結婚してみる
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「露伴先生。私と、結婚してくれませんか?」
久しぶりの、人との食事。
その上向かいに座ってこちらを見る人物も、随分久しぶりに会う。
漫画家の、岸辺露伴先生。
彼とはもう10年近くの付き合いになるが、付き合いといっても恋人としてではなく友人としての付き合いだ。
彼はいつも自由で、傍若無人で、他人を下に見るかなり変わった人ではあったが、知識が豊富で頭も回る彼の話は面白く、それに意外にも仕事にはまっすぐ向き合う人で、私は彼のそういう所を気に入っていた。
それで、先程のプロポーズとも取れる言葉だが。
先程も述べた通り、私と露伴先生は恋人同士ではない。
ではなぜ、そのような言葉を口にしたのか。
目の前の露伴先生もそれは疑問に思っているようで、こちらの真意を探るようにじっと私の目を見つめた後、手にしていたワイングラスを静かにテーブルへと戻した。
「なぁ、それは僕に言ってるのか?役作りとかじゃあなく、真剣に。」
軽く頭を抑える仕草は、混乱を落ち着かせるためのもの。
いきなり恋人でもない異性にプロポーズされたら、仕方のない事ではある。
「やだなぁ露伴先生。私、ちゃんと先生の名前を呼びましたよ。真剣に言ってるんです。」
「真剣に言ってる方が問題だろ。そもそも、僕は君の恋人になった記憶はないが。そういうのは、ある程度の期間付き合った恋人に言うもんじゃあないのか?」
何か間違った事言ってるか?と続ける露伴先生は正しい。普通は、そうだろう。一般的には。
「恋人じゃなくても、私と露伴先生の付き合いって長いじゃないですか。もう、7年くらい?」
「もうそんなに経つのか。と言っても、別に仲良しって訳でもないだろう。僕と君は。」
えっ、と思わず声が漏れた。私は、露伴先生と仲は良いと思っていた。しかし、露伴先生は違ったのか。なるほど確かに、そういうのを想定するべきだった。
「すみません…。私、露伴先生以外に友達っていなくて。一方的に、仲が良いと思ってました。」
それに、口にはしないが露伴先生も友達がいない人だと、勝手に思い込んでいた。私と同じように。私が、唯一の友人だと。
「いや…撤回するよ。君と僕は友人だ。それは間違いないから、そんな悲しそうな顔をするなよ。」
「…私、顔に出てました?」
「あぁ。よくそれで、女優なんて仕事やっていけるな。あぁ、褒めてるんだ。相変わらず、テレビで観る君は、君じゃないみたいだ。」
「ふふ、嬉しいです。露伴先生、私の出てるドラマ、観てくれてるんですね。」
「まぁ、友人だからな。」
よかった。私と露伴先生は、友達で間違いないらしい。安心してワインを一口口に含んだところで「で、結婚がなんだって?」と露伴先生は話の軌道を元に戻した。
「露伴先生、私と結婚してくれません?」
「それはさっきも聞いた。そもそも、"してくれませんか"って事は、僕の事が好きで告白してるんじゃあないんだろ?」
「はい。」
「ハァ…もういい。読ませろ。」
ため息を吐き、埒が明かないと見切りをつけて立ち上がる露伴先生に「いいですよ」と返し、ワイングラスを置いた。
露伴先生の言う"読む"とは、先生の特殊な能力の事で、スタンドやヘブンズドアと呼び方をするみたいだが、詳しい事はよく分からない。
出会った頃に人にその能力を使っているところを目の当たりにし、例に漏れず私もその対象にされた事もある。記憶を読む事ができるというその能力は、特にこちらには不都合はないので受け入れているが、普通は嫌がるものだと先生には言われた。
「…なるほどな。両親にせっつかれている、というのはよく聞く話だ。その上、面倒事を嫌う君は、スキャンダルなんて以ての外。…普通は、イメージダウンを避けたいと思うものだとは思うがな。」
「…最近、とある俳優から毎日のようにメッセージが来てうんざりしているんです。返さないわけにはいかないし。」
20歳そこそこで知名度が上がってからというもの、何度か"熱愛か!?"といった記事は出されてきた。その度に肯定も否定もせず、周囲が他のものに興味を移すまで耐えるというのがストレスであった。話題になった直後なんて、どこに行っても記者から聞かれるのであまりのストレスに胃に穴があくかと思った程だ。
「そもそも、露伴先生は結婚しないんですか?いや、相手がいたら、の話ですよ?」
「嫌だね。幸せな結婚生活を送るなんて、僕には無理だ。漫画を描いてる方が、ずっと有意義だ。」
「ふふ、やっぱり。私とおんなじだ。」
私も、露伴先生と同じタイプだ。
「私も、この仕事が好きなので、年老いて死ぬまでやっていたいんです。だから、もし結婚したとしても、家庭を顧みる自信がないんですよね。相手の時間を、無駄にしてしまうだろうなって。」
その点、露伴先生はどうだろうか。露伴先生だって、漫画を描くのに時間を使いたいタイプのはずだ。お互いの利害が一致していれば、問題はないのではないだろうか。
「露伴先生は、いつも漫画にリアリティを求めていますよね?結婚を経験するのも、悪くないんじゃないですか?」
まだ私の"利害"の話しかしていない。
ここまでの話で露伴先生に"害"がない事は説明した。
次は露伴先生の"利"の話である。
案の定"リアリティ"という言葉に反応を示してくれたので、あとはどんな利があるかダメ押しするだけだ。
「朝起きておはようって挨拶をし合って、朝食なんか作ってもらったりして。行ってらっしゃいのキスなんかもあるかもしれないですね。家でお仕事してるから、疲れた時にはお茶を淹れてもらったり、マッサージしてもらったり。夜はお互いパジャマ姿でベッドに入って、おやすみの挨拶をして…。そんなのが日常になったら、どんな気分なんでしょうね。」
言いながら、自分でも想像してみた。幸せだと、思うだろうか?もしかしたら、一緒に暮らしている内に情が湧いて、そう思う日が来るのかもしれない。今は、全く想像できないが。
「確かに、それも悪くないな」と前向きな一言を呟き、顎に指を当てて考え込む露伴先生。意外とすぐにいい反応が返ってきたので、きっと同意してもらえるだろうとワインを一口、口に含んだ。
「君は、変な奴だよな。いいのか?いつか他の誰かと一緒になりたいと思った時、バツイチになるんだぜ、君。」
「そうですね。でも、その時はその時です。バツイチだからって、幸せになれないなんて事はないですし。」
「そうか。…言っとくが、僕は引っ越すつもりはないからな。」
「はい。構いませんよ。私がS市から通います。」
「分かった。よろしく頼む。」
「はい。よろしくお願いします。」
まさかその場で即決とは。私の事を変な奴、なんて、露伴先生だって人の事を言える立場ではない。しかし、返事を保留にして分かれた後に「よく考えたんだがやっぱり無理」と言われるかもしれないと少しは危惧していたので良かった。
「また、ご連絡します。露伴先生は、今日は日帰りの予定でしたよね?もうそろそろ出ないと。」
「もうそんな時間か。君と話すのは楽しいが、今日のは衝撃が強すぎていつにも増して時間が過ぎるのが早いな。」
「本当ですか?私も、露伴先生とお話するの楽しいです。」
揃って席を立ち、お会計をと財布を出すと先生に制止された。先生曰く「結婚したら、割り勘なんてしないんじゃあないか?」との事。確かに、それは一理ある。その辺は、これからきっちり擦り合わせていかなければ。
「露伴先生、お先にどうぞ。」
先生は新幹線の時間があるので、先に来たタクシーを譲ると「君の気遣いはいつも素晴らしいな。それができるなら、相手もよりどりみどりだろうに」と言われたが、これは露伴先生を尊敬しているからできる事であって、尊敬していない相手にはこんな事はしない。仕事となれば、仕方なくする事もあるが。
「では、今日はありがとうございました。またご連絡します。」
「あぁ、おやすみ。気をつけて帰れよ。」
別れの挨拶の後、露伴先生を乗せたタクシーは扉が閉まり、ゆっくりと発進し去っていった。
やっぱり、露伴先生は私の結婚相手にぴったりだ。
打算で選んだ相手ではあるが、尊敬しているし、向こうもそれを知った上で受け入れてくれた。
帰ったら露伴先生にお礼のメールを入れて、今後の事を相談しなければ。
これからはストレスを感じる事がなくなるかもしれない希望が見えて、久しぶりにいい気分で家路に着いた。