結婚してみる
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「ここの浴室、すごいな。わざわざ泊まる必要もないから、知らなかったよ。」
さすがは杜王町で一番のホテルのスイートルームだ。広さもデザインも申し分ない造りだ。せっかくなら温泉に浸かりたいところだったが、この部屋の風呂でも充分満足できたので良しとしよう。
「おかえりなさい。私ひとりしかいないのに、広すぎて居心地悪かったの。」
「へぇ…じゃあ次は、一緒に入るか?」
「いいけど…露伴、そういうの好きなの?」
「いや?別に好きでも嫌いでもない。」
というか、そういうのってなんだ。まさか風呂の中でイチャイチャしたりだとか、そういう事を指してるのだとしたら、答えはノーだ。…けどまぁ、彼女とならやってもいいかもな。なんて。
「ベッドも広くて落ち着かなくて。…ねぇ露伴。ベッドに横になって、お話しよう。」
「ふむ…、それもいいな。」
わざわざ僕の手を取ってベッドまで誘導する彼女。話をする。たったそれだけのはずなのに彼女は妙に色っぽくて、その他を想像してしまうのは僕だけじゃないはずだ。
「ふふ…やっぱり、露伴が隣にいると落ち着く。」
「そうか。……僕もだ。」
「…露伴…、私がいなくて、本当に寂しかった…のね。」
「それは忘れてほしいって言っただろ。わざわざ口に出すなよ。」
「うん…。でもね、嬉しいの。露伴が思ってるよりも、ずっとずっと嬉しい。」
未だ繋がったままの手が解かれて、今度は指が絡められる。さっきシャワーを浴びた僕よりも、彼女の手の方がずっと、温かい。
「……君と、話したい事がある。」
「……、…うん。」
僕の言葉に合わせて、彼女はまっすぐ僕を見る。それで分かったが、どうやら彼女は僕が何かを話そうとしているのを既に察していたようだった。通りで、泊まっていくかなんて聞いておいてそういう雰囲気にならないわけだ。
「単刀直入に聞くが、君……、解離性同一性障害、って…知ってるか?」
シーン…、と部屋の中に沈黙が流れた。数秒間その沈黙が続き、彼女の瞼が一度伏せられ、次にその瞳がこちらを見た時「うん」とだけ返事が返ってきた。どうやら彼女は、自分の事をよく理解しているらしい。そして、僕の予想も当たっていたようだ。
衣擦れの音と共にゆっくりと体を起こした彼女は、もう一度こちらを見てニコ、と笑顔を見せた。その笑顔はいつもの彼女の笑顔とは違い、僕の目には影があるように映った。
「すごいね、露伴は。やっぱり、尊敬しちゃうな。」
僕が想像していたのとは違う反応を示す彼女に、なんと声をかければいいのか僕は分からなかった。しかしそんな僕はお構いなしに、彼女は言葉を続けた。
「もう何年も前に、一度憑依障害って診断されたの。職業病かな。…私、自分というものが分からなくて。だから、しっかり自分を持ってる露伴が羨ましいし、尊敬してるの。」
「…そうか。」
「だけど…、…自分の事は分からないけど、露伴の事が好きなのは本当なの。説得力、ないかもしれないけど…私の、唯一、大好きで大切な人、なの。」
絡められた彼女の手が震えているのが伝わってきて、そして、先ほどよりも指先が冷えているのに気がついて思わずぎゅ、と力を込めた。
「大丈夫だ。それはヘブンズドアで読んで、知っている。君が僕をどれほど好きか…自分で確かめてみるか?」
「えっ…そんな事、できるの…?」
「あぁ。……ヘブンズドア。」
繋がれた手とは逆の彼女の手を指先でトン、と叩くと、パラパラ…とそこだけが本に変わる。体の一部を本にするのを見るのは初めての彼女は一度僕を見て、それから自分のページに視線を戻した。
「ふ…、露伴にこれを読まれてたのね…。」
「おいおい。読まれてたって、まるで僕が無理やり読んだみたいに言うじゃあないか。」
「ふふ、違うの。思っていたよりもストレートで、少し恥ずかしいなって思って。」
「はぁ?何言ってるんだ。これはほんの一部だぜ。」
「…じゃあ、私が露伴をどれだけ好きか、ちゃんと伝わってる?」
「あぁ。胸焼けしそうなくらいにな。」
「はぁ…、よかった…。」
むしろそれしか書いてないくらいだ。
彼女の指先の温かさが少し戻ってきて、僕の手を握り返す。瞬間、僕の中に産まれたのは、きっと"愛おしい"という感情。なのだと思う。それを自覚したら自ずと、目尻が下がってしまうのが分かった。
「診断されたという事は、医者には罹ったんだろう?その医師は、なんて?」
「…正しくは、憑依型の解離性同一性障害とは違うもの、なんだけど…診断名をつけるなら、それしかないと。」
「そうだな…。僕も本で読んだ知識しかないが、それは目に見えて人格が変わるらしいな。」
「…露伴…、もしかして、読書ってそれを調べるために…?」
「そうだ。君が僕に気づいてほしそうにしてたからな。僕になにかできるなら、手を貸すよ。」
「露伴先生……私、気づいてほしそうに、してました…?」
「先生じゃあない。…君にそう呼ばれるのは正直好きだが、これからは名前で呼べ。敬語も禁止だ。」
「それは、どういう…。」
「医師がそう診断したんだろうが、君のそれとは別物なんだろ?なら、明確な治療方法が無いって事だ。変えられるところは変えて、色々試してみるしかないだろ。」
治療方法が分からないなんて医者もお手上げ状態の彼女は、今までどうする事もできずに不安だったに違いない。しかしテレビに映る仕事をしている彼女は、それを世間に知られる事なく生きてきたのだ。そんなの治るもんも治らない。だが…やはり彼女のそういうプロ根性は、さすがに尊敬に値する。
「僕も力になれる事があれば協力する。だから……いつか、本当の君とまた、夫婦になりたい。」
「っ!!……ろ、露伴…、かっこいい…。好き…一生ついて行く…。」
「君は僕の信者か何かか。後ろをついてくるんじゃあない。夫婦ってのは、隣を歩くものなんじゃあないのか?」
「うっ…!…露伴がそういう事を言うなんて…。」
「言わせてるのは君だよ。なまえ。」
なまえという存在が僕をおかしくしたというのに、彼女自身は自覚がないようだ。
「最初に君が言ったように…結婚して夫婦になるなんて、経験さえできればいいと思っていたんだが…君と過ごしてみたら、案外心地が良くてな。悪くないどころか、新しい発見があったり新しい自分を知れたりして、これがこの先も続いていけばいいと、今は思っている。」
「露伴…。」
「僕は今の君でも充分だが、君は違うだろう?今の自分は、果たして自分なのかと、僕に劣等感を抱いている。」
「…そんな事まで、ヘブンズドアで読めるの…?」
「いや、そんな事は書いてない。ただ、君ならそう思うんじゃあないかと思って。」
「……。」
僕の言葉を聞いた彼女は、口を閉ざし眉根を寄せた。この反応は間違えたという事だろうかと思ったが、ややあってから彼女の瞳から涙が溢れて、緩やかに僕の体に寄りかかるように彼女の体が傾いた。そんな反応をされては、抱きしめる以外の選択肢はない。
「露伴…私、露伴と出会えて、良かった…!」
「僕もだ。…君、泣いてても綺麗だな。」
「うぅ…、露伴は私の顔、好き…?」
「君よりも綺麗な女性はそうそういないぜ。美人は3日で飽きると言うが、あれは嘘だな。」
「…ふふ…、そこは素直に褒めてください。」
「はぁ…仕方ないな。もう一度、顔をよく見せてくれ。」
涙で濡れた顔をゆっくり上げて、彼女がこちらを見る。長い睫毛も濡れているというのにしっかりと上を向いていて、美人は毛根から美人なんだな、とくだらない事を考えた。
「あぁ、そうだな。多分、僕は君の顔、好きだぜ。」
もちろん好きなのは顔だけではないし、むしろ彼女がこの顔じゃあなくとも、構わないのだが。