第1部 M県S市杜王町
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「露伴先生〜?」
約束の時間ピッタリにインターホンが鳴らされ、外からは女性の声が聞こえたので驚いた。岸辺くんからは"担当者"としか聞いていないので、てっきり男性かと思っていたのだ。外から聞こえてくる女性の声は柔らかい気の抜けたような声で、緊張が僅かにほぐれた。
「全く。毎度毎度、静かに待てないのか君は。」
岸辺くんが開けたドアから見えたのはやはりかわいらしい女性だったので、自然な笑顔で頭を下げたのだが、彼女は私と目が合うと顔を青ざめさせてしまった。私、なにかしただろうか?
「せっ、せ、先生…!!こんな、若い子を誑かして…!!」
「何を言ってるんだ君は!!彼女は成人している!勘違いするんじゃあない!!」
彼女が大きな声で言うので、岸辺くんも負けず劣らず大声で返した。ご近所さんに噂されては、田舎の町ではあっという間に噂が広まってしまう。彼女は都会育ちなので、田舎の怖さを知らないようだ。
「あの、初めまして。みょうじ なまえです。岸辺くんとは最近知り合って。」
このまま放置していたらいつまでも言い合うのではないかと思い口を挟むと、担当者の彼女は「みょうじ なまえですって!?」と私を見て目を輝かせた。
「私、"Tenmei"のファンなんですぅ〜!握手してくださーい!」
年齢は私と同じくらいだろうか?彼女は頬を僅かに染めて私の手を掴んでブンブンと揺らして、明るい笑顔を浮かべている。なんだか、聖子さんに似ていてかわいらしい。
「ありがとう。会えて嬉しいです。」
"Tenmei"のファンに、というのが抜けてしまったが、彼女は喜んでいるので、まぁいいだろう。
「みょうじ なまえさん、どんな人なのかなぁって思ってたんですけど、想像していたよりもお若いんですね!お幾つなんですか?」
彼女の言葉に、岸辺くんと目を見合わせた。彼女は一般人なので、波紋の呼吸の説明をしても理解できないか、引かれるだろう。
「ふふ。…内緒。」
とりあえず人差し指を唇に当て、笑って誤魔化したのだが、その仕草でさえ、彼女を喜ばせた。
「じゃあじゃあ、"Tenmei"って、誰なんですか?実在する人ですか!?」
雑誌の取材なんかでもたまに聞かれる質問である。問答無用で「それも内緒。」である。謎にする事で人気が出る事を狙っているのではなく、典明の存在は隠したいのだ。世間的には、彼は絵の中にだけ存在する人にしたい。だけど存在しない、と答えるのは彼の存在を否定するようで絶対にしたくない。だから、いつも答えるのは"内緒"という都合のいい言葉だった。
「あと、私の素顔も内緒でお願いしますね。」
私は波紋の呼吸で歳をとるのが人より遅い。今はまだいいのだが、もし今メディアに出て、10年後、20年後にほぼ変わらず、では、あらぬ疑いがかけられるだろうと、徹底的に隠してきているのだ。実名で活動を始めてしまったのを、後になって後悔している。
「みょうじさんって…とってもカッコイイ女性ですね…!"Tenmei"も好きだけど、みょうじさんの事も好きになっちゃったぁ!」
頬を染めてそう言ってくれるのは嬉しいが、こういう時、どう反応していいか分からない。過去に友達がいなかったから、他人との関わり方がちょっとばかし下手なのだ。
「泉くん。今日は仕事に関する大事な話があって、彼女を呼んだんだ。」
とりあえず入ろう、と、岸辺くんはドアを抑えて家の中へと私達を促した。泉さんはお先にどうぞ、と無言で促してくれたので頭を軽く下げ先に中へ入ると、岸辺くんはドアを抑えていた腕を急に離したので驚いた。閉まったドアの向こうで泉さんが「ちょっとぉ!露伴先生〜!」と拗ねたように声を上げていて、岸辺くんを見るとドアの方を見て小馬鹿にしたような顔をしていた。最近の岸辺くんは大人びた雰囲気を醸し出していると思ったのだが、どうやら気のせいだったらしい。典明を見習ってほしいものだ。
「先生〜!酷いじゃないですかぁ〜!」
自分でドアを開けて入ってきた泉さんを鼻で笑って岸辺くんは先に歩いていってしまった。これが、岸辺くんの通常運転なのかもしれないが、私に対する態度があからさますぎて、ちょっぴり居心地が悪いのだが。
トン、と背中になにか触れる感覚がして顔を上げたら、典明が優しい笑顔で、私の背中を押してくれて、もう2人が部屋に入っている事に気がついた。岸辺くんの先程のような態度を見たあとだと、典明の王子様感が尚更際立つ。
「えっ!?お2人でコラボ!!?」
岸辺くんの説明を聞いて、泉さんは喜びつつも驚き、手で口を抑えている。女性らしくて、かわいい仕草だ。
「そうだ。僕達はお互い同意している。あとは編集部の許可さえもらえればいい。企画書かなにか作って、上に掛け合ってくれ。」
「いや、泉さんに丸投げはできないでしょう。元々、私個人の個展の予定だったんだし。」
それに、岸辺くんが編集部に許可を貰わなきゃいけないように、私の方も主催者へ連絡して話し合いをしなくてはならない。こちらサイドは、今から連絡するつもりでいるが、そもそものコンセプトが変わってしまうので、また一から考え直さなきゃならないのだ。
「一度、私側の人達と岸辺くん側の人達と、全員で打ち合わせしなきゃいけないから…まずは、ミーティングの予定を合わせるところから始めましょう。」
編集部側のスケジュール確認は泉さんへお願いし、私は私で主催者への連絡をすると、来月からは忙しくなるから、今月中ならいつでも時間が取れるということだった。日程が決まり次第また連絡すると伝え、最後に再び感謝の言葉を伝えて、電話を切った。コラボに変更したいと、無理を言って申し訳ないと謝罪したら「君がコラボしたいなんて初めての事だから、楽しみだ。」と言ってくれたので、主催者さんには本当に感謝だ。
「今月中で、どこかお時間取れそうですか?」
「あぁ、はい。この日なら2時間…いや、3時間取れます。」
指定された日はちょうど1週間後の午後1時。ちょっと時間が足りない気もするが、それ以外だと30分程度しか取れないというので仕方がない。主催者と編集部へ各々連絡し、日程も決まったところで、やっとひと息ついた。ちなみに、この間岸辺くんは1人、お茶を飲んでいただけである。態度がでかい。
「…ねぇ泉さん。どの"Tenmei"が一番好き?」
お茶を飲みながら雑談でも、と思って彼女に声をかけたのだが、彼女はチェック中の岸辺くんの原稿を勢いよくテーブルへと置き、興奮した様子で私の言葉に反応を示した。
「やっと聞いてくれましたね!一番、は決められないんですけどぉ、第3番は柔らかい笑顔が印象的で好きですしぃ、第21番は横顔が本当に素敵で…!あ、第32番も好きですぅ!全身描かれた"Tenmei"が、頭からつま先まで本当に完璧で…。それと第15番の泣き顔も、素敵すぎて見とれちゃいましたぁ。」
マシンガントークで、彼女は"Tenmei"について熱く語ってくれた。番号まで正確に覚えていて、この人は本当に私の"Tenmei"が好きなのだと、少し照れくさくなったが、隣にいる典明はもっと照れているようで、顔を真っ赤にしていてとてもかわいい。私と目が合ったのに気づくとその顔を手で隠してしまったが、そんな態度ですらかわいい。
「あと!なんといっても第10番からの切り番ですよぉ〜!最初は背中だけだったのに、第30番では肌蹴たシャツが……!キャーー!!」
泉さんは、少々興奮しすぎではないだろうか?岸辺くんが眉間に皺を寄せて「煩いな…。」と文句を垂れている。私も、さすがに耳がキーンとなった。
私は今まで、10増える毎に、典明の上裸を描いている。私は、典明の肉体がこの世で一番綺麗だと思っている。数えていないと、つい典明の完成された肉体を見たいがために脱がせてしまうのでそうしたのだが、
「私、新しいのが発表される度にドキドキしてるんですぅ。もうそろそろ、第50番じゃないですかぁ。描くものはもう、決まってるんですかぁ?」
と、泉さんも言うように、世間的にはそれが、カウントダウンのように捉えられ、ウケているらしいのだ。win-winである。
「どうかな……内緒。」
描く構図は決まっているのだが、こう言うと彼女が喜んでくれるかと思って答えると、案の定大喜びしてくれた。なんだか、かわいいワンチャンのように思えてきた。
「本当に煩いな。用が済んだなら帰れ。原稿も、もういいだろう。持っていけ。」
岸辺くんがついに耐えられなくなって泉さんを外へと押しやった。まだ話し足りないという泉さんの声を無視して玄関のドアを閉めて部屋へ戻ってきた岸辺くんに、急にどうしたのかと尋ねると「いや…。」と言って彼は典明に視線を移した。
「彼を見てたら、いたたまれなくて。」
私も彼の視線を追うと、典明はソファの上で体育座りをして耳を赤く染めていた。泉さんにここぞとばかりに顔や体を褒められて、恥ずかしくなったのだろうと思うと、愛しさが込み上げてきた。
「典明〜〜ッ!」
ギュッと抱きしめてスリスリと頬擦りすると「やめてくれ…!今は、顔を見られたくないんだ…!」と、典明はさらに顔を背けてしまった。
「…典明、私、どんな典明の顔も好き。泣き顔も、怒った顔も。ねぇ、典明の色んな顔、全部見たい。お願い。こっち見て。」
懇願するように言うが、典明は頑なに顔を上げず「嫌だ。」と拒否し続けている。嫌な事は嫌だとハッキリ言う。彼の、私が好きなところのひとつではあるのだが…!
「ねぇ…典明…顔が見えないと寂しい。…私いま、典明とキスがしたいの。キス、してくれない…?」
後半囁くようにお願いするとチラ、と目だけでこちらを見たので、目を瞑って待った。離れたところにいた岸辺くんの、呆れたような深いため息が聞こえた。部屋から出ていってくれたようだ。
「君…最近わがままだな…。」
「ふふ。わがままな私は嫌い?好きでしょ?」
確信を持ってそう言うと、彼のため息が聞こえ、次の瞬間には食べられた。唇に歯の当たる感触がして驚いて目を開けると、典明の藤色の瞳が見えて、少し潤んでいるようにも見えた。それほど恥ずかしかったのだろうが、これでは照れている表情は見えない。選択を間違えたか。
「ん…ッ!」
すぐに離れるかと思った唇は、なかなか離れない。赤くなった顔を見られないようにと、典明は考えているようだ。レロ、と唇を舐める典明の舌使いに、顔を見るのはもう、どうでもよくなってしまった。
先程までかわいいと思っていた典明は、今はもうどこにもいない。ただ、最高にかっこよくて、最高に官能的な彼しか、見えなくなっていた。