第4部 杜王町を離れるまで 前編
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ガラッ
「帰ったぞ。」
「!」
夕食後、突然玄関ドアを開ける音と共に帰宅を告げる男性の声がして、部屋の中の空気が凍りついた。典明が露伴の体に入って子供達とお風呂に入っているので、居間には私と聖子さんしかいないのだが、2人で無言で目を見合わせて、聖子さんは慌てたように玄関へと駆けていった。
この家に帰ってくる男性は、3人だけだ。ジョセフさんと、貞夫さんと、そして承太郎。ジョセフさんは1人で帰ってこられないので違うとして、貞夫さんか承太郎になる訳だが…貞夫さんが帰ってくるとして、聖子さんに連絡しないなんて事、あるだろうか?連絡しないというのなら、承太郎の方がありえる訳だが。
「… なまえ。来てたのか。」
ほら、やっぱり承太郎だ。会いたくないので他の可能性を探していたが、そもそも声で分かっていた。
「靴、あったでしょう。」
聖子さんの前でなければ、出会い頭に殴っていたかもしれない。私は額に手を当ててため息を吐いて、それを耐えた。本当に、タイミングが悪い。
「…そうか。」
「……。」
彼のいつもの言葉足らずな物言いに、思わずイラッとした。慣れていたはずのそれは、今の状況ではただ頭にくるだけだった。
「聖子さん、大丈夫だよ。台所に持っていくから、あとはお任せしてもいいですか?」
無理やり作った笑顔で、聖子さんにそう言うと「あ、えぇ…。」と心配そうではあったが納得はしてくれたようだ。カチャカチャと食器を運ぶ間、承太郎は静かに居間に座していたので、私と何か話そうとして待っているのだろう。私は、話したくはないのだが。典明達が早くお風呂から上がらないかな、と思ったが、お風呂からは楽しそうな声が聞こえてきているので、邪魔はしたくないな、と思い直した。途中で上がってきてしまうかもしれないが、それはそれで仕方がないだろうが。
「で、何?」
聖子さんが用意してくれたお茶を飲みながら、私達は向かい合った。承太郎はそのお茶を一口飲み下してから「悪かった。」と一言謝罪を口にした。
「…え、終わり?」
その一言で済むなら、さっき帰宅してきた時に言えば済んだのではないだろうか?まさか、私が何か話すのを待っているとでもいうのか。
「あのねぇ。謝罪は、典明からもう聞いてる。その上で、許さないって言ってるの。」
私の硬い声に、承太郎は眉を顰めた。なぜ承太郎の方がそんな顔をするのか、分からない。
「承太郎は、私から何か聞きだそうとしてあんな事したんだろうけど、私からしたら本当に信じられない。ありえない。本当に、最悪…。」
話していたらあの時の記憶や感情が蘇ってきて、気持ちが沈んでいくのが分かる。頭痛すらしてきた気がする。
「私、今まで承太郎の事、信頼してた。あの旅への同行を許してくれて、波紋の呼吸の訓練も私ならできるって、信じてくれて。…テレンスから、典明の魂も取り返してくれて。……典明が、死んでからは…、っ私を、そばで支えてくれたのは、典明だけじゃないッ…!承太郎も、支えてくれてたのに!」
「なまえ。」
声を荒らげた私の名を呼んで背中に手を当てたのは、承太郎じゃない。典明だ。いつの間にか出ていた涙を優しく拭ってから、典明は鋭い視線を承太郎へと向けた。
「承太郎…なんで、ここにいるんだ。なまえとはしばらく会うなって、言ったじゃあないか。」
「…康一くんに聞いた。」
また、康一くんか…!そういえば、冬休みが始まる前に仗助が「また泊まりに行っていーっスか?」と言ってきたので「年末年始は帰省するから、帰ったら教えるね。」と伝えていたのを思い出した。漏れたのだとしたら、絶対にそこからだ。
「はぁ…。それで、なまえになんの用だ?僕の前で話してくれ。」
ぎゅ、と典明は私を抱きしめるので、私からは典明の顔は見えないが、声のトーンからして、怒っているようだ。
「ただ、あの時の謝罪をしていただけだ。」
「謝罪だって?それで、どうしてなまえが泣いてるんだ。」
「典明…。私が、承太郎に失望したって話してたの…。あんな事、する人だと思わなかった、って。」
典明の顔は見えないが、承太郎の顔は隙間から見える。私の言葉に承太郎は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「…悪かった。本当に。」
再度謝罪の言葉を口にした承太郎は、僅かにだが頭を下げた。申し訳なく思っているのは本当のようだ。
「あのね、承太郎。私、26歳なの。典明も、見た目は17歳のままだけど27歳なの。承太郎の心配も分かるけど、私達、自分達でできる事は自分達で対処するよ。私は頼りないかもしれないけど、いつも誰よりも頼りになる、典明がついてるんだから。」
「…そうか…そうだな…。」
承太郎はそう呟いて、一人納得したようだった。そして徐ろに立ち上がり「邪魔したな。」と言い残して居間を出て行った。
「え?承太郎?」
突然出て行った承太郎の後を追いかけるように廊下へ出ると、台所の聖子さんに一言二言声をかけ、玄関へと歩を進めるところだった。
「え…?承太郎、このためだけに来たの?帰るの?」
「そうだが。」
承太郎の謎の行動力に、開いた口が塞がらない。私が今日空条邸に帰ってくると聞いてアメリカからやってきて、5分話をして、またアメリカへ帰るというのだ。承太郎は元から、こんな奴だっただろうか?
しかし、前に岸辺邸にやってきた時も、連絡もなしに突然やってきたのだった。本当、予測もつかない男だ。
「本当に行っちゃったね…。」
典明も私も、承太郎の謎行動に呆気にとられている。しばし玄関で2人で呆然としていたら、お風呂場の方が少し騒がしくなったので露伴や子供達が上がったのだと気がついた。
「そういえば、途中で露伴の体から飛び出したんだったな…。」
「!典明…!私を心配して…!」
確かに、あの時の精神状態では、典明は、私に何かあったと心配するだろう。突然子供達と残された露伴には申し訳ないが、典明が来てくれて助かったし、本当に嬉しくて感動してしまった。
「も〜!典明!好き!!かっこいい!ほんと王子様!」
ぎゅーと思いきり抱きしめると少し苦しくなったが、典明が優しく頭を撫でてくれたのでむしろ幸せだった。スンスンと匂いを嗅いでいたら「本当に好きだね。」とバレたので素直に「うん。このまま典明の匂いに包まれて眠りたい。」と言ったら「じゃあ、今日は抱き合って眠ろう。」と嬉しそうに言うので、その言葉だけで危うく蕩けてしまうところだった。
バン!と勢いよく脱衣所のドアを開けると上半身裸の露伴と目が合った。彼は典親にドライヤーをかけてあげていたらしく、ドアの音に驚いて振り向いたようで、私と目が合って目を見開いた。私はせっかく訪れたチャンスという事でチラリと彼の身体を観察してから、ドライヤーを受け取った。
「君…今…。」と言われた気がしたが、ドライヤーの音に掻き消されて消えていったので気のせいだという事にしよう。
「典親、終わり。次は初流乃ね。」
典親は典明に似ているだけあって、柔らかくて癖のある髪の毛で、本当に典明の毛質とよく似ている。対する初流乃は、細くて柔らかいが綺麗なストレートで、しなやかなコシがある。私や、露伴の毛質と似ている。ドライヤーをかけながらブラシで解いてやるとツヤツヤになっていき、乾き終えるころには顔を動かす度にサラ、と揺れるサラサラツヤツヤヘアができあがっていた。この綺麗さは、ぜひとも守りたい。
「ん、初流乃も終わり。最後は露伴だね。」
ちゃんと服を着て歯を磨いている露伴に声をかけると、彼はじと、とした視線をこちらに向け「子供じゃないんだ。自分でやる。」と反論をした。
「ふ…。私が、やってあげたいの。ダメ?」
「…君はそうやって、またかわいさを武器にして…。」
「ふふ… 今のなまえさん、かわいかったですね、岸辺先生。」
初流乃は最後にそれだけ言い残して脱衣所を去っていった。初流乃と話している露伴は、いつも調子を狂わされているようでなかなかに珍しい。
私や典明の前で見せる顔とはまたちょっと違う顔を覗かせるのが、実はちょっと好きだったりする。
「ほら、こっちきて、露伴。」
問答無用でドライヤーをかけようとしたのだが、露伴の方が背が高いのでかけづらく、しゃがむように促してやっとドライヤーをかけ始める事ができた。
わしゃわしゃと彼の髪の毛の間に指を入れると、初流乃には及ばないが彼の髪の毛もサラサラで、案外触り心地がいい。私は近頃、髪の毛に癖が出てきているのが気になっているので羨ましく思った。10代の頃は、初流乃のように直毛だったはずだが…。
「ん、終わり。ねぇ露伴。ここにいる間は、ヘアバンド着けないんだよね?」
私はドライヤーを片付けながら、露伴の隣にしゃがんで目線を合わせてそう問うた。意外な事に、露伴は空条邸にお邪魔している間は不要だな、と言ってヘアバンドをそもそも岸辺邸に置いてきたのだ。服装だって、いつものお腹が出ているものではなく割とカッチリしている服ばかり持ってきている。こういうところは案外ちゃんとしているので驚きである。
「あぁ、そうだな。なんだ、僕に見とれてくれるのか?」
いたずらっぽく笑う露伴は、髪の毛が下ろされているのもあってとてもかわいらしい。思わず本当に見とれてしまいそうになった。
「うん、そうかも。今の露伴、とってもかわいい。」
よしよしと頭を撫でたら「かわいい、ね…。」と微妙な顔になったが「まぁ、なまえさんがこっちの方が好きだって言うなら、それでもいいか。」と諦めたように、ではあったが受け入れたみたいだ。かわいい。そして嬉しい。露伴が私を尊重してくれるのが、私の事を好きだからなのだと分かっているので、いつも彼の気遣いが垣間見えると胸が温かくなるのだ。
「さ、もう寝ようか。今日はみんなで寝たいって典親が言ってたから、布団移動させないと。」
もちろん、聖子さんは別の部屋だが。ドライヤーを所定の位置に戻して電気を消そうとスイッチに手を伸ばすと、不意に露伴に手を掴まれて甘えたような声で「寝る前に、1回だけ…。」と、触れるだけのキスをひとつ。お風呂に入ったあとだからか、露伴の唇は温かかった。