく、露伴先生の口から発された言葉は意外なものだった。だって、あの露伴先生が、私に相談だなんて。驚いて返答が遅れたのは、それだけ意外な事だったからである。
「あぁ。ちょっと見てほしいんだが…、ここ、ここの台詞。君は、ここのシーンでこの人物は、何と言葉を発すると思う。」
「……そんな…、私の意見なんて、参考になるでしょうか…?」
空いた皿を端に寄せて、テーブルの上に置かれたのはまさかの露伴先生の描いた漫画の原稿であった。描きかけではあったが、正真正銘、露伴先生の生原稿だ。それだけでも充分驚くべき事だが、それ以上に、私に登場人物の台詞について意見を求めるだなんて、未だかつてない、初めての事であった。
「当たり前だろう。そうじゃなきゃ、こうしてわざわざ大事な原稿を持ってきたりはしない。他でもない君だから、こうして助言を求めている。」
「…ありがとうございます…。少し、…いえ、とても緊張しますね…。」
「気負わなくていい。ただ、参考にしたいだけなんだ。」
「…読ませて頂きますね。」
きちんと手を拭いてから、恐る恐る原稿を手に取って目を通す。気負わなくていいだなんて、そんなの無理に決まっている。露伴先生が自分の描く漫画にどれほどのこだわりを持っているのか、嫌という程知っているからだ。
「……私、漫画の事はあまり詳しくはないんですが…。露伴先生は、リアリティを一番大事にしていらっしゃいますよね?」
「あぁ、そうだ。それで、このキャラクターは、ここで何と言うと思う?」
「…無言…、でしょうか。」
「!…そうか。なるほど。」
これは、私の意見ではない。今まで観察してきた人物や演じてきた役柄を参考にしているだけにすぎない。露伴先生の短い返答では、満足されたか失望されたか分からないため、少しの沈黙の時間はなんとも居心地が悪かった。
「僕も、そうなんじゃないかと思っていた。」
「…良かったです。でも、それならなぜ、私に?」
「そうだな…。君が僕と同じ感性を持っているか、確かめたかったのかもしれない。」
「確かめて、どうするんですか?」
「別にどうもしないよ。ただ僕が嬉しい。それだけだ。」
「……私も、嬉しいです。なんだか、露伴先生のお眼鏡にかなったような気がして。」
「はぁ?それは当たり前だろ。第一、違う返答だったとしても失望なんてしなかったぜ。前置きの通り、参考にしたかったのも事実。君の口からどんな言葉が出ても、僕は喜んでいたさ。君は、自分の仕事にも僕の仕事に対しても、いつも真剣に向き合ってくれるからな。」
「…褒めすぎですよ、露伴先生。」
ふふ、と控え目に笑いながらも、内心では今まで感じたこともないくらい嬉しくて、気を抜くと涙が出そうであった。露伴先生が、私を認めてくれている。露伴先生だって…いや、私なんて足元にも及ばないくらい、仕事にまっすぐで真摯に向き合う人なのに。そんな人にそう言ってもらえるのが、何よりも嬉しい。
(本当に…、嬉しい……。好きだなぁ…。)
そう考えて、ハッとする。私は今、露伴先生の事を好きだと思った…?と。
好きなんて感情、いつしか私には分からない、無いものだと思っていた。いや、今確かに感じたこの嬉しいような、むずむずするような気持ちは、確かに本で読んだような、"好き"という感情なのかもしれない。だけど、そんな、簡単に。それに、私なんかが露伴先生を好きだなんて、それこそ烏滸がましい。
「ねぇマネージャー。誰かを好きだと感じたとして、友人に対する好きと恋愛の好きの違いって、何?」
「えっ?」
露伴先生の事を好きだと感じてから数日。仕事の方は切り替えてきっちりこなしつつも、家にいる時も移動中も、控え室にいる間にも私の頭の中はその事でいっぱいだった。正直、悩んでいる。これがただ単に人として尊敬していて、好きなのか。それとも、私が露伴先生に恋をしているのか。…分からない。分からなくて、でもはっきりとさせたくて、悩んでいる。
「それは……、なまえ、君まさか、好きな人ができたのか…!?」
「分からないから聞いてるの。その人は、人として、とても尊敬している人だから…ただ、男性の方だから、万が一という事も、あるかと思って…。」
「君、前にあの俳優と付き合ってただろ?」
あの俳優、と指差す先のテレビに映っているのは、確かに半年程前までお付き合いをしていた人。頭が良く落ち着いていた人で、好きだと言われて嫌な気はしなかったから付き合った。のだが、2ヶ月で別れを切り出された。
「私には、誰かを好きだとか、そういうのが分からなくて。彼には、申し訳ない事をしたわ。」
彼は真面目な人だったから、きっと私との未来を思い描いていたかもしれない。現に、別れた後に恨みつらみの一言もなく、現場で会えば以前と変わりなく接してもらっている。
「君な…そういう恋愛は危ないから、気をつけてくれよ。…そうだなぁ…その人が、自分以外の女性といるのが嫌なら、恋愛としての好き、なんじゃあないか?」
「私以外の、女性……。」
そう言われてパッと思いついたのは、露伴先生の担当の、集英社の編集者さんだった。露伴先生はただでさえ友人が少なく、女性どころか男性の友人だっているかいないか分からない。それでも私の知る限りでは、唯一露伴先生と関わりのある女性。会った事はないが、その女性と露伴先生が、私と露伴先生がしているように、定期的に食事をしているとしたら、どうだろうか。仕事ではなく、プライベートで。
「…ありがとう。それが正しいかどうかは分からないけど、何となく分かった気がするわ。」
「えっ、まさかどっちなのか教えてくれないのか!?」
「教えるわけないでしょう?確かに相談はしたけれど、それは仕事に支障が出てもいけないから。ここから先は私の問題で、プライベートなの。」
「そうだけどさぁ!…まぁ、君に限ってトラブルにはならないだろうけど。」
「なったとしても、自分で上手くやるしね。」
「はぁ…本当、そこんところは信頼してるよ。」
「ありがと〜〜。」
これで分かった。マネージャーなんて私には不要だと思っていたのに、言い方は悪いが、まさかこんな形で役に立つなんて。
私はきっと、露伴先生の事が好きなのだ。それは、恋愛としての好きという気持ち。それを自覚したらなんだか、急に胸の辺りが楽になった。そして同時に、ワクワクしている。多分。
私にとって、初めて自覚した恋心。これは、初恋になるだろうか?20もとっくに超えてからの、私の初恋。