第1部 M県S市杜王町
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「んー、なんか、イメージと違うなぁ…。」
テーブルで向かい合ってお茶を飲みながら、自分の描いた"Tenmei"を見つめる。構図はいいと思うのだが、なんか、気に入らないのだ。「岸辺くんもこうなったりする?」と聞いたら「ない。」と即答されたので、いい解決策は聞けそうにない。
「…僕も、花京院さんを描いても?」
岸辺くんは徐ろに立ち上がり、私にそう尋ねた。岸辺くんが、典明を?なぜ私に許可を取るのか。典明を見ると嫌そうな顔をしていたが、拒否はしていないみたいだ。別に構わないのだが、岸辺くんに「いいよ。」なんて言いたくないのだろう。代わりに答えてあげると、岸辺くんは新しいキャンバスに色を乗せ始めた。予想はしていたが、下描きはなし。直感で描いていくタイプだ。スッスッと色のついたそれは、みるみるうちに人型になって、やがて、典明の形になっていった。
「すごい…特徴を、よく掴んでるね…。」
これを才能、というのだろう。彼のことが少し羨ましい。やがて彼は筆を止め、無言で、こちらにパレットを差し出してくる。絵はまだ、完成していない。
「瞳の色を、作ってくれ。」
彼はきっと、私の過去に描いた"Tenmei"を全て見て、色が同じである事に気がついたのだろう。すごい観察力だ。チョン、と青色をパレットに出すと「もっとだ。多めに作ってくれ。」と言う彼の言葉に、青色を増やした。それと、あと何色かを加えて彼の瞳の色を作ると「…すごいな…。」と感心された。それもそうだろう。ものの数十秒で瞳の色を完璧に再現したのだ。10年もやっていれば、彼の瞳の色はすぐに作れる。思わずドヤ顔で岸辺くんを見ると、なぜか典明も同じ顔をしていて、2人纏めて彼に笑われてしまった。
やがて完成した彼の絵は、それは見事な物だった。以前線画を描いてもらったことがあるが、色がつくとやはり、迫力がある。藤の花に囲まれた典明が、綺麗に描かれている。
「すごい…岸辺くん、こんなのも描けるんだね…綺麗。上手。」
「…とてもプロの評価とは思えない語彙力だな…。」
こんなの、語彙力がなくなっても仕方がない。彼の筆のタッチには、迷いがない。それが見ただけで分かって、迫力になっているのだ。絵の中の典明は、私に向けられる表情とは違うが、確かに典明が、そこにいたのだ。
「すごいな…。」
典明も、珍しく感心したように絵を覗き込んでいる。元々彼も絵描きなのだ。興味はあるのだろう。
「岸辺くん、この絵、売ってくれない?いくら?」
私が至極真面目に答えると「いや、プレゼントさせてくれ。」と断られてしまった。そう言うと思った。
「岸辺くん、貴方の描いたこの絵には、お金を払う価値がある。お金を受け取らないって事は、この絵の価値を下げる事になるの。この、私が気に入った絵の価値を、下げないでほしい。」
真剣な顔でお願いすると、彼は驚いた表情を浮かべて「まるでプロみたいだな。」とニヤッと笑った。プロみたいじゃなくて、プロなんだけど。
「分かった。相場が分からんが…2万でどうだ?」
「はぁ?岸辺くん、ふざけてる?50は受け取ってくれないと困る。」
「何ィ!?そんな10分やそこらで描いた絵だぞ?そんなに取れるわけないだろう!」
「私にはそれくらいの価値はあるの!100でも欲しい!」
お互い一歩も譲らずにしばらく言い合っていたら、典明が「10万円。それでいいだろう。」と私の肩に手を置いた。お互いその金額を聞いてぐぬぬ…と睨み合って、そして、ついに納得した。これ以上言い合っても、岸辺くんは折れないだろう。私も、折れるつもりはない。交渉成立、と、お互い握手をして、私は彼にお金を支払った。本当に、10万以上の価値があるのに…!
その後手直しを続け、キリがいいところまでやると、もう夕方の5時だったので帰ることにした。結局、納得はいっていないのだが、休憩前よりは良くなっている。
「送るよ。」と言った彼の言葉に素直に甘え、車内で彼の絵を見つめる。彼の描く典明は新鮮だ。私からすると、新しい典明。
「ねぇ、岸辺くん。来年"Tenmei"の個展をやるんだけどさ、」
まだ未発表の情報なのだが、今思いついて、結構いい案だったのでそのまま口にする。
「画家 みょうじ なまえと、漫画家 岸辺露伴。"Tenmei"でコラボしない?」
先に驚いたのは典明だ。何を言うのか、先に分かったのだろう。全部言い終わる前に、私を見ていた。
「それはとても嬉しい提案だが…花京院さんはいいのか?」
岸辺くんは典明の顔色を伺うように、バックミラー越しに典明を見る。てっきりすぐに承諾してくれるものと思っていたのでちょっと拍子抜けだが、彼のその気遣いは、とても温かいものだった。
「…僕は、ただの被写体だ。なまえがいいならいい。」
遠回しに、岸辺くんの絵を認めているのだと言う典明の言葉。本当に遠回しだが、彼はそういう意味で言っている。その証拠に、彼の岸辺くんを見る視線にはいつものトゲがない。プイ、と顔を逸らしてしまったが、あれは照れ隠しだろうと思う。
「被写体の許可をもらったけど、どうする?」
典明の岸辺くんに対する態度が変わった事が嬉しくて、身を乗り出して前に座る岸辺くんに問うと、彼も「分かった。やろう。」と嬉しそうな顔だ。
そうと決まれば早速、担当編集者に紹介したいと、岸辺くんと携帯電話の番号を交換して、ホテルの前で分かれた。典明は番号の交換を「別に家の電話でもいいだろう。」と言い拗ねていたが、携帯電話の方が便利なので仕方ないだろうと説得してなんとか納得してもらった。…最近、典明の嫉妬が如実だ。本人には申し訳ないが、正直、私はとても嬉しい。拗ねてしまった彼の機嫌を取る事も好きなので、もう私は本当にどうしようもないと思っている。…岸辺くんを、典明に嫉妬してもらうために利用しているようだと、思わなくもないが…。
私は、典明の事なら手に取るように分かるが、さすがに最近出会った彼の事は、まだよく知らない。いつも彼は、私の話を聞いてくれるが、今度は、彼の話も聞いてみよう。まずは、明日の担当編集者さんとの挨拶から。丁度打ち合わせがあるとかで、担当さんが来るのだというので明日紹介したいと言われたのだ。一応私は岸辺くんよりは年上だが、見た目はただの小娘。失礼のないように、ちゃんとしなければ。
夕飯・シャワーの後、ベッドでふて寝している典明をヨシヨシと甘やかしながら、明日の事を考え、気を引き締めた。…来年の個展、楽しみだな。と、未来に思いを馳せて。