結婚してみる
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「露伴の、お仕事をしてるとこが見たい。」
彼女が杜王町の僕の家に移り住んで、もう数日が経った。残念というべきか結婚初夜と呼ばれるものは失敗に終わって、以降そんな風な空気になった事はない。今まで友人として過ごしてきたのだから、あれ以来寝るタイミングになると少しお互いを意識するようになり、まるで思春期の中学生のようだ。だがそれ以外は上手く回っていて、気まずい雰囲気になる事もなく夫婦生活を過ごしているのは、僕が気にしない性格なのに加えて、彼女がそういう雰囲気を一切出さないからだろう。本当に、いい奥さんだな。そんなかわいい妻から可愛いお願い事をされては、断るわけにもいかないだろう。
「別に構わんが、家に引きこもってばかりで飽きないのか?」
「んー、だって、一人で外に出るのはダメって言うでしょう?」
「当たり前だろう。」
「さすがにまだ飽きる事はないけど、家から出られないのなら露伴の仕事を眺めるしかないじゃない。」
「おい、眺めるしかないってなんだ。聞き捨てならないな。」
「もう、言葉のあやだよ。露伴の仕事してるところは見たいもの。」
そういえば、彼女が越してきた日から今日まで原稿を描いていない事に気がついた。ここ数日は彼女と四六時中一緒にいた。だというのに、ひとつも嫌な気分にならないのが不思議である。特定の誰かと数日間も同じ空間で過ごすなんて、かつての自分からは考えられない事だ。1日耐えても2日目の朝でウンザリしていたはずだ。「ふむ…」と声を漏らし、彼女を見る。彼女は僕の性格や性分に合っているとは思っていたが、まさかここまでとは。
「……年末年始は、君は特番とやらに出るんだったな。」
「あぁ、はい。そうですね。」
「それが無事に終わったら、旅行にでも行くか。だいたい2週間くらい、海外でも。」
「えっ!?」
突然の提案に、彼女は目を丸くして大袈裟に驚いた。いや、大袈裟というのはさすがに言い過ぎかもしれない。色々な事が想定外で、脳の処理が追いつかなかったらしい。「えぇと…」とやや視線をさ迷わせた後に「露伴、お仕事は?それに、今からじゃ飛行機取れるかどうか…。」と人差し指を立てて指摘をしてくる姿は、並大抵の女性がやってもここまで可愛らしくはならないだろう。
「仕事は描き溜めておけば問題ない。それに、飛行機にはアテがある。で、これを踏まえた上で、どうする?」
「!い、今すぐスケジュール確認します!」
あからさまに嬉しそうな顔をする彼女を見て、少し意外に思った。今まで、あまり表情を大きく変えるところは見せてこなかった彼女が、およそ初めてと言っていいレベルの無邪気な笑顔だったからだ。最近はよく笑うところを目にするようになってきていたが、今のは、さすがに…。
(可愛すぎたなぁ…。)
さすがに今のは、演技などではないだろう。それくらいは僕でも分かる。キスも性行為に近い行為もしてきたが、今のが一番彼女との距離が近かった感覚がする。なるほど、これは確かに、結婚した甲斐がある。
「空いてました!元々年明けはしばらく予定を入れないようにしてたんですけど、見落としもないです!」
「はは、そうか。じゃあ、ちょうど良かったな。行きたいとこがあったら、考えといてくれ。」
「はい!ふふ…どこにしようかなぁ。あ、ねぇ露伴、ちょっと本屋さんに行ってきてもいい?」
「ダメだ。何どさくさに紛れて一人で外に行こうとしてるんだ。…はぁ、仕方ないから一緒に行ってやる。」
大方、旅行雑誌でも見ようとしているのだろうと簡単に察しがつく。スマートフォンで調べればすぐになんでも検索できる時代だが、わざわざ雑誌を買って読もうとする辺り僕と似ていてセンスがいい。好感が持てる。何となく気分が良くなったので、きっと今日は原稿にも筆が乗るだろう。帰ってきたら仕事だな、と今日のこの後の予定を組み立て、彼女の頼みを聞くべく車のキーを手に取った。
「ゲ…露伴…。」
「仗助…お前、なんでこのタイミングでこんなところにいるんだ。いい気分だったのが台無しじゃあないか。」
いつも何かを買う時は亀友デパートでいいかと思いがちではあったが、これからはよく考える事にしよう。本を買う時は亀友デパートではなく、駅前の書店だ。本当、今言った通り先程までのいい気分が台無しである。それに、仗助と彼女は絶対に会わせたくはなかったのだが。
「仗助…康一くんと話してた、露伴の……お知り合い?」
「え…康一の事、知ってるんスか?」
「うるさい。彼女に話しかけるな。」
「えっ!?…まさか、露伴の彼女…!?」
一気に頭が痛んでくる。本当、なんでこんな時にかち合うんだよ。彼女にはきちんとサングラスと帽子で顔は隠させてはいるが…あぁ、イライラする。
「…露伴、もう帰ろうか?」
「……いや、大丈夫だ。君の買い物に付き合うよ。」
いつもと様子が違う僕を気遣って、彼女は僕の服の袖を引き眉を下げていて。なんだかそれを見ているこちらの方が守ってあげたくなるような表情であった。だから人差し指の背で彼女の頬を撫でたのは、完全に無意識だった。
「…露伴が彼女に優しくしてるトコなんて、見たくねぇんスけど……。」
「…そう思うのなら見るんじゃあない。」
「いや、明らかに美人なんだから、気になるじゃあないスか。露伴の彼女ってのが気に入らねーが。初めまして、康一の友達の東方仗助っス。」
「だから話しかけるな。近づくな。見るな。」
つくづく人の話を聞かない奴だな。仗助と彼女の間に体を割り込ませてその姿を隠すと、必然的に僕と仗助が対峙する構図になって中々に胸糞が悪い。
「ふ、ふふ…。」
「?…おい、何笑ってるんだ。」
突如背中から堪えきれなかったような笑い声が聞こえてきて、それはこの状況には似つかわしくない楽しそうなものだった。
「ごめんなさい。露伴が仗助くんを友達じゃないって言ってた理由が分かって、つい。」
「…それの何が面白いんだ?」
「ふふ、またひとつ、露伴の事を理解できたのが嬉しくて。」
「!」
人前で、それも仗助の目の前だというのに腕を伸ばして僕の体に抱きついてくる彼女に、思わず狼狽えた。どういうつもりで言っているのか、さっぱり分からない。それに、本当いつもいつも、可愛い事を言う。
「あの、そういうのは家に帰ってからにしてくれません?」
「…うるさいな。そもそも見てるんじゃあない。どっか行けよ。」
「いやぁ…まぁそうなんスけど。…露伴の彼女さん、芸能人に似てるって言われません?」
こちらの言葉も意に介さず喋り続ける仗助が、ついに爆弾になり得る言葉を落とした。一瞬空気が止まった気がしたが、彼女の方をチラリと見た時には既にいつも通りの雰囲気へと戻っていた。
「言われた事はないけど…ちなみに誰?」
余計な事を聞くな、と彼女を見たが、なぜだか余裕のある顔をしている。あぁもう、面倒臭いな。
「女優のみょうじなまえって言うんスけど、知ってます?俺、大ファンで。今日もなまえちゃんが載ってる雑誌が出るからわざわざ買いに来たんスよ。」
「ん?…あぁ、そうなんだ。」
今の反応、自分が載る雑誌の存在を忘れてたな。これが終わったら、買いに行こう。
「その、みょうじなまえに似てるって、褒めてるの?」
「もちろんっスよ!なまえちゃんの圧倒的透明感は、伊達じゃあねぇっス!」
「ふぅん…ありがとう。」
「えっ。」
「おい、仗助なんかに触るんじゃあない。」
彼女なりのファンサービスのつもりか、僕の目の前で仗助の手をぎゅ、と握るので咄嗟に仗助の手を叩き落とした。
「え、まさか…いや、そんなわけ…。」
こうなってしまっては、奴にダメージを与えるのが手っ取り早い。
信じられないものを見るように僕らに視線を送りながら独り言をいう奴の目の前に、彼女の左手を自身の左手で掴んで見せた。そして、トドメの一言を。
「言っとくが、この子は僕の彼女じゃあない。僕の妻だ。」
「はぁっ!?つ、妻…!?」
途端に顔面蒼白になる仗助を見て、ようやく胸がすいた。人が、特に仗助が絶望の表情を浮かべる姿を見て、今はとても気分がいい。
奥まったベンチで仗助の体にヘブンズ・ドアで"岸辺露伴とみょうじなまえの事は口外できない"と書き込んだところで「ヘブンズ・ドアって、こんな風に見えるんですね…」と僕の肩越しに彼女が仗助を覗き込んだ。
人に使っているところは7年前に遠目で見たきりだし、自分では見えないため興味が湧いたらしい。
「わ、本当に色々書いてある!」とページを捲る姿はまるで自分を見ているようで変な気分だが、悪くはない。
「ほら、今日は雑誌を買いに来たんだろ?そろそろ行こうぜ。」
「はぁい。」
そういえば、最近彼女を読んでないな。あとで読むと言っておきながら何故だか読む気にならない。歩きながら、隣にやってきた彼女を見下ろして、しばし考えた。この心情の変化は明らかに、彼女と暮らし始めてからだ。それはつまり、彼女の存在が僕に影響を及ぼしているという事で。
「?露伴?」
「…いや、なんでもない。」
現状、彼女に影響を受けても悪い気はしていない。それならば、別に特段気にしなくとも良いだろう。
彼女と過ごす事で変わっていく自分の変化も、これから先、楽しみだ。